ホーム

1.全教協を結成したわけ

2.全教協のあゆみ

3.全教協の活動目的・事業

4.提言活動

5.全教協概要

6.教育研究全国大会の開催

7.全教協が訴えたいこと

8.要望活動

9.役員会の開催

10.異常な教育現場(2)

11.全教協への参加方法

12.教育研究大会シンポジウム

13.異常な教育現場の実情

14.日教組は日本をダメにした

15.教育に関する資料・調査


16.意見・主張


1. 全教協を結成したわけ


社団法人全国教育問題協議会(全教協)の結成

  昭和51年(1976)十月、東京青山会館において発起人会を開催、結成準備会を経て、翌昭和52年(1977)3月10日、東京都千代田区全共連ビルにおいて結成大会を開催。会長に鈴木勘次郎氏(栃木)(故人)ほか役員を選出、活動方針を決定し、全国教育問題連絡協議会(全教連)が誕生した。
 
 昭和56年(1981)4月1日、文部大臣から社団法人の認可を受け、同年6月28日、東京青山健保会館において社団法人設立総会を開催、定款を決め、会の名称を「全国教育問題協議会」〈全教協)に変更し、社団法人として活動を展開することになった。
 
 社団法人化するにあたり、当時副理事長・現全教協顧問・大石病院院長梶山茂氏(長崎)はじめ多くの方々の並々ならぬ努力のたまものがあった。

 日本の教育荒廃の主原因となった日教組の違法な行動に対し、決然として立ち上がって教育の正常化を訴えた全国の民間人が心を一つにして結成した教育正常化団体が全教協(全国教育問題協議会)であった。全てボランティア精神に基づき、役員も会員も皆、浄財を出し合って運営している。

 (社)全教協に加入しているメンバーは、大別して団体と個人の二つに分けられる。十五団体、全国で約八千人で構成され、役員・会員の浄財によって活動している。すべてボランティア精神に基づき、教育の正常化を願って活動を展開し、今年(平成22年)で結成してから32年目(32年間の歩み)を迎えている。

なぜ(社)全教協を結成したのか(結成の背景)

  昭和20年(1945)、日本を占領したアメリカ軍は占領政策の一つとして、日本の教育を民主主義教育といった美名のもと、教育改革を断行した。

 自由・平和・民主主義の旗のもと、軍国主義を一掃を図った。この動きに便乗した当時の日本共産党、社会党のテコ入れによって「日本教職員組合」が昭和22年(1947)に結成されると同時に、バックアップした進歩的学者・文化人ならびに一部のマスメディア集団は、社会主義社会の実現に向け、意図的に教育界へのイデオロギー浸透のための運動を展開したのである。
 
 日教組は「教師は科学的真理に基づいて行動する」「教師は労働者である」「教師は平和を守る」など十項目にわたる教師の倫理綱領を掲げ、特定なイデオロギーを教育現場に持ち込み、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンのもと、経済闘争、教育闘争、政治闘争のための反体制運動に明け暮れた。
 
 昭和41年から昭和63年まで20年間に行った全国統一ストライキは三十五回に及び、その間に参加した教職員数は延べ七百万人にのぼり、延べ八十四万人が懲戒処分を受けるという現実をうみ、学校教育現場は混乱し、教育は荒廃した。
 
 その結果、民族の誇りである歴史・伝統を見失い、加えて戦後の経済優先の施策が先行したため、人間形成の原点である“心の教育”が喪失し、教育荒廃現象が噴出した
               ◇            ◇
 一方、昭和30年代に入り、全国の心ある教職員の中から「日教組の教育本来の目的を逸脱した活動にはついていけない。」「議会制民主主義のもとで、公教育に携わる教職員として、特定のイデオロギーや政党に偏った活動は間違っている」「遵法精神に徹した教職員団体をつくろう」「教師は労働者ではない。教師は専門職として社会に貢献すべきだ」という声が湧き起こってきた。
 
 昭和32年(1957)、多くの困難を乗り越え、日本最初の教育正常化を目指した教職員団体の組織である「日本教職員団体連合会」が結成され、全国に広がっていき、日本教職員連盟(日教連)や日本新教職員連合会(新教組)が誕生しました。
 
 昭和50年(1975)に入り、現在の「全日本教職員連盟」(全日教連)の前身の日教連(日本教職員連盟)・新教組(日本新教職員連合会)などの教育の正常化を願う教職員団体の活動が活発になると共に、一般民間人の間にも教育の荒廃を憂える声が全国に湧き起こり、教育行政に対して筋を正すための要請行動の動きが起こってくると共に、教育正常化の運動を支援する声が大きくなってきたのです。
              ◇            ◇
 (社)全教協はこのような背景の中で、日本の未来を憂える民間人が結集し、浄財を出し合って全国組織として結成されていったのである。


