朝日新聞の一面トップでの解散報道が端緒となり、各紙が解散予定との誤報を半年間に渡って報じ続けました。
実際には麻生首相は解散するつもりはなかったのですが、誤報・訂正による自らの失敗を恐れるマスコミの一方的な報道によって、「決断できない首相」というイメージが作り上げられたのです。