小島一志-公式BLOG

私の日常と、物書きの端くれとしてのエポックやエピソード。そしてチョットした情報…。

昨年12月末に発売された「芦原英幸正伝」(新潮社)の売れ行きが相変わらず好調です。
去る4月25日、大山倍達総裁と芦原先生の命日を記念してYahoo-Newsに拙書を紹介する記事(コラム)が掲載されたようです。恥ずかしながら私は知りませんでした。後日、Yahoo関係者から聞いたところ、なんと1日のアクセス数が30000弱もあったとのこと。この数が多いのか少ないのか私には判断のしようがありません。とはいえ、「滅多にない驚異的なアクセス数」だと教えられました。


ならば…
「芦原英幸正伝」のPart2も予定されているからこそ、このブログでも定期的に「シリーズ」として、私が現実に見た芦原英幸のepisode、または私の取材ノートに残されている彼の「名言」を紹介していこうと思います。
「芦原英幸正伝」もかなりの文章量ですが、芦原先生に関する逸話はあまりにも多すぎて拙書ではほんの一部しか書けませんでした。これから定期的に紹介するepisodeや語録は、あまり詳しい背景や状況については書きません。それらをまとめて「芦原英幸正伝 Part2」にしたいからです。
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Hawaiiから戻って約1か月…なのに日本ではまだまだ花粉症が落ち着いていません。頭も痛くて喉から鼻の奥がイガイガするし、くしゃみも止まりません。

それに、またまた完全夜型の生活に戻ってしまいました。Hawaiiでは遅くとも深夜3時には就寝。朝10時に起きて軽い食事をしてからビーチに直行!!
でかいsteak食べて、新鮮なfruitsにシャブリついてHawaii産のmineral waterを飲んで寝る。夢のパラダイスです。
しかし最近気になることがあります。シナ人の富裕層連中が集団でHawaiiの街を闊歩する姿を見るのが堪らなく嫌です。
彼らシナ人に共通するのは、
並ばない
声が大きくうるさい
平気で道に唾を吐く
立ちションは当たり前
赤ん坊を道端でウンチをさせる
臭い
あらゆる店で、店員に対して暴君ぶる
etc…
とにかく道徳観念が皆無なのです。


最近シナ人に続いてうざいなのが韓国人旅行者。彼らはシナ人に比べはるかに道徳的だし、ある意味では日本人の若者よりも礼儀正しいと感じます。
ただ、夜の歓楽街で何かの事件-喧嘩沙汰などがあると、その過半数が韓国人観光客や地元の韓国系の人たちです。有名なアラモアナショッピングセンターの上手には韓国・朝鮮系の飲食店が並ぶコリアンタウンがあります。殺人事件など凶悪事件エリアとして有名です。
昨年暮れ、在住韓国人の知人の招待で、コリアンタウンの店で食事をしていました。すると突然、数台のパトカーがサイレンを流しながら1ブロック先の飲食店前に到着…韓国人観光客数人がナイフを持っての乱闘だというのです。しかし私たちの知人も店の人も動揺の色を見せません。知人の旦那さんは、
「一昨日も近くで発砲事件がありました。関わらないのが一番です」
とビールのジョッキを飲み続けていました。


おしなべて、シナ人は群れるけれど結束力はなく、コリアン系は集団になると危ない、といった感じです。
ちなみにHawaiiでは東洋人に対して
「Are you China?」
は最大レベルの侮蔑語とされています。そしてコリアンといえば…アブナイ人(dangerous Korean)と思われます。とはいえ、Hawaiiに滞在する限り、韓国・朝鮮系の人たちとは付き合い安い印象です。駄目なのが唯一シナ人です。


でも最近は、ツリ目で顎がしゃくれたババア大統領の「竹島は独島といって我が国のもの!!」と告げ口外交に積極的な異常性にはうんざりです。あまりの酷さに韓国・朝鮮人(日本に帰化した人は紛れもなく日本人なので何の遺恨もありませんが)に対しても偏見の目で見ざるを得なくなってきました。
HawaiiでもよくMediaで扱われます。ただアメリカ人はシナ人が大嫌いですから、シナが関係する事件や問題については殆ど「嘲笑」含みです。コリアンに対しても好感度は想像以上に低いのには驚きです。だからHawaiiのMediaは一貫して「Senkaku-islands is the Japanese archipelago」と書いています。
日本ではTVニュースも朝日・毎日系新聞も自虐史観に溢れ、「靖国神社」言葉ひとつに対してもまるで韓国シナのMediaもどき主張を繰り返しています。


私はそんな卑屈さを謙遜と勘違いしている偽善国家・日本が大嫌いです
嘘にまみれた中韓のロビー活動はアメリカマザーランド(本土)でもHawaiiでも驚く程に盛んです。しかし…日本人は揉め事が嫌いなのか、内気なのか?派手なロビー活動が苦手なようです。
しかし、そんな姿勢は日本国内では美徳に見られても海外からは「主張の出来ない駄目な国」に映ってしまうのです。続きを読む

初めて書きます。嘘のない真実の告白をさせて頂きます。少年時代の私についての話です。


突然ですが「小島一志」は現在の私の合法的かつ正式な氏名(姓名)です。勿論、通名ではありませんし、元々通名はありません。
しかし中学生まで、この世に「小島一志」という名前の人間はいませんでした。戸籍を調べても、「小島一志」は存在しません。そりゃあ日本各地に同姓同名の人物は何人もいるでしょう。それでも生まれた土地(住所)、生年月日が同じ人物は皆無~世界中のどこにもいなかったのです。そうです。
私、「小島一志」という人間は中学生まで「無」だったのです。

理由は書きません。
その理由を明らかにする為に、いつしか私は小説を書きたいと思うようになりました。


そして私は、まだ「小島一志」でなかった時代…人を刺しました。私の親父は表向きは堅気の看板を掲げながらも、根っからの博徒でした。昼は賭将棋、夜はサイコロや花札が飛び交う鉄火場でした。
そんな親父は護身の為か刃物をその辺に転がしていました。ダンビラ(日本刀)やドス(短刀また脇差し)は研ぐのが大変だと言って箪笥の間に何振りか隠していました。
ただ太平洋戦争で使われた日本陸軍の銃剣は手入れが簡単という理由で家中に2、3振り常に転がっていました。暇があると、親父は砥石で刃を磨いでました。
「磨ぎ過ぎて大分短くなっちまった」
本当に新品(払い下げ品)に比べると2/3位の長さと幅になっていました。代わりに新品より数段鋭くなっているのが一目で判りました。
「これは斬るもんじゃねえよ、刺すもんだ。相手がオーバー(コート)を着ていても力を入れるのは最初だけ。後はスーッと腹の中に吸い込まれていく。そしたら最後に刃をぐるっとえぐるように回すだけ。こんなもん子供でも殺せるわ」
親父の口癖でした。
ただ、私は親父が銃剣の話をする度に強く拳を握り締めていたのを覚えています。
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