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富士宮ボーイ掲示板

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No.39190 勧心本尊抄は・・・ 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 23:57:58 ID:d0b37af63
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>>39189
大白の現代訳を含めて ざっと読んだ事がありましたが
現代に於いて当てはめるのなら 情報工学に等しいものがあるんじゃないのかなぁ・・・と
スパイをやるにはもってこいの内容だと 個人的には感じましたけれどね
特に秘す部分は『観察者バイアス』の要素も見受けられるし・・
その理由だって『後付けバイアス』を恐れた側面だってありますし

だから・・と言って これが全てとは思いませんし
その秘す事によって発生する妄想の弊害に関しては回答が出来ていない御書で
それを富木さんに宛てた・・が故に 本人が逝かれちゃって・・


そんな処でしょうか?
No.39189 (観心本尊抄)の感想  投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象 投稿日:2014-05-29 23:07:39 ID:f56eabb75
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御本尊のことを真摯に知りたいなら、「観心本尊抄」を読みましょう。
これも知らずに批判しても、大聖人の御本尊が分かるわけありません。
読めと言っても、どうせ読まないでしょうから、いっしょに読みましょう。

最初から最後の一文まで、一貫した内容として理解できるのは、学会の立場に依る
しかありません。昔日の日蓮正宗の義からは遠く離れた今の日顕宗を始め、各宗
派の理解なんかではとても無理です。

本抄は、如来滅後五五百歳始観心本尊抄(P248)、つまり「観心の本尊」について
述べらた御抄です。その送状(P255)にも「観心の法門」を注したとありますから、
これを他のテーマだと思う人はどうかしてますよ。

そして、その送状には、「未聞の事」、「人耳目を驚動す可き」だから安易に人に
見せるなとあります。本文にも同様に「堅固に之を秘す」(P242)とか、「前代未聞」
で「耳目を驚動し心意を迷惑す」(P249)るんだと。一体、何がそんなに秘密なのか。
とにかく、そういうことが書いてあるんだから、少なくても、前代未聞の驚くべき
内容が書かれてなければ、おかしいはずですよね。

もし、これを単に戒壇の御本尊を建立したとか、本門の釈迦仏象を立てたと理解し
てしまえば、全然、驚けません。「あっそ」で終わってしまうから。またそれでは、
ただ本文を断片的にした中での解釈でしかなく、内容の大半の必要性が不明です。
だから他宗の理解は、全く遠く的外れな理解というわけですよ。

何度も言うけど、この御抄は「観心の本尊」の説明なんですよ。

そして、観心の本尊抄を読む前に、実は、一番大切な視点なんですど。この御抄も
これだけ秘密だとか、難解だと言われてるんだから、きっとそれは悟りを超えた仏の
境涯で書かれてるからだと思ったら、そんなの大間違いです。確かに仏の境涯で書か
れてますけど、書かれてる表現は、なんと、そのこと自体に驚くけど、信仰していな
い人でも分かるように書かれています。大聖人はこの御抄を「理即の我等」(P242)
の立場で書かれてますよ。そして対告衆は普通に世間の学者ですよ。そんな人達にも
平易に信仰の奥義が説かれてるというわけです、堂々と。いかに偉大な仏の力用か。
姑息に悟りを開いたのだとか偉ぶって説いてる人たちとはわけが違います。

本文の最初から、一念三千の説明が始まって、その意味するところは、つまり誰しも
仏界があるんだよって、そんな説明がずっと続きます。十界の言葉で説明してても、
ここで言いたいのは仏界のことです。でもまだそうとはっきり言ってはいません。
ただし十界を見るには法華経とか止観の明鏡がないと見えないんだよと、本尊が必要
なことにもそれとなく触れています。
それで凡夫の中にも仏があるんだっていうけど、なかなかそんなの信じられないよっ
て言う話で、ここまでで4頁半を費やします。ずいぶん多いですね。何故、この部分
にこんな長文が必要なのでしょう。なかなか信じられないと言っても、凡夫に仏性が
あることなんか今更、天台の引用を見ても前代未聞じゃありませんね。
凡夫の中に仏がある、これが後の大きなテーマにつながるからですよ。だから詳述さ
れてるんです。

そして急に「此れより堅固に之を秘す」と述べられて、その後は、今度は、釈尊がど
れだけ偉い仏なのかを、具体的に過去の因位の修行の無尽さや、その結果の仏として
十方世界で活躍してきた姿を述べて、それで、やっぱり我等の己心にそんな偉い仏が
いるわけないよ、だから天台大師の誤りだろ、みたいな話がまた続きます。
ここも同じような内容のようですが、まだ少しぼやけてるけど、これまでの漠然と
仏性があるというだけでなく、もう少し踏みこんで、釈尊の莫大な因位と果徳が凡夫
の一念に含まれていることにまで論理的に帰結をしています。確かに、ここまで具体
的に述べられてると、「えっ」て思いますよね。そんな修行したことないって。

それでもそれが仏説なんだから正しいんだと結論を導かれるのに、さらに4頁分、も
う本抄の半分を超えます。それからいよいよ大聖人の独自の解釈を述べられます。
「六波羅蜜自然に在前す」等と、修行をする前に元々私達に修行の成果があるんだよ、
経典や釈を引用されて、それを引き出せるのが妙法なのだと。ここで結論として有名
な御文が登場します。

『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然
に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」』(P246)

妙法蓮華経の五字を受持すると、仏が説いてきた全ての功徳があるということです。
でも誤解しないでほしいのは、これを前代未聞と思う人がいたら、大聖人のこれまで
の二十年の教導はなんだったと言うのでしょうか。秘密にしてませんでしょう。

そしてこれに続いて重要な表現をされます。大聖人の本仏観が正確に表されています。
これまでも「説己心中所行法門」と述べられたけど、ここまで明確にされていません。

『我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く「我
本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり、」等云云、我等
が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、』(P247)

五百塵点あるいは無始の教主釈尊も、地涌の菩薩も、我等の己心の仏と菩薩なんだよと。
これは実在の釈尊を別枠にした上で、己心にも仏があるんだよと言われてるんじゃあり
ませんからね。久遠の釈尊を表す経文をそのまま使って我々に当てはめて、それを久遠
の本仏だと言われてるいます。つまり実在の釈尊が久遠の昔に成仏したことを、我々と
別個ではなく同一視しています。だから「諸仏随って滅尽す」(P247)です。
補足として十字御書も見てみましょう。

『抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば或は地の下と申す経文もあり或は西
方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、
』(十字御書P1491)

大聖人は本来こういうお考えですね。委細に尋ねれば、全て己心の物語なんだと。
観心本尊抄ではこのすぐ後にも、己心法門であることを重ねて述べられ、釈尊の歴史を
否定し、「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」(P247)と示されています。

昔の仏教を信じる人にそんな見解があるのは不思議かもしれませんが、各経典によって
十方の仏や東西南北の仏の名前や数が異なるんですから、昔の人だって、全部、成り立
たたない、方便だと理解されるのは、常識の範疇だと思われます。
とはいえ、己心に仏があるという視点はそれほど驚きませんが、仏が完全に常住である、
五百塵点劫すら破してしまうと、久遠本果の仏がいなくなってしまうのには驚きます。
これまで本尊だった仏がいなくなって、実はそれは己心だ、そういう帰結になります。

この我々の己心の仏を現実に湧現させた姿こそが、本抄のいう観心の本尊です。
祈る対象の御本尊のことではないんですね。
No.39188 数日ほど、お邪魔します(現在、作文中) 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象 投稿日:2014-05-29 20:39:57 ID:f56eabb75
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秋晴れさん、
御好評だと聞くと嬉しい限りなのですが、でも心のどこか、本当に聞きたいのは、
貴方の本心の声だったりします。鋭い批評をいただけるように頑張ります。


阿部日ケーンさん、
種々のお気遣いありがとうございます。
でも、何日も滞留するつもりはありません。私は、向いてないと思うのですが、
どうしても伝えたいことがありまして、幾点かだけ投稿をさせてください。


マグマグさん、
重ね重ね、長文で申し訳ないのですが、あと3つか4つだけ、流させてください。
私は普通の視点での情報しかありませんが、その情報すら得られない法華講員に
何の機会も与えられないのが、申し訳ないだけです。お願いします。
No.39187 むむむ?爆笑。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-29 18:09:57 ID:79fdb1555
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>>38348
>>
>>では、もうあべひさんとはこれきりのようなので、お別れですね。
>>
>>お元気で。さようなら。
>>

もともと「さよなら」したのは、あなたの方ですよね、笑。。。
もう何度もありましたよね、笑。。。

秋晴れさん、あなたは適当なことを言ってあちらこちらを徘徊されていますが、
そう言う人、私は個人的に好きじゃないんです。それだけですよ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39186 高温警報。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-29 16:15:49 ID:97b7c6d1e
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今日は午後2時の段階で気温が40℃になり、
先週からの高温注意報が高温警報になったので、皆退勤することになりました、笑。

いや、笑いごとではなく、本当に異常です。
この時期にこんなに暑いのは、半世紀ぶりだそうです。

尚、去年は建国以来の寒さで最低がマイナス15℃、が、今年は暖冬。
これから来る夏はいつもよりずっと暑いだろうと思いやられます。

また涼しくなったら書かせて頂きます。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39185 ちなみに・・歩く象さん 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-29 12:49:26 ID:c171fb90b
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※投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象印

     ↑
このように、他人のHNに似せて(疑似HN)イヤガラセをしてくるのも
アラシさんの特徴です。
最初から腰を据えて対話をするつもりなど毛頭なく、だれかを揶揄することのみで
自己の存在意義を証明せざるをえない、かわいそうな方です。
このタイプの方は「知的探求」よりも、「恥的」な表現をこのまれる傾向があるので
できるだけ相手にしないでください。

No.39183 重い荷物を背負ってよたよた歩く象さんへ 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-29 12:15:37 ID:c171fb90b
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“重い荷物を背負ってよたよた歩く象”さん初めまして。

沖浦さんの掲示版での書き込みを拝見しました。
こちらの掲示版は十数年も前から「議論」をする掲示版として開設されております。
主張を掲載すると、なにがしかの反応がありますが、基本「捨てハンドル」や
「名無し」で来訪される方は、以前に「富士宮ボーイ掲示板利用上の注意」
http://fboybbs.dip.jp/kiyaku.php  に反し
コテハンさんの多数決をもって、書き込み停止、または、投稿自動削除の決議を
受けられた方である可能性が大です。
簡単に言えば掲示版アラシさんです。

某掲示版のように、実名でコメントをよせろとか、功徳を書け等々、書き込む際に
なにかを強制されるものではありませんが、利用上の注意の第一項
「自由に自分の思想信条を述べ、議論する場」を尊重していただければ幸いです。

それにしても、興味深いHNですね(笑い)
あまりにも長いので「歩く象」さんと呼称させていただいてよろしいでしょうか?

No.39182 >>39174マグマグさんへ 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014-05-29 07:39:30 ID:28a3bfec7
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>>39174
>>
>>秋晴れさん、あなたももう来られなくて結構ですヨ。
>>
>>さようなら。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>

今度は何が癇に障りましたか?笑
それはいいとして、【研究報告】本尊書写の大権、有難うございました。
例の松岡氏の論考の掲載された著作、私も持っておりますが、
単独で「本尊書写の大権」を読ませて頂いても、一読者として、大変に分かりやすかったです。


No.39181 レスがあって嬉しい^^ 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象 投稿日:2014-05-29 06:02:04 ID:f56eabb75
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マグマグさん、はじめまして。よろしくお願いいたします。
(長文でした、申し訳ありません。)

あと、名無しのボーイさんからは、阿呆だと感想をいただいてました。
もう少し分かりやすく言っていただけると私の参考になるのですが。

別の名無しのボーイさんには、御感想ありがとうございます。
でも読まれていないのか、捏造のようになっているが気になります。
私は平成5年を「一時的な対応だった」なんて言ってませんよ。この言葉どこから来ました?
また「結論も出せますよ」の部分もまるで私の文章に無関係です。
大石寺に純潔云々、汚された云々は妄想ですね。これも学会の姿を通しての妄想でしょう。

秋晴れさんは、対話が難しいだなんて!全然そんなことないですから。
避けられるとこっちがショックですよ。
No.39180 あべひさんや 福島の壮年さんへ 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 03:32:45 ID:c0cbe623f
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>>37549
>>福島の壮年さんも、似たような不快感を覚えられたようですね(笑)
>>
>>※なぜ、上記URLでの私の記述が、それに続く論述になるのかが理解できませんが
>>
>>
>>Aの論調とBの論調を強引に結びつけ、かつ、多重ハンドルのアラシさん自身の
>>「主張」が曖昧ないで記事としては読むに値しない内容です。
>>
>>最近フライデーでも同じような記事があったそうで凪論さんが
>>話題にされています。
>>
>>http://blog.livedoor.jp/patriotism_japan/archives/51923395.html
>>

如何でも良いのですが あなたが紹介し 絶賛した凪論【なぎろん】さん
何か問題があったようで 最近 閉鎖に追い込まれましたよ
(どうやら千葉動労の事で『やらかした』みたいですね)

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/net/1399097777/397-399 

しかも彼のサイト あれこれ調べてみると、当の凪論【なぎろん】さんも
推論で物事を書いていたり 主張が曖昧だったり メタファ―調だったりで
あまりの酷さに 朝鮮総連関係の裁判を直接傍聴していた方からも 
痛烈な批判を受けていますね

ここが変だよ凪論(仮)
http://d.hatena.ne.jp/arama000/20120313/1331610694
No.39179 (無題) 投稿者:手短く願うのなら 投稿日:2014-05-29 01:51:03 ID:c0cbe623f
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>>39178の記事や マグマグさんの記事も手短くね
はっきり言って読みづらいし 何が言いたいのかチンプンカンプンですから
No.39178 フェイク 第1456号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2014-05-29 01:12:17 ID:c171fb90b
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(発行=14.05.28)

多くて数え切れない日如の暴行
朝日の報道「仏教界の暴力事件」に思う ⑧
階段から突き落とすのも“慈愛の発露”?

