九州有明海を臨む干拓地。
長い一本道を疾走する一人の男がいます。
(スタートの合図)副島選手の持ち味は…駆け引きはせずに常に先頭へ。
不利と言われる向かい風に敢然と立ち向かいます。
この異例のスタイルで数々の国際レースを制覇。
日本の第一人者です。
その原点は…目標を見失っていた青春時代。
再起を誓ったそのやさき襲いかかった事故。
絶望の中車いすマラソンに出会い希望を見いだしました。
今年で競技生活18年。
衰える肉体。
遠ざかる勝利。
年齢の壁と向き合っています。
あ〜クソッ!世界のトップであり続けるために。
勝負を懸けた今年最大のレースボストンマラソン。
逆風に立ち向かう挑戦の3か月に密着しました。
年明け早々副島選手の一年が始まっていました。
休みは大みそかと元日の2日だけ。
朝一番走り込みを行います。
競技生活18年続けてきた日課です。
副島選手は23歳の時事故で脊髄を損傷。
それ以来腰から下を動かす事ができません。
よいしょ〜。
よっしゃ行ってきます。
副島選手はここ長崎県諫早市の出身。
東京ドーム130個分の干拓地の周りを4周毎日40kmを走ります。
この日の気温は8℃。
冷たい海風がじかに体に吹きつけます。
向かい風の中一人自分と向き合う時間です。
(取材者)お疲れさまです。
そうですね。
向こうはよかったですけどこっちはやっぱもう完全に向かい風だったんでちょっとしんどかったです。
寒くて風があるとちょっと集中力が切れそうになりますね。
今日だけ考えるともう30kmでいいやって思うんですけど負けた時とかに「やっぱ練習してなかったからな」って思いたくないんで。
(ため息)でも本当これで風なかったら最高なんすけど。
(スタートの合図)車いすマラソンは競技用の車いすに乗り腕の力だけを頼りに42.195kmを走ります。
レース中車いすをこぐ回数は1万回以上。
強靭な肉体が求められます。
風をよけながらいかに終盤まで体力を温存するか。
レースの鍵を握ります。
ところが副島選手向かい風を恐れず全力疾走。
駆け引きを一切せずに先頭を走りレースの主導権を握ります。
車いすマラソンでは珍しい先手必勝のスタイルです。
これまでベルリンボストンニューヨークなど数々の国際レースで優勝。
その独自の戦い方は副島スタイルといわれ世界にその名がとどろくトップアスリートです。
42km引っ張ってでも最後みんながそこにへばるぐらいまで…。
ついてくるだけでへばらせたいというかそのぐらいの走りをやっぱり自分はしたいと思っているのでそういうスタイルが俺なんだよというのはやっぱり主張したい。
副島選手の今年最大の挑戦が始まっていました。
3か月後に迫ったボストンマラソンです。
副島選手の武器は日本人離れした腕力です。
両腕の力だけで全身を引き上げるトレーニング。
重さ80kgの台をも動かすパワーです。
123。
トレーニングのねらいは腕力の左右のバランスをとる事です。
バランスの悪さから車いすをこぐフォームを崩していました。
副島選手のフォームです。
右利きの副島選手車いすをこぐ時に無意識に右腕に力が入ります。
右と左で腕の上がりが異なりバランスが崩れています。
そこでフォームを改善し腕力を効率よくタイヤに伝えればスピードアップが期待できると考えたのです。
1314。
OKです。
今年43歳。
この2年海外の主要な大会で優勝から遠ざかっています。
だからもう4月のボストンなんて本当に言ってる間に何か…。
ボストンまでにはこうやりたいっていうのがあるんですけどそこまでうまくいくかどうか不安ですもんね。
副島選手の自宅は市街地から離れた山の中にあります。
お帰り。
大丈夫やった?大丈夫。
妻の美幸さんとの2人暮らし。
結局向こうに電話して向こうのドライバーさんが…。
競技に専念するために去年会社を辞めました。
練習や遠征など年間400万円に上る資金はレースの賞金と後援会からの支援で賄っています。
マネージャーを務める美幸さんはボストンへの渡航費をやりくりしていました。
本人の分は招待選手なので事務局が出してくれるからいいんですけど私の分は出ないんですよね。
なので…私の分が痛いですね。
美幸さんのアイデアで始めたTシャツの販売。
PRをしながら貴重な収入源にもなります。
障害者でもアスリートとして自活できる道を目指しています。
まだそういうしっかりとしたものを残していっている足跡があんまりないんで何かそういうのが自分たちでできれば…。
どこかに所属しないとやっていけないっていうそういうんじゃなんくて自分たちでも作っていけるというような発信ができるように頑張りたいなと思ってるんですけど…。
