2010年08月19日

ハイサイおじさんを復活せよ!

甲子園から消えた「ハイサイおじさん」!!

甲子園の応援歌として定番だった「ハイサイおじさん」が今年は演奏されていない!!
チャンスを盛り上げる定番曲だったのに、新応援歌「ヒヤミカチ節」の登場で、ハイサイおじさんがいなくなっちゃった( ̄ω ̄;)

事の発端は、今年7月の地元紙に、

遊郭を遊び歩く酒飲みおじさんをからかう原曲の歌詞が、
高校野球にそぐわない。


という投書が掲載されたことから、興南高校野球部OB会が使用自粛を決めてしまったそうだ。

消えた「ハイサイおじさん」をめぐって、twitterにも「ハイサイおじさんの真実」なるつぶやきが出回っているが、一部デフォルメされた内容になっているようなので、この曲の作者である喜納昌吉氏本人の本から真実を引用します。

アル中のおっさん「ハイサイおじさん」の真実とは…


 


ラミス 喜納さんは、終戦直後に生まれた世代ですね。

喜納  一九四八年生まれです。沖縄は戦争被害が大きかったから、戦後復興期というまだまだ貧しい時代でした。「おじさん」に出会ったのは、私が四、五歳くらいだったから、一九五〇年代の初めごろのことではないかと思います。

ラミス ハイサイおじさんには、モデルになった方がいるのですね。

喜納 実在します。小さいころ、隣に住んでいたんです。こちらが後から越してきて、それからつきあいが始まったのだけどね。私と年の近い子どももその家にいて、親しくしていました。初めのころはおじさんもまともだったし、家族も健全だったから普通につきあえました。でも、酒の量が日に日に増え、だんだん元気を失っていった。酒のせいで、明るいおじさんが正気でなくなっていったんです。

ラミス 何かつらいことが、あったのでしょうか。

喜納 戦争が終わって復興が進むんですが、やっぱり戦前の沖縄には戻れないんです。多くの住民は共同体を失い、生活はアメリカ化するし、ヤマトの文化も入ってくる。心の穴を埋められないうちに環境が激変してしまったものだから、おじさんみたいな不器用な人はついていけなかったのだろうと思います。

ラミス そんな人、きっとたくさんいたんでしょうね。

喜納 当時は家を失った人たちがたくさん路上で生活していました。今でいうホームレスですね。そのおじさんが、家庭もあるのに、ホームレスの女の人を家に連れてくるようになったんです。そのころの沖縄には、男女の関係なく、身寄りも住む場所もないなんて人が、まだまだたくさんいました。よく、報道番組で難民の映像とかが出てくるでしょう。あんな感じですよ。

ラミス 面倒を見てあげよう、という気持ちなのでしょうか?

喜納 おじさんは、私に「戦前、自分は校長先生をやっていた」と言っていたんですね。そのころは信じていたけど、後で知ったらぜんぜん違っていた。実は私たち子どもの関心を引きたいがためにウソをついていたらしくて。学校の先生になるにはそれなりの教養がいるから、校長先生といえばそれだけで一目置かれたわけです。本当は、那覇の遊郭へ人を運ぶ馬車引きだったらしいんです。しかし戦争によって、遊郭も馬車引きの仕事もなくなってしまった。おじさんもきっと、喪失感が大きかったのではないでしょうか。帰るところがない女の人に、同情というか、自分の姿を重ねてしまって、放っておけなくなったのではないかと思います。

ラミス それで、女の人を家に連れて帰った。

喜納 次第に、もめごとが絶えなくなって、家族が荒れていくんです。そんなふうになってから、しばらく経ったあの日、私は事件の予兆というか、不吉なものを見てしまった。

ラミス 不吉なもの……。

喜納 ある日の明け方、私は家の畑で用を足していたんです。小雨が降っていたけど、ちょっとの間なので気にせずしていたら、暗がりの奥に、女の人が立っている。髪をだらりと垂らし、ずぶ濡れになりながら……。幽霊だ、とその瞬間は思ったけど、よく見ると、隣のお母さん、つまりおじさんの奥さんだとわかった。おじさんの家族がかなりの瀬戸際に来ているということを、それをきっかけに感じるようになりました。それから何ヶ月も経たないうちに、事件が起きるんです。

ラミス 事件?

