そこで米タフツ大学とノースイースタン大学の共同研究チームは、コンピュータ上で行わせた「最後通牒ゲーム」というゲームを通して、この問題に取り組もうと考えました。このゲームは、例えば100円玉10枚を二人で分け合うゲームです。最初のプレーヤーがいくらを自分に、残りを相手のプレーヤーにあげると提案します。提案にはちょうど半々に山分けする公平な提案と、相手プレーヤーにほとんど何も渡さない不公平な提案があります。相手プレーヤーがこの提案を承諾すれば、提案どおりにお金が分配されますが、提案を拒絶すれば、お金は没収となり、どちらのプレーヤーにもお金は入りません。
コンピュータによるシミュレーションの結果、4つの戦略をとるプレーヤーが現れました。「合理的プレーヤー」は、常に不公平な提案をするが、相手からの提案は不公平でも承諾します。これは、ゲーム理論ではナッシュ均衡と呼ばれ、最も得をする戦略ではないが、最も損をしない戦略です。「公平なプレーヤー」は、常に公平な提案をし、公平な提案しか承諾しません。人間がこのゲームをすると大概この戦略をとります。「寛大なプレーヤー」は、常に公平な提案をし、相手からの提案は不公平でも承諾します。「意地悪なプレーヤー」は、常に不公平な提案をするが、自分は公平な提案しか承諾しません。
当初、異なった戦略をとるプレーヤーをランダムに組み合わせ戦わせた結果、優勢だったのは「合理的プレーヤー」か、「公平なプレーヤー」と「寛大なプレーヤー」の混合状態だったそうです。ところが、異なった戦略をとるプレーヤーをみんな同時に戦わせたところ、思いもかけない結果が現れたのです。何と以前はすぐに劣勢に陥った「意地悪なプレーヤー」が優勢になり、「合理的プレーヤー」と「公平なプレーヤー」を駆逐しました。「合理的プレーヤー」は不公平な提案しかしないので、「意地悪なプレーヤー」から常に拒絶され、「公平なプレーヤー」は公平な提案しか承諾しないので、「意地悪なプレーヤー」を常に拒絶せざるを得ないからです。つまり両者とも「意地悪なプレーヤー」とは共存できなかったのです。
ところが、唯一「寛大なプレーヤー」だけは、「意地悪なプレーヤー」と共存することができました。なぜなら、「寛大なプレーヤー」は、「意地悪なプレーヤー」の出す不公平な提案は受け入れ、「意地悪なプレーヤー」をも公平な提案で承諾させることができるからです。
というわけで、寛大さは意地悪とともに進化した。つまり、社会の中にはびこる邪悪に唯一対抗できる手段として進化したと考えられるわけです。逆に、意地悪も寛大さがなければ生き残れなかったことから、両者は持ちつ持たれつの関係として進化したとも考えられます。寛大な神も邪悪な悪魔も本当はお互いを必要としていたというなにやら奥の深い結論が、単純なコンピュータ・シミュレーションから導き出されるというのは不思議な気がしますね。
出典:
原著:
P. Forber, R. Smead. The evolution of fairness through spite. Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences, 2014; 281 (1780): 20132439 DOI: 10.1098/rspb.2013.2439
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