教育基本法改正運動の口火を切り、その願いを実現させた
  (社)全教協は、10年前の平成11年、活動の重点の一つとして「教育基本法改正運動」を民間団体として取り組んだ。会員の意見を集約し、国会議員全員に対するアンケート、文部科学省、国会議員・政党に対する要望を根気強く、しかも誠意を持って行った。
 
 特に、平成11年8月、各政党所属の国会議員をパネリストに迎え、「いまのままでよいのか、教育基本法」をテーマにして、東京都大田区にあるブライダルホテル、アペアでシンポジウムを開催、教育基本法の改正運動に火をつけた。
 
 以後、教育基本法の改正論議が燎原の火の如く燃え上り、政府与党はもとより、文部科学省、教育関係団体、有識者らが立ち上がり、平成十九年、安倍内閣の手により、戦後六十年間タブーとされてきた教育基本法が改正された
 
 改正教育基本法には全教協が願った
 (一)愛国心の育成
 (二)日本の歴史・伝統の尊重
 (三)宗教教育の尊重
 (四)家庭教育の充実
 (五)教育行政の姿勢を正す
  という願いが実現したことを高く評価したい。
 「継続は力なり」の言葉通り、地道ではあるが続ける努力の意義を実感したのである。

  このページのトップへ

全教協結成の背景

 昭和22年(1947)、 日本の教職員の約90%が加入し、 日本教職員組合 (日教組) が結成されました。 最初は教職員の給与、 勤務条件の改善が運動の中心でしたが、 徐々に政治闘争に運動方針を転換し、 違法ストライキ、 組合による学校管理、 文部行政に対する反対運動を子供を巻き込んで展開、 学校教育の現場はまさに無秩序状態になりました。
 
 昭和41年から昭和60年までの20年間に教職員による全国規模のストライキは34回、 参加者は延べ約七百万人、 このうち懲戒処分を受けた教職員は約八十五万人にものぼっています。
 
 昭和30年代に入り、 全国の心ある教職員の中から、 「日教組の教育本来の目的を逸脱した活動にはついていけない。 教師は専門職として社会に貢献すべきだ」 という声が湧きおこってきました。
 
 昭和32年(1957)、 多くの困難をのりこえ、 日本最初の教育正常化を目指した教職員団体の組織である 「日本教職員団体連合会」 が結成され、 全国に広がっていき、日教連、 新教組が誕生。
 昭和59年2月26日、 両組織が大同団結して現在の 「全日本教職員連盟」 (全日教連) に発展したのです。
 
 教職員運動が偏向化、 先鋭化し、 学校現場が荒廃する一方、 昭和40年代後半から、 日本の経済的成長が熱するにつれて国民の意識が 「心から物へ」 となり、 家庭や社会での教育力は低下し、 学校も教育行政もややもすると 「事なかれ主義」 の風潮が教育界を覆いました。 学園紛争や家庭内暴力、 校内暴力が発生、 1980年代には 「いじめ」 が激増、 教育荒廃の現象が顕著になってきました。

                                                    (22.8.15更新)

 トップページに戻る

  ■初代理事長 鈴木勘次郎の教育論をたどる
 

           現今の教育論議に思う
   

                        (社)全国教育問題協議会 理事長 鈴木 勘次郎

鈴木勘次郎  
  私は、昭和五十七年二月、本誌(教育問題)の創刊に当って、「秩序と礼節を失った教育界を正し、日本の平和と安全、自主独立の国家を守るために、一人一人が教育正常化に起ち上がらなければならない」とし、「広報紙による情宜活動だけでなく、機関誌によって、家庭も学校も社会も一体となって、それぞれの教育機能を発揮する道の創造をめざして、『父母のための教育研究誌』を発刊することになった」と述べた。

 本誌をもって、第四号と回を重ねるわけであるが、いつも、関係方面の絶大な御支援を受けているばかりでなく、教育研究座談会への御参加、また、貴重な玉稿を数多くいただくなど、御協力を得て、ますます内容を充実し機関誌としての役割を発揮していることに心から感謝申し上げる次第である。

 さて、昨今の教育問題のいくつかについて、私なりの考察を加えてみたいと思う。


一、非行・校内暴力問題から

 校内暴力は相変わらず各地に発生しており、数の上では沈静化しているといわれているが、青森県では、遂に、前途ある青年教師が生徒の暴力で死亡するという痛ましい事件が発生した。校内での飲酒の果ての出来事である。忠生中学校の場合は、教師による傷害事件で、学校の荒廃ぶりとともに、大大的に報道された。今度の場合は教師が、何ものにも代え難い一命を生徒に奪われるという、衝撃的事件である。

