集団的自衛権にからんで憲法論議が盛んになるなか、憲法改正手続きを定めた国民投票法の改正案が、いまの国会で成立する見通しだ。

 これまではっきりしていなかった投票権年齢を20歳とし、4年後に18歳に引き下げる。成人年齢の引き下げをはじめ先送りされた論点も多いが、これで国会が憲法改正案を国民に問うための法的手続きがととのうことになる。

 日本国憲法が施行されて67年。いわゆる改憲派と護憲派を軸になされてきた論争は、これまでとは違った局面に入っていかざるを得ない。

 ただちに衆参両院で3分の2の賛成を得て条文ごとの改憲案が発議され、国民投票にかけられる状況にはない。だとしても、改憲は現実にあり得るという緊張感のなかで、双方が主張を展開することを迫られる。

 憲法が戦後日本の発展に果たしてきた役割は極めて大きい。国民主権や基本的人権の尊重、平和主義の原理は、社会を支える基本構造として機能してきた。今後とも堅持していくべき価値である。

 一方、103条のすべてに指一本触れてはならぬと考える必要はない。

 ねじれ国会であらわになった衆参両院の関係をどう見直すか。政府と自治体の役割分担はどうあるべきか。議論の余地は大いにある。

 安倍首相は改憲手続きを定めた96条改正や9条の解釈変更を唱える。それは「全面改正せよ」「一切認められない」という二元論的な対立のすき間をついて出てきた「からめ手」だ。認めることはできない。

 集団的自衛権をめぐる今週の衆参両院の審議で、安倍首相は憲法解釈を変え、自衛隊による米艦防護やペルシャ湾での機雷除去に道を開くことに強い意欲を示した。

 首相は答弁で「国民の命や平和な暮らしを守る」と繰り返し強調した。熱意はわかったが、だったらなおさら、なぜそのための憲法改正案を国民に問おうとしないのだろうか。

 立憲政治の原則を、もう一度確認したい。

 私たちは選挙で信認した政権に、法の制定や改廃、その適切な執行を託している。だが、憲法に関しては白紙委任をしているわけではない。

 憲法についての最終決定権者は国民であり、それを担保するのが国民投票だ。それをないがしろにするのは、どんなに多数の支持を得た政権であっても、許されることではない。