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関ジャニ∞横山裕の知られざる過酷な生い立ちと現在

貧乏エピソードから、弟たちとの仲良しエピソードも

更新日: 2013年07月13日

smileROOKIESさん

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明るいキャラクターが売りの関ジャニ∞の横山裕。

生放送ラジオや、長時間ライブではMCをしたり、関西地域限定で活動してた時代には、彼の生い立ちを本人がよく笑い話にしてはなしていました。

出典ameblo.jp

本名・横山侯隆(きみたか)

僕のおかんは僕を1人で育ててくれた時期がありました。

2010年4月28日 朝日新聞「なに話そっか」

オニギシは母親へのエピソードと爺ちゃんのエピソードを混ぜて書いた歌詞。

本人が語った生い立ち

幼少期に両親が離婚。その後母親は再婚し、6歳の時に次男、8歳の時に三男が生まれる。

義理の父親に棒で叩かれた、などのエピソードは本人がMCで話したもの。

これが理由か、義父と上手くいかないエピソードも多く、横山のみ別居となる。

母方の祖父・祖母に横山一人預けられ、母・次男・三男とは別居することになる。
しかし祖父の体調が悪くなりその後死去。また、母親も再度離婚し母子家庭として暮らすことになる。

横山裕ソロ曲『413man』は実話

中学時代からバイトをし家計を支えていた。母親の応募で中学3年でジャニーズJr.入り。
本人に進学の意思が無かったが、高校受験が決まっていた。だがジャニーさんに「(受験の日に)なにも無かったらハワイに行く?」と言われ嘘をつき受験をさぼってハワイへ。その後建築会社に就職。作業着でレッスン場に行くと出待ちのファンがざわついたため、駅のトイレで私服に着替え一人私服で通っていた。

ジャニーズJr.としての仕事も忙しくなり、建築会社を半年ほどで退職するも、困ったことがあれば助けになる、と会社の社長から言われたことが心の支えになったと語っている。
その後、日雇いの肉体労働などをしながらジャニーズJr.として働く。

また悪質なジャニーズファンが家におしかけてくることを避け、大阪で一人暮らしを始める。このことにより、実家では弟とあまり長く過ごしていない。

当時関西はジャニヲタ無法地帯であり、通称「ヤラカシ」が酷くなっていた。

23歳の時に関ジャニ∞としてデビュー。母親とのエピソードを鉄板ネタとし、多くの面白エピソードを披露。ドラマ特典DVDには母親と電話で喧嘩をした直後の横山も収録されており、ファンの間では有名に。

祖母の容態が悪くなり、横山は祖母へ十代で無くなった祖父の曲を贈るために作るも、完成に間に合わず祖母は死去。その後関ジャニ∞のメンバーから花が届いたエピソードなどを含めて完成させる。本人にはCDを収めただけで披露する意思は無かったが、メンバーからの後押しで3日間のカウントダウンライブでのみ披露。

09年4月16日 レコメン メンバーからの質問にて

最愛の母

2010年4月4日の横山ソロライブツアーで母親が見に来る。

横山「個人的なことを言えば、今日、オカンが来とるんで…」
「まぁ…体に気をつけてくれればそれでいいかなと…いつまでも元気でいてほしいと思います…」
「如何せん、反抗期のまま育ってしまったので…こんな機会がないと言えないんですけど…」

その後「オニギシ」を関係者席を見ながら泣きながら歌う横山。会場の空気に照れ隠しにキレる様子も。

小さな時、オニギリって言えずにオニギシって言ってた-。
そんな歌詞が出てくる、お母ちゃんに向けた「オニギシ」という曲があります。
僕自身もエレベーターをエベレーターって言ってたし、子供は言葉をかむなあと思い出しながら、しょっぱかったおかんのオニギリなど自らの体験も交ぜながら歌詞を作りました。

「オニギシ」は今回のソロコンサートツアーでも歌っていて、大阪城ホールにはおかんが来てくれました。
僕のおかんは僕を1人で育ててくれた時期がありましたし、歌っているときは、おかんに対してありがとうございますっていう気持ちでしたね。
普段は面と向かって言ってないですし。
次の日に電話がかかってきて、ありがとうと言われました。