 人権の尊重、人命の尊厳が叫ばれている今日、マスコミも前回のような大きい反応を示していないのは、どうしたことであろうか。教師への尊敬なくして、どうして教育が成立するというのであろうか。また、教師の生命も、生徒の生命、人権と同様に尊重されなければならないのは当然である。学校の荒廃はなかった、校内の秩序は守られていたとでもいうのであろうか。

 恐らく教師は無抵抗だったのではあるまいか。そうした状態に教育界を、また、教師たちをしてしまった責任は、一体どこにあるのであろうか。これらの生徒は、教師が体罰を与えることができないことを見通しての行為ではないか。いじめの心理と共通点があろう。

  学校教育法第十一条には、「教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定めているのである。なお、私立小中学校であれば退学させることはできようが、公立小中学校においては、義務教育であるから退学はさせられない。私立小中学校に校内暴力が目立たないのは、こうした理由による。
  私は、体罰を認めよというのではない。しかし、児童生徒の側からの、何らかの規正とか、見直しの研究が、法文上からも考えられて然るべきではないかと思うのである。

  さきに、「非行・校内暴力問題に関する調査報告(T)・(U)」を刊行し、昭和五十九年度は、「非行と家庭教育に関する調査研究報告書」を配布し、ご批判を仰いだところである。
校内暴力事件でマスコミが有名にした忠生中学校が、二月八日、再建の姿を公開発表した。たまたま、文部省(現文科省)主催の生徒指導推進会議のディスカッションで、バネラーであった長谷川校長さんの発表を聞く機会に恵まれた。

 四月一日、着任した校長さんは、春休み中に家庭訪問を指示。「頭髪、着用制服など、規定以外のものは絶対許さぬ。」と伝えたという。そして、毎朝、校門前でこれを確認、徹底を図ったとのこと。細と太と二本のズボンを持ってきて、はき変え、教師の眼を逃れようとする者など、二十日間ぐらい校内はかなり荒れたが、「一歩も退くな。絶対ばらばらになるな。」と、強力な校内体制を確立して対応した。生徒指導も、二人一組で対処。「今度は先生も本気だぞ。今までと違う。」と、生徒たち。そして、この先生方の気迫と熱意に、「先生を応援しなければ」の声が、生徒からもPTAからも盛り上がったという。一方、内面から心の交流を図ろうと、ひと声運動等による精神面からの、生徒指導の一層の深化が進められた。

 『集団生活・学校生活のルールは、必ず守られなければならない。規律の守られないところに、秩序ある生活はない。』
  非行に走る少年少女の行動が、まず頭髪、髪型や服装の乱れとして表われるということは、心ある人たちの承知するところである。徒らに制服無用論などに賛成すべきではない。
厳しさと優しさ、外面からと内面からの働きかけが、学校、PTA一丸となっての団結の力で、荒廃した学校を一変させたという。人を教え育てる根本理念は、今も昔も変らないのである。

二、義務教育というもの

 明治の初期、学制を発足するに当って、太政官布告は、「人々自ら其身を立て、其産を昌にして以て其生を遂ぐるゆえんは、・・・」と説き起こして、学校を設立するに当り、身を立て悔いのない人生を送るためには、学問をしなければならないと、学校教育の必要性を明示した。そして、「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」という一大目的をもって出発したのである。この学校制度は、個人の生活能力・社会参加能力を著しく向上させ、国家への貢献度をもいよいよ増大させた。

 戦後あれ程の疲弊に陥った日本を、たちまちにして今日の繁栄に導いた底力となったものは、教育の力である。国民に、いろいろな資料・情報を消化する力があったからこその復興である。表現力・理解力の不足から社会適応に苦労している一部の人を見かけることがある。そんな時、教育の力というものが、いかに大切であるかを痛感する。

  日本の場合、義務教育の普及、学力水準向上の努力が成果をあげたのである。学校教育を画一化・硬直化していると批判する者があるが、かつての国際学力調査で日本のそれは高い評価を得ている。
一方、敗戦前までは、修身科が心の教育の大きな柱となり、教育勅語が、あるべき日本国民の大きな目標を示してきた。戦後、修身といった「身を修め、心を修める」目標と教科を失った日本の教育は、道徳面、精神面の貧困を露呈し、物は豊かになったが心の貧しさの覆うべくもない姿は、道徳の学習が取り入れられた今日も、依然として問題化している。道徳を教育課程に加えようとした当時、 日教組は組織をあげて阻止したのである。

  そうした流れは、国旗の掲揚、国歌の斉唱等も含め、今も反対なのである。研究大会などの開会式に、県旗や市旗、団旗などは掲げても、故意にというべきであろうか、国旗を掲げない開会式や式典を見かけるのである。大人が、また教師が、こうしたことで、どうして次代を担う青少年に愛国心を育てることができようか。