かつて副島選手は荒れた生活を送っていました。
高校時代はバイクで度重なる暴走行為。
2年で中退しました。
夢や目標が見いだせない日々。
22歳の時こうした生活からの決別を誓います。
一から出直すつもりで実家の鉄工所で働き始めたやさき…作業中に300kgの鉄板が落下。
その下敷きとなりました。
奇跡的に一命を取り留めたものの脊髄を損傷。
二度と歩けなくなりました。
あんまり人前ではやっぱり泣けなかったですけど病院で夜中泣いてた事は確かにあったですよね。
それが何か悲しくてというか悔しくてというか…。
先行きの見えない絶望。
そんな副島選手を励ましたのが母親の壽恵子さんでした。
毎日病室を訪れてあるひと言を掛け続けました。
「諦めるな」。
しかし当時の副島選手にとってそのひと言が一番つらかったといいます。
その「諦めるな」っていう言葉っていうのは当時自分にはすごく重くて…。
まあその時に親子なんで言われれば言われるほどこっちもむかつく事も多かったしあたる事は多かったですね。
その後友人の勧めで車いすマラソンを始めた副島選手。
レースに出場する度に壽恵子さんは会場に駆けつけ声援を送りました。
母の「諦めるな」という言葉がいつしか副島選手の原動力となっていきました。
だから「あ〜離されちゃったな。
もう終わっちゃったな」ってそれで後ろを見て後ろが来るのを待つなんていうのは僕のスタイルには絶対にないんですよ。
そこに自分の存在価値があって僕の居場所っていうのがそこにあるんですよ。
2月副島選手はボストンに向けて強化合宿に入りました。
期間は3週間。
レースを想定した特訓です。
行ってきます。
(美幸)行ってきます。
走り込みはふだんの倍。
一日80kmにも及びます。
バイクで追走する美幸さんを後続の選手に見立てます。
先頭で走り抜く練習です。
バイクは時速30kmをキープ。
これをレースとほぼ同じ1時間半続けます。
特に走り込んだのが起伏の激しい道のり。
ボストンのコースも激しいアップダウンが特徴です。
年齢の壁を乗り越えてみせる。
この合宿で今年最大のレースへの覚悟を決めていました。
周りとしてはまあ多少はちょっともう…何て言うんですかね引退はしてないけどちょっと引いてってるのかなっていうそういう見方はされてるかもしれないんですけど…。
でも僕にはもうそういう思いは全くないので…。
夫婦2人で行う合宿。
専属のコーチや栄養士はいません。
2人で工夫しながら練習に専念できる環境を整えてきました。
ごはん出来ました。
今日は頑張ったからたんぱく質尽くしに。
いかがですかね。
男の料理。
ダイナミック料理。
まあでもいつもこんな感じです。
俺も仕事すっかな。
仕事すっかな。
皿洗わせて頂きます。
それじゃ私メールするけん。
メールの返事するけん。
ここだからやってる訳じゃなくて家でもやってるんですよ俺いつも。
あの人作るだけなんですよ。
後片づけしない人なんで。
合宿19日目。
この日も繰り返し起伏のあるコースで走り込んでいました。
ところが…。
副島選手が動き出しません。
連日の疲労がたまり思うように腕が上がらなくなっていました。
あ〜クソッ!よし最後。
練習再開です。
突然嵐が。
それでも走り続けました。
この合宿での走り込みは1,300kmを超えました。
副島選手はボストンマラソンの前哨戦に臨みました。
東京マラソンです。
よし行ってくる。
行ってらっしゃい。
この大会ではこれまで5回優勝しています。
絶対に負けられないレース。
自分に言い聞かせていました。
(スタートの合図)スタート直後副島選手が飛び出します。
いつもの先手必勝。
副島スタイルです。
ところが後半。
スピードが上がらず先頭を許します。
いつもの力強さがありません。
そのまま前を行く選手に逃げきられました。
トップに1秒差の2位。
(司会)第2位副島正純選手。
表彰式。
(司会)いま一度大きな拍手をお送り下さい。
副島選手に笑顔はありませんでした。
勝ちにこだわるあまり体力を温存した自分。
果敢に攻めなかった事を悔やんでいました。
(取材者)お疲れさまです。
でもこれが現実なのでそれはしっかりもう一回調整し直します。
ありがとうございました。
(取材者)ありがとうございました。
自らの走りをどう立て直すのか。
副島選手の体は悲鳴を上げていました。
ひどくはないですけど。
しびれって来ないです?ああそれです。
目標のボストンマラソンまで僅か1か月。
夜。
トレーニングに打ち込む副島選手の姿がありました。
これまでは1セット20回。
それを25回に増やします。
どんなに苦しくても全力疾走するために。
