(1)2012年9月末に地方政党から国政政党として発足した「日本維新の会」(橋下徹代表)が、無節操にも「太陽の党」と合流したのは、同年11月中旬でした。

(2)それから1年半年余り、以前から噂のあった、日本維新の会が、分裂(分党)することになったようです。
一昨日から報道され初めました。
NHK5月28日 17時35分
維新 石原氏「橋下氏と分党で一致」

日本維新の会の石原、橋下両共同代表は28日、名古屋市で会談し、会談後、石原氏はNHKの取材に対し、「結いの党との合流は認められないとして、党を二つに分ける分党をするよう求め、橋下氏もこれを受け入れ、日本維新の会を分党することで一致した」と述べました。
石原氏は29日、記者会見してみずからの考えを明らかにすることにしています。
日本維新の会は、結いの党との合流に向けた基本政策を巡り、石原共同代表の主張に沿って、「憲法改正手続きを踏まえた自主憲法制定による統治機構改革」などとする文言を盛り込みたいとしていましたが、結いの党は「『自主憲法制定』は今の憲法を破棄する意味に取られかねない」などとして、受け入れられないという考えを重ねて示しています。
こうしたなか、石原、橋下共同代表は、28日午後4時から名古屋市のホテルで、先週に続いておよそ20分間会談し、今後の対応を協議しました。
会談終了後、石原氏は記者団に対し、「私の言うことを了承していただいた」と述べました。
石原氏は、このあとNHKの取材に対し、「自主憲法の制定は、みずからの政治信条だ。自説は曲げたくない」としたうえで、「結いの党とは憲法観が大きく異なっており、合流は認められないので、党を二つに分ける分党をするよう求めた。橋下氏も、これを受け入れ日本維新の会を分党することで一致した。残念だが、しかたがない」と述べました。
石原氏は29日記者会見し、みずからの考えを明らかにすることにしています。
これについて、維新の会の松井幹事長は大阪府庁で記者団に対し、「まだ、橋下氏からの留守番電話しか聞いていないが、石原氏からはきれいに分党しようという提案があったということだ。そんなに長い話し合いではなく、石原氏も、さばさばして『もういいよ、俺は俺でやるから』ということだったのではないか。これ以上、結いの党との合流に向けた基本政策の表現のしかたに気を遣うのは耐えられなかったのだろう。石原氏から分党したいという提案があれば無理やり、羽交い締めはできない。今後のことは、橋下氏や松野国会議員団幹事長と相談して決めていきたい」と述べました。
一方、石原氏は28日夜、東京・港区のホテルで平沼・国会議員団代表、藤井・国会議員団総務会長、園田・国会議員団幹事長代理と会談しました。
藤井・国会議員団総務会長は、会談後、記者団に対し、「石原氏から、橋下氏と話し合った結果、分党することになったと説明があった。石原氏は橋下氏に対して、『結いの党との合流は認めるが、憲法観など私が国政に戻ることを決めた理念とは、結いの江田代表とは違う。一緒にできないと伝えた』と説明があった。私たちはこれを了承した。いつまでも同床異夢でいても、しかたがない」と述べました。
園田氏は会談後、記者団に対し、「今回の結果はよいことだ」と述べ、分党を求めた石原氏の判断を支持する考えを示しました。

自民「基本政策は整理しておくべき」
自民党の石破幹事長は東京都内で記者団に対し、「自主憲法の制定という、国の基本である憲法についての考え方が違うために党を割るということだが、日本維新の会が結党されてから衆議院選挙や参議院選挙で国民の審判を仰いできており、国家の基本政策はできれば政党を作るときにきちんと整理をしておくべきだったと思う。与党としては、維新の会が2つに分かれても政策や法案に理解をいただけるよう努力することは、これまでと変わらない」と述べました。