 三、学習指導要領・教科書の問題から

  私どもの県内(栃木県)では考えられないことであるが、親戚の娘が大都市の小学校に子どもを入学させての話である。ほんの一例であるといっての苦情の内容が次のようである。

 「国語の進度がかなり遅れていて、季節的にもずれている。教科書の切換え時になると、終りの方は、いとも簡単に飛ばして下巻に移ってしまう。一年生であるが、市販のワークを主に使用し、国語ノートは一年間に一冊しか使われなかった。教科書は、線を引いたり、「―」をつけたり、作業的にも充分学習されるべきなのに、全くきれいで手あかなどもついていない。これで大事なことが学ばれているのだろうか」と。 教科書は学習指導要領の基準に従って作成され、検定を経て採択し、使用されている。それがかくも簡単に扱われ、市販のワークを主に学習されたのでは、ゆがめられた、いい加減な能力しか身につかないか、明白である。木当に肌寒さを覚える。これが我が子の問題となると、親としては深刻な悩みである。

 昭和五十五年に北海道の教育正常化連絡会が刊行した「教育の正常化・資料編」の「異常教育の実態と問題点」の内容と大変似ている。私は、同年の六月二十二日。全国教育問題連絡協議会理事長名をもって、北海道知事、同教育長、小樽市長、同教育長宛「小樽市学校教育正常化について」の文書で、◎教育課程の編成について(三領域による具体的な教育課程を編成し、学習指導要領に従い、これを完全に履行するよう指導されたい)◎教科書の使用について(主教材たる教科書の使用が教育実践の場で確保されるよう指導されたい)その他、学校教育の異常状態の改善を要望してきた。

前者の例では、学習指導要領の基準性や教科書の指導内容は、個人や組合等の恣意で切り捨てられてしまうのである。では、他に寄るべき根拠やそれに基づく確実な教材が用意されているかというと、決してそうではないと見る。(個人や一つの学校が、そうしたものを作成する能力や時間には限りがあるからである)なお、こうした実態に対して、校長は組合の力が強くて指導管理ができないらしい。 現在の指導要領実施にあってさえ、このように勝手に処理されている例が、かなり存在するのである。画一的で硬直化しているとの一側面からの批判だけから教育内容を自由化したら、どうなることであろう。

 「文部行政の諸規則の緩和」(臨教審)が一歩誤れば、さらに片寄った方向に傾斜するであろう。最低の線を明確におさえた上での弾力化・個性尊重であるなら、大いに賛成である。報道機関が悪いのか、発言者の提言の仕方が過激なのか、とにかく新聞で見る臨教審一部の委員の意見は、一面強調で、文部省(現文科省)を日教組と同列に、今の教育を硬直化させている二大犯人扱いをしたり、塾を学校として認めよといったり、考えている内容以上に言葉がエスカレートして表現されている感が極めて強い。

四、学級数・教員数を、いつ、どう決める

 個性主義と名を変えたが、学区・学校選択・学校設置の自由化が提唱された。 現在の義務教育で通学区を自由化したら、どのような事態になるかは明白である。建物の過不足はもちろん、教員配置も極めて困難な状態が現出する。地方教育委員会は収拾のつかない混乱に陥るであろう。この無謀を改めて論議しても無意味である。しかし、決まった学区の学校に通学させるには、ある児童生徒にとってはどうしても幸福とは考えられない場合があることは現実である。そうした場合、教育委員会は特別許可によって処理すればよい。現実にそうされている場合が多いと思われるが、こうした場合の救済の適用については、委員会を設置して適確・弾力的処理を図ることは是非実現したいものである。

 さて、東京都で、児童生徒数の水増しによって、教員を余分に配当するよう工作した例が問題になっている。
この事態は、学級数・教員数を、児童生徒数をもとに、いつ現在の数によって認可するかという問題と深い関連がある。現在の認定時期による決定では、市町村教育委員会はもとより、学校も、保護者も児童生徒も、共に種々の問題を抱えて困っている。改善を望むものである。

 年度当初、学級数が一応決まり、学級編成をして、担任も決定、その年度の教育が開始される。ところが、五月一日現在の児童生徒数によって正式な学級数は決まり、従って教員数も決まる。そこで、その人数の変化によっては、年度途中で再び学級を解体し編成し直さなければならない場合が生じてくる。友だち、保護者同土はもとより、担任までがらりと変ってしまう。一年間に二回も学級が変り担任が入れ変るのである。ひどい場令rは、一午間に七人担任が変った例がある。また、その時点で先生の転出転入を実施しなければならない。 文部省(現文科省)の指定統計が、五月一日現在で実施されていることと、これを基準にしていること、教員の給与の半分が国庫支出であることから生じる問題である。臨教審の九月入学が実現され、定期異動が八月に実施されれば、この問題も解消される。

