|
|
小笑。はやり報恩抄の一文か。哀笑。姑息な奴め。
よいか。ここで言っている「本門の釈尊」は、報恩抄に於ける「本門の教主釈尊」の深意について述べたものてあり、
其の論説に於いて表記したものである。本より、観心本尊抄に於ける「本門の釈尊」の意味を指して述べているものでは
ない。つまり、報恩抄の解説に於いて『教主』の文字を省いておるのは、本抄に於ける釈尊の多義(小乗の釈尊・権大乗の
釈尊・迹門の釈尊)を比論する意味に於いて省いているに過ぎない。哀。
其の事は、以下の続文に於いて明らかである。
(大勝利が掲載した一部文)
****************************************************************************************
投稿者:管理人 投稿日:2014年 5月25日(日)14時39分7秒
※「さても、其の一尊たる「本門の釈尊」とは何か。本より「本門の釈尊」であるから、在世に於いて小乗を説いた
釈迦ではあるまい。又、権大乗を説いた釈迦でもあるまい。而して「本門の釈尊」であるから法華迹門を説いた
釈迦でもあるまい。
となれば、本門の釈尊、つまり、本門寿量品、つまりは其の要諦から拝するならば、それこそは『釈迦如来五百塵点劫の
当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき』(新編1419)たる、
寿量文底久遠元初凡夫即極の釈迦如来である事は、其の文証からして間違いのない処である。
***************************************************************************************
(当方による其の続文)
して、其の久遠元初の釈迦如来ではあるが、身延が一尊四士本尊の依文としている其の報恩抄の一文、
『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』に続いて、日蓮大聖人は、
『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』と仰せになられている。
つまり、所謂(いわゆる)一閻浮提一同にして本尊と為すべき教主釈尊の本尊(本門の本尊)こそは、実に宝塔の内、
つまりは、曼荼羅御本尊の内の釈迦多宝・四菩薩その他諸仏を脇士と為す本尊であると仰せになられている。
さても身延よ。
上記報恩抄の御文をして、本門の教主釈尊とは、一体全体、宝塔の内の釈迦多宝の二仏からして、如何なる釈尊で
あるのか。現今の身延山久遠寺に安置されている本尊の形態から説明せよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
哀。よろしいか? しっかりと目を通しなさい。
尚、此の事は、同日の、2014年 5月25日(日)15時09分50秒 に於いて、
又、報恩抄の御文中『日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の「本門の教主釈尊」
とは、久遠元初凡夫即極の教主釈尊の事であり、其は末法御出現の自受用報身如来たる日蓮大聖人の
御事であります。つまりは観心本尊抄の『本門の釈尊』とは別意という事になります。
つまり、御本尊に示された御相貌を、自受用報身如来の己心に具わる十界三千と観なければ、上記の事
などは理解出来ないのであります。
果たして『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為る』と身延流に読むならば、其れこそ
日蓮大聖人が末法に出現し、わざわざ釈尊の脇士と為って一閻浮第一の大曼荼羅を建立する、という
意味になってしまいます。果たして、其れが正解であるならば、創価学会員は、日蓮大聖人が脇士に
なっている本尊を拝んでいる、という事になります。それで間違いありませんか?
と、既に述べている処である。
哀笑。ったく、其れら全体の意を見通せず、
大月天は、報恩抄の解説に於いて『本門の釈尊は日蓮大聖人の事だ』と言った。
なのに、観心本尊抄の解説では、地涌千界(日蓮大聖人)が其の本門の釈尊を脇士と為す、と言った。
おかしいぞ、おかしいぞ、と。哀笑。
おい! 其れこそは身延の言い分ではないか!
お前ら、其れでも創価学会員か!
ったく、其の体たらくをして「本門教主釈尊が地涌千界の脇士と為る」の砌を出せ、などと。哀笑。
よいか。お主らは身延の毒に侵されておるから、報恩抄に於ける『本門の教主釈尊』を理解出来ず、
観心本尊抄に於ける『本門の釈尊』が解からんのである。
何? 解かっているだと?
よろしい。
ならば問おう。
一、報恩抄に於ける『本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の「教主釈尊」とは、一体如何なる釈尊で
あるか。創価学会の教義に於いて述べよ。
二、又、其れに続く『所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』の「釈迦」とは如何
なる釈迦であるのか。果たして、爾前の釈迦であるのか、迹門の釈迦であるのか、其れとも本門の釈迦であるのか。
其の事、創価学会の教義に於いて述べよ。
三、加えて、観心本尊抄に於る『此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し』の
「本門の釈尊」とは如何なる釈尊であるのか。して、此の「本門の釈尊」は、報恩抄に於る「本門の教主釈尊」と同義
であるのか。其れとも別義であるのか。其の事、創価学会の教義に於いて述べよ。
尚、何度も言っている事であるが、創価学会の教義に違背し、自義我論及び邪宗教義を論じたならば、其の時点に於いて
論敗となる。つまりは、お主ら創価学会員としての教学が破綻した、という事になる。よろしいか。
速やかに返答すべし。
ったく【砌出せないのなら・・・お月さんが自義なんじゃないの?】などと悠長な事を言っている場合ではない。哀笑。
尚、上記の三項に基づいて、 以下の大勝利の発言に対する詰問も併せて返答戴こう。
①『本門の釈尊、(地涌千界)を脇士と為す』とは、創価学会の教義か、其れとも自義か。自義なれば論敗とする。
② して、其の地涌千界を脇士と為す、其の地涌千界の棟梁が、日蓮大聖人であるとは、創価学会の教義であるか。
其れとも自義か。自義なれば論敗とする。
③ して、当方が解釈した処の『此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ
べし、とは、 応に地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、つまりは本門の釈尊を脇士とする
大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう』の論述に対して、「そんな教学は聞いたことがない」と言い
放った。其れで間違いないか。お主が寄こした『地涌千界の棟梁は、上行再誕の日蓮大聖人』との回答から、其の
整合を述べよ。出来ずんば「そんな教学は聞いた事もない(笑」との嘲言を即刻に取り消し、当方に対して謝罪すべし。
よいか。人様が言っていない事を、疑難の種とし、又は、其れを付会し、捏造し、切り文にして難癖を広げ、其れでいて、
自身に於ける創価学会員としての教義解釈を隠匿するなどは以ての外である。よいか、そーゆーのを「卑怯」と云う。
哀。其れにしても、身延の破折に文句する創価学会員とは、一体、どの様な創価学会員であるのか。
実に其れこそは「信仰者のクズ」の一端ではないのか。
兎も角、上記六項の詰問に対して、速やかな返答を戴こう。期限は明日中までとする。もはや限(き)りがない。
当方は既に述べた。後は、お前達が創価学会員として、創価学会の教学に基づき、当方からの詰問に答えるのみである。
よろしいか。
これが最後である。
|
|