民主「協力関係を考えたい」
民主党の大畠幹事長は東京都内で記者団に対し、「突然の話で非常に驚いている。どのような経緯で分党という流れになったのかがよく分からないので、情報収集しつつ推移を見守りたい。野党は力を合わせるべきだという国民の声もあるので、今後、日本維新の会とどのような協力関係を築いていけるのか考えたい」と述べました。

みんな「影響はあまりない」
みんなの党の浅尾代表は記者団に対し、「分党すれば、結いの党と合流しても日本維新の会の当初の人数より少なくなるのだから、影響はあまりないのではないか。合流のために、維新の会が集団的自衛権の行使を巡る考えを変えるならば、整合性が問われることになる」と述べました。

共産「危険な役割を果たすだけ」
産党の山下書記局長はNHKの取材に対し、「『自主憲法制定』と言おうが、『憲法改定』と言おうが、今の憲法を変える、とりわけ9条を変えるという点では一緒だ。新しい党が出来ても、安倍政権が進める憲法解釈変更による、海外で戦争する国づくりを、より右の立場から引っ張る危険な役割を果たすだけだ」と述べました。

結い「維新内部の話」
結いの党の江田代表はNHKの取材に対し、「日本維新の会の内部の話なので、われわれの立場からコメントすることはない。ただ、『自主憲法の制定という文言は認められない』という党の立場は、はっきりしており、今後の推移を見守りたい」と述べました。

生活「連携の話していきたい」
生活の党の鈴木幹事長はNHKの取材に対し、「驚いたが、党内にいろいろな考え方がある中で、無理やり合流するよりも新たな野党再編の展望が開かれたのではないか。今後の展開を見守りつつ、生活の党としては、いつでも、どこの党とでも連携の話をしていきたい」と述べました。

社民「いつか分かれる党」
社民党の吉田党首はNHKの取材に対し、「日本維新の会は、考え方がばらばらな人の集まりで、いつか分かれる党だった。橋下氏は、結いの党との合流を選んだということであり、そのときが来たということだ」と述べました。

朝日新聞2014年5月29日00時26分
日本維新の会、分党へ 石原・橋下両共同代表が合意

 日本維新の会が28日、分裂することが決まった。石原慎太郎、橋下徹両共同代表が同日、名古屋市で会談して合意した。両氏は結いの党との合併方針をめぐって対立しており、これ以上、同じ党で活動するのは困難と判断した。
 維新は2012年12月の総選挙で「第3極」を掲げて54人が当選するなど支持を集めたが、石原氏率いる太陽の党合流から約1年6カ月で分裂する。両氏は政党助成法上、政党交付金を議員数に応じて配分できる「分割」を選んだ。
 維新は今年4月、結いとの合併方針を決定。石原氏は両党の政策合意に持論の「自主憲法制定」の文言を盛り込むよう求めた。だが、結いの江田憲司代表が強く反発し、合併協議が難航していた。
 石原氏は28日の橋下氏との会談で「私は自主憲法制定のために国会に戻ってきた。憲法観が大きく異なり、結いとの合流は認められない」と主張し、自ら分党を提案。橋下氏は野党再編を進める立場から応じたという。石原氏は会談後、朝日新聞の取材に「結いとは党のアイデンティティー(性質)を含めて基本的に違う。(分党は)残念だ」と語った。石原氏は29日に記者会見する。
 維新には28日現在、衆参で計62国会議員が所属している。石原氏には、平沼赳夫元経済産業相、中山成彬元文部科学相、中山恭子元拉致担当相ら10人以上が同調するとみられる。

各政党の反応も報じられていますが、大阪市議会の政党の反応も少し報じられました。
毎日新聞 2014年05月28日 21時19分
維新の会:分党へ 大阪自民市議「維新もうグチャグチャ」