日蓮正宗のニセ法主・早瀬日如の暴力沙汰について、本紙編集室には改革同盟
の渡辺雄範氏をはじめ多くの人から続々と情報が寄せられている。

「学生時代は勉学よりも拳法に熱中していた」「『俺(日如)は暴力団と渡り
合った』と、よく自慢していましたよ」

「若い頃は『ブクロの寛ちゃん』と呼ばれ、坊主頭で人相も悪いうえ、白のスーツ
姿で池袋の盛り場を肩で風を切って歩いていたから〝その筋の人間〟だと思われて
いたようです」

 「無教養で、教学も苦手です。大願寺にいた頃、御講の説法なども大田区・宝浄寺
の大村寿顕(故人)に、よく頼んでいました」

「昔、早瀬にガラスの灰皿を投げつけられた所化がいるという伝説が宗内で語り継が
れています」

「新宿・大願寺の住職時代の暴力行為は数え切れないほどです。そのため、宗内では
『地獄の大願寺』と呼ばれていました」

 「品性下劣な暴力坊主の早瀬日如は御本尊の模写も下手な字で殴り書きしたような
本尊だから、まったく有りがた味が感じられませんね」

 こんな極道坊主の早瀬日如が〝現代の大聖人様〟とは、笑止千万!

 有名な「鉄火丼事件」というのも語り継がれているということだ。

 それは早瀬が「特上の鉄火丼」を所化に注文させた時に起きた事件である。

 鉄火丼とは、丼にスシ飯を盛って、その上にマグロの赤身の刺身をのせたものだが
、届いた鉄火丼を見て、早瀬の顔色が変わった。

「なんで、ご飯の上に鉄火がのってないんだ」と、言うと、その所化を階段から突き
落とした。「慧妙」に言わせると、これも立派な僧を養成するための〝慈愛の発露〟
なのだろうか?

「特上」の鉄火丼は、ご飯と刺し身が別の器に盛られることを早瀬は知らなかった
ようだ。

 自分が頼んだ「特上」の丼ではないと「逆上」したのである。早瀬という坊主は
〝現代の大聖人様〟といっても、餓鬼のような愚劣な男なのである。

 緊張して怯え、神経性下痢に苦しんだ所化も

 こんな逸話もある。
 改革同盟の吉川幸道氏が以前、後輩の僧がいた大願寺を訪れた時、その後輩は
受付にいたが、語りかけても見向きもしないで、目の前にある電話機をジーッと
凝視していた。

 その理由は、早瀬から内線で電話があると、音は鳴らずにランプが光る。その
ランプの点滅が三回以内にとらないと、早瀬から殴る蹴るの暴行を受けると言って
怯えていたからである。

 このように大願寺にいた所化たちは、早瀬の顔色を窺うことしかしなくなっていた。

常に緊張して怯えていたために神経性の下痢が止まらなくて苦しんでいた所化
もいたということだ。
No.39177 なるほど・・・・ 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 01:09:06 ID:c0cbe623f
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>>39168
>>
>>その理由は何故かというと、本尊の書写には血脈相承が必要なんですよね。
>>彼らは、心からそれが根拠だって思ってるんだけど。
>>でも、そんなのがどこにどうに書かれてあるのか、そんなことはつゆも知りませんよ。
>>

つゆも知らないのに創価が正しい・・と思いこんでいるのでしょうか?
それでは風の気のままに 流されてしまうだけですね
こういう人が意外と振り込め詐欺や催眠商法に騙されるタイプです

>>おおまかに言って、切り文で見せられて、そう思ってるだけみたいですよね。
>>じゃあ、なぜそんなことを簡単に鵜呑みに信じてるんでしょうね。
>>文証なんかではなく、別に本当の理由があるからでしょうね。
>>

>>日顕宗は上から下まで、奥底で「学会が昔、そう言ってたから。」と思ってるんですよ。
>>いや、正確には、学会しかそんなことを言って来なかったんですけどね。
>>
>>何のことはない、彼らの確信の奥底にあるのは、信心のある学会の姿が根拠ですよ。
>>かって信心を見聞した、そのときの思い出が、彼らをそう思わせてるんでしょうね。
>>それって、歴史の中でも一時代のしかも巷の認識でしかないのに。
>>

なるほど結果的には創価が本山を汚した・・と解釈する事も出来ますね
また 害毒と言う概念 時系列の因果関係対比をした場合 
日蓮の純潔を守っているのは 大石寺だった・・と言う結論も出せますよ 
何せ本山も戸田先生の言う事は絶対ですから ここは外してはいけないんです。

平成5年の変更は その場しのぎ
「一時的な対応だった」は自己保身の言いわけにも使えるので説得力はゼロです。


No.39176 eco本人です 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 00:55:52 ID:c0cbe623f
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>>39173

>>で、名無しの権平(ecoちゃん)に至っては、質問する資格自体がおまへん。
>>
>>よそ行って聞きなはれ。さいなら。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>

名無し=ecoとは限りません あまりにも短絡的です。
No.39175 >>39172 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014-05-29 00:37:07 ID:d99570c47
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>>39172

>>創価学会員同志でも対話は不可能ですね。

確かに、この掲示板では、難しいかもしれません。
No.39174 ああ、ついでに。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-29 00:36:05 ID:5675963d6
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秋晴れさん、あなたももう来られなくて結構ですヨ。

さようなら。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39173 有難うございます。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-29 00:33:59 ID:5675963d6
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>>39167
>>ちょうど、大白蓮華六月号の企画が「初訪中40周年特別企画」です。
>>どのようにして入手されるかは存じませんが、楽しみにしていてくださいね。
>>
>>現場の友との語らいに是非活用なさってください。


阿部日様、いつも有難うございます。楽しみにして、必ず拝見致します。


それはそうと、新しく来た・あ・な・た、もう少し手短に出来ませんか?

ネット資源も無駄遣いなくお願いします。


で、名無しの権平(ecoちゃん)に至っては、質問する資格自体がおまへん。

よそ行って聞きなはれ。さいなら。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39172 (無題) 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 00:26:51 ID:08fede682
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>>39170
>>>>39109
>>>>>>39105
>>>>血脈相称と師弟不二 どこが違うのでしょう
>>
>>
>>遅くなりました。ご理解ありがとうございました。
>>実際の法華講の方と、やりとりとなると、机上の空論の一方通行では、円滑な対話は出来ません。

創価学会員同志でも対話は不可能ですね。
No.39171 (無題) 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 00:25:58 ID:08fede682
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>>39168
阿呆は、さようなら~~
No.39170 >>39109 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014-05-29 00:23:36 ID:d99570c47
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>>39109
>>>>39105
>>血脈相称と師弟不二 どこが違うのでしょう


遅くなりました。ご理解ありがとうございました。
実際の法華講の方と、やりとりとなると、机上の空論の一方通行では、円滑な対話は出来ません。




No.39169 マグマグさん戸田先生を否定 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-29 00:22:23 ID:08fede682
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>>39139
>>
>>静岡県のあるお寺に「御肉牙」(おにくげ)という宝物があります。
>>
>>歴史的には分かりませんが、
>>鎌倉時代の偉いお坊さま日蓮上人が、ある日歯痛になり、
>>その歯をお弟子さんに抜かせたところ、それからずっと生きているそうです。
>>
>>科学的にもどうしてなのかが分かりませんが、
>>50年に一度の日蓮上人のご命日と、そのお寺の住職さんの交替の時には、
>>普通の信者さんでも拝観出来るそうです。
>>
>>そして、今から10年くらい前に拝観した人の話しでは、
>>――(歯肉が)きれいなピンクで赤ちゃんのくちびるみたいだった。
>>――(歯肉が)黒ずんで縮小し、もう死んでいるみたいだった。
>>と、二つの感想に分かれますが、本当はどっちだったんでしょうね。
>>
>>ものごとにはいい面や悪い面だけでなく、色んな面があります。
>>一番よくないのは、それらをうのみにして簡単に信じたり、
>>逆に頭から信じずに否定し、自分の目や耳、頭で確かめようとしないことです。
>>
>>それと、皆さんも抜いた歯をとっておいてもいいですが、
>>他の人に見せるものじゃありませんよ。自分だけの記念品、宝物ですから。
>>
>>よい子の皆さんは覚えておいて下さいね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>



『戸田城聖先生 講演集 下』(昭和36年10月12日初版・発行者 北条浩・発行所 創価学会 P205)から転載します。

※以下、転載※

御生骨の不思議

今度の4月20日から、お山においても、御肉牙(おにくげ)の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。日蓮大聖人様御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ、汗かいているのですよ、生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。
身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います。

昭和31年4月1日
仙台支部旗返還授与式
仙台市公会堂
No.39168 書写の権限 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象 投稿日:2014-05-28 22:47:42 ID:f56eabb75
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はじめましてかも。お知り合いの方はどうも。
秋晴れさんという、ちょっとうさんくさい人の紹介でこちらに来てみました。
(お前には言われたくないって言われそうですけど。文句があるなら受けて立あつ。)

書写の権限が誰にあるのか...。

みんな、知ってることですけど。
御本尊の権限は地涌の菩薩にあるのに決まってます。

大聖人の御書にも、引用された経文にも、そう書いてありますものね。
御本尊について、全部の権限は地涌の菩薩にあるんだと。

でもそんな答えじゃ、きっと納得されないと思う。「抽象的なこと言うな」って。
そうじゃないんですけどね。誤解ばかりで途方もない気がするんだけど。

●最初の壁というか、誤解と言うのが、歴史認識を誤解してる点かな。
日顕宗では、本尊を書写していいのは、法主一人だけだと思っている。

その理由は何故かというと、本尊の書写には血脈相承が必要なんですよね。
彼らは、心からそれが根拠だって思ってるんだけど。
でも、そんなのがどこにどうに書かれてあるのか、そんなことはつゆも知りませんよ。

おおまかに言って、切り文で見せられて、そう思ってるだけみたいですよね。
じゃあ、なぜそんなことを簡単に鵜呑みに信じてるんでしょうね。
文証なんかではなく、別に本当の理由があるからでしょうね。

日顕宗は上から下まで、奥底で「学会が昔、そう言ってたから。」と思ってるんですよ。
いや、正確には、学会しかそんなことを言って来なかったんですけどね。

何のことはない、彼らの確信の奥底にあるのは、信心のある学会の姿が根拠ですよ。
かって信心を見聞した、そのときの思い出が、彼らをそう思わせてるんでしょうね。
それって、歴史の中でも一時代のしかも巷の認識でしかないのに。

その学会の信仰に依拠しながら、自分達はそれよりも宗教的に偉い位置づけなので、
学会よりもオリジナルなんだから、それが正しいんだとか浅はかに思い違いをしてるの。

いや、それは言いすぎかもしれませんね。むしろ本当は、重要なことはお坊さん任せ。
本当のことは知りたくないという、ありふれた迷信気質に過ぎないのかもしれません。

実際には、知れば残念な思いがするので、御本尊がどんなものかは知りたくはない。
坊さんがパンツ一丁で鼻歌混じりに書写してるのも、違う、今や、筆ですらない。
日顕宗なんて、印刷機でパパっと印刷してるだけの、ただの紙切れなんですけど、
自由からの逃走よろしく、そこに幻想を被せて浸ってたいというわけ。

彼らの本尊に何の根拠もないことは、実は、彼らが自分で物語ってるんですよ。
相承があったかどうが一番大切なんだって。それが最も大事だって言ってますから。
これはどうも失笑してしまうんですけど。
日顕宗の本尊には、何より一番大切なもの、「信仰」の視点が欠落してるんですよ。
かって書写に必要とされた、人々を思いやる気持なんか、もう飛んでいってますね。


●学会が平成5年に変更したのは、本義を掘り下げただけですね。
それもかなり表層的な範囲にとどまるんで、何か新教義という視点は無知ですね。
このとき学会の発表した内容に20年立っても宗門からは反論らしきものはありません。
まともに反論なんて出来なかったんだよね。
それで同日、秋谷会長がされた経緯の説明、その内容に20年間噛み付いてきただけ。
むしろこれを機に、いろいろと面白い新教義、一機一縁の本尊の功徳に過ぎないとか、
あるいは時空間を超えた内証とかを捏造したのが、日顕宗のほうでしたわね。

本当に平成2年以降、教義の改竄、新教義の連発で日顕宗は面白いこと。
堂々とすればいいのにそれが出来ない、捏造に頼り、自信が無いのが明々白々でしたね。


●書写の説明には、日亨上人の「宗門第一尊厳の化儀」の言葉が端的ですね。
これを金科玉条のように思う人がいるんだから気がしれませんね。
化法じゃなく、化儀ですから。「化儀」は時代で変わりゆくルールって意味ですから。
歴史によって変わっていってるんですよ。

日亨上人は、書写は法主一人だと言われただけでなく、印刷も駄目だって言われました。
上古は形木は謗法でしたからね。それが印刷した本尊が仮本尊の位置を占め、やがて
つい近年になって、通常の本尊に昇格していった、そういう歴史があるんです。
化儀抄註解には、堀上人の見解が述べられてあって、最終的には印刷も認めてるし、
広布の時代に法主一人に限るべきかと、広く後世の人に委ねてるんですよ。


