今日はマナーを守ることについて考えてみようかと思う。
— りょう (@ogataryo) 2014, 5月 29
マナー (英語: manners) とは、行儀・作法の事を指す[1][2]。
と、ありました。
では、行儀はというと、kotobankには
1 礼儀の面からみた立ち居振る舞い。また、その作法・規則。「―よく座る」「―が悪い」
2 しわざ。行状。「悉皆(しっかい)盗人の―か」〈浄・大経師〉
3 仏語。行事の儀式のやり方。
とあります。
また、作法とは
人間の社会生活にかかわる多くの慣習やしきたりのうち,ふつうとくに起居動作,言語,身なりなどに関する正しいとされる方式を作法と呼ぶ。日常生活の作法はおおむね習慣化されており,破られてはじめて気になるような非意識的な形式である。そして破られた場合にも,その制裁は法的規範の場合とはちがって,せいぜい交際仲間からのけものにされるという間接的な社会排除にとどまる。また,ある社会では3本指で食べるのが作法であるのに,ほかではフォークで,あるいははしで食事するのが決りであるといったように,作法の形式はたいてい,そうでなければならないという合理的根拠を欠いていて,一部の社会階級が好んで始めたものを,ほかの階級もとり入れることによってしきたりとなったものが多い。
そして破られた場合にも,その制裁は法的規範の場合とはちがって,せいぜい交際仲間からのけものにされるという間接的な社会排除にとどまる。
この部分ですね。
作法の形式はたいてい,そうでなければならないという合理的根拠を欠いていて,
法律のように明文化されておらず、各々の価値観の上に成り立ってるものなので、声高に「マナーを守れ!」と叫んだところで、基準自体がそもそも曖昧なのです。
最近では、
「エスカレーターでの歩行は控えましょう」
という内容のポスターもよく見かけます。
こちらは浸透してないのか、わかってるけど時間的な問題からなのか、あまり守られてるとは思えませんが。
そして、つい数ヶ月前、
「ベビーカーに関しては、折りたたまずに乗車可能」
って、国土交通省が発表したようです。
これは大きな前進だなーと思いました。
ベビーカーを折りたたまないのが良いかどうかはともかくとして、曖昧だったベビーカーのマナーが明文化されたのです。
これによって、少しは車内でのベビーカーの使用がしやすくなるのではないかと思います。
ベビーカー論争の中の、
「ベビーカーは折りたたむべき!」
「いや、無理だ!」
の論争に終止符がうたれたわけですから。
もちろん、満員電車での使用や、複数台で集まって乗車してて邪魔になる、などの論争は、まだまだ続くと思いますが、少なくとも、たたまないで乗車することに関しては、文句は言われなくてすむわけです。
マナーってなんのために守るかっていったら、私は、周りの人に不快な思いをさせないため、という他に、自分を守るために守るべきだと思っています。
基準が曖昧ではありますが、マナーを守っていれば、批判される確率はぐんと減るし、例え批判されたとしても、堂々としてられるし、そういうのは、周りの人も見ててくれます。場合によっては、助けてくれるでしょう。
でも、もしマナーを守っていなければ、批判されても反論できないし、周囲の理解も得られないでしょう。
悲しいのは、一部のマナーを守れない人がいることで、その人の属するコミュニティ全体が批判されてしまうことです。
これって、例えば喫煙者にも言えることだと思います。
街を見渡せば、タバコの吸い殻がいたるところに捨てられてるし、先日なんか空き箱までポイすてされてたし、禁止区域での歩きタバコもよく見かけます。
そんなこともあってか、最近ではどんどんと喫煙スペースが減っていき、喫煙者はかなり迫害されてるなぁ、と思います。
もちろん、喫煙の場合は副流煙のこともあるので、一概にマナーだけの問題とは言い切れませんが、それでも、喫煙者全員がマナーを守れてれば、ここまでにはならなかったかもしれません。
長くなってしまったので、そろそろまとめに入りたいと思います。
つまり、マナーを守るのは、周りのためでもあり、自分のためでもある。
自分を守るため、また、自分の属するコミュニティの他の人を守るため、しっかりマナーは守って欲しいと思います。
ま、そのマナーが一部曖昧だってのが、また問題ではあるんですがね。
なんだかうまくまとまらなかったなー。
マナーについては、これからも考えていきたいと思います。
おしまい。
「キング・オブ・コメディのボケの方の人に似てますよね!」は、褒め言葉か否か。
— りょう (@ogataryo) 2014, 5月 29
↑このtweetはマナー違反だったかなぁ・・・。