 大阪の野党議員は日本維新の会分党で橋下氏との対決姿勢をさらに強めそうだ。大阪市議会の自民市議は「維新はもうグチャグチャだ」とほくそ笑んだ。維新内部には石原氏ら旧太陽の党出身者を評価する声があると指摘、「地域政党の大阪維新の会も分裂する可能性がある」と分析した。
 宮原威(たけし)・共産府議団長は「小さな違いで分党するなんて、石原氏も橋下氏も人間が小さい。橋下氏の国政進出は失敗しつつあるということだ」と批判した。「維新はこれから大阪都構想に力を入れるだろう。これまで通り反都構想で対決していく」と力を込めた。
 民主府連幹事長の半田実府議は「大阪維新が分裂したわけではなく、府議会、市議会の状況は変わらない。これまで通りの姿勢で臨むだけだ」と語った。

(3)日本維新の会の歩みについては、時事通信の配信記事があります。
時事通信(2014/05/29-17:48)
日本維新の会の歩み

【2010年】
 4月19日 橋下徹大阪府知事(当時)が代表を務める地域政党「大阪維新の会」発足
【2011年】
11月27日 大阪府知事と大阪市長の「ダブル選」で、松井一郎氏が知事、橋下氏が市
       長に当選
【2012年】
 9月28日 国政政党「日本維新の会」発足。橋下氏が代表に、松井氏が幹事長に就任
11月17日 維新、「太陽の党」と合流。代表に太陽共同代表の石原慎太郎氏、代表代
       行に橋下氏
12月16日 衆院選で54議席を獲得し、第3党に躍進
【2013年】
 1月19日 石原、橋下両氏を共同代表とする人事決定
 3月30日 結党大会で「占領憲法を大幅に改正する」などとした党綱領を採択
 5月13日 橋下氏が従軍慰安婦制度に関して「当時は必要だった」などと発言
   27日 橋下氏、在沖縄米軍に風俗業利用を勧めた発言を撤回し、謝罪
 6月23日 東京都議選で現有議席割れの2議席と惨敗
 7月21日 参院選で8議席獲得にとどまる
   27日 橋下氏が共同代表辞任を申し出るも、慰留されて続投
【2014年】
 1月15日 維新と結いの党が政策協議開始
 2月 7日 橋下氏が大阪市長の辞職願提出
 3月23日 橋下氏が出直し大阪市長選で再選
 4月25日 維新と結いが参院統一会派結成を届け出。野党第2勢力に
   26日 維新、結いと今夏までの合流方針を決定
 5月28日 石原、橋下両氏が会談し、維新を分党することで一致
   29日 石原、橋下両氏が分党方針を正式表明

(4)日本維新の会の橋下徹共同代表の記者会見を報道したものを紹介しよう。
日本維新の会の分裂(分党)の遠因が語られています。
デイリースポーツ2014年5月29日
橋下氏 分党遠因語る「喧嘩売られた」

 日本維新の会の橋下徹共同代表は29日、大阪市役所で行った大阪市長の定例会見の後、28日の名古屋市内での会談で石原慎太郎共同代表と合意した分党について説明した。
 石原氏が同日の東京での会見で、今回の分党の遠因について言及。2012年11月の合流時、橋下氏が京都での会談で「石原さん以外はいらない」と言ったことが「最初の亀裂」とした。
 記者団から石原氏の発言を伝え聞いた橋下氏は「先方もいろんな言い分はあるでしょうが、誤解がないように僕もひとこと言わせてもらいたい」と説明を加えた。
 橋下氏は「確かにそこで言いました。『石原さんと僕は一緒にやりたい。石原さん以外とはやりたくない』と。そのほかにもいろんなことを言い過ぎなくらい言いました」と発言の事実を認めた。
 しかし、「先にけんかを売られた」と主張。「東京サイドから『橋下なんかいらない』『橋下なんかとやったって』という話が出ていた。石原さんの周辺から。『そんなことを言われてまで一緒にやりたくないですよ』というのはしっかり言っておく必要があった」と発言に至った経緯を説明した。
 「僕は以後、その件については全部水に流してもらったこと、引きずっていないと思っていた。僕も言われたことに関しては水に流したことだった。男と男でああいうことをやった以上、きれいさっぱり水に流れたものだと思った」との見解を示した。「ずっとしこりが残っていたというのであれば、僕の認識が甘かったところもあるかも」とした。
 「石原さんはどう思われているか分かりませんが、僕は石原さんのことがやっぱり好きです」と繰り返し強調。「政治というのは個人の人間関係だけではうまくいかないなと思いますけど、『お互い日本のために一生懸命頑張っていこう』と誓い合いましたので、できる限りのことはやっていきたい」と会見を締めくくった。