●歴史の変遷については、松岡幹夫氏の「日蓮正宗の神話」(2006年)に詳しいですよ。
別の掲示板で親切なロム男さんという人が紹介されたのを私は読んだだけの人ですけど、
推薦図書◎ですね。当てずっぽうで批評なんかしてないで、読んでみたらよいのに。
これに宗門側は何一つまともに反論できないでいるんですよ。邪儀破折班の反論を
見たら、逃げもよいところで、いかに真面目に応対できないかがよくわかります。

それで歴史の詳細は端折って、上古の時代には、本尊書写に権限なんかありませんから。
日興上人が、御本尊書写をしてる五老僧を非難せずに認めてることが全てですよ。
当時の人がどう考えていたのか、日尊の言葉を弟子の日大が記録しています。

『尊仰に云はく大聖人御遷化の刻、六人老僧・面々に之を書写し給へり、
然るに異議無くして其の後面面末流(中略)、五人方は且く之を閣(さしお)く、
富士門跡は不弟一人之を書写し奉る可きの由、日興上人御遺誡なり云云、其の故は
法燈を賞して以て根源を立てんが為なり云々、』(宗学全書第二巻P418)

日亨上人もこの日尊の姿勢を「尊師の千歳仰ぐべきである。」と称賛されてます。
一宗派を立てて法灯を掲げたことを賞して、つまり人々に正統性を知らしめんがために
書写を一人に絞ろうということです。全然、御内証とかじゃありませんからね。
もちろん内証の言葉が今日的な意味になったのは、昭和の日顕の時代からなので。

また日寛上人の時代になると、詳細に述べられた観心本尊抄について、文段や六巻抄が
登場します。これが門下にどれだけ普及したかは不明ですが、そこにも明確ですね。
「受持即観心」を表された段で、受持を五種の妙行(読誦解説書写)に分けて、本尊の
書写が修行に当ることを述べられています。(『本尊書写豈化他に非ずや』)
つまり本尊書写が能化(仏側)の所作ではなく、教えを受ける側の修行に過ぎないと。
それを仏の内証云々と言っている日顕宗は、明確に日寛上人に違背する謗法です。


●それで途中の時代を全部端折って、学会の時代になって、戸田先生も書写を法主一人に
よらなければならないと言われていたのは、宗門側を立てた方針として問題はないでしょう。
戸田先生が法主の書写について、本心ではどう思われていたのかまでは私は知りませんが、
牧口先生の時代には、まだ当座の法主以外にも各末寺で歴代法主の本尊を発行しましたから。
学会との協議の中で日達上人の頃から当座の法主一人に書写が集約されていったわけで、
それを見知ってきた戸田先生が、法主一人に書写能力があると信じてたというのは少し無理が
あるように思います。だから学会の方針として、そうしたかったのではないでしょうか。

戸田先生が知っていたかどうかは別にして、いずれにせよ、戸田先生御自身には地涌の菩薩
の自覚があり、自他共にそれを認め、社会に実証を示されていた。地涌の菩薩に本来の権限が
あるわけで、それを宗門に仮託してあげていただけと言えます、仏法上は。
宗門に権限があるのじゃなく、本来、地涌の菩薩である学会に権限があって、それを仮に与え
てあげていただけですから。
宗門に本来の権限が無いのは、自らが折伏を捨て、「僧侶は折伏の上の摂受」だと言い張り、
自らをそう認識していたこと、現実に怠惰な実態で自明です。
末法の謗法の充満する世界で、自ら自分たちの地涌の菩薩の立場を捨ててしまっています。
そんな宗門を、戸田先生は「乗り越えて」弘教に邁進するように指導されています。

戸田先生は宗門の僧侶の「折伏の上の摂受」などという立場を認めていません。
会長就任時に75万世帯の弘教の宣言したときに、宗門側にもまた75万世帯をやるように
命じています。これを受けて後の日達上人は、出来なかったと改悛されたわけではなく、
法華講は出来なかったねと最初から責任を負われていないことをわざわざ表明しています。
後には地涌の菩薩の表記を禁じ、その眷属だとわざわざ貶めたこともあり、
当時から宗門には、地涌の菩薩の自覚は無かったと言えます。
また学会以前に、地涌の菩薩を体現し、宣揚し、現実の世界で実証した人々もまた無く、
そもそもこの言葉が歴史上には未聞なのを、どれくらいの人々が知っているのでしょうか。


No.39167 マグマグ殿 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-28 18:14:41 ID:c171fb90b
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ちょうど、大白蓮華六月号の企画が「初訪中40周年特別企画」です。
どのようにして入手されるかは存じませんが、楽しみにしていてくださいね。

現場の友との語らいに是非活用なさってください。
No.39166 【雑感】日中のはざまで――青年同士の交流。 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-28 17:02:16 ID:11783bf38
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昨日5月27日の聖教で報道されていたが、今朝28日には中国のネットでも報じられている。友好的で心温まり、勇気や希望を与えてくれる話題が少ない中、私は、最後にそこに示された行事参加者の生の声に、清々しい感動を覚えた。

――私たちは中日の民族の違いを尊重し、それを基礎に互いの共通点に注目すれば、交流はもっとスムーズになるでしょう。もっと力強く、互いの理解も更に深まり、本当の意味での完成に近づくでしょう。みんなで互いに協力して、ともにそれぞれの問題を解決し、貧困、戦争、憎悪のない、尊重、理解と愛があるもっと素晴らしい世界を構築出来るでしょう。(中国ニュース・ネット)――

我々は違いを尊重しているか。日本人同士で理解や認識はある程度出来ても、尊重、尊敬では個人的な感情や思惑が出て来る。憎悪に対する愛も、非現実的なことと否定、軽視する嫌いがある。で、外国との交流となると、どうだろう。

先生のメッセージに、大切な答えがあると感じた――青年同士が胸襟を開き、率直に屈託なく対話する(趣意)――聖教報道で原文がどうなっているか知らないが、「虚心坦懐」こそが心構えであり、皆にあるべき態度だろう。

――縦令(たと)ひ物を盗み人を殺すの大罪に至らざるも一寸(ちょっと)人を欺き一寸人を悩まし一銭の金を横取りし一枚の紙を私(わたくし)せんとするも都(すべ)て苦労の種子(たね)ならざるはなし如何(いかん)となれば其欺かれ悩まされ横取りせられ私せられたる人は他に犯されたる者にして其人の君子たり小人たりに拘(かか)はらず必ず心に之を快く思はずして多少に立腹するのみか時としては讐(あだ)を報いんとする者もある可し/略/徒(いたずら)に苦労する者は不徳と云はんよりも寧(むし)ろ無智と評す可きものなり(「福翁百話」善は易くして悪は難し)――

引用が長くて申し訳ないが名文だと思う。タイトルも面白い。我々凡人では善の方がなし難いと思ってしまう。それと「無智」でソクラテスの無知の知を否定するわけでなく(笑)、東洋的な二元論でない道徳観を素っ気なく説いている。

虚心は大事だが、考えのない無知ではいけない。自分に悪いところなぞ少しもないと思っているのも自己欺瞞で、どこかしら何らかの問題は必ずある。坦懐はわだかまりのない心。互いのわだかまりを払拭する対話が一番大事だろう。

中国の報道では、今回の学会青年訪中団が空港到着後、真っ先に「中国人民抗日戦争紀念館」(盧溝橋)に出向いたが、団員メンバーに初訪中の人が多かったからとコメントされていた。これも学会ならではの訪中団と、私は感慨を深めた。マグマグo(*^▽^*)o~♪


追記。この記念館でも遺物や現物の展示は多くないのですが(写真パネルと復元物が主流)、規模の大きさには圧倒されます。戦後久しい1972年、両国の戦争状態終結を迎える国交正常化までの歴史が、中国側の歴史観で紹介されています。是非、賛否でなく、必見の資料館です。入館時にパスポート提示が必要ですのでお忘れなく。
No.39165 人本仏迹は邪義です その3 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-28 16:08:23 ID:c171fb90b
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(No.39164  は 「人本仏迹は邪義です その2」とします)

※御本尊を正報として誰がたとえますか?

 無理ですよ。
 貴方はもうほとんど駄目ですね。
 依正不二だから、御本尊も私共も差がない。
 そう言う事は屁理屈です。

( ‎沖浦さん談 2014‎年‎5‎月‎28‎日 )

依正不二は「人」と「環境」が不可分である事を示しています。
学会員であるはずの沖浦さんの人本仏迹によると、御本尊よりも人が優れている。
ところが、池田先生の指導では全くちがう事が指摘されていますね。

いまいちど大白蓮華五月号をよく御覧下さい。

◎「本尊」には「根本尊敬(そんぎょう)」の意義がある。
  人生、生命の根本として尊敬し、帰依していく対象が本尊である。

【「十界」の生命が認められた御本尊:アメリカSGI青年研修会・1990年アメリカ】

前回拙稿「人本仏迹は邪義ですその1」でも指摘させていただいた部分です。
沖浦さんの御本尊が「迹」という表現は「帰依していく対象」とはなりえないと読めます。

さらに同号114~115ページには、御本尊様の力用を詳しく指導されています。

/////////////////////

◎御本尊こそ、宇宙全体をありのままに映し出す明鏡中の明鏡であられる。
 この御本尊を拝する時、わが生命の本来の姿(実相)を観、仏界を涌現できる。
                          
◎御本尊を拝し、荘厳する信心は、そのまま自分という、“宝塔”を飾り、荘厳していく。
 御本尊を拝せば、ただちに、宇宙の一切の仏菩薩が、私どもを守る。
 謗ずれば、その反対である。   
                        (共に114ページ)
◎映った姿は自分のものである。それなのに鏡が悪いと怒る人がいる(笑い)
 それと同じく、人生の幸・不幸はすべて自身の生命の因果の姿が反映した結果
 である。
 だれのせいでもない。
 信心の世界においては、なおさらである。
                        (115ページ)

【 いずれも、アメリカSGI婦人部研修会でのスピーチ:1990年2月27日 】

戸田先生が質問会で、御本尊不敬をするとどうなるかを指導されていたのは
沖浦さんならご存じのはずです。

※その人の持っている不幸をば、とくに現してくるのですから、どういう形ででる
 とは言えません。
 御本尊をそまつにした人は、ひじょうに気の毒です。じつに気の毒です。
 ですから、かわいそうだと思って、よく、こんこんと改めて信心するように、
 教えておけばよいのです。

【戸田城聖先生質問会集 44ページ 御本尊不敬はいろいろの罰を受けるのか】

戸田・池田の両会長は異口同音に、御本尊様に対する自分の信心がそのまま
現れると指摘されています。

論につまると相手を中傷するしか無くなる。
その癖、相手よりも優位に立って論破したくて仕方が無い。
御本尊を拝んでも拝んでも苛立ちが押さえられない低い境涯のままですね。

中には、しようとおもえばできる御本尊安置を、学会活動から距離を置きたいが
為にしない人が、あれやこれやとネットを使って学会員さんに教訓を試みている
ようですがそれも「自分の信心」が現れているにすぎません。

この理屈と同じで、御本尊様を拝んでいても道具としてしか見られない人は
創価学会や学会員さんにたいしても自分に益を与える「道具」として見ている
といえるでしょう。
だから師匠は「信心利用は謗法の人以上に地獄に落ちていく場合がある」と
警告をされているのです。

沖浦さんの人本仏迹論は、まだ公に表現したが故に私だけでなく、いろんな方が気を
使って指導を受けられるだけ良いとおもいますが、一番やっかいなのは
「信心利用をしている」にもかかわらず、それに気がつかない人です。

彼等はおそらく、何時間ものお題目を御本尊様にあげているかもしれませんが
主に「私を助けてくれる人」を求めてお題目を唱えているのでしょう。
また、無責任に信心を褒められて慢心してしまい、現実逃避してしまいます。
だから、ネットをつかって日々の生活を公開し、好意で集まってきた人が「功徳」
であり「友」とみなしてしまう。

激励しているようにみえますが、ほとんどが自分が主で他の学会員は従の考え方。
コメントを寄せてくれた。ブログ(サイト)の記事を募集し、投稿されたところで
自分個人のコンテンツにしているだけ。

こういった隠れ人本仏迹の人こそ、破和合僧のタネです。
気がついた人が厳しく戒めなければならないでしょう。













No.39164 あはは 沖浦さん 牽強付会というものですよ 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-28 13:06:33 ID:c171fb90b
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※『勤行とは、我が生命と宇宙が御本尊を介して交流しゆく儀式である。』
 (略)
 主体はあくまで人間!!!
 人が主、御本尊は従。

( ‎沖浦さん談 2014‎年‎5‎月‎28‎日 )


////////////////////////////////////


この段【変革は祈りから始まる】での「主体」とは、沖浦さんの主張の 
仏が迹に対する人本ではありません。
あくまで祈る側の信心によって(主体)、御本尊を対境としお題目をあげることで
結果が出るという意ではありませんか?
同107ページには明確に指導されています。

◎祈りとは、決して観念ではない。 
 現代人の目からすれば、目に見えない生命の世界は観念の産物にすぎないと
 考えるかもしれません。
 しかし、もし物質的な観点だけで物事をとらえていったならば、人と人との関係、
 人と物の関係の大部分が、偶然の混沌の中に埋没してしまうでしょう。

( 大白蓮華 2014/6月号 107ページ 「『祈祷抄』講義」から~ )

沖浦さんが常々、御本尊に対して「物体」としての観点から述べられているがゆえに
人と御本尊の関係が混沌の中に埋没してしまっているのです。
過日の小説、新・人間革命にも「体験」についてこのように述べられていました。

