きょうは先制タイムリーの活躍。
則本投手も全員で勝ち取ったと振り返っていました。
戦場で傷ついた兵士を救い「天使」と呼ばれたイギリスの看護婦ナイチンゲール。
フランスのジャンヌ・ダルクは祖国の勝利に命をささげ後に「聖人」とたたえられました。
古今東西大きな危機が訪れた時類いまれな能力を持つ女性たちが現れ人々の苦難を救ってきました。
それは我が日本でも。
たけだけしい名ですが実は女性。
その生涯は波乱に満ちています。
僅か5歳で交わされた結婚の約束。
淡い恋を育みますがお家騒動で許嫁は行方不明に。
愛のため少女はある行動に出ます。
果たしてそれは!?運命のいたずらで家督を継ぐ事になった直虎。
やがて非凡な政治力を発揮します。
専門家も注目する秘蔵の資料からその詳細が明らかに!わ〜すごい!芸能界きっての歴史好きビビる大木さんが知られざる歴史の裏側に迫ります!こよいは地方の一領主から大大名へ輝ける栄光をもたらした一人の女性の物語です。
今僕は浜名湖に来ています。
浜名湖と聞いて皆さん何を思い出しますか?僕はやっぱりウナギなんですけども歴史的に見ますとこの辺りは遠江と呼ばれ交通の要衝として発展し戦国時代には多くの戦いがあったそうです。
今日の主人公井伊直虎はですねこの湖の北側井伊谷と呼ばれる地域を治める領主の家に生まれました。
まずは直虎とはどんな女性だったのかに迫ります。
室町幕府の衰えとともに日本全国を戦乱が覆っていた時代。
幼名などの記録は残っていませんが一人娘だったためかわいらしい名前で大切に育てられた事でしょう。
このころ地方に根づきその地盤を領地として支配した武士を「国人」あるいは「国人領主」と呼びます。
標高115mの小高い山。
井伊家が築いた山城の跡です。
一体何があったのでしょうか?まず井伊家とはどんな一族だったのか。
手がかりを求めてビビる大木さんが向かったのは城跡に程近い井伊家の菩提寺龍潭寺です。
こんにちは。
ごめんください。
どうもビビる大木と申します。
お邪魔いたします。
住職の武藤です。
よろしく。
(大木)よろしくお願いします。
長らく井伊家の研究も続けてきました。
歴史でも特に幕末が大好きな大木さん。
幕末史の重要人物井伊直弼のご先祖にあたる井伊家だけに興味津々です。
あら!ちょっとご住職これは?
(大木)ここに座ったんですか?いやいやいやちょっとまいちゃったなこれは。
ご住職。
僕ちょっとあのここにきてあれなんですけど僕吉田松陰好きなんですよ。
ちょっとドキッとする場所です。
いやいやいや。
同じように日本の国を思った人たちです。
考えが違うだけです。
そうですか。
(大木)あれは井伊大老がお使いになった肘掛けという事ですか?
(武藤)そうですね。
(大木)わ〜。
早速ですけども史料というのを見せて頂けないでしょうか。
分かりました。
どうぞこちらの方へ。
はいお願いします。
これまたね貴重な史料があると伺っておりますんで。
どうぞ。
(武藤)これちょっと開けましょうかね。
寺に代々伝わる…平安時代から続く井伊家の歴史がまとめられています。
他の史料にはない記述が多く研究者も注目する貴重な記録です。
(武藤)いろんなもう受難の時代がありますのでそれが書かれてありましてね。
ここに井伊直虎の事も書いてあるわけですか?書いてありますね。
有名な言葉がございますね。
どこですか?「女にこそあれ井伊家惣領に生まれ候」と。
これはどういう意味かといいますと父親の直盛公のただ一人の娘なんです。
男子がなかったわけでありますね。
ですから井伊家の惣領になるわけです。
惣領とは跡継ぎでございますね。
これでまあ直虎が女性だったという事が分かるわけですか。
はぁ〜。
いずれは夫婦となり共に井伊家をもり立てる。
2人は幼い頃からそう教えられていました。
(雷の音)ある事件が起きます。
直虎が直親と将来結婚する形で進められていた井伊家の家督相続。
それに不満を抱いた家老の一人が陰謀を企てたのです。
それに気付いた直親の親族が間一髪で直親を井伊家の領地から脱出させました。
命からがら逃れた直親が身を寄せた寺です。
それは許嫁の直虎に対しても同様でした。
何故直親様はいずこにもおられぬのですか?父上。