五、最後に

 社会にあふれる俗悪図書・週刊誌・風俗営業関係の悪質環境の影響、児童生徒を非行に走らせ、学校を荒廃に導いたのは、実に大人の責任である。私は、約二十年、問題行動のある少年少女諸君の力になって、その更生に力を貸してきたのであるが、家庭と環境の不備が原因となって非行に走ったものばかりである。誠に気の毒な子どもたちである。

 何度も何度も指導が無残に裏切られ、更生の道の遙か彼方であることに、途方に暮れることが多い。しかし、ありとあらゆる非行歴を持った彼等のある者が、ある時期を境に、全く素晴らしい立直りを見せることがある。こんな時喜びはひとしおである。そして、他の預かっている少年少女も、今は大きな失敗の過去を背負っているが、決して見捨ててはならないのだとしみじみ思うのである。

 教育とは息の長い営みであり、極めて地味な仕事である。勇ましい発言をして、あっと驚かすような営みではないのである。特に義務教育は、個性の伸長だけが任務ではない。片寄りのない、国民すべてに必要な共通の教育を行い、その中で個性を生かす工夫をすることが任務であろう。百の議論も子どもたちが良くならなければ駄目である。本誌が、そうした目的達成の一助となることを切望するものである。
                (教育問題第4号−昭和60年3月刊より転載)

このページのトップへ
トップページに戻る  
 

       『新しい時代』の日本の教育

             −自民党文教制度調査会会長・森山真弓氏と語る−



 
◆信頼し合う心が大切

鈴木  先般、教育県日本一と言われる栃木県でも中学生がナイフで教師を刺殺するという不幸な事件が起こりました。実は、この事件が起きる二、三日前、経団連会館で開催された教育座談会に招かれ、栃木県の教育現場の具体的な実践内容について述べました。

 一つは、それぞれの家庭にのこる伝統を大切にすること、二つは、立派な社会人になられ、世の中活躍している方を学校に呼んで、子供たちに、自分たちの。苦労した時代の話をしていただく、という試みです。
たま、三つは、地域社会におけるお母さん方に、学校のコーラス部を指導してもらいながら、長くうたい続けられている童謡や唱歌を子ども達に楽しく聞かせる活動です。

 以上、三点について栃木県の活動を説明した矢先、栃木県の黒磯で事件が起こってしまいました。

森山  私も非常に残念に思います。子どもたちの荒廃の原因は労働組合がどうだ、日教組のスローガンがどうだということを超えており、今の青少年問題は私たちが初めて経験する豊かな社会、少子社会の深刻な問題なのではないかと思います。

 栃木県の場合は、いままで、先生方のご努力でかろうじて持ちこたえてきたのだけれど、とうとう不幸な事件が起こってしまったということではないでしょうか。

◆鈴木  あの事件をマスコミはいろいろと取り上げました。そのなかで、教室に遅れて入ってきた子どもに対して、「頭ごなしに叱りつけた先生の対応にも問題があったのではなかったか」という指摘もありました。この女教師が、子どもの心を察して「体の具合が悪いの?気を付けなさいよ」というような言葉をかけたら刺殺事件はおきなかったかも知れないという意見もありました。私がPTAの役員をやっているころは、非常に暴力事件が多発した時期でした。そのことで私は大変頭を痛め、栃木県内の学校を回り、色々な方とお会いし、お話をしました。そこで言ったのは、校庭とか、生徒のたくさんいるところで叱ってはいけない。叱るのはその子だけに、誉めるときはみんなの前で、と注文をつけました。叱り方ひとつで子どもの心もかわるのではないでしょうか。

森山  大人の社会でもそうですが、上司が部下を叱るときには注意がいりますね。親が子供たちを注意したり叱ったりするときも同様です。叱るときは、その子と二人だけのときにして、誉めるときは大勢の前でというのがすべての場合の原則です。

  とくに学校では、うっかりすると他の子どもに見られることが多いわけです。もし、おっしゃったような状況での叱責があったとすれば、不注意だったのではと思います。もしその場で凶行におよばなくても、子どもの心に傷がついたのではないでしょうか。

鈴木  先生と生徒の間に信頼関係や人間的な関係が出来ていなかった場合はとくにそうです。
 ところで、殺人は、子どもが暴力をふるったり、先生に鉄棒で殴りかかったりするのど根本的に違うのではないかと思いますが、今後、小さな暴力がエスカレートし、殺人などに移行するのではないかという懸念もあります。