◎体験と聞くと、信心によって、赤字だった会社の収益が何倍にもなったとか、
 病気を克服したという話を思い浮かべがちですが、それだけではないんです。
 ご主人が病に倒れていても、奥さんが強い心で奮闘し、明るく頑張っている
 ということも、見事な体験です。
 八十代になって腰も曲がり、耳も遠くなっているが、日々、生き生きと、楽しく
 学会活動に励んでいるということも、すごい体験ではありませんか。

 ( 激闘 56 2014/5/27付聖教新聞より抜粋 )

沖浦さんだけでなくとも、体験というと、世間上の実績に囚われているかたが
多いですね。幹部でもそういう方おられます。
物質的かつ経済的な「蔵の財」、健康や名誉などの「身の財」にこだわるあまり
どんな状況であっても“主体的に”学会活動に励んでおられる事が自体が評価
できないのだと思います。

特に過去の実績に囚われている人は、往々にして自分の体験が基本となり
それと同等か心から感服できるだけの「名声(実績)」が全てになります。
たとえば、同じ事を言われても地区部長の意見は「たいした事」ではなく
教学部長や県幹部の意見は「重要だ」といった、錯覚などがあるでしょう。
自分から自慢する人や、おもねって近寄ってくる人よりも、影の功労者に光を
向けられるのが指導者の条件の一つではないでしょうか。

さて話を戻します。
「御本尊は道具」と割り切っている人や、功徳を疑ったり、とにかく助けて下さい等々
なまっちょろいお題目を御本尊様に何時間あげても、自分なりの結果しか出ません。
ちょうど今月の座談会御書は、「法華経の行者の祈りとはどういうものか」という
視点で講義をされています。
超簡単に言えば「御本尊に対する信」と「誓願のお題目」が重要という事になるでしょう。

正報は依報によってつくられているという依正不二の原理はご存じですよね。

もっと詳しく指導されている所を見つけましたので、引用します。

◎一念を正報と立てれば、肉体は依報です。自身の当体を正報と立てれば、
 いっさいの客体が依報となります。
 この依報と正報の関係は、肉体の依報があって、正報の生命があるともいえます。
 また、肉体の成長は、依報たる、水、空気、食糧を取り入れて、生活しているのです。
 だから、正報は、依報をもってこれをつくるとおおせなのです。
(略)
 しかし、大事なことは、詮ずるところ、正報があって、初めて依報が存在するという
 ことを 知らなければなりません。
 現今の社会は、依報のみに重点をおいて、正報を忘却しているところに、最大の欠陥が
 ある。

(指導集 質問に答えて 279~281ページ 【十界の依正について】より抜粋)


沖浦さんの 人本物迹に沿って言うならば
「人」を正報とたてれば、御本尊(仏)は依報といえるでしょう。
また不二なのですから「御本尊(仏)」を正報と立てることが出来るはずです。
御本尊(仏)が正報ととらえるならば、肉体も社会もまたその依報となりますよね。
ところが沖浦さんの主張では人を正報に立てて、御本尊(仏)を論じても
その逆はありえないとする考え方です。
上記の指導の

“現今の社会は、依報のみに重点をおいて、正報を忘却しているところに、
 最大の欠陥がある。”

というのと

6月号の大白蓮華の指導の
“質的な観点だけで物事をとらえていったならば、人と人との関係、
 人と物の関係の大部分が、偶然の混沌の中に埋没してしまうでしょう”

は、まったく同じ事を表現を変えて指導されていることになります。

人本物迹論(御本尊道具論)は、「物質的な観点」のみでの戯論であり
人と御本尊の関係を混沌の中に埋没させる暴論だと結論つけさせていただきます。






 



No.39163 福島の壮年さんへ 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-28 11:34:14 ID:9b59cf2da
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>>39162
宿坊氏によれば それは大石寺のおめでた教学なんだそうな
河内さんも その相伝は過去の論議で信用していないみたいだし・・
あんまし口をはさまない方がいいですよ 余計、話がややこしくなるし
それが 奴等の思うつぼですから・・・
No.39162 なぜ『唱えられ給う処の…』が戒壇御本尊になる? 投稿者:福島の壮年 投稿日:2014-05-28 11:12:30 ID:be4ca7560
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『御本尊七箇之相承』を誤釈してるのか?

http://nichiren-daisyounin-gosyo.com/atogaki-sanmiittai.html
『阿部日顕に率いられた宗門の“三位一体説”
          =「法主本仏論」の邪義を破折する』

 ※末尾に付された『■参考文献』。以下、一部引用。

御本尊七箇之相承

 二、真実の十界互具は如何。
 師の曰わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱え奉る
我等衆生は九界なり。是れ則ち四教の因果を打ち破りて真の
十界の因果を説き顕わす云云。
此の時の我等は無作三身にして寂光土に住する実仏なり、
出世の応仏は垂迹施権の権仏なり。秘す可し、秘す可し。

 六、序正流通の中には何ぞや。
 師の曰わく、流通分の大曼荼羅なり、流通とは末法なり。
久遠本果の名字の妙法蓮華経の法水、末代の我等が耳に流入
す可しと云う三仏(釈迦・多宝・分身)の御約束なり、
在世は正宗が面と成り、減後は流通が面と成るなり、
経文解釈分明なり。
No.39161 こんな支離滅裂な奴をまともには出来ない 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-28 10:51:30 ID:9b59cf2da
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言い方は悪いが、池田先生に完全に洗脳されたんだよ。笑
おかしいだろう。笑えばいいよ。

堅皇くん、人間何が一番怖いか知ってる ?
命がけで、真心で向かってこられる事が、一番怖いんだよ。
どんなに反抗しても、太刀打ちできない。
河内は、それを先生にされたんだ。

バンザーイって、感じですな。笑

http://megalodon.jp/2014-0528-1034-20/9207.teacup.com/wakataka/bbs/6207

へぇ~ 池田先生は弘安の御本尊を基礎として戦われたのに
あなたは金原や犀角さんを師匠として 
弘安の御本尊やら百六箇抄まで信じていないじゃないですか

笑うなら笑え? 笑ってあげますよ あなたの支離滅裂さに・・・
No.39160 なるほど それらしきログを見つけました 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-28 10:35:46 ID:9b59cf2da
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堅皇くん 投稿者:河内平野 投稿日:2013年 6月12日(水)13時10分58秒   通報
昔、輸送班から創価班の名称に変わった時、「池田班」はどうだ ?
という話が出た、と聞いたことがあるけど、何で池田班にしなかったの ?

と河内は思うね。

別に、「創価学会池田教」でもいいんじゃないのか、とも思う。

でもまちがっても、現場では言えない。
極端すぎる。
誤解する人が出てくる。
言えば、袋叩きに遭う。笑

でも河内は正直、そんな気持ちだよ。

言い方は悪いが、池田先生に完全に洗脳されたんだよ。笑
おかしいだろう。笑えばいいよ。

堅皇くん、人間何が一番怖いか知ってる ?
命がけで、真心で向かってこられる事が、一番怖いんだよ。
どんなに反抗しても、太刀打ちできない。
河内は、それを先生にされたんだ。

バンザーイって、感じですな。笑

http://megalodon.jp/2014-0528-1034-20/9207.teacup.com/wakataka/bbs/6207

※そういえば 同じようによいしょしていた副会長さんがいましたっけ
 700年ぶりだね~と民話まで添えた アホな副会長さんが・・・
No.39159 そういえば 河内平野さん・・・て 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-28 10:21:24 ID:9b59cf2da
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>>39158
人づての噂なのですが池田本仏論を若鷹の掲示板で展開していたとか
本当ですか?
No.39158 (無題) 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-28 10:16:53 ID:9b59cf2da
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>>39157
キミがなぜ、河内の質問に答えられないか、言ってあげようか。
それはね、河内の言っていることが支離滅裂で 唖然としているからなんだよ
しかも犀角独歩の論文を丸っと引用していたくせに その辺を惚けているからなんだよ
自分の頭で考え、自分の頭で精査することを、してないからなんだよ。
それを世間では「サイコパス」と呼ぶのよ。 言ってる意味わかるぅ ?


それにしても大人げないですね
No.39157 言われっぱなしの法華講員(池田晴彦氏)へ③ 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-28 10:13:38 ID:3d7d63e3a
新規 返信
キミがなぜ、河内の質問に答えられないか、言ってあげようか。

それはね、キミの言っていることはボウズの「受け入り言葉」だからだよ。笑

自分の頭で考え、自分の頭で精査することを、してないからなんだよ。

それを世間では「洗脳された狂信者」と呼ぶのよ。 言ってる意味わかるぅ ?

日顕宗に洗脳された法華講諸君 !
悔しかったら、日蓮教学に則って創価学会を破折してみたまえ。


※河内平野の質問レス
*****************
>No.39094
>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。

これは誰の説ですか ?

>十界を互具しているといっても、正真の本尊でなければ仏となれない道理です。

晴彦さんの言う「正真の本尊」の定義を教えてください。
*****************
No.39156 YAHOO糞袋みたいな質問してんじゃねぇーよ 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-28 10:13:35 ID:9b59cf2da
新規 返信
>>39155
それ以前にあなたは弘安の御本尊を後世の贋作だとか断定していたでしょ?
悔しかったら池田先生が弘安の御本尊を贋作だと言っていた証拠を述べろよ

つか自分の言っていた発言が どれだけ逸脱していたのか?
その辺が解っていますか?

偉そうに 創価の成り済ましなんかしやがって・・・
No.39155 ヘタレな法華講員(池田晴彦氏)へ② 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-28 09:52:19 ID:3d7d63e3a
新規 返信
>No.39145
>松岡氏自身が書いている内容が、かなり恣意的に、いや、法義と外面的な歴史を混同しているようにしか見えないのだが

晴彦さん、
キミの言う「正真の本尊」の定義も答えられないヤツが、なに「法義と外面的な歴史を混同」などと、エラそうな事を言ってんの ?

悔しかったら「法義と外面的な歴史」で、創価学会は悪だ、と証明してみなさいよ。

まぁ~、キミには無理だと思うけど・・・・。
No.39154 ヘタレな法華講員(池田晴彦氏)へ 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-28 09:38:05 ID:3d7d63e3a
新規 返信
河内の質問レス一発で、返答不能になるなんて、キミは本当にヘタレだね。笑

どうせ教義対論なんてした事がないド素人なんだろう。

せっかく相手してあげてるんだから、もう少し対論しようよ。
仲間連れて来てもいいよ。
あ、そのかわり対論できる人ねッ !

それとも河内が怖いの ?
No.39153 晴彦くん、おはよう。 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-28 09:25:34 ID:3d7d63e3a
新規 返信
※池田晴彦の言(>)
*****************
>No.39094
>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。

これは誰の説ですか ?

>十界を互具しているといっても、正真の本尊でなければ仏となれない道理です。

晴彦さんの言う「正真の本尊」の定義を教えてください。
*****************

結局、自分の発言した言葉すら説明する事ができない情けない法華講員(池田晴彦)。
そのくせ、いっちょ前に文句だけは言う・・・・。笑

池田晴彦さん、
教義対論も出来ないクセに、「唱えられ給う処の七字」云々などとエラそうな事言いなさんな !

ボウズの手足であるキミたち信者がそんなんだから、日蓮正宗は衰退していくのです。

ウダウダ言ってないで、悔しかったら河内の質問に答えてみィ。。 無理だと思うけど・・・。
No.39152 あれ?晴彦さん。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-27 18:48:32 ID:97b7c6d1e
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>39145
>>
>>気のせいか、アベ日氏・マグマグさんの書き物も、とうてい日蓮正宗の御本尊に唱題してその法悦を得てもいないのではないか、と推察せざるをえない。
>>普通、もちろんあくまでも日蓮正宗の場合だけど、唱題を続けながらいつまでも憎悪を書き連ねること自体が、仏界を味わった者の言葉とはどうにも信じがたい。
>>

唱題して法悦を得る?
具体的にどんな状態か分かりませんが、自己満足や自己陶酔の唱題ではダメでしょうね。

唱題を続けながら憎悪を書き連ねる?
唱題し続けると普通の感情がなくなるんですか?そっちの方が困りますでしょ、笑。

仏界を味わった者?
すみません。これこそ意味不明です。私はもしかしてもう成仏しているんですか?
いやぁ、まだまだですよ。ここの皆様も当たり前にみんなそうでしょうし、笑。

ま、これらはどうでもいいことです。

河内様からのテーマに沿ってちゃんとお答え下さいね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39151 沖浦さんへ 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-27 13:07:42 ID:c171fb90b
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※宗門と言うホームレスに色々恵んであげて一人前にしてあげたんです。
 後は壊そうが建てようがどっちでも良いね。

日蓮正宗の方との対話で、正本堂破壊の話題がでているわけですが、
沖浦さんが寄進された正本堂に対して、ひいては創価学会に対して
どれぐらい心理的距離があるかを示されていますね。

自分が育ててます~なんて豪語されていた方が、仕事上のトラブルから袂を分かって
しまわれると、「あいつはとんでもないヤツだった」なんて言いふらされる方が
おられますが、それは心のどこかで相手に対して期待していたからだと考えられます。
心理的な距離が近いと、いわゆる“可愛さ余って・・”という状態になりがちですが、
逆に「とうでもいいね」的な距離感をわざわざアピールされる事も不自然です。
あえてアツくなりそうな話題に距離を置きたがるというのは、逆にいえば
心理的には気になっている証左です。
そういった逆説的な感情を「あまのじゃく」とか言う方もおられますね。
一般論です。


肩肘張らずに、もっと素直になられたらいかがでしょう。





No.39150 あはは 晴彦さん 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-27 12:36:19 ID:c171fb90b
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※私から見ると、美しい言葉の垂れ流しにしか見えなくてね

