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日本一低い山再び? 津波で地形一変 仙台・日和山

】震災の津波で大きく削られ、日本一低い山に返り咲く可能性が浮上している日和山

 仙台市宮城野区の日和山が、18年ぶりで「日本一低い山」に返り咲く可能性が出てきた。標高6.05メートルだった日和山は、東日本大震災の津波で大きく削られてしまい、今は市民有志の立てた看板と頂上付近に積んだ石があるのみだ。正確な高さは誰も計測しておらず、日和山を愛してやまない地元の住民たちは本当に「日本最低峰」になったのかどうか、固唾(かたず)をのんで行方を見守っている。(報道部・上村千春)

<1996年に王座譲る>
 日和山が日本一低い山になったのは1991年。高い山ランキングはあっても低い山ランキングがないことに気付いた国土地理院の職員が、全国の地形図を調査して突き止めた。
 調査対象になるには、地形図に山の名称が記載されていることが条件だ。96年には大阪市の天保山(4.5メートル)が、住民の強い要望で地形図に山名が掲載され、日和山は日本最低峰の座を奪われてしまった。
 日和山は震災の津波で地形が一変。標高3メートルという近くの道路から眺めると、1.5メートルほど地面が盛り上がっているようにも見えるが、天保山より低いのかどうかは判然としない。

<区画整理の予定>
 一帯は震災後、災害危険区域に指定され、近く区画整理が行われる見通しだ。高さ7.2メートルの海岸堤防を建設する計画があり、日和山が建設予定地に引っ掛かる可能性もある。
 国土地理院の東北地方測量部(仙台市)は震災後、日和山の標高を再計測していないが、震災直後に作った地形図には山名がしっかり記された。
 東北地方測量部の池田尚応次長は「自治体から削除の要望がないため」と説明。仙台市区政課は「震災前から住民に愛されてきた山であり、現段階で地形図から削除する考えはない」ときっぱり。

<ライバルも応援>
 日和山が日本一低い山と認定された当時は、地元有志が富士山と同じ毎年7月1日、大々的に山開きのイベントを行っていた。天保山にその座を譲った後も住民の愛着は変わらないようだ。
 日和山の地元、蒲生町内会役員の片桐勝二さん(63)は「震災後も山が残ってうれしかったし、できれば日本一の座を取り戻してほしい」と願う。
 天保山を地形図に載せる運動を展開してきた大阪市住吉区の小西尉司さん(74)も、ライバル関係にある日和山に惜しみないエールを送る。
 「仙台市民が日和山を愛する気持ちはよく分かる。日本一を譲ってもいい。そうなったら『天保山は2位じゃ駄目なんですか』と言って盛り上げますよ」

[日和山]1909(明治42)年ごろ、地元住民が海辺の観測と海からの目印として築山。その後、13(大正2)年、19(同8)年の2回、地元住民が土盛りを実施。72(昭和47)年には旧環境庁の「鳥類観測ステーション」に選ばれた。


2014年05月20日火曜日

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