直虎が父をどんなに問いただしても答えはもらえません。
直親様のおらぬ俗世などいとうない…。
胸が潰れるほど思い詰めた直虎は幼いながらも周囲を驚かす行動に出ます。
直虎としてはもう失意の状態ですもんね。
そうでございますね。
その時の直虎のとった行動とはどういう行動をとるわけですか?ここに書いてありますとおりね剃髪をしてもらう。
まあ女性の場合ですから髪を切ったんでしょうね。
俗世とは一切縁を切ると出家でございますね。
出家して仏門に入ると。
今でいうと小学4年生5年生ぐらいですか?そうですね。
だって自分が小4小5って何していたかって言われたら本当に何もしてなかったですから僕。
そろばん塾さぼって怒られてるぐらいで。
この直虎のような覚悟の精神力があったかというとね。
わ〜もう恐れ多いですわこれは。
かわいい盛りの娘。
父と母は許嫁の事は忘れるよう説得したようです。
しかし直虎は頑として聞き入れず仏門に入りました。
それから時は流れて…直虎が21歳となったこの年実家から一通の書状が届きました。
何事かと書状を開いた直虎。
読み進むうちその内容にがく然とします。
なんと許嫁の直親が生きていたというのです。
直親に反発していた家老が病で亡くなったため晴れて直親が逃亡先から帰ってくるという知らせでした。
いとしい直親に会いたい。
しかし自分は既に出家した身。
寺の定めではもはや直親と夫婦にはなれません。
口惜しや出家したばかりにこのような事になるとは…。
井伊家家中が喜びに沸く中一人寺に身を置き続けた直虎。
その胸中はいかばかりだった事でしょう…。
ところが天は直虎に更なる試練を与えます。
この時井伊家を継ぐべき男子は直親の子直政のみ。
しかしいまだ2歳と幼くとても一家の当主を務められそうにありません。
お家存亡の危機。
ここで全てを託されたのが前の当主の子直虎でした。
許嫁との永遠の別れに悲しむ間もなく直虎の境遇は一変します。
多くの群雄が割拠し弱肉強食の争いを繰り広げた戦国時代。
そうした乱世に直虎は世にもまれな女性の戦国武将として新たな人生を歩む事となったのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
図らずも井伊家の家督を継ぐ事になった直虎。
出家したため結婚はできなかったのになぜ俗世に戻る事はできたのでしょう?その秘密は出家した時の名前に隠されています。
「次郎法師」。
実はこれ通常男性が用いるもの。
当時禅宗のお寺では尼になると二度と俗世に戻れないという定めがありました。
そこで直虎は家督相続などで実家が危機に陥った時に備え俗世に戻る事ができる僧侶となったようです。
さて続いては女城主となった直虎その政治手腕に迫ります。
城を構え領地を治める国人領主ではありましたがその立場は微妙でした。
直虎の本拠井伊谷のあった遠江の国今の静岡県西部は戦国大名今川家の領国とされていました。
直虎は井伊谷の地を治めながら今川家の命令を受けるいわば中間管理職のような立場でした。
そうした国人領主たちの悩みの種は上の大名たちが繰り返す戦の費用。
国人領主が領民から得る年貢がそれに充てられていましたがその額は増える一方で領主たちの台所はいつも火の車だったようです。
かといって安易に年貢を増やせば領民の一揆を招き収入そのものを失いかねません。
そのため時には食事や酒を振る舞い気持ちよく年貢を払ってもらえるよう努めました。
領民のふだんの暮らしにも気を配り時には相続や離婚のゴタゴタの仲裁までしたとか。
一方で大名にも絶えずご機嫌伺い。
少しでも怠慢反抗的と受け取られたら最悪討伐を受け家を滅ぼされかねません。
いやはや国人領主って大変!そんなさなか領主となった直虎。
ただでさえ大変な立場に加え男中心だった戦国の領主の世界では特に苦労が多かったに違いありません。
一体直虎はどうやってこの難局に立ち向かったのでしょうか。
直虎がとった作戦の一つを知る手がかりが残されています。
(大木)出てきました。
(久野)こちらになりますね。
これが?これ何ですか?直虎と書いてありますよね?書いてありますね。
直虎。
その下に何かありますね。
これ。
