私はジャズが好きなのにも関わらずジャズについて詳しくない。ミュージシャンの名前もたいして知らないし、有名なアルバム名も曲名もあまり知らない。歴史に関しても詳しくない。聴き馴染みのある曲もタイトルを知らなかったりする。自分で買って聴いているアルバムのタイトルを知らなかったりする。曲名を知らないで聴いている。
ジャズなんてどうでもいいってことかと言うと、決してそういうわけではなくて、聴くことも演奏することも作ることも好きだ。好きならなんで人の名前とか曲の名前とか、好きなものに関することに関心を持たないのかと問われれば、分かりませんと答えるしかない。自分でもなぜなのかよく分からない。
「マイケルが76年に出したアルバムのドラムが……」「あのアルバムの2年後、1980年にモントルーでやったライブがすごかったんだ、サポートメンバーが誰それで……」
そんな話をペラペラできる人がいる。お前はピーター・バラカンかという人が、わりと普通にいる。たぶん好きなことに対しては、それくらいの興味関心を持って情報を求めて記憶するのが普通なんだろう。そうなれない自分がいる。そういうのを特に羨ましくも思わないけど、人と会話が膨らませられるのは楽しいんだろうなと思ったりはする。たまにだけど、こんな自分が嫌だという気持ちにもなったりする。
何年か前。とあるお店でセッションの場に参加した時、そこに来ていたミュージシャンと軽く話をする機会があった。とある有名なミュージシャンの話題になったんだけど、自分はやはりその人を知らず、「そんなことも知らないのか」と笑われたことがある。ジャズをやってれば知ってて当たり前の人なんだろうけど、ベートーベンとかモーツアルトとか義務教育で習うような人でもないし、知らないからって別にいいじゃないかと思った。あなたと私は違う人生を歩んできたし、違うものを見聞きしてきた別の人間なんだよと言いたくなった。
「そういうあなたは私の知ってる某について知ってるのか、知らないだろう。自分が知ってることを皆が知ってて当然と思うなよこのおたんこなすが」と、心のなかで強く反発した。「知らないんですか。すごくいいから一度聴いてみるといいですよ」とお勧めしてくれれば、どうもありがとうと素直に感謝できるのに、「知ってて当然」とか「これ知らないとかバカだろ」みたいに小馬鹿にされると当然こっちも反発するのである。だってにんげんだもの。
世の中にはルールだったり常識だったり一般教養だったり、これは知っておかないとってことがあるのは理解してる。そういうのじゃなくて、狭い世界だけで通用する知識をひけらかして「これ知ってる?あー知らねんだ、ケッ」みたいな感じで人を牽制したり小馬鹿にしてくるスノッブ野郎が嫌いなのだ。
そういう野郎には左手の指2本を鼻の穴に突っ込んで右手で往復ビンタをかましたい衝動に駆られる。やらないけど。若いお姉ちゃんを捕まえて薀蓄たれて説教し始める酔っぱらい野郎も嫌いだ。そんな野郎の鼻の穴には、きな粉をぎゅうぎゅうに詰めてやりたくなる。やらないけど。「野郎」と書いたが男女関係なくそういうのは嫌いだ。
自分の中身は音楽のことだけで満たされているわけではない。この間観た映画や知らない街を歩いた思い出や人と出会った経験やそれについて考える時間が自分の中の多くを占めている。そういうものも含めたすべてから自分の世界が作られるし、そこから自分の表現が生まれてくる。
あのドラマーを知ってるかとか、あのアルバムを知ってるか、とかそんなことばかりを試し合うことよりも、毎日生きている中で何を体験して何を感じて今何を考えるかの方が大切だ。音楽についてのあれ知ってるかこれ知ってるかなんてクイズの出し合いっ子には興味がないんだ。
「これを知らないようじゃ、ジャズが好きとは言えないね」
「ジャズやってるくせにそんなことも知らないのか」
もしそんな風に言われたら断固として反発する。そんなことを言うやつの口いっぱいにきな粉を詰め込んで水を取り上げる妄想してやる。