初めて書きます。嘘のない真実の告白をさせて頂きます。少年時代の私についての話です。


突然ですが「小島一志」は現在の私の合法的かつ正式な氏名(姓名)です。勿論、通名ではありませんし、元々通名はありません。
しかし中学生まで、この世に「小島一志」という名前の人間はいませんでした。戸籍を調べても、「小島一志」は存在しません。そりゃあ日本各地に同姓同名の人物は何人もいるでしょう。それでも生まれた土地(住所)、生年月日が同じ人物は皆無~世界中のどこにもいなかったのです。そうです。
私、「小島一志」という人間は中学生まで「無」だったのです。

理由は書きません。
その理由を明らかにする為に、いつしか私は小説を書きたいと思うようになりました。


そして私は、まだ「小島一志」でなかった時代…人を刺しました。私の親父は表向きは堅気の看板を掲げながらも、根っからの博徒でした。昼は賭将棋、夜はサイコロや花札が飛び交う鉄火場でした。
そんな親父は護身の為か刃物をその辺に転がしていました。ダンビラ(日本刀)やドス(短刀また脇差し)は研ぐのが大変だと言って箪笥の間に何振りか隠していました。
ただ太平洋戦争で使われた日本陸軍の銃剣は手入れが簡単という理由で家中に2、3振り常に転がっていました。暇があると、親父は砥石で刃を磨いでました。
「磨ぎ過ぎて大分短くなっちまった」
本当に新品(払い下げ品)に比べると2/3位の長さと幅になっていました。代わりに新品より数段鋭くなっているのが一目で判りました。
「これは斬るもんじゃねえよ、刺すもんだ。相手がオーバー(コート)を着ていても力を入れるのは最初だけ。後はスーッと腹の中に吸い込まれていく。そしたら最後に刃をぐるっとえぐるように回すだけ。こんなもん子供でも殺せるわ」
親父の口癖でした。
ただ、私は親父が銃剣の話をする度に強く拳を握り締めていたのを覚えています。
冬のある日の事です。

私はそんな親父の銃剣で本当に人を刺したのです。最初から斬るつもりはありませんでした。ただ、右手で逆手に銃剣を握り、敢えて切尖と刃を腹部横に向けながら相手に体当たりをしたのです。
当然、殺意ある行為です。
私の計画は教師3人の殺人でした。
常日頃から私をクラスの笑い者にし、私の出自や家庭環境について大声で噂話をし、嘲笑していた教師たちでした。今でも名前をはっきり覚えています。
郡司(男、学年主任)
大高(女、1年生の担任)
村田(女、3年生の担任)
敢えて「名字」だけに留めておきます。
残念ながら…私の目的は成功の手前で頓挫しました。この件に関して私は現在でも一切の罪悪感もなく、失敗した事が悔しくてなりません。勿論、3人の教師への憎悪は変わっていません(かといって今更どうという思いはありませんが…)


世間から疎まれ、
大人たちからは蔑みの笑いで見られ、
教師たちは決して私の眼を見なくなり、
不良たちは私を無視し、
賭場と化した家、
複雑な家庭、
不浄な血脈、
酒乱で暴力一辺倒の親父、
次々とオトコとの浮き名を流し、ガキと家庭を棄てたバイタ女、カレーライスも作れなかったメス豚。
極貧と諦念、血と暴力、孤独と恨み…


それから紆余曲折を経て数年後、私は「小島一志」になりました。
最低最悪の環境の中で「悪行」を恥じる事も知らなかった私が、中学3年の春…別人に生まれ変わったのです。
私は初めて名実ともに現在の「小島一志」になったのです。


そんな45年前、「小島一志」ではない私の過去を小説に描いてみたいのです。
それが私のLAST-WORKなのかもしれません

※就活ならぬ「終活」と言っていいのやら。芦原先生との約束を果たした私の最後の夢!?
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※当時の私を何かの理由で知り、それをネタにある事ない事、吹聴する人間がいたら私は絶対に許しません。今はNetクリーニングやNetリサーチを専門にする優秀な探偵社が林立しています。契約Netリサーチ探偵社に依頼して「個人」を割り出して貰います。

※ノンフィクション=ルポルタージユ専門の小島ですが、各版元の皆さん。「大山倍達正伝」や「芦原英幸正伝」を読んだ上で、どうか私に以上のような「半生」をもとにした小説を書く機会を与えて下さい。連絡お待ちしています。
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