(5)石原慎太郎共同代表会見は、産経新聞が詳細に報道しています。
長いですがすべて紹介してきます。分裂の遠因も語っています。
産経新聞2014.5.29 17:32
《石原慎太郎共同代表会見全文(1)》結党時の「心理的な亀裂が尾を引いた」

 分党を決断した日本維新の会の石原慎太郎共同代表が29日、国会内で記者会見し、決断の経緯や今後の見通しなどについて語った。会見の詳細は次の通り。
 「お聞きおよびのように、昨日ですね、名古屋に出向きまして、4時に名古屋のある場所で橋下さんと会見しまして、『分党をしたい』ということを申し上げました。
 個人的な見解も含めて申し上げますとね、私自身のことでありますけれども、私が都知事を辞めて、あえて国会に戻った理由は、いろいろありますが、その一つはなんといっても、日本の憲法をかえて、この国を立て直したいという、かねてからの私の熱願です」
 「それと、20年近く前に私が永年勤続で表彰をうけたときに、その謝礼の演説で、私はこの国の国政というか、(国政に)携わっている自民党に愛想を尽かして、(衆院)議員を辞職すると明言しましたが、そのときに申したことですけれども、日本が戦後、ずっと米国のほとんど、飼い殺しのままにいろいろと収奪されてきた。
 男の体は成(な)しているけれども機能を失った、いわば宦官のような国になったということの、自責と、それも踏まえて議員を辞職しました」
 「東京という大事な首都を預かる仕事をずっとやってきて、改めて感じたことはやはり、日本のですね、中央官僚の支配している政治というものはやっぱり、変えなくちゃいかんということで、いくつかの試みをしてきました。
 それに、いくつかの点でですね、共感をしてくれて、東京でやれたことをそのまま受け継いでくれた、当時の橋下(徹)大阪府知事とですね、非常に共感するところが多くて、私は彼との出会いは人生の中で快事だと思っておりますけれども。
 その後ですね、国政に戻る決心をして、ここにいる平沼(赳夫国会議員団代表)さんとは、かつての盟友の関係でありましたけれども、都知事時代には平沼さんの立ち上げた(政党の)『たちあがれ日本』の名付け親にもなり、応援団長としてですね、協力をしてまいりました」
 「さて、国会にもどってきたら、これからの、私も加わってですね、『たちあがれ日本』の行く先を考えて、私は非常に共感をしていた橋下さんの日本の維新の会とですね、しっかり協力して大きな仕事をしようじゃないかということで、申し込みをしましてですね、京都で、私たち側は私と、平沼さんと藤井(孝男国会議員団総務会長)さんと、園田(博之国会議員団幹事長代理)さんの4人で出向きました。
 なぜか向こうには、今の日本維新の会の(国会議員団)幹事長をしている松野(頼久)さんも陪席しておりましたけれども」
 「私にとって、強い印象に残っているのは、今日ここにいたるまで、いろいろと党の中にぎくしゃくしたことがあったことは否めませんが、その最初のはしりとして小さな亀裂がその4人の、橋下さんとの会談の中にありました。
 その時、橋下さんがはっきりと、「私たちが必要としているのは、石原さん一人で、平沼さんたちは必要がない」ということを(言った)。
 ずいぶん思い切ったことをいうなあと、私はハラハラしたんですが、平沼さんはですね、先のことを考えて本当に、我慢をしてくれました。
 私は平沼さんというのはですね、“ポスト小泉”(の時代)になってからも自民党の有力な総裁候補だと私は思っておりますし、現に私も個人的に親しかった、小泉(純一郎)総理に期待をしておりましたけれども、この平沼さんがですね、そのとき、まあ、よくそれをこらえくれて。
 私は帰りの電車の中で、彼に本当に感謝もしましたが、そういったですね、そのときの心理的な亀裂とういうものがずっと、尾を引いていろんな形になったことは、私は否めないと思います」

