福島をどう描くか:第1回 漫画「いちえふ 福島第一原子力発電所労働記」 竜田一人さん
2014年05月22日
◆1Fの近所に家があって戻れないという人もいますし、帰還困難区域との境界近くに家があり「俺の家はどうなるんだ」と悩んでいる人もいました。ただ、そういう話題も飯を食いながら、バカ話の間に出てくるんですよ。ぽろっと。真剣なトーンでもなく、バカ話の延長で話すんです。「将来的には戻ろうか。それとも(福島県)いわき市辺りで家を買おうか」と迷っているなんて、話もあります。そういう人って東京電力の仕事で給料をもらっているけど、それとは別に東京電力と補償交渉していたりして被害者の立場でもあるわけです。東電が雇用主でありつつ、賠償させる相手なんですよ。その胸中は私には想像するしかない。
東京では想像できなかったけど、1Fで働く人と補償を求める人がすっぱり分かれているわけではない現実があります。避難して交渉している人の中に、あそこで働いている人もいるんですよ。
−−そういう方が読んでも誇張はないように描かないとうそになる。
◆だから、雇用主(東電)を徹底的に悪者にするのも違うし、だからといって事故を起こした企業ですから、その相手に対して、仕事をくれてありがとうと感謝するわけでもない。人間の気持ちはそんなにきれいに分けられないと思う。東電は雇用主でありつつ、賠償の交渉相手という現状が一人の個人の中にあるんですよ。事故を起こした当事者で、家を奪った憎むべき相手の仕事かもしれないけど、目の前の仕事はきちんとこなさないといけない。いつか、もと住んでいた所に帰るにはそうするしかないわけですし。仕事としてどうにかしないといけないわけで、みんな「ちゃんとやらないと」っていうプロ意識が強いです。
−−それはどの仕事でも同じですよね。
◆そうですね。どの仕事でもあると思います。例えば特集を組んでいただいた「週刊現代」でも「いちえふ」のエピソードを描き下ろしで掲載しました。週刊現代は(福島第1原発の)事故後、不安を強調する記事も多かったと思います。さきほどお話した評論家やジャーナリストと同じで、不信を感じた雑誌ではありました。正直、仕事が来るのは意外でしたが、それでも頂ける仕事は仕事だし、そういう雑誌からでも私のようなものに声がかかるんだから、それはちゃんとやらないといけないですよね。
−−福島との関わりでいえば、「よそ者」という意識はありましたか。