ここから本文です
[PR] 

<日朝合意>遺骨収集なるか 待ち望む遺族たち

毎日新聞 5月30日(金)0時36分配信

 第二次大戦後に北朝鮮では3万5000人以上の日本人が亡くなったとされる。北朝鮮は今回、終戦前後に域内で死亡した日本人の遺骨や残留日本人の調査も約束した。遺族や関係者は新しい事実や埋葬地の発見、遺骨収集につながるか、息を凝らして待ち望む。

 「何とも分からない」。千葉県船橋市の新井マスミさん(74)は複雑な心境だ。旧満州の新京(現長春)から引き揚げる途中、3歳だった弟を栄養失調で亡くし、平壌近郊の竜山墓地に埋葬した。

 新井さんは一昨年訪朝。竜山墓地について「2度移転した」と説明されたが、どこに遺骨があるかの手がかりはなかった。「弟だと分かる遺骨があるならよいが、無理だとあきらめている。共同墓地か何かを作ってあげたい」と話した。

 船橋市の山澤透さん(82)は「淡い期待を持った」と話す。父佐一郎さんは平壌で死亡したとされるが、状況や埋葬地は全く分からずにいる。

 終戦時に平壌覆審法院(へいじょうふくしんほういん)(高検に相当)の検事長だった佐一郎さんは北朝鮮当局に拘束され、1948年を最後に連絡が途絶えた。赤十字を通じて56年に「服役中に放火・反逆のため処刑された」と連絡があったが、山澤さんは納得していない。それだけに今回の発表には「向こうがどこまで本気でやってくれるか」と疑念をのぞかせた。

 北朝鮮に置き去りになったまま不明の家族を待つ人もいる。

 横浜市金沢区の小泉恒子さん(75)は、北朝鮮西部の長淵(チャンヨン)で別れたまま50年以上消息が分からない妹恒代さん(68)を待ちわびる。「妹も取り上げていただければうれしいが、雲をつかむような話」と戸惑いを隠さない。

 1946年生まれの恒代さんは生後まもなく家族から引き離されて農家に引き取られた。家族は散り散りになりながら帰国したが恒代さんは残された。母芳子さんの必死の訴えで赤十字を通じて61年に生存を確認でき、恒代さんから翌年手紙も届いたが、その後連絡がつかなくなった。芳子さんも2004年に90歳で亡くなったという。【青島顕】

最終更新:5月30日(金)1時17分

毎日新聞

 

PR

ブラジルワールドカップ特集

注目の情報