ETV特集「歴史と民族から考えるウクライナ」 2014.05.31

(銃声)ウクライナの混迷が続いています。
今年2月の政権崩壊から3か月。
国民同士の対立で死者が出る最悪の事態も起きています。
一体なぜここまで深刻化したのでしょうか。
その理由はヨーロッパに近くEUとの関係を強めたい西部ウクライナと…。
東に位置するロシアとの関係を維持したい東部ウクライナとの政治的対立にあると見られています。
しかしこうした対立の構図には歴史的な背景があります。
人々が誇りを持って守り伝えてきたウクライナ民族の信仰や文化。
数百年にわたるロシアとの関係で形づくられた悲惨な記憶。
背景にある歴史をより深く探る事でウクライナ危機の本質に迫りその行方を考えます。
日本人にとってウクライナのイメージとはどんなものでしょうか。
ウクライナと聞いて私が思い浮かべるのはまず旧ソビエト時代の穀倉地帯炭鉱や鉄鋼の工業地帯のイメージです。
更に横綱大鵬の祖先の地。
棒高跳びのセルゲイ・ブブカ。
そしてチェルノブイリ原発事故のイメージです。
ヨーロッパを中心とした欧米のこの地域への関心は高く今回のウクライナ情勢をイギリスのヘイグ外相は「21世紀のヨーロッパ最大の危機」とさえ表現しています。
番組ではその背景にあるものは何かウクライナ問題の根本を読み解きます。
それではまずこれまでの経緯とともに現在も緊張が続く東部から見ていきます。
きっかけは去年11月当時のヤヌコービッチ大統領がEUとの協定調印を停止した事でした。
ロシアとの関係を重視したヤヌコービッチ大統領の政策。
これに対し首都キエフで反発の動きを見せたのは主に西部ウクライナの人々でした。
数万もの人々が抗議デモを開始。
1991年の旧ソビエトからの独立以来ウクライナ団結の象徴となった青と黄色の国旗を手にEUへの加盟そして大統領の退陣を要求しました。
しかし大統領は退陣を拒否。
人々の抗議行動がエスカレートします。
同じ頃東部の都市ドネツクではヤヌコービッチ大統領への支持を訴える集会が催されていました。
東部の人々もキエフのデモ隊と同じウクライナ国旗を掲げ話し合いでの解決を訴えていました。
しかし今年2月事態は急変します。
キエフのデモ隊が大統領府を掌握し政権は崩壊。
EU加盟を目指す暫定政権が成立しました。
これに対して今度はロシア系の住民が多い南部のクリミアで反発の声が上がります。
暫定政権の親EU路線に対しクリミアの住民が一斉に掲げたのはロシアの国旗でした。
3月住民投票を行いロシアへの編入を決定します。
その結果を受けロシアのプーチン大統領はクリミアの編入を承認しました。
この直後インターネット上にキエフで撮影されたある映像が流されました。
この映像は東部の人々に暫定政権への強い不信感を抱かせるものでした。
プーチン大統領の演説を放送した国営放送の会長が辞表を書くよう強要されています。
暫定政権を支持する議員による行動でした。
(銃声)東部一帯に銃声が響き始めます。
親ロシア派の住民によって警察署や議会などが「占拠」されました。
3か月前には話し合いによる解決を訴えていたドネツクでも住民が州政府庁舎を占拠。
そこで彼らが宣言したのは…。
(拍手と歓声)暫定政権を認めず独立するという声が上がったのです。
その後更に独立の是非を問う住民投票が行われ賛成が89%を占めたと発表されました。
ウクライナ団結の象徴だった旗は地に落ちていきます。
今ドネツクなど東部の州では暫定政権が準備を進める明日の大統領選挙の実施が危ぶまれています。
ウクライナは今分裂の危機に直面しています。
スタジオには4人の専門家の方々に来て頂きました。
ウクライナ情勢の民族的歴史的背景について話し合っていきたいと思います。
皆さんよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
まず5月1日から10日までウクライナで取材をした石川一洋解説委員に東部情勢について伝えてもらいます。
現地の状況というのはどうでした?私がドネツクを取材した今月前半の段階ではまさに暫定政権の統治機能が日に日に氷が解けるように崩壊しているというのが印象です。
州政府本部はもちろんテレビ局更に私が一番ショックを受けたのは治安機関旧ソビエトのKGB。
これはものすごい巨大な建物ですけどそこもドネツク人民共和国をとなえる親ロシア派に占拠されてしまってるんですね。
私の取材では現地の警察はこれは占拠というよりも人民共和国の側に現地の警察が施設を引き渡したというのが実態に近いと思います。
つまり正当な州政府や市という行政機関も人民共和国というものを排除するのではなく現地の…協力とまでは言いませんけど共存しているというのが実態です。
自治権拡大を訴えて占拠という戦術に出たわけですけれどもその背景を探りたいと思います。
