「芦原英幸正伝」のなかで紹介しきれていない芦原先生の「秘技」は幾つもあるのですが…。
ちなみに芦原先生は、この「秘技」とか「秘伝」「気」といった謎めかしい言葉を非常に嫌いました。いまでも中国武術や合気道、古武道の世界にはその名残がありますが、要は「理論的でない」「合理的でない」ものをあたかも神秘な神業のように持ち上げるやり方がたまらなく胡散臭く思ったのでしょう。
とはいえ芦原先生は若い時代に中国武術も学びました。大山倍達=極真空手マニアのなかでは有名な、澤井健一氏がひらいた太気拳です(「大山倍達正伝」を参照)。太気拳は系譜としては中国形意拳の一派であり、「北拳」特有の足腰の鍛練を徹底的に行う拳法です。
形意拳や太気拳、その流れの太極拳を学んだ人たちは、この足腰の鍛練(太気拳では立禅と呼ぶが、タンチュンとかタントウなどとも言う)によっていわゆる「気」を修得することが可能になるといいます。そして「気」を身に付けると一瞬で爆発的な破壊力のある攻撃が出来ると主張しています。中国武術関係者の多くが言う言葉。
「たとえ剣道の防具の上から突いても、防具はそのままで内臓だけを破裂させることができる」
私はうんざりするほど、こんな話を聞かされました。芦原先生の薫陶を大きく受けた私には、そんな話が荒唐無稽にしか思えなかったし、私自身、40年以上も武道・格技の世界に身を置きながらも、そんな「神業」を経験したこともありません。もし、いまでもそんな技が可能だと、また「自分は出来る」という人がいるならば、私が主宰する一撃会、志魂SABAKI修練会で「実践」して欲しいものです。
大山倍達総裁が、「実践なくんば証明なし。証明なくして信用なし」と言ったように、それが本当ならば組手を通して是非とも味わってみたいと思います。
蛇足ながら「実践なくんば~」という言葉は大山総裁の名言(座右の銘)とされていますが、芦原先生は嗤っていました。
曰く…
昔の大山道場の仲間たちはみんな知っちょる話しじゃけん。あのありがたい名言らしきものの原型は黒崎(健時)先生の言葉なんよ。黒崎先生は大山先生にもまして激しい人やったけん、いつも屁理屈は信じん、理屈ほざく暇があれば実際にやってみればええ。屁理屈百回並べても、一度の実践の前には何の価値もない、証明なければ口先だけのごまかしとしか思われん、信用されたければ屁理屈はいらんけん、実際に見せつければいい。それが口癖やった。
ただ黒崎先生の場合はあまりに現実的過ぎて大切な合理性を軽んじるところがあったけん。屁理屈と理論の違いがわからんとこと、何より精神力が必要やという考え方が黒崎先生の限界やったと芦原は思うちょるけん。
じゃけん、実践なくんば証明なしぃ~っちゅう言葉は黒崎先生の口癖から大山先生が拝借しちゃった。これ本当。なっ、面白いやろ
芦原先生は太気拳を決して馬鹿にしていませんでした。芦原先生に半殺しの目に遭わされた、「オランダの巨人・カレンバッチ」は、その屈辱から極真空手を離れて太気拳に移ったわけですが(「芦原英幸正伝」を参照)、何故に極真空手でなく太気拳だったのか?