232425。
20からの5回はかなりきついです。
いきます。
息つく間もなく再開します。
いきます。
いきましょう。
…2345。
クソッ!決してやめません。
111213141516171819…。
ボストンへ出発する前日。
ある場所へ向かいました。
副島家の墓です。
副島選手を励まし続けた母壽恵子さんが眠っています。
4年前がんのため60歳で亡くなりました。
諦めない気持ちを教えてくれた母。
開き直るというか気持ちを切り替えるというか。
4月17日。
副島選手は決戦の地ボストンに入りました。
車いすマラソンの国際大会では最も古い歴史を誇るボストンマラソン。
欧米やアジアアフリカから選手が集まる世界最大級の大会です。
コースはスタートからゴールまで激しいアップダウンが続きます。
最大の難所は30km過ぎ。
800m続く上り坂通称心臓破りの坂です。
限界に挑んで3か月。
正念場の戦いが始まります。
(拍手と歓声)スタート直前。
赤と黒のウエアに身を包みその時を待ちます。
(スタートの合図)
(歓声)スタート直後の下り坂選手たちが一斉に加速。
副島選手は出遅れます。
5km過ぎ抜け出したのは南アフリカの選手。
副島選手は2位集団から追う展開。
(拍手と声援)懸命にトップを追います。
練習を重ねたフォームの改善。
両腕がバランスよく動いていました。
30km過ぎあの心臓破りの坂です。
必死に2位に食らいつきます。
言う事をきかない腕を振り上げ前へ前へ。
ラスト1kmを切った所でついに2位に浮上。
トップを追います。
そして最後のストレート。
トップがゴール。
それでも少しでも前へ。
諦めません。
その差僅か25cm。
3位でした。
最後まで一度も手を休める事はありませんでした。
(取材者)お疲れさまでした。
お疲れさまです。
最後はちょっと伸び負けしたんですけど。
でもとりあえず年明けからやってきた事は全部出し切ったので。
今日一日だけじゃなくてここ3か月がすごく楽しかったのでよかったと思います。
次はまたちゃんと結果も出せるように頑張ります。
ありがとうございました。
限界に挑んだ3か月。
全力を出し尽くしました。
ボストンマラソンから2週間。
いつもの干拓地に副島選手の姿がありました。
この日仲間が集まり合同練習が行われました。
その中に15歳の新人ランナーがいました。
去年副島選手に出会い車いすマラソンを始めました。
目標は副島選手のようなアスリート。
自分を見て憧れてくれる選手であったりとかそれがちょっとでも速くなりたいっていうのがどんどん世界につながっていくようなそういう世界を作れるとすごく僕自身の存在価値もあるのかなと。
車いすマラソンで培った諦めない気持ちを伝えたい。
第一線で戦いながらアスリートとして後に続く世代を育てていく決意です。
とにかく自分のものを出せるだけ出したいっていう。
言ったら前を走る事っていうのは風を受けるけどでもそれを全部出し切りたいっていう思いで前を走りたい。
ただの勝利ではなくてとにかく自分に負荷をかけてでもトレーニングをして自分らしい走りができればそれはそれですごく楽しいんだなっていう。
それができる間はとにかく走っていきたいなと思います。
副島正純選手43歳。
走り続ける。
向かい風の先へ。
ピカッとひらめく「伝えてピカッチ」。
最初のゲームは…2014/05/29(木) 01:30〜02:15
NHK総合1・神戸
アスリートの魂「向かい風の先へ 車いすマラソン 副島正純」[字]
車いすマラソンの第一人者、副島正純選手、43歳に密着。不慮の事故で一度は絶望の淵に立ちながらも、不屈の闘志で世界トップ選手に上り詰めた副島選手の日々を見つめる。
詳細情報
番組内容
車いすマラソンの副島正純選手は、2007年ボストンマラソンとベルリンマラソンで日本選手初の優勝、ロンドンパラリンピックでは4位入賞を果たした。あえて駆け引きを拒みレースを先頭で引っ張る副島選手の原点は、事故で足を失い生きる気力さえ失いかけた“向かい風”の人生に立ち向かいたいという強い思いだ。2年後のリオパラリンピックでの金メダル獲得を目指して自らの限界に挑み続ける不屈の精神に迫る。語り:袴田吉彦
出演者
【語り】袴田吉彦
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
スポーツ – マラソン・陸上・水泳
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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