まず東部ウクライナの特徴というのはどういうところですか?今回の反乱の拠点となるドネツクルガンスクというのはドネツクは鉄石炭ルガンスクは工業という事で「ドンバス」といわれてソビエト全体をも支える大工業地帯で17世紀にロシア帝国領に組み込まれたんですけどロシア意識というのが強いんですね。
ロシア系の住民の数も多いという事がありますけどロシア語が主要な言語です。
この住民は私の印象ですとソビエト意識がまだ残ってるんです。
ソビエトによって育てられたと。
だから占拠した方々を見ても「人民共和国」と。
今どきロシアで何かそういう事が起きたら「人民」なんて言葉を付ける所はない。
でもあそこは「人民共和国」という言葉を付けて赤旗を掲げている。
占拠した人々に聞いても「私たちはソビエトの子供だ」と言う人もいる。
そういう人たちがキエフでの革命への反発からドンバスの自立を訴えてるというような状況だろうと思います。
東郷さんに伺いたいんですけども東部の住民が西部を中心とした政権に反発した背景これはどういうふうに見ていらっしゃいますか?今の東ウクライナの人たちが非常に重視しているのは一つは言葉ですよね。
言葉。
というのは私ども今テレビなんか見てますと東ウクライナの人たちがしゃべってるのは完全にロシア語ですから聞いてて分かる。
西ウクライナ系統の人がしゃべってるのはウクライナ語でこれは分からないですよね。
同じスラヴの言葉ではありますけど。
暫定政権側はウクライナ語を唯一の公用語にするというような方針も。
去年の暴動の時に一番事態が先鋭化してクリミアに飛び火した直接のきっかけはそれまでロシア語を公用語にしていた部分をやめて全て公用語はウクライナ語にするという事をやったのでだから新しくできる統治形態の中で公用語としてロシア語が残るかどうかという事は一つの大問題。
今回は力で政権が追われたという事に対する反発は東部の人たちの間に強いんですか?強いと思いますね。
具体的に言うと?具体的にはそもそも2013年11月から今年の2月に向かってキエフで何が起きたかという事ですよね。
ヤヌコービッチというのはいろいろ問題はあるけれどもしかし正規の選挙の手続きで選ばれた大統領ですね。
しかし明らかにデモでですね反ヤヌコ−ビッチ派が武力を使って叩いた。
さっきのVTRにあるようにですね。
それは東からすると非常な危機感であり今の言葉の話もあって一挙に紛争というか対立が全ウクライナクリミアに波及したと。
西谷さんには主に経済の視点からお話を頂きたいと思います。
東西の間には経済格差の問題もあると思うんですよね。
この経済格差の問題は今回のウクライナの混迷というものにどういうふうに結び付いているとお考えですか?はい。
東西の経済比較という視点で言いますとまず西部という要は農業中心でつまりウクライナ全体から見ますと所得の低い地域で欧州からの投資が増えれば豊かになれるだろうと期待している地域であります。
これに対していわゆる東部というここはもともと鉄鉱石と石炭に恵まれて鉄鋼業を中心にして帝政ロシアの重工業化政策の一翼を担ってきた。
つまり今もロシアとのつながりの中で生きている地域ですよ。
要するに結び付きが強くて東部がウクライナ経済を支えるいわば屋台骨と言う事ができるわけでしてね。
人口でいうと30%強なんですけどGDPでいうと4割を占める。
更にそのうちの鉱工業生産という点では半分なんですよ。
ウクライナの輸出の45%を占めているわけで。
東部ウクライナの今回の反発の背景には暫定政権の反ロシア的な政策のためにロシアとの良好な関係が損なわれると自分たちの生活の基盤これが失われるという危機感があるんだろうと思います。
なるほど。
そうなりますと明日に迫った大統領選挙の行方更には西部ウクライナが基盤の暫定政権の動きが気になりますけど続いては東部の反発を受ける西部ウクライナの人々の底流にある思想考え方を見ていきたいと思います。
EUへの加盟と大統領退陣を求めて行動したのは主に西部ウクライナの人々でした。
ウクライナ民族主義を掲げる勢力も加わって2月ヤヌコービッチ政権の打倒を果たしました。
実はこの革命を支える大きな力となったのはカナダに住む人々でした。
今年4月トロント郊外のサッカー場。
ウクライナ支援のためのチャリティーサッカーが行われていました。
19世紀末から多くのウクライナ人が移住したカナダにはその子孫を含むウクライナ系住民およそ140万人が暮らしています。
治安部隊との衝突で亡くなった市民たちに哀悼の意を表します。
この日の主催者はUCCというウクライナ系の市民団体です。
所属している人々の多くが西部ウクライナにルーツを持ちます。
UCCは去年11月からカナダでデモを行ってきました。
プーチン政権の横暴や暫定政権への支援の必要性を熱く訴えてきました。