芦原先生にはカレンバッチの気持ちが判ると言いいます。

ちなみに芦原先生は、この「秘技」とか「秘伝」「気」といった謎めかしい言葉を非常に嫌いました。いまでも中国武術や合気道、古武道の世界にはその名残がありますが、要は「理論的でない」「合理的でない」ものをあたかも神秘な神業のように持ち上げるやり方がたまらなく胡散臭く思ったのでしょう。
とはいえ芦原先生は若い時代に中国武術も学びました。大山倍達=極真空手マニアのなかでは有名な、澤井健一氏がひらいた太気拳です(「大山倍達正伝」を参照)。太気拳は系譜としては中国形意拳の一派であり、「北拳」特有の足腰の鍛練を徹底的に行う拳法です。
形意拳や太気拳、その流れの太極拳を学んだ人たちは、この足腰の鍛練(太気拳では立禅と呼ぶが、タンチュンとかタントウなどとも言う)によっていわゆる「気」を修得することが可能になるといいます。そして「気」を身に付けると一瞬で爆発的な破壊力のある攻撃が出来ると主張しています。中国武術関係者の多くが言う言葉。
「たとえ剣道の防具の上から突いても、防具はそのままで内臓だけを破裂させることができる」
私はうんざりするほど、こんな話を聞かされました。芦原先生の薫陶を大きく受けた私には、そんな話が荒唐無稽にしか思えなかったし、私自身、40年以上も武道・格技の世界に身を置きながらも、そんな「神業」を経験したこともありません。もし、いまでもそんな技が可能だと、また「自分は出来る」という人がいるならば、私が主宰する一撃会、志魂SABAKI修練会で「実践」して欲しいものです。
大山倍達総裁が、「実践なくんば証明なし。証明なくして信用なし」と言ったように、それが本当ならば組手を通して是非とも味わってみたいと思います。
蛇足ながら「実践なくんば~」という言葉は大山総裁の名言(座右の銘)とされていますが、芦原先生は嗤っていました。
曰く…
昔の大山道場の仲間たちはみんな知っちょる話しじゃけん。あのありがたい名言らしきものの原型は黒崎(健時)先生の言葉なんよ。黒崎先生は大山先生にもまして激しい人やったけん、いつも屁理屈は信じん、理屈ほざく暇があれば実際にやってみればええ。屁理屈百回並べても、一度の実践の前には何の価値もない、証明なければ口先だけのごまかしとしか思われん、信用されたければ屁理屈はいらんけん、実際に見せつければいい。それが口癖やった。
ただ黒崎先生の場合はあまりに現実的過ぎて大切な合理性を軽んじるところがあったけん。屁理屈と理論の違いがわからんとこと、何より精神力が必要やという考え方が黒崎先生の限界やったと芦原は思うちょるけん。
じゃけん、実践なくんば証明なしぃ~っちゅう言葉は黒崎先生の口癖から大山先生が拝借しちゃった。これ本当。なっ、面白いやろ
芦原先生は太気拳を決して馬鹿にしていませんでした。芦原先生に半殺しの目に遭わされた、「オランダの巨人・カレンバッチ」は、その屈辱から極真空手を離れて太気拳に移ったわけですが(「芦原英幸正伝」を参照)、何故に極真空手でなく太気拳だったのか?
芦原先生にはカレンバッチの気持ちが判ると言いいます。
曰く…
当時としては確かにカレンバッチは巨人やった。野球のジャイアンツみたいに強かったんやないか。自信も過剰にあった。恵まれた体を持って柔道や空手をやってきたけん、実はヤツに決定的な弱点があったんです。
腰高なんよ、西洋人特有の腰高。西洋人がいくら強くても大相撲じゃ使い物にならんやろ。ハワイアンの高見山とか小錦がいい例なんよ。腰高は相撲や柔道でも弱点になるけん、蹴ったり突いたりいつも体を不安定にしちょる空手なんかやと、それが命取りになるんです。
腰高を矯正するには太気拳は丁度いい。芦原も太気拳澤井先生んとこで練習させてもらったけん、腰の練りとか足捌きとか…いまの芦原空手に生きています。サバキはまずは腰の練りと体軸の安定が基本中の基本じゃけん、それを目的にして中国拳法やるのはええんよ。
それにしても澤井先生も無茶苦茶な人やったけん。組手やると掌底を左右からパチパチッて打ってくるんよ。ありゃ掌底っちゅうよりビンタやな。そんでワシのハイキック(上段回し蹴り)がビンビン入って、鼻血ツーッと流して…。もう老人やのに組手が好きな人やった。そこは黒崎先生に似てるわな。
