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【伝統芸能】

<歌舞伎>薪車「破門」 無断で新芸名 竹三郎「決心」

 歌舞伎界を見舞った突然の破門劇−。幹部待遇の名題(なだい)役者で関西で人気の高い四代目坂東薪車(しんしゃ)(42)、本名・鈴木道行が師匠の五代目坂東竹三郎(81)から「芸養子縁組」を解消され、名跡を返上した問題。二月には「芸養子解消」のあいさつ状が歌舞伎関係者に送られていた。過去にも破門の例はあるが、近年では珍しい。折しも新しい歌舞伎座開場で沸く中、いったいなぜ、人気役者は破門されたのか。 (ライター・森洋三、藤英樹)

 薪車の芸養父だった竹三郎は「私に人を見る目がなかったということですね。上方歌舞伎は役者も少ないし、大いに期待もしたのですが、本人が『歌舞伎に向いていない』と言い出したのが発端」と淡々と説明する。

 千葉県の高校時代からミュージカルや芝居に出ていた四代目薪車の歌舞伎界入りは二十六歳と遅いスタートだった。「歌舞伎がやりたい、と訪ねてきたのですが、中年からの入門だから人の何倍も努力をしなければいけないよ、と言い聞かせ、数年前までは一生懸命やっていた。芸養子にして薪車の名前を与えたのですが、皆さんから注目され始めた時期になって『歌舞伎に向いていない』では言う言葉もありません」

 三年前くらいから師匠宅へ稽古に来ることもめっきり減ったという。昨年十月の大阪松竹座の「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」に出演した際もわずか一日来ただけ。「舞台を見たらあまりにもひどい」。十二月の京都・南座の顔見世公演では「楽屋あいさつがのれん越しに『おはようございます』だけ。信じられます?」。

 師弟のあつれきが決定的になったのが、二月に東京・池袋の東京芸術劇場の現代劇「サロメ」に薪車が出演したこと。「四代目坂東薪車こと秋元道行(あきもとみちゆき)」の新芸名を大々的に掲げた。「知人から知らされてびっくりした。何も聞いてなかったし、ましてや会社(松竹)の了解も取らない出演ですから」。問いただす師匠に薪車は「私はあなたと戦います」と答えたという。

 「『サロメ』以前の私の気持ちの中には半年くらいの謹慎で済ませようかという思いもあったが、もうこれまでと決心しました」

◆松竹は「静観」

 破門から三カ月たつが、松竹は発表などは行わず、竹三郎と薪車との間の問題として、静観してきた。松竹の安孫子正副社長(演劇本部長)は「今はデリケートな段階。次のステップに進むため、二人の気持ちが落ち着くのを静かに待っている」と語る。

 破門の原因の一つとされる、二月の「サロメ」出演について、安孫子副社長は「われわれ(松竹)の興行に影響しない形で別の舞台に出演しても、それは役者の自由。ダメだと言う拒否権はわれわれにありません」。

 ファンにとって気になるのは、薪車の歌舞伎復帰の有無。本紙は彼が五月の東京・国立大劇場で行われた前進座の歌舞伎公演を見に来ていた折に接触。「今は何も話せない」と破門問題に口を閉ざしたが、歌舞伎復帰の希望を問うと、うなずいていた。

 安孫子副社長は「彼は名題役者。自分の名前で出演した例は過去にもある。彼の歌舞伎役者としての道が閉ざされることはない」と言う。

 とはいえ、師弟関係を重んじる歌舞伎界で薪車への視線が厳しくなるのは避けられそうもない。「かぶき彩時記」の筆者・辻和子さんは「破門は解雇。その世界でのルールを破ったと見なされるだろう。門閥出身でない彼は、主演俳優の意向も影響するため、復帰の道のりは厳しいと思うが、歌舞伎の舞台を見られなくなるのは残念」と話す。

 ◆芸養子と破門◆ 戸籍上の養子とは別に、一般家庭からの弟子で師匠が将来を見込んで名前を与える伝統芸能独特の慣習。坂東玉三郎は守田勘弥(かんや)の芸養子から後に戸籍上の養子となった。一方、破門は九代目市川團十郎に破門された初代市川猿之助(後に復帰)など前例は少なくない。中村翫右衛門(かんえもん)は五代目中村歌右衛門に破門され前進座結成に参加。十一代目團十郎に破門された市川升蔵(ますぞう)は利根川金十郎を名乗って名脇役になった。

 

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