福島をどう描くか:第3回 「はじまりのはる」 端野洋子さん
2014年05月28日
◆この話の中で実際、県内で起きていた嫌なことをどう描くかはものすごく考えます。きれい事ですまない話はいっぱいありますし、見聞きしました。事実だからといって、一歩出し方を間違えると実際にモデルになっていないにしても、似たような経験をされた方は落ち込みます。回復できない精神的なダメージを与えるかもしれない。だから深く、考えないといけない。安易には出せません。
私はこれ以上、福島で無駄に人が命を落とすようなことがなければいいと思っています。寿命でも何でもないのに人が死ぬことがなければ、それでいい。後は何でも構わないのとすら思います。科学的な問題は証拠が出そろい始めています。問題は孤立していたり、疎外感を感じていたりする人にどう届けるかです。たまにテレビやネットなどで変な情報が流れて、それを検証しきれず独りで悩んでいる人が残っているのも現実問題としてあります。この人たちを知識が無いと笑って終わらせずに、もっとどう届けるかを考えないといけないのです。
◇「感情の問題は中心に行けば行くほど、単純化できないと気づく」
−−個人の経験、取材だけでなく、広く情報を収集していると感じました。
◆シイタケ農家の話を描くにしても、福島だけでなく他県の人も巻き込んでしまう可能性があります。視野を広く取らないと、どんな表現やせりふで巻き込んでしまうか分からないので、気をつけるようにはしました。経験の絶対化は非常に怖いことだと思っています。
避難された方の中には自分の経験を基にして、福島県が安全だというだけで傷つくという方もいます。その気持ちも分からないことはないのです。そう話すのは、本当にしんどい人たちなんですよ。地元に帰れない、賠償で人間関係もずたずた。避難先でもなじめず、自宅も避難生活でぼろぼろ。個人の経験を絶対化したくもなります。私はまだ余裕がある立場なので、そういう気持ちもあるよね、という受け止める幅を持っておかないと。
そんな状況に置かれたら多少、周囲に攻撃的にもなりますよね。まともに反論することがかえって傷つけることになります。ちょっと押したらひっくり返る人もいますよ。ここで、ケンカをしてもしょうがないですよ。面白がって疎外感を突っついても仕方ないでしょう。時間で解決するしかないという話でもあると思っています。
あと、自分の限度も知らないといけません。取材して、調べたからといって自分の言説で何でもかんでもできると思って、しゃべりはじめると流れ弾で他の人を傷つけることもあります。本当に注意しないといけない。
−−端野さんご自身の立ち位置はどこに置いているのでしょうか