とにかく中国拳法にも合気道にも学ぶところはあるんよ。ただどっちも直接使う格闘技やないけん。何を学ぶかちゃんと考えんといかんということや。それを勘違いして「腹叩いたら表はなんでもなくて内臓ぐちゃぐちゃにする」とか、仙人にでもなったと勘違いしちょる連中はアホじゃけえ。芦原は神業とか「気」だとか口で説明がつかん神秘の世界にはまっちょる勘違いは大嫌いです。
芦原のサバキは秘技とか神業とか言われるフィクションの世界のもんやないけん。徹底的に合理的なものじゃけん。ワシはただの「空手職人」ですけんね、霞でも食って生きとる仙人やないけん。
自らが学んだ極真空手だけでなく、いわゆる伝統流派の寸止め空手(スポーツ空手)、特に常に「神秘性」で売る中国拳法や古武道に対して、常に厳しい姿勢を取る芦原英幸でした。しかし、どんなものに対しても全面否定をしないのが芦原先生の特徴でした。
1970年代、日本少林寺拳法の台頭に敵対視をしていた極真会館…両者の間には組織的な軋轢もありました。真贋混乱して面白可笑しく語られてきた噂もありました。
それでも芦原先生は日本少林寺拳法の「技」は認めていなかったものの、決して全面否定はしませんでした。
曰く…
これからは少林寺拳法から学ばんといけんことがたくさんある。世の中は、いくら武道の世界でも強い弱いだけで価値が決まるもんやない。寸止めの全日本空手道連盟から学ぶものは殆どないけん。
けどなぁ少林寺拳法は怖いで~。
芦原英幸の日本少林寺拳法論…。
次回の「芦原英幸正伝 Part2」では少し掘り下げてみたいと思います。
当時としては確かにカレンバッチは巨人やった。野球のジャイアンツみたいに強かったんやないか。自信も過剰にあった。恵まれた体を持って柔道や空手をやってきたけん、実はヤツに決定的な弱点があったんです。
腰高なんよ、西洋人特有の腰高。西洋人がいくら強くても大相撲じゃ使い物にならんやろ。ハワイアンの高見山とか小錦がいい例なんよ。腰高は相撲や柔道でも弱点になるけん、蹴ったり突いたりいつも体を不安定にしちょる空手なんかやと、それが命取りになるんです。
腰高を矯正するには太気拳は丁度いい。芦原も太気拳澤井先生んとこで練習させてもらったけん、腰の練りとか足捌きとか…いまの芦原空手に生きています。サバキはまずは腰の練りと体軸の安定が基本中の基本じゃけん、それを目的にして中国拳法やるのはええんよ。
それにしても澤井先生も無茶苦茶な人やったけん。組手やると掌底を左右からパチパチッて打ってくるんよ。ありゃ掌底っちゅうよりビンタやな。そんでワシのハイキック(上段回し蹴り)がビンビン入って、鼻血ツーッと流して…。もう老人やのに組手が好きな人やった。そこは黒崎先生に似てるわな。
とにかく中国拳法にも合気道にも学ぶところはあるんよ。ただどっちも直接使う格闘技やないけん。何を学ぶかちゃんと考えんといかんということや。それを勘違いして「腹叩いたら表はなんでもなくて内臓ぐちゃぐちゃにする」とか、仙人にでもなったと勘違いしちょる連中はアホじゃけえ。芦原は神業とか「気」だとか口で説明がつかん神秘の世界にはまっちょる勘違いは大嫌いです。
芦原のサバキは秘技とか神業とか言われるフィクションの世界のもんやないけん。徹底的に合理的なものじゃけん。ワシはただの「空手職人」ですけんね、霞でも食って生きとる仙人やないけん。
自らが学んだ極真空手だけでなく、いわゆる伝統流派の寸止め空手(スポーツ空手)、特に常に「神秘性」で売る中国拳法や古武道に対して、常に厳しい姿勢を取る芦原英幸でした。しかし、どんなものに対しても全面否定をしないのが芦原先生の特徴でした。
1970年代、日本少林寺拳法の台頭に敵対視をしていた極真会館…両者の間には組織的な軋轢もありました。真贋混乱して面白可笑しく語られてきた噂もありました。
それでも芦原先生は日本少林寺拳法の「技」は認めていなかったものの、決して全面否定はしませんでした。
曰く…
これからは少林寺拳法から学ばんといけんことがたくさんある。世の中は、いくら武道の世界でも強い弱いだけで価値が決まるもんやない。寸止めの全日本空手道連盟から学ぶものは殆どないけん。
けどなぁ少林寺拳法は怖いで~。
芦原英幸の日本少林寺拳法論…。
次回の「芦原英幸正伝 Part2」では少し掘り下げてみたいと思います。