今年3月カナダのハーパー首相がキエフを訪問しました。
G8構成国の首脳としては初めての事でした。
ウクライナのヤツェニューク首相と会談しロシアにウクライナから手を引くよう求めていく事で一致。
暫定政権への全面的な支持を表明しました。
各国に先駆けた首相のキエフ訪問。
暫定政権への支持表明。
実はこういった一連の動きをお膳立てしたのが…UCCが暫定政権樹立前から食料や医薬品といった人道支援のためにカナダ市民から集めた金額は110万ドルに上ります。
UCCによる暫定政権支援の動き。
その背景には西部ウクライナ独特の歴史がありました。
17世紀半ば現在のウクライナの地域は東をロシア帝国西をポーランドに支配されていました。
第一次世界大戦を経て西部ウクライナの一部がソビエト領となります。
その過程でソビエトは農民たちの土地の国有化を進め反発する農民に対しては食料を取り上げました。
ひどい飢饉に見舞われこの地域に多くの死者が出たのです。
更にソビエトは第二次世界大戦の過程でガリツィアと呼ばれる地域を占領。
この時にも激しい迫害が行われました。
今も迫害の記憶は人々の脳裏に鮮明に刻まれています。
14万人というカナダ最大のウクライナコミュニティーを抱えるエドモントン。
ウクライナ系カナダ人たちが足しげく通うセント・ジョージ教会があります。

(聖歌)この日は一年で最も大切な行事復活祭が行われていました。
彼らが信仰するのはギリシャ・カトリックです。
ギリシャ正教とカトリック両方の流れをくむガリツィアの宗教です。
自らの文化を守りそれを誇りとしてきたガリツィアでギリシャ・カトリックはコミュニティーの心のよりどころとなってきました。
今カナダに暮らすウクライナ系住民の多くはガリツィアなど西部ウクライナから移り住んだ人々の子孫です。
かつてソビエトの迫害や飢饉を経験し逃れてきた記憶を受け継いでいます。
ウォルター・プリスターシュさんはそうした苦い記憶を抱える移民の一人です。
第二次世界大戦の頃ふるさとガリツィアで体験した事を今でもよく覚えています。
1941年ナチスドイツがウクライナを占領。
当初劣勢だったソビエト軍は43年から44年にかけウクライナを再び占領。
ガリツィアもソビエトの支配下に入ります。
ウォルターさんの記憶はこの時のソビエト軍の行動に関する事でした。
これに対しガリツィアの住民が立ち上がります。
ウクライナ蜂起軍というゲリラ組織でソビエト軍を苦しめました。
ソビエト軍は勢いづく蜂起軍の力をそぐためそれを支える住民のコミュニティーを弱体化させようとします。
この時彼らの宗教を禁止しました。
こうした泥沼の戦闘と迫害の中多くの人々がカナダに移り住みました。
ウォルターさんは両親や妹たちと共に親戚の住んでいたエドモントンに移住したのです。
ウォルターさんはその後同郷のイレーナさんと結婚しました。
スターリン時代ソビエト崩壊の時そして今回の政変でも2人はウクライナがロシアの影響下に置かれる事を常に心配してきました。
山内さんお待たせしました。
カナダで今ギリシャ・カトリックというものを見たんですけどもこのギリシャ・カトリックというよく分からない名前。
これはどういうものでその重要性はどういうものですか?「ギリシャ」というのはギリシャ正教昔のビザンツ教会に由来するという意味のギリシャ。
「カトリック」はもちろんローマ教皇の指導を仰ぐと。
そういう意味でのカトリックという事です。
問題はこれはギリシャ正教ビザンツ教会に基づく東方の典礼儀式はそのまま受け入れている。
最終的にここは16世紀に東方正教会の典礼儀式を維持しながらローマ教会の権威を受け入れた。
つまり合同宣言合同したというわけです。
ですからそういう非常にユニークな信仰形態もあるんですよという事をローマが認めたわけなんです。
西ウクライナがギリシャ・カトリック。
そして東ウクライナが正教ですね。
ロシア正教とか。
この宗教的な対立というものが今の政変混乱の背景になっているという面はあるんですか?歴史というものを考えていく場合に宗教や文化というのはいろんな紛争の基盤基礎あるいは記憶それにつながっていきます。
いきますからそれは否定できない一つの遠因要素であります。
ギリシャ・カトリックの人たちはそういうカトリックとのつながりなどからEUへの積極的加盟あるいは西側との親和性というものを語るような人たちになる。
ただしやはり現代においてはそうしたものは国際関係政治経済と結び付いて起きてくる紛争ですからそれだけで説明する事はできません。
しかし考える事の基盤や魂の在り方としてロシアに引っ張られる。
あるいは西欧に引っ張られる。
あるいはウクライナ独自の道で両方との関係を意識しながら進んでいく。
さまざまな形が今ナショナリズムというような形の解釈を巡って起きているという事も言えるかと思います。