森山  どちらもあってはならないことだけれど、共通点があるんじゃないですか。ともに、やってはいけないということがわかっていないということです。


 ◆規範意識が低い日本の青少年

鈴木  先生は、いけないことはいけないとはっきり言わなくなったし、生徒たちもその区別が出来なくなった。もちろん親も教育しなくなってきたということです。

森山  そう、結局、家庭教育だと思います。家庭教育の中で、やってはいけないことをはっきりさせて、もしまちがってした場合には厳しく叱るということがないのね。それがいけないと思います。小さいときからそういう癖がついていないから、中学生になって突然「いけない」と言われても、対応の仕方がわからない。それで、すぐかっとなって相手に危害を加えたりしてしまう。そういうことになってしまうのではないですか。
森山真弓
  日本青少年研究所が平成八年に調べた日本、米国、中国の高校生の規範意識調査の資料がここにあります。その中で、たとえば「先生に反抗することは本人の自由だ」という考えについて日本では七九・〇%、米国が一五・八%、中国は一八・八%の子供たちがその通りと答えています。米国では最近、生徒たちがライフルによる殺傷事件を起こしたりして、相当荒れているのかと思ったら、先生に反抗することが自由と思う子は日本よりずっと少ない。「親に反抗すること」については日本は八四・七%が自由だと答えている。米国が一六・一%、中国が一四・七%。「学校をずる休みすること」は日本が六五・二%が自由。米国、二一・五%、中国九・五%。「売春など性を売り物にすること」については、日本が二五・三%、中国が二・五%が容認で、日本は中国の十倍にもなっています。つまり、日本では基本的に、そういうことがいいのか、悪いのかを、子供たちに全く教えていないとしか思えません。 日本の中学生に対して、九五年と八三年の比較調査もあります。それによりますと、たとえば「放置してある自転車に乗ることがとても悪いことか、かなり悪いか」ということについて、八三年は八六・八%がかなり悪いとありましたが、それが九五年になると七七・三%に減っている。規範意識が年を経るごとにだんだん小さくなっている。家庭でそういうことが教えられていないということがはっきりわかります。 

◆鈴木 まさに自由のはき違えということですね。

森山  親がどうしてそれを教えないのか。親も自信がないというか、自分たちも教えられていないのかもしれないですね。それにしてもこの調査結果を見て、あまりにひどいと思いました。


◆必要な教育基本法の検討

◆鈴木  昨年十月に文教制度調査会がまとめた教育理念についての目標の中で、「教育基本法の見直しも視野に入れること」というのがありますが、現行の教育基本法の表現は非常に抽象的です。もっと具体的な教育目標にすべきだと思います。 

森山  教育改革をするには、基本的に教育基本法にさかのぼって抜本的に検討しなければならないことは誰でも思っています。しかし今まで、実際には教育基本法の中身には触れるのはタブーのようになってきました。ただ体よく枝葉だけ調整してきた。そんなことがだんだん積み重なって、このようなことになったんじゃないかな。 

 今は、幸い教育現場でのイデオロギー対立もだんだん収まってきました。関係者みんなで教育をどうすればいいかということを考えるために、思い切って、教育基本法までさかのぼって勉強すべきじゃないか、ということを自民党の提言には一言書かしていただいたんです。

  この間、参議院の予算委員会の議論を聞いていましたら、中曽根弘文さんが、これをとり上げて大変くわしく質問してくれました。教育基本法を読み上げながら、「大変いいことを書いているけれども、これじゃよくわからない。どういう日本人を作りたいのかはっきりしない」と。「これでは困るのであって、 日本の伝統、文化は尊重する。日本人としての道、日本人としての心といったものをきちっとしていく必要があるので、そういうことを教育基本法に書くべきではないか」という話を持ち出して質問しておられました。

  文部大臣も「重要なご指摘だ」と言って、議論していただいていました。やっぱり自民党の提言のなかにそのことを一言入れてよかったなあ、と思っております。

鈴木 全教協としても教育改革の提言に、教育基本法の改正を主張しました。今、親も子供もどういった目標を立てていいかわからない。昭和二十年の敗戦から五十年たった現在、子供たちは敗戦後の三世代目の人たちですね。今の子供たちの親が敗戦後に育てられた。その親がわれわれの世代で、敗戦時に日本の教育を受けていた。で、迷ったおじいちゃん、おばあちゃん、わからなくなった親が育てた子どもがいまの子どもです。教育の建て直しはなかなかむずかしいですね。
 ところで、家庭教育が大切だということが答申にはありますが、具体的にいかに対処すべきでしょうか。

◆がまんは家庭が教えるべき

森山  家庭教育はもちろん大事です。そして、家庭ならばすぐに今日からできることがいっぱい
あるんです。昔と今の家庭の違いを見てみると、昔の家庭はみんな貧しかったでしょ。だから「我慢しなさい」とか、「仲良く分けなさい」とかいうことが日常から実際に必要だったわけ。だけど今は豊かになり、子どもは少し駄々をこねれば、親はすぐ買ってやるというのが普通になってしまった。それで我慢するとか、お互いに仲良く分けようとかいうことが日常生活の中でほとんどないわけです。