産経新聞2014.5.29 18:50
《石原慎太郎共同代表会見全文(2)》「限られたメンバーだが政治生命を賭して志を遂げたい」

 「私の個人の問題で申しますとね、さきほど申したように私は、この国を立て直すために、アメリカが日本を解体・統治するための一つの便法として作ったあの憲法、日本文としても間違いだらけの憲法をですね、私は何としても直したいと思ってるし、そのことについていくつか論文にも書いてきましたが‥‥。
 いずれにしろですね、前文という非常に醜悪な日本語で書かれている、憲法の理念をうたっているつもりの文章(は)、助詞ひとつ取っても間違いだらけの文章ですが。
 こうしたものに私は本当に、物書きの一人でもあるし、日本語に愛着を持つ日本人の一人として、とても我慢がならない、ということも申してきました」
 「そのあとですね、いろいろ経緯がありまして、私と一緒に(維新の)共同代表を務めている橋下さんがですね、どういう所存でか、『結いの党との合体を一つの引き金にして野党再編をしたい』と。
 これは否みませんが、しかし、私は(再編の)大きな引き金になるとはとても思えない。それから、江田(憲司みんなの党代表)という人物、私、よく知りませんけども、儀礼的な訪問を1回受けて、彼が憲法について何か言おうとするんで、『集団的自衛権の問題についても、あなたの見解を披瀝する機会、あると思うから、そのとき聞きましょう』ということで別れましたが」
「まあ、いずれにしろですね、結いの党との合併合体というものはどうやら進んでいくプロセスの中で、いろいろ、集団的自衛権に対する江田氏の見解、結いの党の見解、あるいは集団的自衛権という日本にとっての致命的な問題に対する見解に大きな齟齬(そご)が感じられて、私はですね、これ、とても、こういう人たちと維新の会が合体するゆえんはないなという確信を抱くに至りました。
 ということで、野党の再編も一つの眼目かもしれませんけど、私それ否定しませんけど、「その目的に向かって進むにしても、選択の方法が違うんじゃないか」と思い続けてきましたし。その相手として結いの党を選ぶということに、私はどうにも合点がいかない。
 同じように考えている仲間が案外、維新の会の中にいまして、私が昨日、実は名古屋に出かける前に、自主憲法研究の会の8人の若いメンバーから、日の丸を背にした寄せ書きをもらいましてね。という激励を受けたんですけども。
 そういう仲間もいるということを含めて、私はですね、結いの党との合体にどうしても賛成するわけにはいかないということならば、やっぱり、目的は同じにしてもですね、山の登り方も違うことがありうるだろうし」
私はですね、(橋下氏に)『分党したほうが、あなた方も潔くスムーズに結いの党と合体がしやすいだろうし、私たちは私たちで、野党の再編成なり、あるいは憲法の問題、それから集団的自衛権の問題、考えていきます』ということを申しました。
 特に集団的自衛権の問題はですね、私が知事の在任中に火を付けた尖閣諸島という日本の固有の領土の土地権の問題。
 これは、私がですね、衆議院に在任中に、数人の仲間でつくった青嵐会がやはり、この問題について着目して、あそこの持ち主の栗原一族から買ってもいいじゃないか、という決心をしたぐらいのものでした。
 いずれにしても、その問題も今日大きく浮上してきているわけで、こういった私たちが政治生命かけてきた問題について、いかにも合点のいかない政党と手を組むということは、私は許容できない。
 ということで、平沼さんなんかとも諮って、思い切って分党しようという決心を固めました」
 「分党ということについてはですね、実は、最初に言い出したのは私らだけじゃありませんで。
 実は、前々回の執行役員会でもですね、橋下さんが「来年の統一地方選を考えると、非常にいろんな問題がある。それをクリアするために、大阪維新の会が独立して一つの政党になって、結いの党と合体して、力を添えあって、地方選挙を切り抜けたい」ということを申されて。
 これは、私たち、心外な問題です。あの時点で、大阪維新の会が独立して一つの政党を作るということは、どうにもややこしい選択だと思って、私は反対をしました。執行役員会では、これに対する反論が起きて、彼は思いとどまってくれましたが」
「いずれにしても、皮肉なことですけどね、私たちが、その後の経過を含めて、とにかく、この決心をしたということ。
 私も平沼さんも、かつての吉田松陰や大塩平八郎のですね、熱烈な‥‥、別に陽明学の信徒ではありませんけども。
 しかし、あの陽明学が説いてる自分の志を遂げるためには、ある場合、自分の身に降りかかってくる不利不幸というものをあえて享受しながらでも、行動を起こさない人間は、孔子の言った人間の最高の徳である『仁』というものを体現できない−ということを言ってますけど、それにのっとったわけではありませんが、ともかく、限られたメンバーではありますけど、自分たちの政治生命を賭して自分の志を遂げたい、ということで、分党を申し込んだわけであります」