石川さんもう一つこのVTRで見たようにロシアとウクライナの間もしくは旧ソビエトからロシアに変わった部分とそれからウクライナの間には強い反発根強い反発というものがあるようなんですけどもこのあたりを歴史的に説明してくれますか。
第二次大戦が始まったあとに当時ポーランド領だった所をソビエト連邦が占領したと。
そこで初めてガリツィアという所はソビエトに組み込まれたわけですね。
そこがまた今度更にロシアに対する反発という事を強める事になると。
ところがもう一つ複雑なのは今度ナチスドイツがソビエトに攻め込んだ。
これは42年の6月ですけれども。
西部ウクライナの民族主義者はナチスに協力したという歴史。
彼らにしてみるとソビエトは占領軍ですからそれに対する抵抗の中でナチスに協力せざるをえなかったという側面もある。
ところがソビエトから見るとそれは更なる裏切りだという複雑な歴史を持っているんですね。
今度は今のプーチン政権というのは第二次大戦の勝利というのはこれはものすごい正義の戦いであると。
それを今のロシアの基盤としようと。
愛国心の基盤。
そこから見るとこの民族主義ナチスの側にも立った民族主義というものは敵の中の敵だと。
独立広場に行くと赤と黒の民族主義の軍隊のバンデーラの旗があちこちに掲げられている。
「バンデーラ」という言葉が出てきましたけどこれはウクライナ民族主義を象徴する…。
(石川)その指導者ですね。
57年にソビエトのKGBによってドイツで暗殺されるんですけれどもこのバンデーラという人はだから今のロシアだとナチスの協力者という事になりますけど西部ウクライナでは民族の英雄と。
そういう歴史問題も今の中に入って。
私のヒーローは君の悪漢というか私の英雄はあなたの悪役と。
つまりどちらから見るかで全く違ってくる。
ウクライナ人もロシア人ももともとスラヴ民族ですよね。
それが今それぞれウクライナとかロシアという形で民族同士が戦う。
なんか我々にとってはよく分からない状況が起きている。
今回の対立と民族主義の問題どのように捉えればいいんですか。
民族主義という場合ネーションという事あるいは民族という事をどう捉えるかというのは東欧でもあるいは中東でも大変大きな問題でどういう次元どういう局面でそれが発揮されるかによって複合的あるいは多層的に違うんだと思うんです。
ですからある面ではスラヴといったような意識が高まる時は大スラヴ主義とかスラヴ民族主義というような事が歴史的にはありえたと思いますがしかし国民国家あるいは国民国家的なナショナリズムというレベルの事になっていくとウクライナロシアあるいはベラルーシ白ロシアとかこういうような事になっていく。
それはやはり自分たちのナショナリズムを国民国家としてつくり上げていこうとする意欲が高まった時にはナショナリズムというのは非常に狭い次元で発揮される事になる。
更に狭く発揮されるとそれが外に対する排他意識という事になり際限ない排外主義へと発動される事もあるという事なんですね。
大きな民族のナショナリズムと小さな民族のナショナリズム。
もう少し言うと抑圧する立場に立たざるをえない民族のナショナリズムと抑圧される立場の民族のナショナリズムは違うんだという事がしばしば言われる。
その時にやはり譲歩をする。
あるいはしばしばそれに対して理解を示すというのは大きな民族あるいは歴史的に抑圧してきた民族の方が理解を示していくべきではないだろうかというような見方もありうるんだろうと。
抑圧されてきた民族というのはそれに対して自分たちの存在や生存の権利というものについて非常に控えめにしか訴えてこれなかったところがある。
あるいはカナダの例で見ましたように亡命したりする。
移住したりする。
強制移住させられる。
こういうような事も起きてきますのでナショナリズムといってもなかなか一つではないわけですね。
そうすると…はいどうぞ。
だから僕は連邦崩壊後今起きている事はネーションビルディングだと思うんですねウクライナという。
だからある種こういう事を経てウクライナ国民というものが…私たち日本人は「国民」というものが生まれた時からあったように思うけれど彼らにとっては今つくり上げて本当に血みどろになりながらつくり上げている苦しい過程なんじゃないかなという感じがするんですね。
90年から91年頃ですねゴルバチョフが出てきたのは85年ですけれどゴルバチョフ改革ペレストロイカというのがある程度進んだところでだんだんその効力が薄くなってくるわけですね。
その結果民族問題にすごく波及してきてだんだんソ連邦がばらけるんじゃないかという非常に緊張した雰囲気が出てきた。
私その時ソ連課長をしてましてこれは大変な事になったと。
ロシアがそのまま「はい」と言うわけないだろうと。
だからこれで戦争が起きるかなと思ったら起きなかったんです。
