連載開始予告&ポールベッドイン記念 「ポール・マッカートニーを想像してごらん」プレ連載予告編
こんにちは!ハロー!~
大変な事になっておりますね~、ポールさん!。
いや、ホント、ゲロゲリ棒でも誰かにくらったのか?
と思うような、ある意味「さすが!元ビートルズ!誰も真似出来ない」としか
言えないような事態(2014年5月23日時点で)
になっております。
今、この時間この日本で我が手が届くような、山手線とかに乗れば
行けそうな場所で「ポール・マッカートニーがベッドに釘付け」
という状況を悲しみつつ
そして「やる事がでかい!」と感激しつつ、
その「でかい感じ」に反比例して「小さい感じ」
でポール・マッカートニーについて
今回、連載を始める事になりました。
(ちなみに私、今回のコンサート行く予定はありませんでした。
その深~いような浅い理由はこれから始まる連載で書く予定です)
あ、初めまして。
宮崎貴士と申す者でございます。
なぜ始める?と聞かれたら
「モダンファートの伊藤ガビン氏に書けと言われたらから」
としか言いようがないのですが、
人生とは不思議なもので他人から言われてみれば
「それもそうだ、オラはポールについて考えて
今の今まで八王子市で生きてきたんだものな~。ありゃま!書こうっと!」と
そういう適当な経緯でこうして書いているわけです。
申し訳ない。
誰よりも偉いわけでも誰よりもポールへの愛情が深いわけでも
ありません。
でもさ、あれじゃん、
「ポールへの愛情が誰より深い人ってそりゃポールの身内の人だよな。」
とも思う訳でして。
僕も君も同じ、どうせたかがファンなんだし。
いいでしょ?書いても。
身内がいたらごめん。
と、こういう言い訳を書かないとさ~
ビートルズ界隈についてはうるさそうだし。
すぐ「あのデーターは違う!」とか言われてさ。
バカ扱いされて。
面倒くさそう~、お金はもってそうだけどウルサそ~
そんな事も予想しつつ。
でもね、「ビートルズ界隈で語られた言語アーカイブすべて」
についてはすべて敬意を持っておりますです。
本当です。それ界隈の書を読み語るのが何より大好物で。
ご安心ください。
ワタシも一介のマニアでありファンでありますので。
で、つまり、そこがこの連載の主題になろう、と。
「いいのか?マニアとかファンの間だけであの才能を押し込めておいて」と。
ポールの過去のアルバム・アーカイブの詳細
データーだけで語る行為、などは必要最低限しかいたしません。
すでに他の多数の書物や雑誌で
言葉や批評は蓄積されておりますので、様々な解釈で。
そういう楽しみへの誘導という視線は持っていたいと思いつつ、
「ポール・マッカートニーという人物の才能とは?なんぞや?
というか、彼が持っている才能って何?」
とそこを今後書いていきたいと。
それを探るために必要な音楽理論もあろうかとは思いますが
でもさ、ポール自身が「楽譜って読めないにゃ~」と語るような人ですから。
そういう人を楽理で語る意味というのは実はまた別の思考が必要であろうか?と。
楽譜が読めない偉大な作曲家。
だからこそ、もしかして、
「誰にでもあてはまる事がポールにもあてはまるのでは?」
というさまざまな仮説とか妄想をもってして、
分析してネタにしたりして
張本人がベッドで唸っている間に勝手に考えてしまおう!
と、そういう連載でございます。
まあ、つまり楽しんで欲しいな、この連載を「誰でも」と。
だって「誰でも」知っているんでしょ?ビートルズを
不思議ですよね。なんで?。
僕自身、音楽を作っては壊し、壊しては作るような
真似なども副業としてやっております。
「セミプロ」と聞くときに毎回「蝉プロ?」
と読み違えてしまうのですが
ですね、夏だけ生きている蝉みたいな音楽家?って感じです。
そして、そこで使っている「音楽」の由来が
ポール・マッカートニーが考えている「音楽」とシンクロしているのか?
「ポールを通して見えた音楽とは?」そんな謎を解きたいとも、。
さてさて、近々、より連載始めたいと思っております。
その時にはポールも体調が戻って帰国しているか、
もしくは病状が悪化して、、まさか、、日本で、、
と、そうならない事を僕も皆さんとともに祈りつつ。
では、よろしくお願いします。
(そのうち始まります。)
p.s
自分が作ったウイングス時代70年代のポールの曲のカヴァーを
貼っておきますです。
遊びで10年ほど前に作った音源です。
全トラック制作・宮崎貴士