あぁそういう感情ってありますね。
自称内部の方にもおられます。

師匠の言葉をみて嫌悪感を感じる。
その正体は嫉妬っていうんですけれど、今の殺伐とした日顕宗では
テキストをみるだけでもそう感じてしまうのでしょう。

自分なりに反論ができなくて、大白法をベタ貼りするのは「垂れ流し」には
あたらないのでしょうか。

さて、お願いがあるのですが、便利な引用機能を使うのは良いのですが
全文を再アップされても、答える側の晴彦さんの反論はごく一部では
読みにくくて困ります。
私への反論のようなパターンにされると論点が明確でありがたいです。


※アベ日さんはどれだけの人を励ます人へと成長させたんですか

ネットでそれを証明する術を知りません。
晴彦さんは証明できますか?
私に限らずとも、「指導ができる学会員さん」に興味があるのでしたら、
創価学会に戻ってみてください。
ゴマンとおられます。
教学は坊主だのみで、ノルマ達成のために門徒はビラたティッシュを撒いて
キャッチセールスするような組織ではありませんので。



No.39149 (無題) 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-27 12:30:07 ID:f89136e82
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破壊?
いつまでもしつこいね~~
正本堂は日顕宗に「寄進」したんだろう。
もらった方がどうしようが勝手だろう。
No.39148 (無題) 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-27 12:20:31 ID:f89136e82
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>>39139
『戸田城聖先生 講演集 下』(昭和36年10月12日初版・発行者 北条浩・発行所 創価学会 P205)から転載します。

※以下、転載※

御生骨の不思議

今度の4月20日から、お山においても、御肉牙(おにくげ)の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。日蓮大聖人様御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ、汗かいているのですよ、生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。
身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います。

昭和31年4月1日
仙台支部旗返還授与式
仙台市公会堂
No.39146 (無題) 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-27 02:35:46 ID:dc66a2d0a
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>>39140
>>空き時間に少々の楽しみが欲しくて(苦笑)「ふうふうサプリメント」の51として「『正本堂』壊滅――『破壊』か『解体』か?」をアップロードさせて頂きました:
>>ふうふう拝

どう見ても解体ですよね。

東京戸田講堂を作り直した時、誰か「破壊」と言いました?

東京会館を解体して現在の建物にした時、誰か、破壊だーと叫びました?

寝付けないから付き合ってたけど、もう寝るね。明日の朝が辛くなるといけないから。
No.39145 (無題) 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-27 02:02:38 ID:dc66a2d0a
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松岡氏自身が書いている内容が、かなり恣意的に、いや、法義と外面的な歴史を混同しているようにしか見えないのだが、松岡氏をはじめとして、これを掲載したマグマグさんは記事に同意なのだろうか?
気のせいか、アベ日氏・マグマグさんの書き物も、とうてい日蓮正宗の御本尊に唱題してその法悦を得てもいないのではないか、と推察せざるをえない。
普通、もちろんあくまでも日蓮正宗の場合だけど、唱題を続けながらいつまでも憎悪を書き連ねること自体が、仏界を味わった者の言葉とはどうにも信じがたい。

>>39117
>>
>>東洋哲学研究所1997年紀要13号に「大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察」がある。松岡幹夫師の論文で、2006年12月に世に問われた名著「日蓮正宗の神話」でも採録されている。同研究所HPに公開されているので、ご興味おありの向きはご高覧頂きたい。
>>
>>――(おわりに)本稿を結するに、唯授一人の本尊書写は、教団を統率し、分裂を防ぐための方策であった。それゆえ、事情によっては一般僧侶の本尊書写・授与が公認ないし黙認されてきた。本尊模刻についても同様である。宗門史料に基づいて考察すると、結局、唯授一人の本尊書写の形態は、教団として定めた可変的な「形式」であることがわかる。(同論文)――
>>
>>黙認はそうだが、公認は師の言い過ぎだろう、笑。実際に石山門流と言っても、本末関係や人的関係が複雑で、分裂、合同を繰り返している。石山本家より由緒がはっきりしている妙蓮寺などは、戦後の合同以前、同類視されるのを嫌っていたようにも考えられる。
>>
>>もしも石山史観と言ったものがあって、少なくとも興門流で通用するならば、明治の合同の破綻や、それから「日蓮正宗」なる単立宗派の創出は元来不要。石山は大手を振って統率が出来たはず。が、現実は皮肉にも、そんな史観は今でも通用しない。
>>
>>師が仰せの「形式」は、言葉の柔らかさに反して意味深長だ。先ず興目両師の本尊書写事例から出発し、有師の法度制定を経て、中世以降の内実の矛盾点を多く挙げられている。標題が示す通り、史料に基づく考察が展開されているのに、我々末学は大いに学ぶべきだ。
>>
>>―― 一応、本尊書写は唯授一人の「金口相承」、とくに「本尊書写法」の相承を受けた法主でなければ不可能というのが宗門の通説である。しかしながら、実際には先師の見本を横に置いて本尊模写した平僧が多数いる。近くは昭和三十年代まで、宗内の末寺住職はこの方法で棟札本尊を書写していた。とすれば、唯授一人の相承は、必ずしも本尊書写の絶対条件ではない。(同続き)――
>>
>>読者諸賢は、棟札だけでなく未来本尊もご存じだろう。石碑本尊もある、笑。ご注意頂きたいのは金口相承で、文献的には石山56代日応で、それまでの唯授一人を法体と金口に分けて、前者が戒壇大本尊、後者はそれにまつわる口伝の相承を指すことになった模様。
>>
>>これは弁惑観心抄に述べられ、明治27年(1894年)に公刊後、石山公式見解となった。日応は、明治24年(1891年)4月から一年、日蓮宗興門派管長をつとめたが、明治33年(1899年)興門派は本門宗に再編される。この間、日応は石山史観の宣揚に腐心する。
>>
>>興門八本山は現在日蓮宗の北山、小泉、伊豆実成寺の三箇寺、京都要法寺(現日蓮本宗)、西山(単立)、保田妙本寺(単立)と大石寺、妙蓮寺の現石山系二箇寺。明治34年(1900年)に石山だけが分派し、日蓮宗富士派を自称。明治45年(1912年)日蓮正宗公称に至る。
>>
>>――また大石寺法主は、本尊を宗門として正式に認可する役割を担っていた。本尊の開眼は、そのために行われた嫌いがあった。すなわち、末寺僧侶が勝手に模刻した板本尊を法主が後追いで認可する場合、開眼が行われた。ただし形木本尊の開眼に関しては、一の例を除き、記録に残っていない。元来、宗門の形木本尊は、法主直筆の常住本尊を戴くまでの暫定的な「仮本尊」の扱いなので、本尊として正式に認可する必要もなく、開眼がなかったのは当然であろう。(同続き)――
>>
>>日応は明治41年(1908年)に石山管長職を次代に譲るが、石山在任(明治22・1889年から)の約20年間、興門派管長も任ぜられ(実は輪番制)、この間、彼の富士の立義、正義、つまり石山史観の宣揚に明け暮れていたと考えられる。即ち法体、金口相承の所在だ。
>>
>>そこで、松岡師が仰せの模刻や開眼、果ては常住、形木の別などの本尊の大権について、日応は考えが及ばなかったろう。要するに自山宗義の独自性の主張、他を排除する独善的なセクト主義の権化となり、信仰の細部で重要な核心問題を完全に忘却していた模様だ。
>>
>>――最後になるが、現宗門は、法主が日蓮大聖人の生命を受け継ぐ「法体相承」を受けており、それゆえに本尊書写の資格があるとも主張している。しかし、「法体相承」のない一般僧侶が模写した模刻本尊や形木本尊が全国の寺院に散在し、今日、宗門の本尊として丁重に安置・格護されていることは、本稿で明らかにした通りである。その中には、いまだに法主の開眼すらなされていない本尊もある。/結局、本尊書写が法主一人に限定されるとする大石寺門流の化儀上の建前は、史実に照して明らかに矛盾しているのである。(同続き完)――
>>
>>明治期の他山は、石山を受容しなかった。日応への評価でもあろう。また妙蓮寺は合同したものの、戦後石山復帰までは無関係を装っていた。最近では折角戦後復帰した保田と分裂したのも、また特筆に価する。明治に始まった日応の本尊観は、普及しないままだ。
>>
>>さてこそ本尊書写の大権どころか、皆を納得させる宗義すら確立出来ないのに、権謀術数で他山の取り込みだけに腐心する石山近代史は悲惨だ。一昨年2012年に宗名公称100周年を迎えたが慶祝どころでない。戦前戦後の学会破門も大問題だが、この信徒不在の権力志向、弱小宗派はあと何年もつのだろう。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>

No.39143 (無題) 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-27 01:42:47 ID:dc66a2d0a
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>>39136
>>連日、小説、新人間革命で「指導」について語られています。
>>本日つけ(2014/5/26)の聖教新聞の社説にも指摘されていました。
>>※「励まされた人」が、やがて「励ます人」へと成長する。
>> この「一人の人間革命」が社会を変え、世界を変えていく。
>>(社説 訪問激励に勇んで 会ってこそ「心」は結ばれる より抜粋引用)

それで、アベ日さんはどれだけの人を励ます人へと成長させたんですか?
No.39142 (無題) 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-27 01:38:09 ID:dc66a2d0a
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   ↓ ↓ ↓ これって、どこからの「転載の転載」ですか?



>>39128
>>
>>いただき物です。
>>
>>=== 転載の転載 ==============
>>
>>有師化儀抄
>>
>>投稿者:んっ? 投稿日:2014年 5月25日(日)15時36分49秒
>>
>>一、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、
>>  但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。
>>
>>一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、
>>  但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、
>>  希なる義なり云云。
>>
>>=========================
>>
>>今日の研究報告、本当はこれを含めなければいけませんでした。
>>
>>ちゃんと読んで下さる読者、的確に反応下さる読者の皆様に感謝申し上げます。
>>
>>若鷹の皆様は本当にお目が高い!。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>

No.39141 (無題) 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-27 01:28:57 ID:dc66a2d0a
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>>39136
>>連日、小説、新人間革命で「指導」について語られています。
>>本日つけ(2014/5/26)の聖教新聞の社説にも指摘されていました。
>>
>>※「励まされた人」が、やがて「励ます人」へと成長する。
>> この「一人の人間革命」が社会を変え、世界を変えていく。

とりあえず、アベ日さんとやらが、この「富士宮ボーイ掲示板」を汚している張本人――という認識があちらこちらで聞かれますね。

ネットだけで活躍しているが、世間では創価学会の活動をしていないとか。

ところで、アベ日さん、上記の『新・人間革命』の「指導」とやらで、あなたはどう変わったんですか?

私から見ると、美しい言葉の垂れ流しにしか見えなくてね。
No.39140 無題です(恥) 投稿者:ふうふう 投稿日:2014-05-27 00:11:37 ID:21c80b15e
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空き時間に少々の楽しみが欲しくて(苦笑)「ふうふうサプリメント」の51として「『正本堂』壊滅――『破壊』か『解体』か?」をアップロードさせて頂きました:
http://who-who.freehostia.com/webnavigation/supplement3/whowho.cgi?mode=res&no=196

ま、コーヒータイムついでの気分転換にはなり、その意味では――あくまで私見ではありますが――「サイクロン的スーパーあほ」な法華講員諸氏にも、ちょっとは感謝かな? (拙作のサイトをご覧くださっているビューワの皆様には申し訳ないのですが。)
(^o^)ゞ

※こちらの掲示板で、この手慰み(申し訳ございません:詫)のご縁を頂戴したので、管理者さまにお礼の意味で投稿させて頂きたかった次第です。無論、問題が感じられましたら、この投稿、ご削除くださいませ(ほんと、まったく構いませんので)。
(^^)

ではでは、また~~♪

ふうふう拝
No.39139 【お子様向け読み物】世にも不思議な宝物。 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-26 16:47:26 ID:135cc8a21
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静岡県のあるお寺に「御肉牙」(おにくげ)という宝物があります。

歴史的には分かりませんが、
鎌倉時代の偉いお坊さま日蓮上人が、ある日歯痛になり、
その歯をお弟子さんに抜かせたところ、それからずっと生きているそうです。

科学的にもどうしてなのかが分かりませんが、
50年に一度の日蓮上人のご命日と、そのお寺の住職さんの交替の時には、
普通の信者さんでも拝観出来るそうです。

そして、今から10年くらい前に拝観した人の話しでは、
――(歯肉が)きれいなピンクで赤ちゃんのくちびるみたいだった。
――(歯肉が)黒ずんで縮小し、もう死んでいるみたいだった。
と、二つの感想に分かれますが、本当はどっちだったんでしょうね。

ものごとにはいい面や悪い面だけでなく、色んな面があります。
一番よくないのは、それらをうのみにして簡単に信じたり、
逆に頭から信じずに否定し、自分の目や耳、頭で確かめようとしないことです。

それと、皆さんも抜いた歯をとっておいてもいいですが、
他の人に見せるものじゃありませんよ。自分だけの記念品、宝物ですから。

よい子の皆さんは覚えておいて下さいね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39138 功徳福運の源泉とは何ものぞ 投稿者:福島の壮年 投稿日:2014-05-26 16:04:58 ID:be4ca7560
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>十界を互具しているといっても、
>正真の本尊でなければ仏となれない道理です。

確か「日蓮宗」で奉っているところの紙幅の本尊も、
おそらくは「大聖人御真筆」なのではないかと思う。
ネットに晒されている文字曼荼羅本尊なるもの
(日蓮宗では、他に絵曼荼羅や木像も本尊としている
ようなので)は、弘安三年三月の日付になっている。

私が若かりし頃、何だったかの高級な写真集に、
この「文字曼荼羅本尊」を鮮明な画像で写した
写真が添えてあったのには、驚かされたものである。
(確か、3枚折になって、写真集中央に挟まれていた)

「正真の本尊」であっても、日蓮宗(身延派)の
本山に参詣して、この「文字曼荼羅」にお題目を
唱えたとて、功徳が出るとは、私には思えないが・・・。
日蓮宗では、「日蓮大菩薩」であって、「日蓮聖人」
であるから、大聖人は、信仰の対象たりえないし。

それから、大聖人御在世当時には、確かに
「一機一縁の御本尊」も存在した。
これも若い頃、「家に代々伝わっている」という、
漆黒の紙幅に金文字で「南無妙法蓮華経 日蓮」
とだけ書かれた本尊を見たことがある。
それが、大聖人ご本人の御真筆かどうかは分からない
が、どこかに眠っていてもおかしくはない。

さて、「御真筆」でさえあれば、そういう御本尊でも、
「なんだか、ありがたそうだ」という思いだけで、
自分の家に勝手に掲げて手を合わせれば、功徳は
出るものだろうか?