なぜ起きなかったかというとそのクーデターの結果エリツィンがロシア連邦を自分たちの力のベースにすると。
クリミアで休んでいたゴルバチョフが戻ってきて何とか自分の力も…。
という事は何とか非常に緩い形のソ連邦というのを残そうとした。
そういう政治状況の対立が秋に進んでいくわけです。
その時にウクライナの動きを見てなんとロシア連邦の主人のエリツィンがこの状況を見てねウクライナの独立どうぞどうぞと。
ですから91年にソ連邦崩壊の時に本来でいえばそういう歴史の矛盾が激突して全然おかしくない状況がウクライナにあったわけですね。
下手をすると91年に起きたかもしれない事がもう1回起きかねない。
民族同士の対立というものが。
それは非常に危険な状況なんだと思うんですね。
もっと更に大きい歴史的なパースペクティブで見ますとロシア帝国が崩壊しそれをソビエト連邦が再編成したと。
多民族国家として。
しかしそのソビエト連邦という名の帝国の崩壊が1991年12月に行われましたがそれは法的政治的な事であって実際の民族や宗教あるいは住民の共同体の事も含めたプロセスで見直しますとその帝国の崩壊過程が現在も続いていると。
こういう帝国崩壊はまだ続いてるんですよと。
その中で起きてきている国民国家の在り方や再編成再統合という問題がこの宗派宗教の問題も含めて今鮮明に出てきてるのではないかという事かと思います。
実はですね今回ロシアがクリミアを併合したあとですけども4月の初めにキエフを訪問した。
いらっしゃったんですか。
その時に感じた最も大きな印象が要は大変強い反ロシア感情。
これは無論ですけどももう一つはね愛国的な感情の高まりですよ。
これが社会全体に広がっていたという事を私は感じた。
これは何でかって言いますとね実は私の友人の一人これ驚いたんですけども彼はね筋金入りの反ロシアウクライナ愛国者になっとったんです。
私がホテルのロビーで待ってましたら向こうから戦闘帽をかぶってブーツを履いた男が現れてそれが彼だったんです。
私が彼と2人でホテルのフロント…ロビーで抱き合って再会を喜んでいる光景私はこれをホテルのフロントマンや受付の人が警戒するかと思った。
ところが抱き合ってる様子を見てホテルマンの方は彼に対する警戒心じゃなくて私が外国人であると。
外国人の私に対する警戒心がなんか打ち解けたような和んだような雰囲気になってこれは…彼が戦闘帽をかぶってブーツを履いた男が仲間なんだと。
キエフの普通の人たちの仲間なんだというふうな印象を強く思った。
そうすると西ウクライナを中心としたウクライナ民族主義的なものっていいますかウクライナに対する愛国心というものが非常に高まってる事をお感じになったわけですね。
そう。
むしろだから要するにナショナリズムだとか民族主義っていう事よりも愛国心というか国を愛するそういう感情の高まりっていう事。
これがキエフの人たちの気持ちではないかというふうに思いますね。
愛国心というのはもともと「パトリ」という祖国そういう事に対する愛する心という事が出た言葉ですね。
ただもともと例えばさっきの正教の世界中東から東欧にかけての世界などオスマン帝国の支配地域なんかでは自分のふるさとのまさに広場とかあるいは川とかそういう事を懐かしい風景として思い浮かべるそういう風景に対する限りない愛着心これが愛郷心というふうな形で語られる。
郷土を愛する心という事ですね。
そういう事が政治的な意識と結び付いた時にさっきの国民国家の関係で愛国心という事になる。
それは健全に発揮されれば何ともない事ですがしかしながら問題はこういう局面の時には強い力そして他者を排除する力これによって愛国心の有る無しが判断されるという事になりがちである。
最近ではボスニア・ヘルツェゴビナの紛争コソボの紛争こういうところではむしろ愛国心を高く掲げれば掲げるほど…言葉の上でですよ。
それが排外主義というようなものに結び付いたり他民族を排除するという事になって使われやすい。
ですから私たちは言葉の響きだけで愛国心あるいはナショナリズムという事を捉えるのではなくてそれが他者との関係でいかに健全に機能するのかそして自分の国民国家を愛する者は他者の国民国家としての存在も尊重しなければならない。
こういう点での健全なナショナリズムというものを考えていかなければいけない。
ありがとうございました。
ここまで東西ウクライナについて考えてきましたが次はクリミアです。
ロシアによって編入されたクリミアについて見ていきたいと思います。
クリミアについて見る事で今後ロシアがウクライナに対してどのような立場を取るつもりなのかロシアの意志についても考えていきます。
クリミア半島で所属部隊を示す腕章を外し正体を隠した謎の武装集団が現れたのは暫定政権樹立直後の2月の事でした。
この一団はウクライナ軍の拠点を次々と包囲。