産経新聞2014.5.29 19:23
《石原慎太郎共同代表会見全文(3)》「橋下氏と出会ったのは僕の人生の快事」

 【質疑応答】
 −−分党した先にある新党はいつ頃、どういう形で立ち上げていくか
 「これは選挙法というものがありましてね、クリアしなくちゃ問題があるようですからね、この問題に詳しいですね、藤井議員が責任を持って大阪と相談しながら遂行していただけると思っています。
 加えて申しますと、その時に橋下さんに申し上げたんだけれども、こういうことになった後、次の選挙に非常に問題があるだろうから、その時、決して同士討ちにならないように事務的な折衝をするような態勢だけ取っておきましょうということで、彼は彼で、これにも同意してくれました」

 −−今後の野党再編は。安倍晋三政権に対して協力するのか
 「安倍政権を私は非常に高く評価していますね。日本をもう一度取り戻すということがね、とても大事なことで、保守の源流として私たちが成就しなくちゃいけない大きな命題だと思っています。
 ただ、何をもって日本を本当に取り戻すか。それはやはり端的に言って『自立・自前』ということでしょうね」

 −−分党せざるを得ないことになったことについて、代表としての責任をどう考えるか。橋下氏と分かれた率直な気持ちは
 「私はね、橋下さんという人物を非常に評価し、期待もしていました。
 私が都知事の時代にも彼と出会ったことがね、僕の人生にとっての一つの快事だったと思っています。
 ですからね、彼とたもとを分かつことは非常に辛いですけどね。
 しかし、千昌夫の(ヒット曲の)『星影のワルツ』じゃないけど、『別れることは つらいけど 仕方がないんだ 君のため』でね、仕方がないよ、国のために私はそういう選択をしました」

 −−分党を選ばざるを得なかったことについて代表として責任を感じているか
 「責任ということはどういうことですかねえ。私たちは国会議員として、党として国民に対しての責任を負っているわけですからねえ。自分の節を曲げてまで思っていない道をいくことは私たちを選んだ国民に対して、期待してくれている国民に対して背信だと思いますね。私はそれ、できません」


 −−分党をしたのはなぜか。政党助成金との関係もあるのか
 「これは分かりません。詳しい事務的な手続きについては藤井さんが精通しており、これからの問題だと思いますから、藤井さんに聞いてください」

 −−離党という形式という話は出なかったのか
 「分党ですね。考え方が違う。山を登るにしてもいくつか登り口があるでしょうから。それはそれぞれが選択したらいいと思いますね。そういうことです」

