政治【維新分党】“石原・橋下親子”2年持たず別れ 自主憲法譲れず+(1/2ページ)(2014.5.29 00:15

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【維新分党】
“石原・橋下親子”2年持たず別れ 自主憲法譲れず

2014.5.29 00:15 (1/2ページ)
2012年11月、衆院選の「日本維新の会」全体会議後、握手する橋下徹・大阪市長(左)と石原慎太郎氏=大阪市住之江区

2012年11月、衆院選の「日本維新の会」全体会議後、握手する橋下徹・大阪市長(左)と石原慎太郎氏=大阪市住之江区

 自民党に対抗する勢力の結集を目指した日本維新の会の野望は、2年も持たずに大きな岐路に立つことになった。37歳の年齢差があり、「親子のような関係」とみられていた橋下徹、石原慎太郎両共同代表。だが、野党再編を急ぐ橋下氏と、「自主憲法制定」にこだわった石原氏の溝は埋まらず、ついにたもとを分かつことになった。

 「寂しい。僕は橋下君が好きだったからね。彼と会えたのは人生の快事だったよ」

 橋下氏との名古屋市での会談を終えて帰京した石原氏は28日夜、周囲にこう語った。

 石原、橋下両氏の関係について、維新幹部は「他人にはうかがいしれない感情のつながりがある」と感じてきたという。石原氏らの太陽の党が平成24年11月に維新に合流したのも、「橋下君にほれた」という石原氏の思いが大きかった。

 それでも乗り越えられなかった壁は何か。「大阪都構想」が進展しない中、来年春の統一地方選を控えた橋下氏には焦りがあった。選挙戦に向けてすでに走り出している地方議員は、野党再編の実現を見越し、他党との具体的な選挙区調整に入る段階にさしかかっていた。

 橋下氏は「憲法改正も自主憲法制定も変わりない」と再三にわたり石原氏を説得した。だが、石原氏は28日の会談でも「国政に戻ったのは自主憲法制定を実現するためだ」と重ねて強調。結いの党との合流を理由に旗を降ろすことはできなかった。

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