圧倒的な軍事力を背景にウクライナ軍の軍人を追い出し施設を占拠していきました。
ウクライナ軍が手も足も出なかったという謎の武装集団。
装備や訓練の熟練度からその正体はロシア軍と見られています。
装甲車の車体にはこんな文字も。
更にロシア軍はウクライナとの国境付近で盛んに軍事演習を行いプレッシャーをかけ続けました。
事実上ロシアの影響下に置かれたクリミア。
自治共和国議会は住民投票の実施を決定します。
ロシア系住民が過半数を占めるクリミアでロシア編入かウクライナ残留かが問われる事になったのです。
そして3月16日の住民投票。
実に96%という予想以上の賛成票を集めロシア編入が選択されました。
(歓声)しかしこの住民投票に対する反発の声も上がりました。
古くからクリミアに住みイスラムを信仰するクリミア・タタール人です。
今回彼らは投票をボイコットしました。
住民投票の2日後ロシアのプーチン大統領は30分以上にわたる演説を行いました。
クリミアのロシア編入を承認すると発表したのです。
(拍手)クリミアがロシアに戻ってくる。
歓迎の拍手はいつまでも鳴りやむ事がありませんでした。
多くの人々の目に涙がありました。
東郷さんロシアにとってはこのクリミアは地政学的な重要性があると思うんですけどそれとともにあの涙に見られるようにロシア人にとっては精神的な心を揺さぶられるというような意味もあるんですね。
1783年エカテリーナ大帝の時にロシア領の中に組み込まれるんですね。
でも一番クリミアで覚えておかないといけないのはそのあとの1853年から1856年にやったクリミア戦争。
これがロシア人の今のDNA感覚の中で民族の叙事詩だと。
というのはトルコとイギリスとフランスの連合軍に対してロシア帝国が戦ってクリミア半島特にセバストポリを巡ってものすごい戦争をやって結局最初は負けるわけですね。
セバストポリというのは軍港がある所ですね。
要塞があった。
その要塞の攻防戦でロシア軍が負けてその時に例えばトルストイがここに従軍してクリミアの戦記を書いてそれが彼の文学デビューになりそれから画家がたくさん行って。
クリミアというものがロシアにとって非常に大事な場所でありなかんずくセバストポリ要塞は彼らの民族の叙事詩なんだというこの記憶というのがやっぱり去らないんだと思うんですね。
その後セバストポリが黒海艦隊の母港になるわけですからそういう戦略的な意味を持ってくると。
さっきの投票の涙はあれはうその涙じゃない。
しかも無血でクリミアを取り戻した事プーチンに対するロシア人の評価も半端でないものがあるというのは政治的現実だと思いますね。
ただロシアがクリミアを支配する前からクリミアにはクリミア・タタール人が住んでいたわけですよね。
モンゴルの一部であるクリミア・タタールクリミア・ハン国というのが15世紀に非常に強い国家で建国されてその後オスマン帝国の保護国になった。
それをロシア帝国が奪ってロシア領となったと。
(山内)タタール人たちからすれば1768〜1774年の露土戦争でこのクリミアを失ったと。
彼らは多くの有力な支配層や住民たちがオスマン帝国トルコに亡命したりするという事で国を失ったわけですね。
国を失ったという事のやはり記憶の問題はまだあります。
あるいはその間にスターリン体制の下で先ほども触れられたようにおよそ20万人の人々が1944年にドイツと協力した民族だという事で中央アジアを中心とした内陸部へ流刑されたと。
この2つが複合化してクリミア・タタール人たちの自治意識は常に存在する事になるわけです。
今一番彼らにとっての懸念はウクライナからロシアに移る事によってスターリン体制下のような大ロシア主義ロシア人のそうしたウクライナ人以上の抑圧あるいはプーチンという強権的な政権による圧迫が悪夢のように歴史を呼び戻さないかという事の危惧ですね。
それがやはり関心事だと思うんです。
ただしクリミア半島でタタール人たちが圧迫されますとボスニア・ヘルツェゴビナやコソボがそうであったように他の中東地域具体的にいうとイランとかあるいはレバノンとかシリアとかそういうとこからの人たちが入っていってボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は複雑化したわけですね。
そういうふうにならないというその可能性を断定する事はできないという点でまだ不安定要因は少し残っていると。
プーチン大統領は非常に気を遣ってますよね。
政治的法的な必要な決定によりタタール人の復興彼らの権利を復興させるのは当然されなければいけないと述べている。
ただ同時にプーチンはロシア人の民族自治権を欧米は認めるべきだともつい最近戦勝記念日セバストポリでの演説で述べているんですね。
これはロシアという多民族国家の中でパンドラの箱を開けるかの…今すぐという事ではないですが。