 ルソーという十八世紀の思想家がいるでしょ。あの人が、「子どもを最も不幸にする早道は、いつでも、なんでも手に入るようにしてやることだと言っています。「なるほど、それか」と思いました。今の家庭は、おしなべて中流といわれ、生活水準もそこそこだから、子どもが一人か二人しかいなくて、子どもが駄々をこねれば、うるさいからだまらせておこうとなり、物を買ってやったり、小遣いをわたしたり、お金で片づけてし まう。
 それは、子供がかわいいからという理由もあるでしょうが、ともかく、子どもに我慢することを教えない。だから、基本的にはこれは豊かな社会の悩みだと思います。

 先進国がおしなべて同じような状況になっているのはそのせいではないか。世界的に豊かな社会になったのはこの二、三十年だから、これは世界が始めて直面する間題だと思います。 だから、簡単な答えはないと思うけれど、ルソーの言葉を思い出し、子どもを甘やかしてはいけないというのは昔から言われていることを考えると、子供が言ったから何でも買ってやる、すぐ与える、お金をやるということはやってはいけない。とくに家庭のお父さん、お母さんたちが、子どもにとっての最初の教師は自分たちだという責任感と自覚をもってきちんとしつけてほしいと思います。

鈴木 親の教育が先決ということになりますね。

森山 親御さんに自覚してもらうというのがいちばん早道ですし、簡単な方法なんですよ。たとえば、今の親の中には自分はパチンコをやっていて、子供が車の中で死んでしまっても気がつかない人がいる。これは極端な例かもしれないけれど、そういうのは、たまたま死んでしまったから表に出るけれど、親の勝手のために子供たちの心が傷んでしまうのはすぐにはわからない。それが問題です。


◆どうする平成生まれの子の教育

◆鈴木 現在、平成生まれの人口が一千万人を超えました。六十五歳以上の世代人口は今千六百万人です。あと十年立てば平成生まれは二千万人を超えます。子どもの教育をどうするかということはとても重要なことになってきます。

森山 文部省は今まで、家庭の中のことに口出しするのを遠慮していた面がありました。家庭教育は大事だということは時々言ったけど、こうしろ、ああしろとまでは言わなかった。それも確かに一つの考え方だが、もうここまできては黙っておれないということになりまして、心の教育ということを中教審にかけ、今、いろいろやってますでしょ。
 先の日本青年研究所の統計で、高齢の親の面倒をみるということについての調査結果を見ると、「どんなことをしてでも親の面倒を見たい」という人が、日本の高校生では一五・八%、米国は四六・四%、中国は六六・二%。「一〇〇%面倒は見れないが、自分たちの力の範囲で親の面倒を見たい」が、日本七五・二%、米国三八・三%、中国三二・八%ということです。その両方を足すと日本は九一%、米国は八四・七%、中国は九九% ということです。

 「どんなことをしてでも」のパーセンテージが少ないのははなはだ残念です。しかし高校生ですから、親が本当に年取ったという状態にぶつかっているわけではなく、たぶん親が看ている年寄りを見ているんじゃないですかね。自分の親がおじいちゃん、おばあちゃんにどう対しているかが反映しているんじゃないかと思います。 

 そう考えると「どんなことをしてでも」という高校生が少ないのは、今の中年の人も自分たちの親に対し、出来る範囲で、たとえば小遣いを時々送るとか、月に二度見舞いに行くとか、という程度のことしかしていないのかなあ」いう感じがしないでもないですね。

鈴木  日本は外国に比べると家族がともに住んでいます。五十年前は子が親の面倒を見たのは日本では八〇%以上でしたが、現代は核家族がすすみ、四〇%だそうです。米国は一五、六%、スウェーデンは七%だそうです。つまり、年をとるとひとりぼっちになり、親もさびしく死んでいくわけです。「親をひとりぼっちにしてしまっていいのか」という問題がありますね。 

森山  それは教育の問題だけとしてでなく、社会のモビリティ、経済の活力、国際化の間題とどう折り合いをつけるかという難しい事でもありますね。 


◆民間人を校長に登用 

鈴木  中教審の小委員会で、教頭、校長に民間人の登用という答中がありました。他職種の校長登用となると学校内でうまくいきますか。

森山 私は、適格な方がいて、教育に非常に熱心で、しかもある程度の社会的経験、知識があり、多くの人が信頼して「この人なら」というような方がやってくださるのなら、いいのではないですか。そういう方ならやっ ていけると思う。もちろんこう,いう提案があったから、すぐに日本中で全部がそうなるというわけではありません。

