5100分de名著 旧約聖書(最終回) 第4回「沈黙は破られるのか」 2014.05.28

「滅びよわたしが生まれた日男の子がはらまれたと言ったその夜」。
さまざまな文学や哲学に影響を与えてきた「旧約聖書」の問題作「ヨブ記」。
神を信じて生きるヨブに次々と襲いかかる過酷な試練。
そこには長い苦難の歴史をたどったユダヤ民族の姿が重なります。
ヨブの神への問いかけは現代を生きる我々にもメッセージを投げかけます。
ユダヤ民族の終わりなき神への問いかけの記録。
そこに秘められた真実に迫ります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ3回にわたってユダヤ民族の歴史を見てきましたけれどもこのあとこれまでにない激動の時代がやって来るんだそうです。
そうですねこのあとも大きなそして意味のある変化が生じます。
今回はもう一方ゲストにお越し頂きました。
聖学院大学学長姜尚中さんです。
ようこそお越し下さいました。
よろしくお願いします。
昨年は漱石の「こころ」の講師としておいで頂きました。
1年ぶりでしょうかね。
ちょうど1年ぶりぐらいです。
再びご登場頂きましたが姜さんご自身もキリスト教者でいらっしゃって「旧約聖書」はいかかでしょうか?「旧約聖書」というのはいろんなインスピレーションを与えてくれるし意外と韓国の場合は大陸と海の力とが激突しますからちょっと似たような地政学的条件にありますよね。
そうかイスラエルも南北分かれて。
南北に分断されてますけどね。
そういう中でのさまざまな苦難というかこういうものをどう昇華したらいいかという。
そういう中で意外とキリスト教が。
もちろん「旧約」的なものに例えて自分たちの民族や国を語る人は結構多いですね。
ちょっとここまでの流れを。
おさらいしましょうか。
こちらでございます。
前回はバビロンの捕囚時代を乗り越えてふるさとに帰還したあとギリシャの方からヘレニズム文化が入ってきたという辺りまででした。
当時の高度な文明文化に触れる事で自分たちの…そして「知恵文学」というジャンルに分類されるいくつもの著作が現れるようになります。
中でも知恵文学の傑作と言われるこの「ヨブ記」をご紹介いたしましょう。
あるところに誰よりも信仰深く正義感の強いヨブという男がおり財産にも子供にも恵まれていました。
ある日悪魔が神に賭けを持ちかけてきます。
人はどんな境遇にあっても神への信仰を持ち続けられるか。
ヨブに試練を与えてその信仰を試そうというのです。
「それでは彼をお前のいいようにするがよい。
ただし命だけは奪うな」。
その日を境にヨブの幸福な人生は一変不幸ばかりが起こるようになりました。
最初の試練は家族と全財産の没収。
子供たちは次々と命を落とし家畜は盗まれ家も焼けヨブは全てを失ってしまいます。
しかし敬虔なヨブはその程度では神への信仰を捨てません。
すると悪魔はヨブの体中に悪い腫れ物をつくり痛めつけました。
かゆみと痛さで正気をなくすほどヨブは苦しみます。
それでもヨブは神を恨もうとはしませんでした。
苦しむヨブの噂を聞いて3人の友達が見舞いに来ます。
しかしあまりの姿に言葉をかける事もできません。
やがてヨブはその苦しみから口を開き壮絶な呪いの言葉を発しました。
「男の子がはらまれたと言ったその夜。
その日には暗闇あれよ」。
まあ途中なんでしょうけど壮絶な話ですね。
というか突然の話ですよね。
そうですね神が試すという。
僕のイメージはこういう「聖書」とかに書いてあるお話というのは何か悪い事した人に罰が当たりますよみたいな勝手なイメージなんですけどむしろそうじゃない人に嫌な事を起こし続ける。
ヨブは一度も神を裏切った事がないとてもいい人だったのに姜さんこのヨブに与えられた苦難というのはどのように?そうですね例えば3月11日を過ぎた我々であればなぜ市井の無垢な人がなぜあの時に突然命を絶たれるのかとかね。
そうするとそこで我々は答えを無くしてしまうわけですよね。