これはね「花押」と呼ばれる当時のですね署名の下に書くサインです。
あこれ花押ですか。
花押は当時男それも身分の高い人物だけが用いました。
花押を使う者とはすなわち土地と民を治める男性だったのです。
(大木)そういう事ですか。
ちょっとじゃあ男であるというふりをしてたって事ですか?直虎が利用したのは花押だけではありません。
直虎といういかにも武将らしい名前。
実は領主となってから名乗り始めました。
花押と名前で男のふり。
直虎さんなかなかの策士ですね。
更に直虎は領地を治める力量にも目を見張るものがありました。
これらは今川家との間で交わされた書状です。
「徳政令」つまり借金の棒引き命令に関するやり取りでその文面を追うと巧みな政治手腕が浮かび上がります。
事の発端は田畑の不作で借金返済に窮した農民による今川家への直訴でした。
訴えを受けた今川家は農民達の直接の領主である直虎に徳政令を出すよう命じています。
国人領主の常として経済的に苦しかった井伊家は領内の商人から金を借りて不足を補っていました。
もつれあう利害の中で迫られる決断。
そして…。
しかしハッキリ徳政令は出さないと言えば今川家への謀反ともとられかねません。
そこで今川家には商人たちを説得する猶予がほしいと時間稼ぎを開始。
その間に商人を徳政令から除外する特例措置の下準備を進めます。
更に徳政令を求めた農民たちが一揆を起こさぬようその動向に細心の注意を払い続けました。
今川家商人農民。
この三者との絶妙なバランスを直虎は必死に保ち井伊家を守るため心を砕き続けました。
直虎が苦心して徳政令を回避し続けるさなか今川家から送られてきた書状です。
「太似曲事二候」。
「徳政令を先延ばしにするのはもってのほかであり許されない!」。
自分たちの企てが進まない今川家はいらだちを募らせていました。
しかし直虎は脅しに屈する事なく更に時間を引き延ばし裏で商人に対する徳政令免除の手はずを整えます。
そして全ての準備を終えた永禄11年11月ようやく徳政令が出されます。
しかし直虎の巧みな根回しによって今川家が狙っていたような混乱は起きませんでした。
この徳政令の実施では…当時の寺はお布施等で得た金銭を庶民に貸しその利子で寺を修繕するなど現代の金融機関のような運営をしていました。
女城主井伊直虎。
力が物を言う時代にあって知恵としたたかさで領地を守りきった見事な政治手腕の持ち主でした。
徳政令をめぐり知略を尽くして今川家と闘った直虎。
万事丸く収まったかに思われましたがそれで終わりではありませんでした。
なんと今川家は徳政令を指示しておきながらいざ実施されると直虎には統治能力がないと言いがかりをつけ力づくで領地を奪ったのです。
井伊家は離散。
直虎は幼い直政と共に城を追われます。
窮地に立たされた直虎の運命やいかに?そして「歴史秘話ヒストリア」。
今回のクライマックス直虎の大逆転劇をご覧頂きましょう。
城も領地も全て失った直虎。
このままにては父上にも直親様にもあいすまぬ…。
井伊家復活の道を探る直虎でしたが遠江をめぐる情勢はますます混とんとしていました。
直虎が龍潭寺に入った直後今川家が隣国の武田徳川両家に攻め込まれ滅亡したのです。
今より井伊家を再興するには武田家と徳川家いずれかの庇護を得る必要がありました。
この選択を誤れば再び家を興すどころかその大名もろとも滅び去るかもしれません。
他の大名の動向戦の勝ち負けなども把握し将来を見極める必要がありました。
直虎以外の国人領主たちの判断は真っ二つに分かれました。
武田家を選んだ者徳川家を選んだ者ほぼ同数。
井伊家はどちらにつくべきか決め手が見つかりません。
悩んだ直虎はちりぢりになった親族にも連絡を取り意見を求めています。
井伊家の未来がかかった究極の選択。
徳川か武田か果たして直虎の決断は…。
直虎が選んだのは徳川家でした。
当主の家康は当時織田信長の同盟相手にすぎない存在。
決め手は何だったのでしょうか?「井伊家傳記」を詳細に読み込むと直虎の心を決めさせたのは亡き許嫁直親だったと考えられます。
いずれあのお方にお仕えしたい。
それが直親の遺志ではないか?そう思わせる出来事があります。
生前直親はひそかに井伊家が今川家を離れ徳川家に従う準備を進めていました。