◆鈴木  学校の場合、管理と子どもの将来という面があります。子どもに触れ合う経験のない人が校長となると問題がおこるのではないでしょうか。

森山  一般論でいうと、学校というのは社会一般と離れていて、閉鎖的だということが一つの弱点だと思います。いろいろ努力していらして、地域の運動会をやったり、PTAで交流したり、いろいろやってはいるけれど、学校のことは、教育者、校長先生の専門分野であって、よそから口を出すなという感じもなくはない。 校長先生というのは、学校を卒業してから営々と教育だけをやってきた人でしょ。社会一般のことは、どちらかといえば、うとい方です。校長先生が十人いるとすれば、一人ぐらい違うところでの経験がある人がいて、それはこうなんじゃないか、世間一般ではこうなんだよという話を時々してくれるということはいいんじゃありませんか。

  「あ、そうか。われわれはこれがいいと思いこんでやってきたけれど、世間ではそういう考え方もあるんだな」ということがわかるだけでも効果はあるんじゃないでしょうか。

  先生はまっしぐらに教育だけやっていて、専門家であることには大いに敬意を表するけれども、それだけに他の世界と離れていて、他のことを知らない方がかなり多いと思うんですよ。

  学校が地域と一体となって子どもを教育するというのなら、他の分野の知識、能力のある人が入って来てくれると、教育界は全体が活性化する一つのきっかけになるのではないでしょうか。
鈴木勘次郎氏
◆鈴木 栃木県には六三〇校ぐらい小中学校がありますが、だれがなるかという問題がありますね。新しい時代に向けて、改善していく必要があるとは思いますが。

森山 もちろんプロでないと分からないことがいっぱいあるでしょうから、そのためには専門家の教頭なり、教務主任なり、そういう方がついていてしっかり補佐していただきたい。けれども校長先生は教育技術よりも全体の管理とか、社会とのお付き合いが重要になるわけだし、教育一筋の堅物よりは、もう少し世間のことがわかるほうがいいという場合もあるんじゃないですか。

 校長先生になると、それを大過なく無事に月日を過すことしか考えていないという人も残念ながらいるでしょ。それではだめです。途中で優秀な他の社会の人が入ってくるかもしれないとなると、「頑張らなくてはと思うんじゃないでしょうか。競争原理を取り入れることも必要だと思います。

鈴木 自民党では教育改革検討推進会議のあとに、教育改革実施本部をもうけましたね。広く国民の意見を受けいれる機会をつくるようですので、全教協としても、意見を発表したいと思います。


 ◆「教育の日」をつくろう 

鈴木  栃木県では「教育の日」を設定し、教育の振興を県ぐるみでとりくんでいます。特に健康で体力のある子を育てるための基金をつみたて、奨励しています。 ところで国をあげて人づくりの大切さを考えるために中華民国、韓国の例もあり、「教育の日」を設定しようという声があがっていますが。

森山 栃木県ではとてもいいことをしていただいていると思います。他の県にも広まるといいと思います。また勉強のための育英資金というのはありますが、体育とか、健康増進のためのものはあまり聞きません。私はすべての仕事の根本は、健康第一と思います。勉強も仕事もそうです。だから健康こそは何より大切だということを子どもたちに徹底するためにも、そういう企画はとてもいいことだと思います。 親は、子どもたちにすぐ「野球なんかやめて入学試験の勉強をしろ」とか言うでしょ。本当は、体を鍛えることは非常に大切です。その一つの方法として体育が入学試験の科目にあったらいいとさえ思うんです。そうするとみんな一生懸命、体育をするんじゃないかと思いますので。

 身体障害者の子どもさんたちは別ルールとしまして、健常のお子さんたちはたとえば100メートルを何秒以内で走るといった枠をゆるくつくっておいて励みにさせるといいのではないか。少なくともそういう科目があるというだけで、みんなやるんじゃないかという気がするのね。

 今日、背が伸びたり、足が長くなったりはしたんですが、体力が弱いんです。どんなに良いことを考えても、体力が弱くては仕事はできないのですから。体力をつけなければいけないと思うんですよ。


◆大事な指導者養成

◆鈴木  最後におうかがいしたい。スポーツ振興くじが難産の末、もうじきできそうです。実現すると、学校現場では、どういう変化が起こりますか。

森山  学校は直接は関係ないかと思います。主として社会体育の面で役立てたいということです。休みが週二日もできますと、子どもがそれを活用して、スポーツをやるという場合に、場所がないとか、指導者がいないという問題がでてきます。たとえば学校のグランドだけでは足りないなら、それを補う場所や指導者のための資金を手伝おうということです。

◆鈴木  指導者養成に金をかけるということですね。

森山 そうです。また施設も十分じゃないですから、サッカーや野球をやりたくても、グランドがないという具合でね。社会的にスポーツ全般を振興しようというわけです。

鈴木  本日はありがとうございました。

            (教育問題第5号−平成10年6月刊−より転載)(22.9.10更新)
このページのトップへ
 トップページに戻る  
Copyright 2003
開設 2003/7