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在日米軍・防衛

集団的自衛権を考える 許されない「憲法泥棒」慶応大・小林節名誉教授

 憲法学者の小林節・慶応大名誉教授は怒りを通り越し、あきれている。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認に向け、政府、与党に憲法解釈変更の検討を指示した。自ら設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書を受けてのものだ。昨秋のインタビューで解釈改憲による行使容認を「裏口入学」と痛烈に批判した小林名誉教授だが、「これはもう、憲法泥棒だ」。その心は-。

 舌鋒(ぜっぽう)鋭く、解釈変更の動きを批判し続ける憲法学者は開口一番、嘆いた。「あまりに粗末にされ、軽んじられている憲法がかわいそうで仕方ない」

 安保法制懇の報告書は「あるべき憲法解釈」と銘打ち、書く。

 〈憲法9条は、自衛権や集団安全保障について言及していない〉

 集団的自衛権の行使を可能にすることで同盟国との関係が強化され、紛争の抑止力を高めるとして、こう結論付ける。

 〈これまでの「(自衛のための)措置は、必要最小限度にとどまるべき」との解釈に立ったとしても、その「必要最小限度」の中に集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の解釈は適当でない。「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈して行使を認めるべきだ〉

 安倍首相も唱える「限定容認論」。小林名誉教授は一笑に付す。「法律学を知らない人の『作品』。解釈の作法がまるで身についていない」。作法とは憲法は国家権力を縛るものという立憲主義に対する常識的かつ良識的で、正確な理解のことだ。

 「彼らは憲法には何も書いていないから自由だと言っている。だから憲法に拘束されず、政府が必要と思う防衛政策を決めることができる、と。これは解釈でも何でもない。憲法は本来は主権者たる国民が決め、為政者を管理するための規範。主客が転倒している。国民の持ち物を政府が取り上げるんだから、泥棒。ハイジャックと言ってもいい」

◆不作法と不見識

 その目には、安保法制懇の在り方自体からして不作法に映る。容認派のみで固められ、結論ありき。唯一の憲法学者として西修・駒沢大名誉教授が加わるが、「政府が望む結論を導き出す典型的な御用学者」と手厳しい。

 「憲法は国を縛るものという常識に国民に義務を課すことができると反論する。根拠に世界で200カ国近くの憲法からスイスというたった一つの例外を挙げている。彼は憲法学の世界で異端の存在。せめて通説と呼ばれる複数の学者の意見を聞かないと。彼の意見を聞いて憲法学者のお墨付きを得た、なんて到底あり得ない」

 不作法からくる不見識を、解釈変更が可能とする報告書の前提に見る。自衛隊の在り方をめぐり9条の解釈が変遷をたどったことを根拠としている点だ。

 「第1次大戦後に締結されたパリ不戦条約に照らせば、戦争放棄をうたった9条は侵略戦争は放棄していても自衛戦争までは否定していない。だが、憲法ができた当時は敗戦直後。敗戦国として日本は軍事的に消極的な姿勢を見せねばならず、自衛権は持っているが、留保していることは国民にもアナウンスされなかった。周知されるにつれ、9条の解釈が広がっていったのは解釈の幅の問題として許容できた。それをもって、かつても解釈の変更をしたのだから今回もできるなんて、法学を知らない証拠だ」

◆「司令官気取り」

 安保法制懇が報告書を提出した15日、記者会見した安倍首相は朝鮮半島有事を念頭に、邦人を乗せた米艦防護などの事例を挙げ、集団的自衛権の必要性を唱えた。幼子を抱いた母親を描いたパネルを指し示し、「みなさんのお子さんやお孫さんがここにいるかもしれない」。そして「いまの憲法では日本人を守れない」と言い切った。

 小林名誉教授はしかし、「個別的自衛権を整理すれば対応できる」と言い切る。「日本海での有事なら北朝鮮と米韓両軍が戦うということ。それは即、在日米軍基地の有事。日本は巻き込まれるんですよ。個別的自衛権の範囲以外の何ものでもない」

 声のトーンが上がっていく。

 「集団的自衛権の本質は同盟国のために海外派兵する点にある。アフガニスタンやイラクで米国とともに集団的自衛権を行使したイギリスやドイツは大勢の命を失った。その事実を忘れてはならない。国民の命を放棄させようとしているのは首相の方だ。『国民を守るため』に青年の命を海外で消耗させようとする恐ろしい発想だ。軍事大国の司令官気取りではないか」

◆軽視の風潮自責

 自身、憲法9条の改正を唱えてきた。敗戦国として再び国際社会に受け入れられるためには当然とはいえ、個別的自衛権の範囲を自制しすぎていた、との思いがある。「何より、解釈改憲のようなインチキがまかり通るほど、9条は分かりにくい」

 二度と侵略戦争を起こさないことを前提に改正によってできることとできないことを明確化させ、揺るぎない歯止めとして憲法の平和主義を強固なものにすべき、というのがその真意だ。

 いま、自責の念が胸をよぎる。かつて「改憲派の先生」として自民党議員の勉強会に招かれ、しかし、「9条は変えるべき」という表面だけをすくい取られ、真意は伝わらなかった。

 そして、現在の政治家に共通する憲法軽視の姿勢である。

 「かつては敗戦の体験から憲法が政治家の生き方を縛っていた。その後、私も含め憲法学者がきちんとした憲法教育をしてこなかった。語られてきたのは解釈学ではなく、スローガンとしての9条ばかり。その結果、何となく平和主義の憲法があるけれどよく分からない、分からないから歯止めにならないという事態に陥った。政治家も大衆も皆、そうだ」

 いま計画がある。安保法制懇に対抗し、解釈改憲反対派の識者による「国民安保法制懇」を立ち上げ、論陣を張っていこうというものだ。阪田雅裕・元内閣法制局長官、柳沢協二・元内閣官房副長官補、長谷部恭男・早稲田大教授らが名を連ねる。「私的な組織だが、安保法制懇だって首相の私的諮問機関。こちらは質と正当性で凌駕(りょうが)していく」。怒れる憲法学者は、ただ怒っているだけではない。

【神奈川新聞】