でもある日突然悲劇が覆いかぶさった時に…だからヨブの問いというのはもちろんこれは彼に襲いかかったあまりにも不条理なんですけど…この「ヨブ記」というのはゲーテの「ファウスト」とかドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などいろいろな文学作品にも強い影響を与えてるんだそうですね。
どうしてこのような物語が生まれたんでしょうか?ヨブの境遇やその気持ちこれは…具体的には神はずっと沈黙している。
神は救ってくれないのですね。
しかし…こうした考え方の動きが見てとれるという事になると思います。
そしてこれがどうなっていくのかという。
ほんとですね。
さあ物語の続きにまいりましょう。
3人の友達は「神は絶対に善人を苦しめる事はない。
罰せられるのは悪人だけだ」とだんだんヨブの信仰を疑い始めます。
しかしヨブは自分の正義を固く信じていました。
神がなぜ自分にこんな試練を与えたのかヨブには理解できないのです。
ヨブは自分が公平に裁かれるならその覚悟は持っていました。
しかし神は沈黙し何も言おうとしない。
ついにヨブの神への抗議が始まります。
「わたしがあなたに向かって叫んでもあなたは答えず立ち上がってもあなたはそっぽを向いておられる」。
その時ある青年が言いました。
「あなたは神よりも自分の方が正しいと主張しているがなぜ神と争おうとするのか」。
自分の正しさを信じるヨブをいさめたのです。
やがて嵐の中からついに神ヤハウェの声が鳴り響きます。
ヨブは深く悔い改めました。
すると財産は以前の倍になり再び神の祝福を得る事ができたのです。
あんまり腑に落ちないっちゃ腑に落ちない。
ヨブは「ほんとにちゃんと裁いて下さい」と神様に。
覚悟を持って言ってますよね。
訴えているのに神は沈黙したまま。
最終的に「神信じときゃ間違いねえんだよ」みたいな割と力技になるじゃないですかこれ最後が。
より祝福を受けるという。
これどういう事を教えてくれてる話なんですか?この物語の意味は?やっぱりこれは神の前で自分を正しいとしてしまう…その時代に即して言うならやっぱり神の沈黙の問題ですね。
つまりそれは民の側が罪の状態にあるからだというふうに考える事にしたのですね。
そういう公式の立場があるにもかかわらず知恵の働きはやっぱりこの問題を更に自分でも納得するように考えてみたくなってしまう。
そうすると前回の第3夜の事がものすごく効いてきますね。
何でしょうみんなが個々に考えるようになって。
「俺は少なくともいろんな条件をクリア−してるから俺は救われていいはずだ」みたいな事って困るわけですよね実際問題。
そんなの勝手に自己評価でやられたら。
そうすると「それ駄目ですよ」という物語だって考えると要は無かった事にはしないんですよ。
人間にそういう心の動きがあると。
自分たちが知恵をつけてきたからもしかしたら自分がこんなにひどい目に遭ってるって少なくともおかしくないですかというところを無かった事にはしてないじゃないですか。
少なくともそういう事を考える人はいるでしょっていう。
だけどもそれでもあなたたちの知恵は神には及んでませんっていうのって少なくともヨブ自体にはちょっと共感しますね。
そこはだって消し去ってないんですもんね。
ちゃんと表しているわけですから。
(伊集院)ここは重要ですか?重要だと思います。
問いを問うという事が非常に重要なんじゃないか。
今我々は回答をすぐに求めるから回答よりは問う。
僕自身はやっぱり文学というのはそういうもんだと思ってるんですね。
それが今の時代だんだん薄れてきてるんじゃないかと。
「もういいや」とか「そんな事聞いたって」とかね。
それから問い自体を問えなくなってきているそこに一番問題があるのでやっぱりヨブのこの問いかけは非常に重要なんじゃないかと。
すごくそこ思いました。
今の世の中そうですよね。
問おうとも思わない。
