これまた驚愕の真実
が判明した!! 真樹日佐夫の言葉にウソはなかった

大山倍達関連の物語では必ず登場する「中国武術 太気拳」の達人、
澤井健一老師…
彼には沢山の伝説があります。第2次世界大戦時、満州を舞台に襲い掛かる武装誹屬を素手で皆殺しにしたとか、中国人や朝鮮人の死刑犯罪人を実験台にして、「どうすれば簡単に殺せるか?」連日繰り返して必殺の急所を見つけたたとか…。
戦後一貫して澤井は自らの蛮行を喧伝外し、それを理論背景として「太気拳」を名乗ったのです。
1980年前後、極真会館総本部を知るほとんどの人間は、このような澤井の言動を知っていたはずです。


そんな澤井健一のインチキをいち早く見抜きつつ、大言壮語を吐く澤井という人間に大きな興味を抱いたのが芦原英幸でした。
「大山先生も澤井先生も大ボラ吹きという点では似てたけん。大山先生のホラは妄想、けど澤井先生のホラには一分の理があるように感じたんよ。人間の骨格や内臓をパパパッって絵に描けるだけでも普通やないやろ」

芦原英幸と澤井健一の関係は「芦原英幸正伝」PART2で詳しく触れる予定です。
ここまでが前書き。

改めて澤井健一という人物について。
大山倍達関連の物語では必ず登場する「中国武術 太気拳」の達人…
「陳老人のモデルが澤井という噂で…、俺も面倒だから否定しなかったが、全然関係ねえよ。陳老人は大山先生の師匠だった山口剛玄さんの逸話のパクリだよ(「大山倍達正伝」参照)」
酒が進むと真樹はこともなげに言いました。

さて、澤井健一の本性が最近幾つかの資料により明らかになりました。そもそもは真樹日佐夫の証言がきっかけでした。
「戦後闇市花盛りの頃、上野アメ横のワンブロック向こうには、通称チョーセン通りと呼ばれていた闇市街があった。豚の頭から尻尾まで何でも売っていたが、若い頃たまにチンピラ相手に金でもせびろうかなっていったのよ。すると面白い大道芸やってたよ。木刀持たせて一刀で面を売ったら賞金やるってな。兄貴(梶原一騎)がその気になって木刀振り回したら、丸い線の向こうに逃げてしまった。反則と言うと、反則をさせない鋭さがないおまえが悪いとかなんとか…。それが澤井だった」
真樹の経験談と酷似する内容が故・毛利松平が終戦直後に作った合成石鹸会社の「出納帳」に触れられていました。
後に澤井と知り合った大山は「プロレス試合」(見世物組手)でひと儲けしたそうです。
「それは真剣勝負でない相撲のしょっきりに似た風情~」
大山は跳び蹴りを多用し、澤井は両手での突き(カメカメ波か!?)で客は大いに沸いたようです。
要は八百長試合、言い換えればプロレスをしていたのでしょう。さすがに真樹はそれは見てないと言っていました。

詳しくは「大山倍達外伝」で触れます…