2010年4月28日 朝日新聞「なに話そっか」

おかんの性格は適当だけど心配性。めちゃくちゃ何回も電話してくる。
僕が電話してくるなと言うので、もうだいぶ減りましたけど。
でも、やっぱりね、できるときに何かしてあげな、と思います。
おばあちゃんやおじいちゃんが亡くなってより一層そう思うようになりました。
コンサートを見に来ることが楽しみであれば、来てもらって楽しんでもらえればいいなって。
体にだけは気をつけてほしいと思っています。

2010年4月28日 朝日新聞「なに話そっか」

その1か月後ツアー中の不幸

当時毎日連載していたブログにて意味深な言葉を綴っており、ツアー中明らかに様子の変わった横山を多くのファンが語っている。しかし横山は通常通り生放送のラジオもこなしていた。

関ジャニ∞の横山裕(29)の母親が16日午前、虚血性心疾患のため急死していたことが21日、分かった。50歳だった。

 関係者によると、母親は16日朝、地元・大阪で近所のスーパーマーケットに買い物に行った際、店内で倒れ、すぐに救急車で搬送されたが、病院に到着した時には心臓が停止している状態だった。
 懸命の治療が施されたが、同日午前11時51分に死亡が確認された。

 横山は現在、全国ソロツアー中で、母親が亡くなった当日は午後4時から青森市民会館公演を予定していた。
 大きな持病もなく、亡くなる前日まで元気だったそうで、突然の訃報(ふほう)に横山は大きなショックを受けたものの、「仕事に穴は開けられない」として、予定通りに出演。
 クライマックスでは毎回、母への思いを歌にした自作の「オニギシ」を歌っているが、この日は途中で涙があふれ出し、歌えなくなった。

「横山はその日、ソロコンサートの最中だったこともあり、当日の青森公演をこなしたあと母の元へ駆けつけたようです。翌日の通夜に参列し、18日の告別式にはグループのメンバーも全員駆け付けたとか。横山は気丈に振る舞いながらも、賭けつけてくれた仲間の前で思わず涙を見せる場面もあったようですx 」(関係者)

ところが、悲しみに暮れる彼の目に止まったのは、会場の外で騒ぐKYすぎる「やらかし」の姿だった。
この日、メンバーが駆け付けるという情報をどこかで聞きつけ、会場の外で待ち構えていたようなんです。時折、黄色い声援をあげる彼女たちに横山は『何考えてんねん!』と激怒したという。周囲がなだめてなんとかおさまったものの、これはさすがに非常識にもほどがありますね」(前出・関係者)

横山が喪主を務めていた。

その後~現在

ツアーは無事終了するも、「オニギシ」を涙なしでは歌えない状態に。数か月間は、テレビなどでも様子のおかしい横山がファンの目から見ても確認できるほどの状態。

本当にありがとうございました。ツアーを無事終えることができました。
あっという間のツアーでした。なんか…本当に楽しかったです。
メンバーに手紙を読みましたけどやっぱりもっともっと言いつくせないこともいっぱいあります。楽しい時とつらい時を共にしてるメンバーです。楽しいときも気がついたらメンバーがいますし、つらい時もパッと見たらメンバーがいます。

その年の関ジャニ∞ツアーラスト、翌年元旦での横山シメの挨拶。

実家の整理を後輩の関西ジャニーズJr.が手伝ってくれたことや、芸能界の人に慰められたこと、母親と行くはずだった韓国旅行には渋谷すばるが同行するなどメンバーが支えになってくれたことなどをブログやインタビューで答えている。

関ジャニ∞の8周年記念イベントパンフレット内でのインタビューで、当時を振り返り「人生で一番泣いた。後にも先にもあんな辛いことはない」と話し、同時に、葬儀にメンバー全員が参列したことを「めっちゃくちゃ嬉しかった」「すごく誇れた」と語っている。一方でメンバーも大倉が「横山君が泣いてる姿を初めて見た」と語っており、「これからはオレらが横山君の家族にもならなあかん」と、葬儀の後、丸山の家に皆で集まり話しあったとも打ち明けている

現在は、母の誕生日や母の日になると亡き母へメッセージをブログなどで送ったり、ケーキを買って兄弟で祝っていることを報告している。

貧乏エピソード

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