多分問いを問いかけた時点で批判と思われるんだろうなとか許されてないようなとこちょっとあるじゃない。
空気を読みすぎてなんですけど「旧約聖書」の中ではちゃんとそれ聞きたくなるでしょって事じゃん。
少なくとも聞きたくなるんだよね君たちはねというとこまではちゃんときてるのは。
あとはまとめ方だよね。
そこまでのところは本当にドラマチックでさっき松重さんの朗読を聴きながら私はなんて崇高なんだと思って涙出そうになりましたけど。
最後はでも悔い改めてたくさんの富をかえってその祝福を受けてめでたしめでたしという。
ちょっと拍子抜けですよね。
何かそういう財産が。
力技なんですよね。
結局そこかいっていう。
一切の問いをそこで封じ込める。
突然こうバーンと閉じられるというところに…そう考えるとバランスすごいな。
「お前らそれぞれ実は最近そんな事考えてるでしょ」までは泳がせるけどそれ以降に関しては答えないという。
もちろんヨブはその当時のユダヤ民族共同体の代表でもあったんでしょうけどむしろ個人。
つまりほかならぬ「ヨブ」という一つの名前を持った人物がやっぱり神と向き合ってるのである種…そこが僕はこの「ヨブ記」読んでやっぱりかなりユダヤ教自身が変わっていくというかその変化の中でこの問題を扱わざるをえなかった。
知恵がついてきてるわけですからどうしてもやっぱり個人の苦悩とかこういう事も扱っていかざるをえない。
その契機だったんではないんでしょうかね。
ユダヤ民族全体が罪の状態だからしょうがないでは割り切れない。
「僕は正しいはずだ」というまさにその象徴的な物語。
そういう事ですね。
その後もユダヤ民族はさまざまな帝国に支配され迫害を受け続けました。
独立を求めた戦争も起こりますが最後にはエルサレムの町も神殿も破壊されてしまいます。
そのような中で黙示思想が生まれました。
つまり終末思想ですね世界の終わりが来ると。
その日ですねその日に世界が滅ぼされる。
それで終わりならもう本当に終わり終末なんですが神はそのあと新しい別の世界を創ってそしてその新しい世界というのは善なる世界だ理想的なすばらしい世界だこういうふうに考えられた。
そうすると自分がその選ばれてる人になりたい。
なりたいというかなってるんじゃないか。
そうすると早く終末訪れてすばらしい世界に行きたい。
こういうふうになるのが黙示思想ですね。
は〜なるほど。
ず〜っと理想的な世界が来ない。
それは自分たちが罪の状態だから。
ちょっと待てよと。
自分たちですら罪の状態って事はみんなこいつら全員罪だろうと。
…って事は神様からしたら何のお考えがあって滅ぼさないのか。
それはある瞬間にもう全部やるんだなってあそこに到達したらやるんだって思い始めた。
ますますその思ってる人たちは強いつながりになりそうですね神とね。
あと信仰も強くなりますね。
だって選ばれたいですもん。
「誰なのよ誰なのよ」とは絶対なる。
基本的にみんな罪の状態にあるんですからこの世は悪ですからこうしたら自分は選ばれてないんだけど選ばれるようになるという事は無い。
つまり何をしても無駄なのに2,000年も待たされてるというこういう非常に困った状況にあるという事になります。
うわ〜何かちょっと混乱してきましたね。
しかし紀元後1世紀になると実際に神が救うという活動を始めたと主張する流れが生じてくる。
(伊集院武内)ほう!それがイエス以来の流れですね。
そういう事なんだ。
なるほど。
ナザレという町に大工のヨセフと母マリアのもとで育ったイエスという少年がいました。
大人になったイエスは「聖書」によれば洗礼により神の聖霊を受けたとされています。
やがて弟子たちと町や村を回って「自分は神に救われた人間だ」と説いてゆきました。
水の上を歩いたり病を治したり数々の奇跡を起こし神とのつながりを示しました。
更に形式主義に陥っていた当時のユダヤ教を批判し民の支持を広く集めてゆきます。
しかしそうした行いは時の権力者たちに恐れを抱かせイエスはエルサレムで裁判にかけられます。
そして処刑されたのです。