御本尊の真偽こそが、功徳福運の源泉なのか?
どなたかの答えを問う。
No.39137 沖浦さん、上野の西郷さんがどうかしたんですか? 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-26 15:46:36 ID:135cc8a21
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1898年(明治31年)上野公園に建立されたそうです。

銅像作者はあの有名な高村光雲(高村光太郎のお父さん)で、
完成した当時、どうして「浴衣姿」なのかが問題になったとか。

連れだって一緒にいるワンちゃんの名は「ツン」(雌)だそうです。
銅像建立の時にはもう生きておらず、モデルは別の犬だったとも。

はい、で、ここで本題ですが、
この西郷さんがホンモノの西郷さんご本人、
あのワンちゃんのツンがホンモノのツンちゃんご本犬(剥製?)だと
思う人は絶対にいないでしょう。どうかご安心下さい。

ところで、西郷さんの人気はとても高く、
地元鹿児島には「南洲神社」があり、今でも西郷さんを祀っているそうです。

まあそれは西南戦争(1877・明治10年)があったことでですが、
ともかくも最後、西郷さんは神様になりました。

神様となった西郷さん、
上野の銅像にもその御霊(みたま)が飛来しているかもしれません。

いや、南洲神社の創建は1880年(明治13年)ですから、
上野の銅像よりもずっと前のことです。

西郷さんをこよなく愛する氏子さんたちの心境は複雑だったでしょうね。
――自分たちの神様を銅像にするなんて、、、。
――しかも、あんなあらわな浴衣姿で愛犬と散歩中の銅像だなんて、、、。

他人(ひと)のために良かれと思ってしたことでも、
その人では逆に困る、迷惑となることもあるのです。世の中には。

よい子の皆さんは覚えておいて下さいね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39136 なぜかこの部分が飛ぶコミュニティ派 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-26 14:15:55 ID:c171fb90b
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連日、小説、新人間革命で「指導」について語られています。
本日つけ(2014/5/26)の聖教新聞の社説にも指摘されていました。

※「励まされた人」が、やがて「励ます人」へと成長する。
 この「一人の人間革命」が社会を変え、世界を変えていく。

(社説 訪問激励に勇んで 会ってこそ「心」は結ばれる より抜粋引用)

またこの社説の冒頭には、“何度も自宅に足をはこんでくださった先輩”
つまり、現場の同志の存在、活動が示唆されています。

ところが、インターネットによる「オトモダチ激励活動」を好まれる方の
その多くが、地道な活動の存在をすっぽらかして、とにかく
「会えば相手のことが解る」といった部分の・みを強調されます。

新人間革命にしても聖教新聞の社説にしても、見知らぬ学会員をネットで
見つけて「励ます」事について書かれているのではありませんが、なぜか
ネットコミュニティ重視の活動家っぽいかたは、とにかく悩んでいる人を
みたならば励ませば良いと短絡的に考えているようです。

中には「指導」というと“上から目線”だと決めつけられる方もおられるよう
ですが、指導が出来ない人は無責任と言えるとおもいます。

※折伏とともに、個人指導に全力を傾けていくことが、
 自分の信心を鍛え、境涯を高めていく必須条件  (小説・新人間革命 激闘55)

この指導にもあるように、折伏をする事で終わらせてはいけないのです。
折伏と共に指導が出来ることが境涯を高めるには欠かせない修行ではないでしょうか。

 







No.39135 あまり意味がないですね 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2014-05-26 09:49:28 ID:c171fb90b
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※あれ、どなたか、「パッチワーク本尊」とか言ってましたよ

一番多いのはアンチ学会のecoさんとかですね。
釈子氏は学会員ではないみたいですし。
仮に犀角氏の推論を用いても、困るのは日顕宗の方であって、創価学会には
なにも影響ありません。
晴彦さんは丁寧な主張ができずに論詰まりになって、アク禁さんに助けてもらう
しかなくなったのでしょうか。

ちなみに、犀角氏の推論・・つまり曼荼羅の相貌を細分化して比較し真偽を論ずる
という手法は日顕宗が用いた「学会ニセ本尊」論とおなじものですね。

そしてその批判に反論できないがゆえに、御本尊道具説を主張し
創価学会の信心に御本尊様は重要ではないといった暴論を述べ自己保身に
走るひとがいるので困りものです。
創価、日顕宗といえど、こと信仰の根幹にかかわる「本尊」の議論は慎重にすすめ
なければならないでしょう。

御本尊様を悪しく敬い、また無智ゆえに誹謗し、堕してしまった大石寺。
その結果として、何年たっても結果がだせない、小功徳をもって安閑と構え
小我であることを誇り自らを慰めるような、志の低い「信」しかはぐくめないと
いえるのではないでしょうか。

No.39134 晴彦さん、おはよう。笑 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-26 09:36:26 ID:3d7d63e3a
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再掲です。

>No.39094
>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。

これは誰の説ですか ?

>十界を互具しているといっても、正真の本尊でなければ仏となれない道理です。

晴彦さんの言う「正真の本尊」の定義を教えてください。

では、よろしく。
No.39133 皆様、お早うございます。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-26 07:22:19 ID:0f832c8b1
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ああやっと晴彦さんの登場ですね。。。
さあ、頑張って下さい。いっちょ大きなホーム・ランをお願いしますね。

で、名無しの権平は用なしです。ハイここまで。もう来なくてよろしい。

それと今時何がパッチワークですか?そんなこと、もうとっくの大昔の話しです。
さあ、今回のテーマに沿って、しっかり頼んまっせ!マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39132 (無題) 投稿者:さて、誰でしょう?(笑) 投稿日:2014-05-25 22:57:17 ID:022d9d633
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ああ、イイことおっしゃってる。

結局ですね、私も含めですが
ネットでする行為を、ある程度の限界があることを割りきって、
リアル同等だと勘違いしないことなんです。

そういった警鐘は多くの方も言っているし、
実際の現場にこそ、ほんとうの「汗」があります。

くれぐれも、ネットで「カッコつけて」いらっしゃる方に
「ほんとうの学会」はないんだと、知っておいてください。

No.39129 (無題) 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-25 22:30:12 ID:dc66a2d0a
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>>39118
>>>弘安の御本尊はまがいものなんでしょ?
>>
>>そこまでは言ってませんよね、学会の誰も。
>>ミスリードしてはいけません。
>>
>>大石寺の本尊は、今なお正しい。
>>おわします場所として、不本意ながら彼ら(坊主)の手にある。

あれ、どなたか、「パッチワーク本尊」とか言ってましたよ。

もう削除されているけど。
No.39128 有難うございます!o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-25 21:22:59 ID:ab5b6551e
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いただき物です。

=== 転載の転載 ==============

有師化儀抄

投稿者:んっ? 投稿日:2014年 5月25日(日)15時36分49秒

一、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、
  但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。

一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、
  但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、
  希なる義なり云云。

=========================

今日の研究報告、本当はこれを含めなければいけませんでした。

ちゃんと読んで下さる読者、的確に反応下さる読者の皆様に感謝申し上げます。

若鷹の皆様は本当にお目が高い!。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39127 うんうん、いい問題提起ですね。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-25 21:06:25 ID:97b7c6d1e
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>>39125
>>
>>それは ともかく 話をした事がないんですか?・・の問い
>>子供の頃から 人間革命に登場した人間も含め充分に接していますけれど
>>但し そんな人間ばかり見ているから、いけないんでしょうかね
>>
>>因みに 総意と現場は認識も含めてズレが生じていたり 
>>浸透していなかったりと様々ですから なんとも言えませんけれど 


よくある話しで有名人と接触、関係があると言うのがあります。
しかし、本当の問題は、自分自身がどうかではないでしょうか。

ちょっと例が悪いですが、菊川さんのかつてのブログに私はとても違和感を抱きました。
普通の学会員が書く内容でなく、何かしら他よりも目立とうとする嫌味を感じました。

ゆっくりと読み解けば、やはり普通の人。で、欠けているものも当たり前に多くある。
で、それらを補おうと自助努力に熱中するあまり、彼はどんどん脱線を重ねます。

最終的に、かつて彼がよすがとしていた人から追い落とされ、孤立状態に陥ります。
で、悪いことに、よすがのその人が、元々有名人と接触、関係ある人・ら・し・い。

いや、これらはすべてネット上の虚構の世界の話しであり、現実とは違うでしょう。
しかし、現実と虚構は、ある程度どこかでリンクしあっているのも事実です。

まあ普通の感性を持った人は、直ぐに気づくでしょう。
自らが学会の看板を背負って立っているぞを豪語する人の、虚飾と虚勢に。
また、どこかの誰かを知っていると言うのも、ネットならではの物言いでしょう。

そんなことが現実の何に役立つのでしょう?

いるかいないかすら第三者に証明出来ない人のこと、関係を持ち出すよりも、
お宅のお母さんや妹さんに聞けば、直ぐに分かることじゃないですか?

もう少し現実的になって下さい。学会で今何を教えているのかを知りたければ、
今あなたの周囲にいる学会員さんに聞くことですよ。  マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39126 (無題) 投稿者:さて、誰でしょう?(笑) 投稿日:2014-05-25 20:21:29 ID:022d9d633
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横からばかりですが。

おっしゃるとおり、「カッコつけて」いらっしゃるわけでして、
そうした方が、おおかたの学会員の意見をまとめものではけっしてありません。
現に、私も同意できませんし。
ああした方をサンプルとして挙げるのはいかがなものでしょう?

何ものか?と問われれば、私からすれば「籍があるだけの方」としか申しあげようがありません。
何の立場も代表されたものではありません。

ちなみに、沖〇さんあたりなんかは、
いつも持論を展開する際、あたかも自分流の解釈(にすぎないもの)を、
「ほ・ん・と・う・は・先生もこう思っていらっしゃる」なんて勝手な物言いをしています。
持論で終わればまだしも、越権も甚だしい物言いが、学会員からの反発を読んでおります。

いずれにいたしましても、
貴方さまもよぉく見透かしているとおり、ネットで「カッコつけて」いるような連中に、
我々ごく普通の現場学会員にとりましては、甚だ迷惑な“自己流活動”だということです。


貴方(ecoさん?)さまも、これまでいろいろ環境があったことと思いますが、
それも眷属なのかもしれませんね。
でも、多くの普通の学会員さんは、そうも捨てたもんじゃないですよ。
いろんなこともあるけれど、みな地元の身近な人にしっかり向き合うことを第一に、
地道なことに向き合っていますよ。

だって、それ自体が結構たいへんなのですから(笑


No.39124 さきほどのフェイクについて。 投稿者:さて、誰でしょう?(笑) 投稿日:2014-05-25 18:11:50 ID:022d9d633
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こういった信彰の暴力行為は、明らかに傷害罪として刑事告発の対象と思いますが、このあと如何なされたのでしょう?

男子部員についてはとくに、寺との所属関係もありませんから
「内輪の指導」などと言い逃れはできないと思います。

ボイスレコーダーや、スマホで撮影とか、
複数の人間で行っているのですから、証拠などの保全はなされているべきです。

尋常ではない相手なのは想定内ですから、その備えがなければ危機管理としてお粗末です。
こうした記述だけでは世間へのアピールとしては弱いので、実際のところはどうなのでしょう?


