「大阪府簡易宿所生活衛生同業組合50年誌」によると、1960年代初頭に約50万人だったあいりん地区の日雇い労働者数は、その後の高度経済成長とバブル経済で89年に187万人まで膨らんだ。労働者が寝泊まりする簡易宿所、通称「ドヤ」の数も89年にピークの210軒に達した。20年近くに及ぶデフレで、日雇い労働者数は2009年には32万7000人に減少、宿所数も約90軒まで減った。
30年間にわたり西成区で働く高橋豊秋さん(66)は「あいりんは、かつては労働者とアウトローたちの町だった。労働者は高齢化し、その数も減った。道に立つ覚醒剤の売人も少なくなったが、その問題は今も残る」と話す。
松井知事はブルームバーグ・ニュースの質問に対し、「大阪のど真ん中にあるあいりん地域がニューヨークのハーレムのように変われば、この地域の可能性、ポテンシャルが大阪の成長に好影響を与える」と回答した。
同知事は「あいりん地域で覚醒剤の撲滅などに取り組み、環境改善を進める。各国からより多くの観光客を大阪・関西に呼び込むとともに、大阪のIR(統合型リゾート)構想や、鉄道ネットワークの整備などの都市開発を進める上でも、最重要課題の一つ」と決意を示す。