じゃあクリミア・タタール人が同じように住民投票をしたらどうするのか。
あるいはチェチェン人が同じように住民投票をしたらどうするのかという問題をロシア自身に突きつける可能性があるんです。
さてクリミアを編入したロシアに対して最も強く反発したのが欧米諸国です。
続いてはウクライナ情勢に対する国際社会の対応反応について考えていきたいと思います。
3月19日の国連安全保障理事会。
その席上でクリミアの住民投票の結果を巡りアメリカの代表はロシアを強く非難しました。
アメリカは自国内にあるプーチン側近の人々の資産凍結を発表。
アメリカの強硬な姿勢にヨーロッパが追随しました。
しかしロシアとの関係が深いヨーロッパ各国にとってロシアに対する経済制裁は苦しい決断でした。
フランスは1,600億円の軍艦をロシアへ輸出する契約をいまだ破棄していません。
ドイツは福島第一原発の事故以来原発ゼロ政策をとりその代替燃料としてロシアからの天然ガスを充てています。
中でもイギリスはロンドンの金融市場がロシアマネーで支えられておりそれを失う事は大きな痛手です。
各国はこうした痛みを抱えながらも厳しい態度をとりました。
3月の核セキュリティサミット。
欧米はロシア以外の7か国で会合を持ちました。
実質的なロシアのG8締め出しです。
そして今もロシアに対し強硬な姿勢を崩していません。
まず山内さんクリミアを併合したロシアに対して欧米は非常に強い反発といいますか危機感からくるような反発を示しています。
強硬な姿勢を示していますけどこれはどのように読みますか?今基本的に起きようとしているあるいは起きる事が危惧されるのは第二次世界大戦後のよかれあしかれともかく冷戦を経由して担保してきた平和と秩序の枠組みが領土や主権の一方的な変更によって崩れるという事に対する危機感が根底にあるんだと思うんです。
もっと更に考えられるのは東ウクライナあるいは西ウクライナの極端な人々このナショナリズムというものは健全性を失いかつ危険な分裂性あるいは侵略性を増す事によって誰もが制御できないようなコントロールできないようなところにいく事によって分裂というものが内戦状況に陥る。
その内戦がひいては近隣諸国の人々を巻き込んだ形での地域的な紛争から局地戦へと発展していくというような事になりかねない状況の萌芽が出てきているのではないか。
それをいかにして止めていくのかという事が非常に大事でここに欧米の強い危機感があるという事かと思われます。
プーチン大統領は当然反発とかは織り込み済みだと思うんですがどうして編入にどんどん進んだんでしょうか?
(東郷)プーチンはウクライナをロシア併合…ロシアがウクライナを併合しようとは思ってない。
ですから今のロシアの目的は右と左がそれぞれの利益を尊重し合ったような平和的な形で新しいウクライナをつくりロシアはそれに少なくとも軍事的介入はしない。
こういうものをつくるのが彼の…クリミアを併合した時からクリミアとウクライナは違うんだという事は非常にはっきり言ってますから。
ただそれがうまくいくかどうかという事についての私たちが考えるべき一番大事な事はこのクリミアウクライナの問題が持っている現時点における国際政治上の意味ですね。
一部には冷戦の再興と言ってますけれどもしかし25年前の冷戦終了の時と今と一番違うのは中国の台頭ですね。
それでウクライナ問題をG7でウクライナ問題についてロシアを叩いた結果起きる一番悪いシナリオはロシアを中国に押しやる事だと思うんですね。
このユーラシア大陸における本当の意味での中ロ同盟というロシア自身が必ずしも望んでないものに押しやるという事は最悪の選択だと思いますね。
西欧にはもろにヨーロッパとアメリカはそれに対して対峙しなくちゃいけないけど日本も対峙しなくちゃいけない。
その時に日本として今本当に千載一遇のチャンスがある。
それはなぜかというと西欧とアジアとの間にある国が2つある。
それは日本とロシアなんです。
共通の歴史的な経緯を持ってる。
それはピーター大帝以来の西欧化。
日本は明治維新以来の西欧化。
それからロシアはそれに対するスラヴォファイルとしてのロシア文明。
日本は日本ないし日本がリードするアジア文明。
この2つの文明の間に引き裂かれた長い歴史を日本とロシアは共有しているんです。
それをベースにして僕はG7の中で日本は最もロシアと対話をしロシアを中国に押しやらないような役割が歴史的に期待されているし果たせると思うんです。
それによってロシアに対してやはりどこかで逃げ場所ロシアの降りどころそういう大義名分もう少し言うとメンツが立つような形での場所を考えていくのが日本の外交としての仕事ではないかと思うんですね。
その事によってロシアと中国の異常な接近というものを妨げていくという事がウクライナ問題に関して日本がとる立場ではないかと思います。
