id:ponkotukkoさんの理想の結婚を読んで思ったこと。
結婚したら、結婚相手の女性が何もかも苦痛を忘れさせてくれるくらい自分を救ってくれると思っていた。
大学を中退して東京に出て生活が苦しかった。何か頼れる人が欲しかったけれど、多くの人はそんな私を見捨てて遠くへ行ってしまった。
何回か職場の女性に片思いをして告白した。しかし、職場の女性は私の能力には惹かれても、私と恋愛関係を持ちたいかは別問題だった。
そんな中で今に妻に出会えたのは幸せだったのかもしれない。
きっかけは私のWEBサイトだった。私のWEBサイトのインド特集のページを見て、字幕翻訳家で当時インド映画(英語)の翻訳をやっていた妻は、私にインドの祭りの風習についてメールで質問してきたのだ。それから色々あって、東京ミレナリオを一緒に行った日から付き合うことになった。
彼女は11年上だった。でも年の差は気にならなかった。愛称をゆっこと言うのだけれど、「これからはゆっこのことを考えて生きていきたい」「ゆっこが涙を流したら僕が拭いてあげる」と約束した。そんなこんなで僕達の恋愛生活がスタートした。
でも恋愛生活は平坦ではなかった。私は極度の寂しがり屋で、ゆっこに少しでも冷たくされたり、熱意を感じないと、とたんに助けを求めてしまう。その助けの場は出会い系サイトだった。YYCやハッピーメールはさくらがいなかった(業者はいたけど)ので、そこで知り合った女性とよく会っていた。一時期はブームだった出会い喫茶も利用した。当時、僕は若かったので、女性とはかなりの確率で外出できた。
そんな僕の行動はゆっこには筒抜けだった。私がホテルのカードを持っているのを見られたこともあるし、コンドームをカバンに隠し持っていることも見られたし、パソコンの前で眠ってしまったときには私が出会い系サイトを見ていることが発見された。その度にゆっこと大騒ぎになり、ゆっこは涙を流した。私はゆっこの涙を拭きながら、もう二度とそんな事はしないと約束した。でも、その約束は孤独感には勝つことが出来なかった。
踏ん切りをつけようと思って、新宿の高島屋で婚約指輪を買った。婚約指輪を見せたら、ゆっこはとても喜んでくれた。そして両方の両親へ挨拶へ。全ては順調だった。しかし生活費をどうやって一緒にするかなどを巡って、私がマリッジブルーになってしまった。しばらく鬱の期間が続いてゆっこの電話に出られなくて、やっと、ゆっこの電話に出られたときに僕は伝えた。「結婚をやめよう」婚約は破談になった。
ダイヤモンドを綺麗に散りばめた婚約指輪は涙に濡れた。私とゆっこはしばらくの間、絶縁状態が続いた。ようやく連絡が取れるようになったのは1年くらいが過ぎてからだ。
私とゆっこは再びやり直すことにした。しかし、その道も平坦ではなかった。当時、ゆっこは翻訳の仕事がほとんどなかった。私は2人分の生活費を出して支えなければならないことに正直イライラしていた。
あと、私は少し特殊な性癖を持っていた。私のカバンからイチジク浣腸が発見されたとき、ゆっこは再び泣いた。私はどうすることも出来なかったけど、ゆっこの涙を拭いた。
それから少しずつお金が貯まってきて、私とゆっこは新宿ワシントンホテルで結婚式を開いた。以下は、結婚式の時の私と妻の写真だ。
結婚してから、私は身を固めようと思って、出会い系サイトなどへの登録はやめた。ゆっことは結婚したら子供がほしいねって話していた。でも、いま私は34歳で、妻は45歳。正直、子供はもう難しいのかなと思っている。自分の子供と山でキャンプをするのが夢だったけど。
理想の結婚って何だろう。私の結婚にまで至る過程はけっこうドロドロした現実だった。私がクズのような男だからいけないのか。そんなクズを最後まで見放さなかった今の妻には感謝している。