 −−野党再編にも取り組んでいくということだが、念頭に置いている政党は
 「これからねえ、それは大きな命題だと思いますね。絶対多数を持っている自民党がこれからどういう動きをするか。数を背景にして横暴逸脱なことをしたら私たちはチェックをしなくちゃいけない。そのためには力を持たなければいけないと思います。見識を踏まえてのことだと思います。
 私は率直に言ってね、維新の会の支持率も残念ながら色々な事情で落ちてきた。それから結いの党をみてもね、支持率が1%に満たない2つの政党が合体することが大きな引き金になるとは思えない。あなた思いますか」

産経新聞2014.5.29 20:49
《石原慎太郎共同代表会見全文(4)完》「公明党は必ず足手まといになる、といったとおりになってきている」

 −−新党の規模は。新しい党の理念は
 「それはね、繰り返しますがね、政治生命をかけて進行しなくちゃいけない。改憲の問題もあるでしょう。それから今、こういう国際情勢の中に置かれているような、私はね、事が起こるたびに内閣は『遺憾の意』を表明する。私はねえ、遺憾の意じゃなくて『怒りの意』だと思いますよ。日本人が鬱屈して持っている感情というものを沈静させ、国民を安心させるためのいろいろな措置をこれから取らなくちゃいけない。
 集団的自衛権の問題もそうでしょうけどね。
 そのはしりとして尖閣を東京都が買ってもいいと言い出したわけですけど、それが残念ながら妙な引き金になって、民主党が勝手に横から手を出してお金を積み重ねて持ち主を買収するようなことになってしまったけれど…。こういった問題も焦眉の問題だと思いますね。
 それから中国の覇権主義も防がなくちゃいけない。私は個人的にダライラマと非常に親しいんですよ。
 彼が来るたびに会っていました。このごろ会わせてもらえない。外務省が反対して。彼の代理人のペマ・ギャルポ君という人物がいますけど、この2人から私は逐次、チベットがどうやって収奪されて中国の属国になっていったか、文化を、民族を失ったかということを聞かされている。
 私は日本が中国の属国にならせてはいけないと思う。子孫のためにも。
 それを講じるために私は、自分たちがある意味で自民党よりも保守的といわれても、『すべき主張』を遂げていかなくちゃいけないと思っています」

 −−新党の規模は
 「これは分かりませんね。私たち主張が、党を越えてもどれだけの人たちの共感を得るかはこれから先の事で分かりません」

 −−集団的自衛権の問題では、公明党は石原代表らの行動に注目しているようだが
 「私も公明党に注目しているんだよ」

 −−与党協議が進まない中、こうした現状をどう見ているか。与党の協議に新党として関わる考えは
 「私はね、前の党首討論の時も申し上げたんですけどね、集団的自衛権の問題をめぐってこれからどういう展開になるかは分かりませんがね、安倍首相に申し上げた。
 『あなた、必ず公明党は足手まといになりますよ』と言ったんです。その通りになってきているんじゃないでしょうか」
 「集団的自衛権について申し上げるとね、日本には個別的自衛権は果たしてあるんですか。日本のようにね、自衛隊を構えながら交戦規定がはっきりしていない国は世界中にないんですよ。
 たとえばね、ソマリアの海賊の退治に日本の海自が出かけたときにね、ばかな何人かの議員が反対して、ピースボートを仕立てて、それに賛成する連中がでかけていって、向こうの船をチャーターして日本の海上自衛隊の艦船を監視したつもりでいたけれど、非常に不穏な状況で怖くなって、海上自衛隊に「いざというときに守ってください」という依頼をして…。
 これはさすがに体裁が悪くなって、彼らはそれを引っ込めて何をしたかと言うと、本国に打電して海上保安庁ならいいだろうと、海上保安庁に「出てきて自分を守ってくれ」と。
 これは非常に防衛庁も困惑して、現地にいる海上自衛隊の艦船にどういう訓令をしたかというと、とにかく相手が不穏な行動をしたときに警察官職務執行法にのっとって相手のやったことが『禁錮6カ月以上に該当する行為だったら取り締まれ』と。
 外国に出向いている自分の国の軍隊に警察官職務法にのっとって行動しろなんてばかな訓令をせざるを得ない国ってどこにありますか?急場に臨まなくちゃいけない自衛隊員がかわいそうですよ。日本には交戦規定がないんです」

