拉致問題の解決に向け国民的な期待が高まっている状況の中、安倍首相は28日、8年前に自身が掲げた「対北朝鮮制裁」解除を餌に北朝鮮の「日本人拉致全面再調査発表」を引き出した。1988年に有本夫妻と出会ってから26年間にわたり夢見てきた目標の第1段階が完了した瞬間だった。
安倍首相の拉致問題に対する取り組みが順調に進展してこられたのは、世界の情勢に応じて日本が韓半島(朝鮮半島)外交戦略を変化させてきたからだという見方もある。
80年代初めまで日本は事実上、韓国と北朝鮮のどちらにも偏ることのない「等距離外交」を目指していた。こうしたムードの中で1977年から83年にかけて横田めぐみさん(失踪当時13歳)をはじめとする日本人17人が行方不明になった。85年に韓国国家安全企画部(安企部)が「辛光洙(シン・グァンス)事件」を発表、北朝鮮工作員が日本人拉致に関与したという内容の資料を日本側に渡したが、日本はこれを無視した。
しかし、旧ソ連圏が揺らぎ、北朝鮮が急激に傾き始めた80年代後半から空気が全く違ってきた。特に87年大韓航空機爆破事件で金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚が「日本人女性『李恩恵(リ・ウネ)』から日本語を習った」と告白したのが決定的な証言となった。金賢姫元死刑囚の証言によると、「李恩恵」は78年に拉致された日本人女性の田口八重子さん(当時22歳)とされる。日本人行方不明事件が北朝鮮による日本人拉致問題であることが事実上確定し、議論が本格化したのもこの時期からだ。
日本はこの問題を91年-1992年の朝・日国交正常化交渉の過程で取り上げてきたが、北朝鮮は「でっち上げだ」と反発した。97年に日本で拉致被害者家族会が結成され、波紋が広がると、北朝鮮はその翌年に拉致疑惑を全面否定する談話を発表している。
90年代に日本は拉致問題をめぐって北朝鮮と駆け引きを続けたが遅々として進まず、2000年代にはこの問題を高度な政治的課題とした。その主役こそまさに安倍首相だった。