No.39123 フェイク 第1455号 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-25 17:59:12 ID:c171fb90b
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(発行=14.05.23)

信彰が「暴力でも何でもいいんだ」
朝日の報道「仏教界の暴力事件」に思う ⑦
改革僧と学会男子部に暴行、講員ら呆然

改革同盟の松岡幹夫(雄茂)氏が一昨年十二月十九日の日顕の九十歳の誕生日に
送りつけた「阿部日顕の二度目の敗北を通告し、未回答の二五四問を含む二八二問
を示す」の一部を本紙前号で紹介した際、「松岡氏も暴行の被害者の一人」と
書いたところ、その詳細を知りたいとの要望が寄せられた。過去にも述べたことが
あるが、凶暴な日顕の息子・阿部信彰の正体を物語る暴行事件として、ここに改めて
紹介する。

 それは平成十一年十月三日、松岡氏と学会男子部員四人が、当時、信彰が住職を
務めていた東京・府中市の大修寺を訪問した時に起きた事件である。

訪問の目的は都内などでバラ撒かれた「大白法」号外(平成十一年八月十日付)
の「シアトル裁判」に関するデマ記事について、日顕の息子として事件の真相を
よく知る信彰の真意を質すためであった。

当初、同寺の受付で面会を求めた松岡氏らに対し、御講を終わって二階の本堂から
降りてきた信彰は「おう、松岡、何だ?」と声をかけきた。

松岡氏が「大白法」号外を見せて「このようなウソのビラを撒いているので質し
に来た」と言うと、信彰は「あんた達は騙されているんだよ」と最初は穏やかに
話していた。

ところが、突然、信彰の態度が急変し、男子部員に近づくや否や手にした中啓で
何度も男子部員の手や頭を殴打。これが異常な暴行劇の始まりだった。

御講の直後でもあり、数十人の法華講員がみていたが信彰は荒れ狂い、暴力を
振るい続けた。講員が「先生、止めて下さい」と言いながら止めに入ったが、
信彰は「暴力でも何でもいいんだ」と狂ったように叫び、松岡氏や男子部四人
に何発も素手で殴り続けた。

特に、一人の男子部員に対しては髪の毛をつかんで引きずり回し、何発も拳骨で
殴りつけた。「暴力を振るっていいのか?」との声に対しても、信彰は
「うるさい、バカ者、いいんだ、暴力でも何でもいいんだ」と叫んで暴行を続けた。

松岡氏にも「この松岡、雄茂、雄茂、 お前は誰の弟子だったんだ」と喚いていた。

そこで松岡氏が「信彰、お前こそ誰の弟子だ。大御本尊を否定した大謗法の日顕の
弟子、ニセ法主の息子だろう」と一喝すると、信彰は驚き、仰天した表情を見せた
後、白目を剥き、松岡氏に顔をこすりつけてきた。ヤクザ映画の悪役を思わせる
仕草だったという。

法華講員は信彰の暴力を止めようと「先生、やめてください」と必死になっていた。
信彰の妻・信子も、引きつった顔で傍観し、呆然と立ち竦むばかりだった。

信彰は後に「あれは松岡を折伏したんだ」とうそぶいたそうだが、松岡氏から改めて
「中啓で頭を叩いたり、拳で小突いたりすることが折伏なのか。常不軽菩薩の折伏行
と正反対のことをして、それが『法華経』を信ずる者のやることか」と鋭く追及され
、何も回答できなかった。
No.39122 (無題) 投稿者:さて、誰でしょう?(笑) 投稿日:2014-05-25 17:32:47 ID:022d9d633
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>You yubeにいる何名かは しっかり否定しております
>フェイクを書いている方でも真偽主義に陥っている人もいます
>単に、あなたが見て見ぬふりをしているか、存じていないだけです。

存じません。

ネットには沖〇さんをはじめ、坊主破折をただただ本尊否定でしか示せない方もいます。
現場や学会指導に異を唱え、独自解釈で学会員を惑わす獅子身中の虫の意見は、
学会員総意のなんの根拠にもなりません。

最も大事なのは、ほんとうの現場学会員の認識です。
その誰も「ご本尊なんかなくていい」だとか、「迹」だとか踏み込んで言い出す人なんかいません。

そういうウケ狙いで悦に浸っている人は、たいてい決まってのちに退転します。
それが心配で沖〇さんにだって皆がしつこく諫言するのですが、ご本人はいつも上から目線(笑
学会同志のほんとうの優しさに気づかずにあの歳までこられたのはお気の毒ですが…。


閑話休題。

先ほどの拙稿後段、意見の一致をみたようで。

すくなくとも、
僭越ながら、これが現場学会員の認識です。
くれぐれも、よろしく。



たぶん、ecoさま(へ)



 ◇ ◇ ◇



マグマグさま、
異国情緒あふれる綴り、いつも楽しく拝見させていただいております。

なにかと心痛める両国関係ですが、
粘り強く、向き合ってまいりたいですね。
No.39121 アフォですか、あなた、笑o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-25 16:41:25 ID:97b7c6d1e
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>>39119

>>You yubeにいる何名かは しっかり否定しております
>>フェイクを書いている方でも真偽主義に陥っている人もいます
>>単に、あなたが見て見ぬふりをしているか、存じていないだけです。


あなたが誰だかを私は知っていますが、
あなたは現実に周囲にいる学会員と話しをしたことがないんですか?

フェイク?ネットを見る人はもちろん知っているでしょう。

YouTubeの何名か?

そんなもので学会員の信心が左右されると思っている・あ・な・た、
現実の学会員に会ったことがないんですか?爆笑。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪


追、「存ずる」は謙譲語です。相手の行為に使うのは可笑しいですよ。
そして「存じる」は口語的用法で、元来のサ変を上一段化したものです。

私は存じません、私が存じていないだけです、は、正解。
あ・な・た・が存じていないだけ、な~んて、社会常識のある日本人は言いません。
No.39120 ご名説!。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-25 16:17:40 ID:97b7c6d1e
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>>39118
>>
>>噛み合わないのは、本尊の真偽ではなく、
>>「信仰」そのものへの事。
>>
>>印籠(いんろう)よろしく、
>>坊主とモノ本尊観(ここらあたり、むしろ身延と大石寺坊主とは同根)で、
>>信徒へ権威をちらつかせる前時代的な「一大パフォーマンス」でしかありません。
>>


どちら様か存じ上げませんが(笑)、その通りですね。

信者不在が、信仰そのものの不在だと私は思います。

日蓮本仏にせよ、出世本懐にせよ、令法久住、立正安国、広宣流布等々、
それらに大確信を持った無名無冠の信仰者がいてこそ意味があるのでは。

例えば(ちょっと突飛ですが、笑)戸田先生がいらして、
登山する学会員がいて「御肉牙」の輝きが初めて増すようなもの、笑。

戸田先生は、普通では信じられない伝説的、神話的なそれらの存在を、
信心の大確信で昇華し、世間に、世界に宣揚なさろうとした。。。

また信仰は、その持ち主の境涯としても現れるでしょう。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39119 (無題) 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-25 14:54:03 ID:5a633dab6
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>>39118

>>さて、誰でしょう?(笑)

MAXたにがわ2号さんか、ヤヒロリ―チさんか、現金ミヤジさんか
・・とボケておきます


>>
>>そこまでは言ってませんよね、学会の誰も。
>>ミスリードしてはいけません。
>>
You yubeにいる何名かは しっかり否定しております
フェイクを書いている方でも真偽主義に陥っている人もいます
単に、あなたが見て見ぬふりをしているか、存じていないだけです。

>>大石寺の本尊は、今なお正しい。
>>おわします場所として、不本意ながら彼ら(坊主)の手にある。
>>
>>しかし、学会は日寛書写本尊を日常の本尊とした。
>>これも正しい。
>>

その通りです。 それが無かったら日蓮直結は成立しませんし
日蓮教義も成り立ちません。 禅や天台だけで問題は解決してしまいます。
先方さんも基本は法華経ですから・・・

No.39118 (無題) 投稿者:さて、誰でしょう?(笑) 投稿日:2014-05-25 14:22:17 ID:022d9d633
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>弘安の御本尊はまがいものなんでしょ?

そこまでは言ってませんよね、学会の誰も。
ミスリードしてはいけません。

大石寺の本尊は、今なお正しい。
おわします場所として、不本意ながら彼ら(坊主)の手にある。

しかし、学会は日寛書写本尊を日常の本尊とした。
これも正しい。

何故か?

“入り口”としては、それら「モノ」の形をした本尊を通じているものの、
当体としては、大聖人とつながっている。

当たり前ながら、
イワシのアタマや、キツネを本尊としているわけではなく、
あくまで大聖人の“あらわしたる”本尊に他ならない。

噛み合わないのは、本尊の真偽ではなく、
「信仰」そのものへの事。

印籠(いんろう)よろしく、
坊主とモノ本尊観(ここらあたり、むしろ身延と大石寺坊主とは同根)で、
信徒へ権威をちらつかせる前時代的な「一大パフォーマンス」でしかありません。


主従を重んじ、権力者主権のそれが当たり前だった何百年も前の社会情勢と、
民主主義、国民主権の今とは、
御書の読み方も違うのは当たり前です。

ご奉公=みやづかい が各々の仕事と解された御書も、
今では「職場」であり、ビジネスであったりします。

このご時世、旧態依然とした「出家」などにどっぷり浸かった世間知らずの坊主の出番などありません。
葬式で飯を食うしかないのでしょう。

もはや、それさえ世間の視線は変化しつつあります。
消えゆくはどちらか?
無駄な抵抗でいまだに威張りちらすしか能もない断末魔の様相、

これが今の宗門でしょう。
お気の毒です。








No.39117 【研究報告】本尊書写の大権。 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-25 13:47:28 ID:97b7c6d1e
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東洋哲学研究所1997年紀要13号に「大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察」がある。松岡幹夫師の論文で、2006年12月に世に問われた名著「日蓮正宗の神話」でも採録されている。同研究所HPに公開されているので、ご興味おありの向きはご高覧頂きたい。

――(おわりに)本稿を結するに、唯授一人の本尊書写は、教団を統率し、分裂を防ぐための方策であった。それゆえ、事情によっては一般僧侶の本尊書写・授与が公認ないし黙認されてきた。本尊模刻についても同様である。宗門史料に基づいて考察すると、結局、唯授一人の本尊書写の形態は、教団として定めた可変的な「形式」であることがわかる。(同論文)――

黙認はそうだが、公認は師の言い過ぎだろう、笑。実際に石山門流と言っても、本末関係や人的関係が複雑で、分裂、合同を繰り返している。石山本家より由緒がはっきりしている妙蓮寺などは、戦後の合同以前、同類視されるのを嫌っていたようにも考えられる。

もしも石山史観と言ったものがあって、少なくとも興門流で通用するならば、明治の合同の破綻や、それから「日蓮正宗」なる単立宗派の創出は元来不要。石山は大手を振って統率が出来たはず。が、現実は皮肉にも、そんな史観は今でも通用しない。

師が仰せの「形式」は、言葉の柔らかさに反して意味深長だ。先ず興目両師の本尊書写事例から出発し、有師の法度制定を経て、中世以降の内実の矛盾点を多く挙げられている。標題が示す通り、史料に基づく考察が展開されているのに、我々末学は大いに学ぶべきだ。

―― 一応、本尊書写は唯授一人の「金口相承」、とくに「本尊書写法」の相承を受けた法主でなければ不可能というのが宗門の通説である。しかしながら、実際には先師の見本を横に置いて本尊模写した平僧が多数いる。近くは昭和三十年代まで、宗内の末寺住職はこの方法で棟札本尊を書写していた。とすれば、唯授一人の相承は、必ずしも本尊書写の絶対条件ではない。(同続き)――

読者諸賢は、棟札だけでなく未来本尊もご存じだろう。石碑本尊もある、笑。ご注意頂きたいのは金口相承で、文献的には石山56代日応で、それまでの唯授一人を法体と金口に分けて、前者が戒壇大本尊、後者はそれにまつわる口伝の相承を指すことになった模様。

これは弁惑観心抄に述べられ、明治27年(1894年)に公刊後、石山公式見解となった。日応は、明治24年(1891年)4月から一年、日蓮宗興門派管長をつとめたが、明治33年(1899年)興門派は本門宗に再編される。この間、日応は石山史観の宣揚に腐心する。

興門八本山は現在日蓮宗の北山、小泉、伊豆実成寺の三箇寺、京都要法寺(現日蓮本宗)、西山(単立)、保田妙本寺(単立)と大石寺、妙蓮寺の現石山系二箇寺。明治34年(1900年)に石山だけが分派し、日蓮宗富士派を自称。明治45年(1912年)日蓮正宗公称に至る。

――また大石寺法主は、本尊を宗門として正式に認可する役割を担っていた。本尊の開眼は、そのために行われた嫌いがあった。すなわち、末寺僧侶が勝手に模刻した板本尊を法主が後追いで認可する場合、開眼が行われた。ただし形木本尊の開眼に関しては、一の例を除き、記録に残っていない。元来、宗門の形木本尊は、法主直筆の常住本尊を戴くまでの暫定的な「仮本尊」の扱いなので、本尊として正式に認可する必要もなく、開眼がなかったのは当然であろう。(同続き)――

日応は明治41年(1908年)に石山管長職を次代に譲るが、石山在任(明治22・1889年から)の約20年間、興門派管長も任ぜられ(実は輪番制)、この間、彼の富士の立義、正義、つまり石山史観の宣揚に明け暮れていたと考えられる。即ち法体、金口相承の所在だ。

そこで、松岡師が仰せの模刻や開眼、果ては常住、形木の別などの本尊の大権について、日応は考えが及ばなかったろう。要するに自山宗義の独自性の主張、他を排除する独善的なセクト主義の権化となり、信仰の細部で重要な核心問題を完全に忘却していた模様だ。

――最後になるが、現宗門は、法主が日蓮大聖人の生命を受け継ぐ「法体相承」を受けており、それゆえに本尊書写の資格があるとも主張している。しかし、「法体相承」のない一般僧侶が模写した模刻本尊や形木本尊が全国の寺院に散在し、今日、宗門の本尊として丁重に安置・格護されていることは、本稿で明らかにした通りである。その中には、いまだに法主の開眼すらなされていない本尊もある。/結局、本尊書写が法主一人に限定されるとする大石寺門流の化儀上の建前は、史実に照して明らかに矛盾しているのである。(同続き完)――

明治期の他山は、石山を受容しなかった。日応への評価でもあろう。また妙蓮寺は合同したものの、戦後石山復帰までは無関係を装っていた。最近では折角戦後復帰した保田と分裂したのも、また特筆に価する。明治に始まった日応の本尊観は、普及しないままだ。

さてこそ本尊書写の大権どころか、皆を納得させる宗義すら確立出来ないのに、権謀術数で他山の取り込みだけに腐心する石山近代史は悲惨だ。一昨年2012年に宗名公称100周年を迎えたが慶祝どころでない。戦前戦後の学会破門も大問題だが、この信徒不在の権力志向、弱小宗派はあと何年もつのだろう。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39116 皆様、お早うございます。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-25 10:09:07 ID:97b7c6d1e
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しばらくの間、つながりませんでしたね、笑。