喜納 学校の帰りに、おじさんの家で何か大変なことが起きたらしい、という話を聞いて、おじさんの家に寄ったんです。そして、窓の外から覗いてみたら、玄関の脇に毛布にくるまれた小さな塊がある……。警察も来ていてね、だんだんそれが子どもの死体だとわかってきた。

ラミス そこの家の子どもですか? 奥さんが殺したということ?

喜納 その毛布にくるまれた死体には、首がありませんでした。というのも、奥さんは自分の子どもをまな板に置いて、鎌で首を切り落としたそうなんです。

ラミス (絶句)

喜納 沖縄にはシンメーナという大鍋があります。土間の台所で、薪をくべてその大鍋で、奥さんはその中に子どもの頭を入れて、そのまま煮てしまった──。

ラミス ああ……。

喜納 そのときの彼女の言葉が強烈だった──「自分の子どもなんだから、食べてもいいでしょう!」と。最初に死体を発見した向かいのおばさんは、その一年後くらいかな、亡くなってしまいました。あの事件のショックが大きすぎて……、という噂でしたね。 この事件を通して、沖縄戦で生き残った人たちが、さらに自分たちの内に残っている戦争の狂気を改めて認識したのではないかと感じました。実際、戦中、死ぬ恐怖、孤独になる恐怖に曝され、いっそのこと死んだほうがましだ、と思っていた人がいっぱいいたわけです。連綿と続く恐怖から解放されたいと。破滅を目の当たりにする恐怖に耐え切れない気持ちが狂気となり、戦争が終っても残ってしまっていることに、多くの人が気づいたのではないかと思います。

 その後、この奥さんも精神病院に入れられましたが、退院した後、自分のやったことの恐ろしさに耐えられなくなって自殺した、と風の噂で聞きました。戦争の惨さというものは、たとえば今のイラク戦争の死者が何名とか発表されますが、そういった表の数字だけで読めるものではないということです。この悲劇からわかるように、そのトラウマから見ていく必要があるということです。

ラミス 事件の後、喜納さんのお宅はどうされたのですか。

喜納 その後、そう遠くないところに引っ越したんですね。そこに、一人生き残ったおじさんが訪ねてくるようになりました。

ラミス その後のおじさんは、どうなってしまったのですか。

喜納 なにせ狭い社会ですからね。もう、嫌われ者、村八分ですよ。ただでさえ酒飲んで迷惑をかけているうえに、あんな事件もあったから。それに、大人たちが露骨に排除するから、近所の子どもたちまでがおじさんを追いかけて石を投げたりしてからかうようになりました。

 当時、私の家には、泡盛の一合瓶がたくさんあったんです。父が民謡を歌う仕事をしていましたので、謝礼として頂いてくるんです。それを目当てにおじさんは来るようになって、最初のうちはよかったんだけど、あんまり頻繁なものだから、最終的にはうちの家族からも拒絶されるんですね。

ラミス (うなずく)

喜納 親は追い返すんだけど、でも、私はなぜか帰れとは言えなかった。そんなわけで、おじさんは私を訪ねてくるようになるんです。おじさんは、訪ねてきたことを知らせるために、『ナークニー』という民謡を歌いながら通りを歩いてくるんですね。それが聞こえてくると、私は親がいないのを見計らって、おじさんに一合瓶を一、二本いつも渡していたわけ。

ラミス おじさんを嫌いにならなかったのですか。

喜納 おじさんは、いつも子どもたちに石を投げられていたんだけどね、あるときめずらしく怒って、反撃に出る場面に遭遇したんです。おじさんが石を投げ返すと、子どもたちはワーッと逃げた。でも実は、その石は頭上に投げていて、そのまま落ちてきた石が自分の頭にカコーン、と(笑)。その瞬間、おじさんと私の目が合ったの。滑稽さがなんともいえなくてね、それをきっかけに、おじさんと自分が深いところでつながってしまった感があるんです。