僅か数年の活動期間でした。
その後残された弟子たちによりイエスは神の子となりユダヤ教から分かれたキリスト教はヨーロッパ世界に広がってゆきました。
私たちが思ってるイエスのイメージと随分…まあ私が思ってるイメージかもしれませんがもともとユダヤ教徒だったんですね。
ユダヤ人でありユダヤ教徒である。
でも僕らは「旧約聖書」について勉強してきたからその概念からいうと…結局当時のユダヤ教の主流の流れと対立する事になって社会から排除されてしまった。
つまり処刑されてしまったと。
これユダヤ教からすると反乱分子みたいなものですか?まあそうですね。
イエスの立場というかイエスは…そうするともう神に救われてるんですから律法を守るとか守らないとかそんな事はどうでもよくなる。
なりますよね。
そういう可能性がある事をイエスはユダヤ社会の中でかなりおおっぴらにそして注意されてもやめないで主張したと。
当局からするとユダヤ社会の根本である律法を価値無いとする立場ですから排除される。
「自分は選ばれたんですよ」と言う人が現れたらどうしたらいいか教えてほしいじゃないですか。
神様自体は沈黙してるわけだから教えてほしいという人もいるし当然ちょっと待ってよ混乱するからお前やめろやめろっていう人もいるというのはすごく理解できますね。
姜さんはこのイエスという人についてはどう思われますか?やっぱりイエスという人が説こうとした事はひと言で言うと愛という事だと思うんです。
ユダヤ人であれあるいは非ユダヤ人であれ神の子イエスの贖いを通じてそこに帰依する事で救われる。
ですから…なるほど。
でも本当に苦難の時を経てきたユダヤの人々滅ぼされて神も無くなっていく国もある中で何千年も生きてきたというのは生き延びてきたというのはすごい事ですよね。
これはもう…結局2,000年余にわたって救済の日は来てないわけですよね。
でもそれが保ち続けられたのはなぜなのか。
僕はやっぱり…その持続性というんでしょうかね。
だから歴史と記憶という問題はユダヤ教を考える時にとても重要な事かなというふうには思いました。
ユダヤ教はこの2,000年以来基本的にはこの待つしかないという結論のところでずっと存続していると。
そしてこれはよっぽどの事がない限り動きようのない結論になってると思われます。
一神教ってちょっと遠いものかなと思ってたんですけどほんとその成り立ちをずっと見てくると人が生きていくための知恵がありそして成熟してくればそこで自分たちが問いを続ける事によってまた新しい物語を紡いでいくっていう。
加藤さんそして姜さんどうもありがとうございました。
2014/05/28(水) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 旧約聖書[終] 第4回「沈黙は破られるのか」[解][字]

旧約聖書の記述から古代の歴史や人々の営みを読み解くという視点で語る。そして一神教の概念がどのようにして生まれたかを探る。第4回では、ヨブ記などを読む。

詳細情報
番組内容
バビロン捕囚が終わり、故郷に帰ることができたユダヤ人だが、かつてのように国家を樹立することはできなかった。しかしバビロンという大都会で暮らしたユダヤの人々は、かつてよりも知見を広め、知恵を深めることができた。こうした背景の中で生まれた物語のひとつが、有名な「ヨブ記」だ。そしてその後、キリスト教が誕生することになる。第4回では、苦難の歴史の中、神との関係をどうとらえるか、悩んだ人々の姿を描く。
出演者
【ゲスト】千葉大学教授…加藤隆,姜尚中,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】松重豊,【語り】湯浅真由美

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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