 −−分党を提案したとき、橋下代表はどういう表情で、どういう答えが返ってきたか
 「なぜでしょうか、と彼は当然聞きましたね。だから私は理由を申し上げた」

 −−以前、維新の会と合流する際に石原さんは橋下さんについて「総理大臣にしたい」と言っていた。今も彼を首相にしたいか
 「彼は日本の社会の中で希有(けう)な存在であると思いますね。私はね、あんなにね、演説のうまい政治家は見たことないね。
 ただ、やっぱりね、これから大成していくためにもっと幅の広い教養というか、幅の広い経験を積む必要があると思いますな。やっぱり弁護士という才覚だけではね、大きな仕事はなかなかしにくいと思いますしね。そういう点では私は今でも彼に期待しています」

 −−石原、橋下の二枚看板に期待して投票した有権者にはどう説明するのか
 「だから今申し上げたことを言わざるを得ないじゃないですか。自分たちの政治生命をかけての問題について節を折るわけにはいきません。
 私たちに期待し、指示してくれた人に対する背信でしかないと思うから。同じような考えで行動する人間が何人もいると思いますよ」


(6)政党の分裂(分党)は、有権者、とりわけ衆議院総選挙と参議院通常選挙で投票してくれた有権者に対する裏切り、背信行為です。

しかし、以上の報道だけでは断定できないかもしれませんが、橋下・石原両共同代表の記者会見では、その有権者に対する共同代表としての謝罪の言葉はないように思います。
もし、あったとしても、記者が注目しないほど、形ばかりのものだったのでしょう。

石原共同代表にあっては、記者から、その点を質問されたのに、結局、謝罪の言葉はありませんでした。

(7)共同代表の発言ではないですが、大阪の維新の会からは、むしろ、分裂を歓迎する声が発せられているようです。
日テレ[ 5/29 12:32 読売テレビ]
日本維新の会分党 大阪維新からは歓迎の声

石原・橋下両代表の28日の会談で、日本維新の会が分党することになったことを受け、大阪の維新内部からは、歓迎する声があがっている。29日午前、日本維新の会・幹事長、松井一郎大阪府知事は「さわやかにそれぞれ別々の道を歩もうと(石原代表から)言われた。メリットは、人間関係に対して神経をすり減らす必要はなくなると思っている」と語った。大阪維新の会・大阪府議団団長、青野剛暁大阪府議は「橋下さんに言いたいのは『お疲れさん』と『お帰りなさい』だ。大阪のためにもう一回集中して戦い抜こうという気持ちになるメンバーの方が多い」、大阪維新の会・大阪市議団幹事長、美延映夫市議は「旧太陽の党と我々と政策の違いはどうしてもあったので、やりにくい部分は正直あった。そこがなくなるので、しっかりとした改革をしていける」と話した。市民らは「(分裂は)仕方ないと思う。もともと寄せ集め。主義主張が違う人がいっぱいいるのに無理だと思う」、「結局、何をしたかったのだろう。この先、どうなるのか。期待を持てない」などと話している。石原、橋下両代表は29日午後、東京と大阪でそれぞれ会見に臨む予定だ。

(8)要するに、日本維新の会の政治家は、主権者国民よりも、自分らのことしか考えていない無責任な政治家の集まりのようです。
支持者にお詫びし、責任をとる政治家は一人もいないようです。
無責任な政治屋の手段だからでしょう。

もちろん、これまで多くの保守政党が分裂し、離合集散を繰り返してきました。
日本維新の会だけがそうだというつもりはありません。それらの保守政党にも妥当することです。
この点については、別の視点で、またの機会に投稿することにしましょう。