わたしが日々感じている世界

一度の人生、適当に生きようぞ

悪口を完全に聞き流せるようになれるのだろうか

自分に向けられた悪口を耳にしてしまうとなんとも気分が悪いものである。それが事実であり自分に起因するものであればしっかりと受け止め、寝る前に枕をびしょびしょに濡らしながら眠りにつくことだろう。

 

だが間接的に微妙なところで関係しているときに自分の悪口が聞こえてくるとなんともいえない気持ちになる。まぁ言われてもしょうがないけどそこまで言う?でも原因がないわけでもないし…でもそこまで言う?的な感じでモヤモヤしながら聞き流すのである。

 

年を重ねるにつれてこうした悪いことは聞き流せるようになってるものの、ふとしたことで思い出してまたモヤモヤすることがある。大事なことはすぐ忘れて思い出さない頭のくせに、こうした悪いことはいつまで経っても記憶にあるのだ。

 

人の名前を忘れる前に悪い記憶を忘れてほしいものである。

融通の利かない脳みそで困るばかりである。

 

あと何十年かしたら聞き流す力がより研磨されて記憶から一瞬で消してしまうほどの力を身につけられるのだろうか。何も聞かなかったことにし、一切のモヤモヤも残さずに生きていくことができるのだろうか。数十年後、私はどういう人間になっているのだろうか。

 

今イメージできるのは違った意味で聞き流す能力が身についたボケた老人の姿である。

 

 

悪口の技術 (新潮文庫)

悪口の技術 (新潮文庫)

 
人はなぜ悪口を言うのか?

人はなぜ悪口を言うのか?

 
グサリとくる一言をはね返す心の護身術 (ソフトバンク文庫)

グサリとくる一言をはね返す心の護身術 (ソフトバンク文庫)