(東郷)全面賛成。
それでは最後に今後ウクライナ自身ウクライナの人たち自身はどういう決断をしていけばよいのかという点について。
答えを出すのは非常に難しいと思うんですけれども東郷さんウクライナはどんな決断を今後していけばいいとお考えですか?選挙がありますね。
それでその選挙の結果ウクライナ自身としてどういう政体をつくっていくのかこれがポイントだと思うんですが。
今まで出てきたいろんな知恵いろんな要素を考えるとある種の連邦制つまり東と西が…。
連邦をどう組むかというのは非常に難しいですけれどもウクライナ国家としてのインテグリティを保ちながら東と西の違いがそれぞれに反映されるような国をつくっていくというのが私から見ると一番収まりがいいんじゃないかと思うんですけれども。
西谷さんはどういうふうにお考えですか?要するにね問題はウクライナの人々自身の問題だろうと私は思ってます。
ウクライナという国は結局今日の皆さん方のお話も含めると一つの国としてのまとまりを形成できないままにずっとこの間東西の対立政争に明け暮れてきた。
でまたしても経済行き詰まったんだけれども結局この間両者の付けを外国からの借金で補ってきたという事で要するに求められているのは経済の面で経済の再建という点でいうとまずは通貨の切り下げこれも含めた身の丈に合った経済と生活ここに戻って出直しなさいという事が1つ。
2つ目はこれはやっぱり偏狭な反ロシア主義やウクライナ愛国主義これはいいけどもそれは経済の発展の可能性を潰す可能性もある。
そこは冷静にならなければいけない。
だから偏狭な反ロシア主義を捨ててまずは経済力実力を高めるという事だろうと私は思ってます。
急激にロシアとの経済の関係を断絶急激な断絶というのは一層の混乱を深めるしあるいは恐慌という事態にもなりうる。
私はそう考えています。
石川さん。
異なる歴史文化を持つ特色ある地域が集まった国というのが私はウクライナだと。
それがなぜ対立しなきゃいけないのかと。
これが一緒になる。
例えばドイツという国も19世紀までは統一した国家はなかったですね。
あるいは先ほどあったカナダ。
あの中にはケベック州のようにフランス語を公用語としている。
それはそれぞれが強い中央権力と強い地方権力が併存する事を何も妨げないと。
だから私はウクライナ人のためのウクライナという狭い意味でですよ民族主義の方向ではなくてロシア人を含む多様な民族が共存する。
ロシアというのはどうしてもあれだけ大きい国ですから強権的な権力は必要だと思う。
それに対してもっと寛容な民主的なスラヴ国家という方向を示していけばウクライナにはものすごい大きな可能性というのが山内先生が言われたように地政学的にも有利ですし開いてくると私は確信しています。
どうも今日は皆さんありがとうございました。
専門家の方々のお話を聞いてロシアとヨーロッパ欧米に挟まれたウクライナの宿命というものを感じざるをえませんでした。
言いかえれば宿命を受け入れてそれを逆に生かすという事ではないでしょうか。
大統領選挙をそうした方向への第一歩にする事ができるのかどうか選挙の結果と共にそのあとの双方の対応がウクライナ安定の鍵を握る事になりそうです。

(解道バロン)カイト君たちはあさって日本に戻ってくるそうです。
2014/05/31(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「歴史と民族から考えるウクライナ」[字][再]

2月の政変後、欧州に近い西部とロシアに近い東部の対立が激化、一触即発の緊張が続くウクライナ情勢。危機の背景は何か。「歴史」と「民族」を視点に専門家が読み解く。

詳細情報
番組内容
ウクライナでは今年2月、EU加盟をめぐって市民と政府が衝突、100人を超す死者を出し政権が崩壊した。西部を基盤とした欧米寄りの暫定政権に対し、ロシアに近い東部の住民が行政機関を占拠するなど抵抗を続けている。また、ロシアのクリミア編入に欧米が強く反発、危機は国際社会に広がっている。国家分裂の危機に直面したウクライナ。25日の大統領選挙を前に、危機の歴史的、民族的背景を専門家の議論によって探っていく。
出演者
【出演】明治大学特任教授(中東イスラム地域研究)…山内昌之,京都産業大学教授(元外務省欧亜局長)…東郷和彦,国際経済研究所理事…西谷公明,NHK解説委員…石川一洋,【キャスター】藤澤秀敏

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 海外・国際
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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