更には生まれて間もない直政を家康に仕えさせようとすらしていたのです。
天正3年許嫁の忘れ形見直政が15歳になると直虎は行動を起こします。
しかしそれを訴えようにも流浪の家の者が大名である家康にすんなり会えるとは思えません。
そこで直虎は家康の行動を調べ上げある計画を立てます。
その計画とは家康が趣味の鷹狩りに赴く道すがら直政に出会うという機会を作り出す事。
「井伊家傳記」には直虎が周到に準備を進め家康と会う時の直政の衣装も手ずから縫ったと記されています。
直虎の計画実行の日。
場所は現在の静岡県浜松市。
直虎手縫いの衣装を身につけた直政は道端に立ち鷹狩りの家康一行が通りかかるのを待ち構えます。
そして。
家康がやって来ると深々と頭を下げ古来井伊家と徳川家が関わりある事を語り自分も家康に仕えたいと願い出ました。
徳川家の記録によるとこの時の家康の様子は?「直政を只者ではない顔つきであると思われた」。
どうやら直政を一目で気に入ったようです。
徳川家臣団の一員となった直政はその後メキメキと頭角を現し始めます。
ある時は…またある時は宿敵武田家との合戦で獅子奮迅の働きをします。
その戦いぶりは敵だけでなく味方をも驚かせたとか。
このころ出世街道をばく進する直政に直虎が贈った品があります。
あらあらまあらま。
どうぞ。
はい失礼します。
あら!何やら。
(井伊)これは四神の旗と言うんですわ。
四つの神の旗。
四神旗。
(大木)これを直政に贈ったんですか。
戦勝祈願の4本の旗。
そこにしたためられた神の御加護を祈るまじないの文言は直虎が書いたものと伝えられます。
直虎は直政にどんな思いを込めてこれを?まあ繁栄の保証はないんですけどあの時代は乱世やから。
でも…じゃあ任せたぞという事なんでしょうね直政に。
一時は滅亡の瀬戸際に立たされた井伊家。
しかし戦乱の世に生まれた稀有な女城主直虎の執念で見事再興を果たしたのです。
こよいの「歴史秘話ヒストリア」。
最後は直虎そして井伊家はその後どうなったのか?そんなお話でお別れです。
京都・本能寺で織田信長が明智光秀の謀反に遭い落命。
追っ手を逃れ道なき道へ。
落ち武者狩りなど危険に満ちた道中。
後々まで家康が生涯最大の苦難と語った脱出行伊賀越。
この時の働きを賞され直政に褒美として授けられたものがあります。
当時希少だった孔雀の羽根を一面にあしらった陣羽織。
家康の深い感謝の念が込められています。
井伊谷の国人領主から日本有数の大大名へ驚くべき出世でした。
直虎が亡くなったのは直政が名を上げた伊賀越の僅か3か月後。
井伊家の安泰を確信し世を去ったかのような最期でした。
場所はあの許嫁直親の墓の隣。
結ばれる事のなかったいとしい人に寄り添うように並んでいます。
乱世に生を受けあえて男の名を名乗り城主の重責を負った井伊直虎。
逆境にあらがい滅びかけた我が家を絶望のふちからよみがえらせた力の源。
それは幼き日の心に刻まれたいちずな愛にほかなりませんでした。
2014/05/28(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「それでも、私は前を向く〜おんな城主・井伊直虎〜」[解][字]
日本史上でもまれな女性武将、井伊直虎(いいなおとら)。多くの悲運に見舞われながらも、戦国の世を懸命に生き抜いた。秘蔵の古文書と最新研究から、直虎の素顔に迫る。
詳細情報
番組内容
現代でも女性の生き方に問題は尽きない。仕事に結婚、出産など…しかし、戦国時代は職業選択どころか結婚の自由すらない、女性にもまさに“乱世”だった。それでも自らの意思のもと、生き方も愛も貫いた女性がいる。静岡県西部、遠江(とおとうみ)国の“女性”武将・井伊直虎(なおとら)だ。番組では門外不出の書物「井伊家伝記」や井伊家に伝わる家宝などを徹底取材。直虎がいかに数々の苦難を切り抜け、生きたのかに迫る。
出演者
【出演】ビビる大木,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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