いささか私的すぎる取材後記

第27回 奪還 震える夜

2014.05.23更新


 極限の一刻に震えたのは指先ではなかった。

 夜、8時2分。控室のモニターは対局室の2人を映している。自らの手番で考慮に入り、ゆらゆらと前後に揺れていた羽生の体が突然ビクッと震えた。続いて右手で頭を掻くと、前後への揺れはピタリと止まった。大きく息を吸い込むスゥーッという音が響く。そして、盤上を走らせていた視線はある一点から動かなくなった。

 あの瞬間、羽生は発見したのかもしれない。名人を奪還する一手を。
 
 
 21日、成田山新勝寺奥殿で指し継がれた第72期名人戦7番勝負第4局は形勢不明のまま最終盤に突入した。開幕から3連勝している挑戦者・羽生善治三冠、もう後のない森内俊之名人・竜王が盤を挟んでいる。両者が2階の対局室で放つ決戦の空気が下階まで流れ来たかのように、控室は奇妙な静寂に包まれていた。
 羽生の放った勝負手▲4一金により、局面はさらに難解を極めた。部屋の中央では立会人の佐藤康光九段、木村一基八段、飯島栄治七段、佐々木慎六段が継ぎ盤を囲んでいる。実力者ばかりが揃った顔ぶれでも、目の前の盤に一致した正答を導き出すことが出来なくなっていた。
 7時38分。森内は△8七飛成と飛車切りを決断する。検討で一切触れられていなかった一手の出現に、4人は思わず自嘲の笑い声を洩らした。
 7時52分。森内の王手飛車に対し、羽生は9七へと玉を逃がす。他に選択の余地のない一手だったが、着手の指先を見た関係者の何人かは「震えた」「震えたよ、今」と口々に言った。私には通常と変わらない着手に映ったが、震えたように見えるのも無理はないのだ。
 人は、羽生の終盤に伝説を求める。語り継がれていく魔術を、まさに今、自分が目撃したいと誰もが願うのだ。もちろん私も。そんな思いが時として錯覚を生むのだろう。ただ、錯覚を錯覚と笑いたくはない。勝利を確信した羽生の指先の震えは、見る者にとっては心の震えでもあるからだ。最高の棋士が放つ一手への憧憬でもあるからだ。

 朗らかな笑みを交えながら検討していた佐藤がふと独り言のように言う。
 「おかしいな...」
 1982年に奨励会に同期入会してから32年間、羽生や森内と共に時代の頂点で並走してきた元名人は少し笑った。
 「将棋は難しいですね」
 真顔に戻る。あるいは勝負の行方を読み切ったのかもしれない。
 「将棋は難しい...」
 
 8時13分。羽生は駒音を高く鳴らして確信の一手を指す。敵陣で唯一、四方を駒に囲まれた空白地点4二への角打ちだ。またしても検討陣の読み筋になかった一手だった。
 8時18分。後手玉は詰んでいる。最終手▲8一飛成を指す時、羽生の指先は確かに震えた。
 森内は投了した。
 
 
 報道陣が階段を上がり、対局室になだれ込んでいく。「ちょっと足りないと思って指していました」と振り返った羽生は、勝利を確信した局面を「4二角を見つけて」と答えた。シリーズについては「難しい将棋が多かったので幸運でした。自分なりに今までと違う将棋を指せたらと。積極的に動くところは動いて。いろんな変化が多い将棋だったので毎回苦心して指していました」。森内は「際どいと思っていましたが、4一金をうっかりして嫌な感じになりました。ミスが多かった気がします」と本局について語った後で「経験したことのない将棋が多く、難しかった。内容的に押されていたので結果は仕方ないです」と言った。

 感想戦が始まり、私は遠巻きにカメラを構えた。寄りの表情を撮ろうとレンズを回すと、羽生の右手の小指が微かに震え続けているのが分かった。駒を持っている時も顎に触れている時も、わずかな微動を続けていた。まだ戦いの渦中にあるかのように。

 1時間40分に及ぶ感想戦の後、記者会見に移行した。
 羽生の表情に興奮や高揚はなかった。読み取れたのは、控え目な喜びと安堵だけだった。

 会見をして、ようやく実感を感じています。名人戦で結果を残すのは簡単ではないということは初めの頃から変わりませんが、年々重みや大変さを感じます。(40代での4冠について)想像できなかったことでもあるので、実現出来て嬉しい気持ちももちろんありますし、ふさわしい将棋を指していかないといけないな、という思いもあります。
 (森内について)名人戦でも数多く対局していますし、森内さんは堂々と指す将棋なので、ちょっと変な手を指すと咎められてしまうという緊張感や緊迫感があります。毎回、微妙な緩急の付け方にうならされます。対戦相手としては大変ですけど、勉強になる部分が多くあります。
 昨年は内容的にもスコア(1―4)的にもふがいない結果に終わったので、同じ轍を踏まないように、同じミスを繰り返さないようにと思いました。(しかし今回も)非常に際どい将棋も多かったので、どちらに転んでもおかしくなかったです。今日の将棋も完全に負けだと思っていたので。
 (今後の目標は)目の前にある一局、シリーズを大切に指していくことなのかなあと思っています。40代になってタイトル戦にどれだけ出られるか分からないので1回1回を大切にやっていきたいなあと。
 
 私は相変わらず答えにくい質問をした。「40代で四冠に達した今の状態は、30年近い現役生活の位置付けとしてどのように感じているのでしょうか」
 羽生は言った。
「長い年月やってきた経験値みたいなものを、いかに具体的な指し手なり作戦なりに反映していけるか、ですよね。ただ、将棋の戦術はどんどん変わっていくので過去のものを消化して、今あるものに合わせていくことはやっていかなくてはいけないのかなと思います」
 

 終生の宿敵を破り、羽生は4期ぶりに名人位を奪還した。過去3期連続で苦杯を舐めた相手であり、竜王を奪って最高の状態にあった森内を4勝0敗で退け、43歳で四冠復帰を果たしたのである。
 通算8期目の獲得で史上初となる3度目の名人復位。ただ、奪い還したのはタイトルだけではない。並び立つ森内や渡辺明二冠との比較における議論の余地のない最強手の証だった。
 
 おそらく羽生は、再び走り始めているのだ。棋士になって何度目かの絶頂期を。
 いつ止まるのか、誰が止めるのか、誰にも分からない。

 会見の終わりに、私を含む記者十数人から自然と拍手が起きた。小さく遠慮がちな音ではあったけれど、だからこそ逆に、取材者としてではなくそれぞれの個人から贈られる純粋な賛辞に聞こえた。
 名人になった羽生は「あ、どうも」と言って、伏し目のまま笑顔を浮かべた。


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北野新太(きたの・あらた)

1980年石川県生まれ。学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は日韓W杯—常総学院—柏レイソル—事件—映画—音楽—アテネ五輪—政治―事件—読売巨人軍—NHK—事件とムチャクチャ。現在は事件、政治、話題、人物、書評、将棋を担当。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」。2010年2月~2013年3月、ミシマガジンにて「実録!ブンヤ日誌」を連載。

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