 不器用で、世間にうまくなじめなくて、立ち直れない部分は誰にでもある。心のネガティブな部分ですね。子どもながらに、それを否定して向こう側に追いやって自分は違うんだと安心するのは違うのではないか、と思ったのでしょうね。誰もがなかったことにしたい地獄を、おじさんが一人で背負っている。一人で傷を引き受けている。おじさんは自分であるかもしれないのに、と。

 でも、おじさんは非常に生命力のある人だった。石を投げられても、あれだけの十字架を背負うことになっても、酒を飲んで笑い続けていた。道端で寝ているところを車にひかれて、顔半分大けがをしたこともあったけど、ぜんぜん平気でね。たとえそこが地獄でも、おじさんは生きていかなければならなかったんでしょう。だから『ハイサイおじさん』は、生命力を後押しするような曲になったのではないかと思うんです。

反戦平和の手帖

喜納昌吉 C・ダグラス・ラミス
『反戦平和の手帖』 集英社新書より。


忘れちゃいけない戦争の狂気を。



posted by しっぽ♪ at 13:05 | 沖縄 晴れ | Comment(9) | しっぽ♪ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めてハイサイおじさんの真相を知りました。
何と言うか…あまりにも衝撃的な真実に言葉もありません……。
Posted by 氷龍 at 2010年08月19日 21:40
断片的には知っていましたが、ご本人の言葉で書かれていて、これが真実なんですね。
人の心はスイッチを切り替えるようには変わらない事を改めて痛感しました。
Posted by 鉄 at 2010年08月19日 21:55
> 氷龍さん、鉄さん

コメントありがとうゴザイマス。

書くのはタブーとも言われましたが、事件だけが一人歩きして噂話のようになっていたので、あえて本から引用しました。

この曲の背景がみえて、もっと好きになりました。
Posted by しっぽ♪ at 2010年08月19日 22:29
この本、発売してすぐに読みました。
今も家にあります。
本をめくったら、2006年の初版でした。
このときは、こういう背景だったのかーーー!!!とたしかに衝撃を受けました。


でも、今回の興南のことって、本当に投書が原因なのかどうか、実は「口実」なんじゃないかって思っています。

だって、沖縄じゃある意味もっと過激な歌詞の「海のちんぼーらー」をどこの小学校でも小学生が運動会で踊りますもの。
http://chibariyo.ti-da.net/e587130.html
(←懐かしの記事!笑)


あくまで個人的な憶測ですけど、民主党に属する喜納昌吉さんへの批判が「ハイサイおじさんを使わない」ということに含まれているんじゃないのでしょうか?

実際、以前はともかく、普天間が民主党によって再び辺野古へ強引に回帰させられてから、喜納昌吉議員への批判はあちこちで聞きますし、選挙ポスター何百枚もに一晩の間にすべて「×」印が大きく書かれたという事件もありました。

そういう県民感情があるからこそ、投書をある意味「いい好機」ととらえて演奏しなくなったんじゃないのかなぁ…。。。

Posted by よーかい at 2010年08月19日 23:32
> よーかいさん

よーかい説は合点がいくなー。→なんでいまさらってかんじだもん。

そりなら西武門もちんぼーらもとっくに放送禁止になっちゃうってもんだ。
Posted by しっぽ♪ at 2010年08月20日 00:01
どうせ、そんなツマンネェ投書を載せたのは「沖縄の東スポ」こと『Tムス』でしょ。
対するS報には『観客から「聞きたい」という声が相次いでいる』って記事載ってるから。
なんにせよ、ツマラン外野どもに振り回される球児がカワイソウ…。
(過激だと思ったら消してネ…)
Posted by かり管1号 at 2010年08月20日 18:58
ついに決勝戦でハイサイおじさん復活したどー(^^)!
Posted by もたち at 2010年08月21日 14:21
尼崎高校の羽地センセ、ハイサイおじさんありがとう♪
Posted by しっぽ♪ at 2010年08月21日 21:00
民主党に属する喜納昌吉さんへの批判?
うんこ以下が沢山いることに残念でならない。
そんなマスゴミ&クソ政治の問題を高校球児まで巻き込むとはそうとう腐ってるよや。
うすま政治家ぬちぶるすぐりちゃいよや〜くすまやたぁよ。いっぺわじわじすっさぁ
Posted by y at 2010年08月22日 17:10
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