5月最後の一週間です。しっかり戦いましょう!マグマグo(*^▽^*)o~♪

No.39115 つまり、根本的に悪いのは日蓮正宗です。 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014-05-23 02:03:01 ID:3d2f941f3
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日蓮正宗自体がだらしなさすぎる。
中興の祖の御苦労は、並大抵ではなさそうですね。

中興の祖の文献は、当時の背景も視野に入れないことには、
その文章の本当の意が見えてこないかとも考えます。
No.39114 >>39105マグマグさんへ 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014-05-23 01:48:22 ID:3d2f941f3
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>>39105

>>申し訳ないですが、私がそんなことを知っているわけがありません。

了解しました。

ここから先は、河内平野さんのお書き込みを楽しみにすることします。

http://goo.gl/9O7ctj


追記

唯授一人の血脈相承というのは学会の概念にはありません。↓

「日顕宗では、法主から次の法主へと伝わる『唯授一人』の『血脈相承』が、根本、と主張
する。しかし、これは、仏法とは無縁のまったくの邪義。御書を読めば、血脈とは万人に
開かれたものであり、法主が独占するものではないことは明白だ。日顕は、信心の血脈を
ないがしろにし、浅ましい名誉欲、権力欲に狂い、相承を詐称した。」

このような理由から、日蓮正宗のいう唯授一人血脈相承を、文献学的に「斬る」ではな
く、「精査」することは大事なことと思います。

マグマグさんは混戦しているように感じられているかもしれませんが、私は、混戦とは決して思っておりません。
出だしは、晴彦さんの書き込みの論点の置き所が違えば、精査の方向性も違うものにはな
りましたが。
ともあれ、河内平野さんの書き込みを拝見させて頂きます。
No.39113 フェイク 第1454号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2014-05-22 23:59:39 ID:c171fb90b
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(発行=14.05.21)

日顕は御開扉の直前にも暴行
朝日の報道「仏教界の暴力事件」に思う ⑥
「慧妙」の難癖は既に改革僧が一刀両断

改革同盟の松岡幹夫氏は、日顕の九十歳の誕生日であった一昨年の十二月十九日、
百八十一ページにものぼる糾弾文書「阿部日顕の二度目の敗北を通告し、未回答
の二五四問を含む二八二問を示す」を日顕自身に送り届けた。

その中には既に、この度の「慧妙」の池田名誉会長の指導に関する難癖を破折した
箇所がある。それは日顕宗の僧俗共が不正に入手した録音テープの中のジョークの
箇所を抜き出して鬼の首でも取ったかのように言い掛かりをつけてくるのを一掃
したものである。

松岡氏は「頭トンカチでぶっ叩いてね」とはジョークだとした上で、日顕側の難癖
を切れ味鋭く切り捨てている。少し長くなるが、該当箇所を紹介する。

「これが名誉会長の真剣な〝指導〟なら、巨大組織ゆえ、誰かが君(日顕を指す)
の頭をはたこうとするぐらいの事件は起きただろう。だが、実際には、日顕よ、
被害妄想気味の君が防弾チョッキまで着て大騒ぎしたわりには、結局、何の事件も
起きなかった。

このこと自体、名誉会長が何一つ物理的暴力の指示を出さなかった証拠と言える。

君は今も安閑と都心の豪邸で暮らし、いまだに最高級の温泉旅館に出かけ、時には
美食に飽きて街の店に行くなど、自由気ままに生活していると聞く。深刻な信仰上
の対立の中、長期にわたって数百万の学会員を非暴力闘争に導いた名誉会長の
指導力は驚嘆に値しよう。世界的に知られた平和主義者だからこそ、なせる業と
言わねばならない。

以上のことから、かりに先の『トンカチ』発言が事実だったと仮定しても、
それは悪と戦う気概を教えたジョークと捉えるのが本筋だろう。私の経験に照らせば
、ざっくばらんな池田名誉会長のジョークは、我々の強烈な敵愾心をほぐし、
かえって柔和な気持ちにさせることが多かった」

続けて、松岡氏は次のように日顕の暴力体質を糾弾している。

「君(日顕を指す)には病的な暴力体質がある。幼少期の人格形成がゆがんでいた
のか、被害者意識が異常に強い。何かあると、自分がバカにされたと勘違いして
怒鳴り、すぐに暴力を振るう。宗内で君のことを『瞬間湯沸かし器』と呼んでいた
のは有名な話だ。

些細なことで激高し、法要の席であろうが、大御本尊御開扉の前であろうが、
お構いなく、所化の頭を叩いたり、蹴ったりする。それが日常茶飯事だった。

ところが、当の君は己の暴力体質を反省するどころか、むしろ自慢していた。

自分が海軍にいた頃は三百人の部下を殴ったものだとか、一升ビンを振り上げて
所化を暴行した佐藤慈暢(現・大石寺主任理事)に対して〝殴り方が下手だ、
もっとうまく殴れ〟とか、本当に暴力を奨励する発言が多かった。

〝うまく殴る〟とはどういうことか。今、ここで説明してみよ」

 この松岡氏も暴行の被害者の一人だ。松岡氏は、この他にも「阿部日顕の教学に
対する十の学術的批判」「阿部日顕著『百六箇種脱対見拝述記』の考察」などを
著して日顕を糾弾し続け、日顕やその配下の邪義班は回答不能に陥っている。
No.39112 (無題) 投稿者:千里生駒枚方羽曳野 投稿日:2014-05-22 20:22:31 ID:b3c1aa5e9
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>>39111

現在の創価学会の主張は当時の身延と一緒。
恥ずかしくないの~~
No.39111 小樽法論気取りかよ!ww 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-22 18:25:45 ID:c9d5bfe91
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>>39110
>>****創価学会vs日蓮正宗****法論対話編
>>
>>★創価学会弁士
>>
>>主将 マグマグ
>>
>>会員 河内平野
>>
>>
>>★法華講弁士
>>
>>主将 池田晴彦
>>
>>会員 ????
>>
>>**************************
>>
>>こんな感じっすかぁ。。笑


その前にあなたは身延に謝らなきゃ・・・
弘安の御本尊はまがいものなんでしょ? それは身延側の御意見でしたよね
No.39110 だんだんおもしろくなってきましたなぁ。 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-22 16:52:07 ID:3d7d63e3a
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****創価学会vs日蓮正宗****法論対話編

★創価学会弁士

主将 マグマグ

会員 河内平野


★法華講弁士

主将 池田晴彦

会員 ????

**************************

こんな感じっすかぁ。。笑
No.39109 なら 敢えて伺いますが 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2014-05-22 16:18:32 ID:c9d5bfe91
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>>39105
血脈相称と師弟不二 どこが違うのでしょう
No.39108 大勝利さんへ 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-22 15:04:15 ID:c171fb90b
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※もしかしたら、彼は中杉弘の正理会かもしれませんね


それは面白い推理ですが、晴彦さんは富士宮ボーイ掲示板に

◎いやいや、無限に続く無意味な論争に力を入れておますな。

 それより、大石寺に帰伏して日蓮大聖人の御当体に正信の唱題を
 することが成仏への直道ですぞ。

「No.38996 ふふふ 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-11 13:18:10」


と直球勝負をかけ、日顕宗門徒として語られたのが最初なので(笑い)
No.39107 物言えば宗門寒し 投稿者:阿部日ケーン(院政) 投稿日:2014-05-22 14:49:34 ID:c171fb90b
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一昨日ニュースで
公明党の支持母体である創価学会広報室が
安倍首相の集団的自衛権行使(憲法改正ではなく解釈を変える)について
コメント(政治に口を挟む、物申す)を出していて、流石にびっくりでした

(略)

「(違反なのに)本音を出したぁ」
「コラコラ、政教分離違反でしょ」と苦笑しました
分別つかない瞬間を初めて観ちゃいましたよ

(公明党・創価学会[政教分離違反]のニュース)
http://ruby8nichirenshoshu.blog.fc2.com/blog-entry-111.html

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宗教団体として政治的なコメント発表する=政教分離違反 だと信じ切っているひとは
ネトウヨやカルト日顕宗の中にいまでもいるようですね。

これでは、いつまでたっても広宣流布なんて進まないはずです。

かつて国民が国家に翻弄されたのは、人を救う立場の集団であるはずの宗教が
政治に関して、ノータッチだったからじゃなかったでしょうか。
江戸期においても、宗教は統治システムに組みこまれ、寺領と門徒支配を保障される
かわりに布教に制限をされていました。
もちろん寺の坊さんが幕府の“まつりごと”に口をだすのは御法度。
しかたがないので、有力な大名や大奥とつながりをもつことで、資金を調達し
パトロンゆかりの末寺を増やすしかなかった。
現在でも、願い寺に縛られる寺壇制度(檀家制度)の弊害が残っているのが日本です。

近代に於いて、国から信教の自由を保障(保護)や、税制面で優遇されている代わりに、
表現の自由が制限されているなんてバカな発想は、日顕宗門徒が未だに封建主義から
脱却していない証拠だとおもいますね。

だからこそ、大月天管理人も事実上国家(政治)が関与している靖国神社に対して
一目おく存在だと考えているし、学会から退転した元議員が出馬前に天皇陵という
名の神域で坊主を引き連れて法要を行っている事が宗門でも門徒でも問題にならない。

「強い」国家権力に支配されたがっているのでしょうね。
No.39106 大勝利さん、マグマグさん。 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-22 13:58:06 ID:3d7d63e3a
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ありがとうございます。 お二人の見解はわかりました。

では、当人(晴彦さん)の見解を待ちたいと思います。笑

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271 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 12:11:57 ID:otJaDOb60
河内さん。
断言できませんが・・・言ってる内容からの推測にすぎませんが、
もしかしたら、彼は中杉弘の正理会かもしれませんね。

272 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 12:49:03 ID:otJaDOb60
河内さん
というのは、正宗的には、
「十界互具の蓮祖大聖人とは、唱えられ給う処の七字の仏界(師)と唱え奉る我等衆生の九界(弟子)」
と言うのはなじめないような気がするんだけど。
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No.39105 秋晴れさん。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-22 13:44:47 ID:41cf5d737
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>>39099
>>
>>御本尊の書写の資格の有する者は誰なのか、御存知であれば、ご教授して頂ければ幸いです。
>>ここでの論点は、本尊が偽か否かです。
>>宜しくお願い申し上げます。
>>
>>


申し訳ないですが、私がそんなことを知っているわけがありません。

で、日顕宗がいつも出して来る本尊七箇相承に、

――日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、
師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり――

とあるので、ここにある「代々の聖人」のことじゃないでしょうか?


それと逆にご教授頂きたいのは、あなたが仰せの、

唯授一人相承、と、血脈相承、に、いか程の違いがあるのでしょう?

おヒマな時で結構です。お教え下さい。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39104 何だか混戦しているような。。。笑 投稿者:マグマグ 投稿日:2014-05-22 13:25:23 ID:41cf5d737
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>>39103
>>じゃ~、大勝利さんでもいいよ。ちょっと教えて !
>>
>>************************
>>262 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 00:14:58 ID:lyJ1Gl8Q0
>>※日蓮大聖人は「真実の十界互具は云何。 師の曰わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱へ奉る我等衆生は九界なり」と御指南せられている。
>>>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
>>>>
>>
>>そうです!おっしゃる通りです。
>>************************
>>
>>>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
>>
>>これは誰の説ですか ?


河内様 いつも的確なご教示を有難うございます。

御本尊七箇之相承で、誰の説か不明なほど有名なものでしょう。

平野様が以前お相手下さった「佐助君」がしきりとひけらかしていましたよね。

で、今回の引用箇所は以前と違う部分であるのも一つの特徴でしょう。

あれ以降、彼が何かないかと探して行きあたったのがこれだと、私は推測します。

以上、ご参考まで。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.39103 へぇ~ そうなんやぁ~ 笑 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-22 11:39:07 ID:3d7d63e3a
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じゃ~、大勝利さんでもいいよ。ちょっと教えて !

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262 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 00:14:58 ID:lyJ1Gl8Q0
※日蓮大聖人は「真実の十界互具は云何。 師の曰わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱へ奉る我等衆生は九界なり」と御指南せられている。
>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
>>

そうです!おっしゃる通りです。
************************

>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。

これは誰の説ですか ?
No.39102 池田晴彦さんに質問です② 投稿者:河内平野 投稿日:2014-05-22 10:57:35 ID:3d7d63e3a
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「等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず、『了義経に依つて不了義経に依らざれ』と定めて経の中にも了義不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ」(開目抄219頁)

「成仏する位の坊主および幹部であっても、法門を説く時は経典を用いよ。
それ以外は信じるな !」 との日蓮大聖人の厳命です。
この御文にある通り、河内の質問した二つの事柄について、文証を出して説明してください。

宗教の根幹に関わる「本尊論」についての事なのでなおさらです。

では、よろしく・・・。
No.39101 追記 一例 投稿者:秋晴れ 投稿日:2014-05-22 10:44:54 ID:049b707b9
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「日顕宗では、法主から次の法主へと伝わる『唯授一人』の『血脈相承』が、根本、と主張
する。しかし、これは、仏法とは無縁のまったくの邪義。御書を読めば、血脈とは万人に
開かれたものであり、法主が独占するものではないことは明白だ。日顕は、信心の血脈を
ないがしろにし、浅ましい名誉欲、権力欲に狂い、相承を詐称した。」

日顕さんには、相承がありません。とは創価学会で教えて頂きました。
私は、相承とは書込みましたが、血脈相承とは書いてはおりません。
何卒、宜しくお願い致します。
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