- >>39140
>>笹子トンネルの崩落自己直後にしてこの言葉
>>下劣に感じられて仕方がありませんでした。
>>むしろ、「人間のためのコンクリート」ではないか!!
http://goo.gl/OjM5oeより
------------------------------------------------------------------------------
中央自動車道の笹子トンネルの開通は昭和52年(1977年)です。
その際 あのトンネル自体手抜き工事をしていた事が
1976年の段階で指摘されていた事を 自公連立政権時代でも 目をつむっていましたし
想定外だった要素も否めなかっし また笹子トンネルの事故は 様々な要因があるものの
基本的には天上板の老朽化が判明していたわけですが
その事を踏まえた上で、あなたは「例の事故」が発生する前までは、
「トンネルが崩壊する」なんて思った事が無かったのではないのでしょうか?
従って No.35744の批判は「後付けバイアス」の要素が混じった
事後だから批判出来るお話で 他人事にしか過ぎないわけで
過信によるツケが あんな形で顕れてしまった結果で残念と言えば残念ですが
それと同じように、笹子トンネルよりも5年前に構築された正本堂が
「絶対壊れない」・・と言う保障が何処にあったのでしょうか?
―余談
実は 耐震性が試される出来事が一件ありました
東日本大震災直後の3月15日に発生した 大石寺付近が震源とする直下型地震です。
百歩譲って 解体をせず、残した・・として
万が一 そこで自然崩壊した場合、弘安の御本尊は守られなくなるわ
創価の面目は丸潰れになるわで、大変な事にもなっていたんじゃないでしょうか?
そう言った意味では正本堂の解体は
御本尊を守る・・と言う意味では正解だったのかも知れません。
- >>39140
>>空き時間に少々の楽しみが欲しくて(苦笑)「ふうふうサプリメント」の51として「『正本堂』壊滅――『破壊』か『解体』か?」をアップロードさせて頂きました:
>>ふうふう拝
どう見ても解体ですよね。
東京戸田講堂を作り直した時、誰か「破壊」と言いました?
東京会館を解体して現在の建物にした時、誰か、破壊だーと叫びました?
寝付けないから付き合ってたけど、もう寝るね。明日の朝が辛くなるといけないから。
- 松岡氏自身が書いている内容が、かなり恣意的に、いや、法義と外面的な歴史を混同しているようにしか見えないのだが、松岡氏をはじめとして、これを掲載したマグマグさんは記事に同意なのだろうか?
気のせいか、アベ日氏・マグマグさんの書き物も、とうてい日蓮正宗の御本尊に唱題してその法悦を得てもいないのではないか、と推察せざるをえない。
普通、もちろんあくまでも日蓮正宗の場合だけど、唱題を続けながらいつまでも憎悪を書き連ねること自体が、仏界を味わった者の言葉とはどうにも信じがたい。
>>39117
>>
>>東洋哲学研究所1997年紀要13号に「大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察」がある。松岡幹夫師の論文で、2006年12月に世に問われた名著「日蓮正宗の神話」でも採録されている。同研究所HPに公開されているので、ご興味おありの向きはご高覧頂きたい。
>>
>>――(おわりに)本稿を結するに、唯授一人の本尊書写は、教団を統率し、分裂を防ぐための方策であった。それゆえ、事情によっては一般僧侶の本尊書写・授与が公認ないし黙認されてきた。本尊模刻についても同様である。宗門史料に基づいて考察すると、結局、唯授一人の本尊書写の形態は、教団として定めた可変的な「形式」であることがわかる。(同論文)――
>>
>>黙認はそうだが、公認は師の言い過ぎだろう、笑。実際に石山門流と言っても、本末関係や人的関係が複雑で、分裂、合同を繰り返している。石山本家より由緒がはっきりしている妙蓮寺などは、戦後の合同以前、同類視されるのを嫌っていたようにも考えられる。
>>
>>もしも石山史観と言ったものがあって、少なくとも興門流で通用するならば、明治の合同の破綻や、それから「日蓮正宗」なる単立宗派の創出は元来不要。石山は大手を振って統率が出来たはず。が、現実は皮肉にも、そんな史観は今でも通用しない。
>>
>>師が仰せの「形式」は、言葉の柔らかさに反して意味深長だ。先ず興目両師の本尊書写事例から出発し、有師の法度制定を経て、中世以降の内実の矛盾点を多く挙げられている。標題が示す通り、史料に基づく考察が展開されているのに、我々末学は大いに学ぶべきだ。
>>
>>―― 一応、本尊書写は唯授一人の「金口相承」、とくに「本尊書写法」の相承を受けた法主でなければ不可能というのが宗門の通説である。しかしながら、実際には先師の見本を横に置いて本尊模写した平僧が多数いる。近くは昭和三十年代まで、宗内の末寺住職はこの方法で棟札本尊を書写していた。とすれば、唯授一人の相承は、必ずしも本尊書写の絶対条件ではない。(同続き)――
>>
>>読者諸賢は、棟札だけでなく未来本尊もご存じだろう。石碑本尊もある、笑。ご注意頂きたいのは金口相承で、文献的には石山56代日応で、それまでの唯授一人を法体と金口に分けて、前者が戒壇大本尊、後者はそれにまつわる口伝の相承を指すことになった模様。
>>
>>これは弁惑観心抄に述べられ、明治27年(1894年)に公刊後、石山公式見解となった。日応は、明治24年(1891年)4月から一年、日蓮宗興門派管長をつとめたが、明治33年(1899年)興門派は本門宗に再編される。この間、日応は石山史観の宣揚に腐心する。
>>
>>興門八本山は現在日蓮宗の北山、小泉、伊豆実成寺の三箇寺、京都要法寺(現日蓮本宗)、西山(単立)、保田妙本寺(単立)と大石寺、妙蓮寺の現石山系二箇寺。明治34年(1900年)に石山だけが分派し、日蓮宗富士派を自称。明治45年(1912年)日蓮正宗公称に至る。
>>
>>――また大石寺法主は、本尊を宗門として正式に認可する役割を担っていた。本尊の開眼は、そのために行われた嫌いがあった。すなわち、末寺僧侶が勝手に模刻した板本尊を法主が後追いで認可する場合、開眼が行われた。ただし形木本尊の開眼に関しては、一の例を除き、記録に残っていない。元来、宗門の形木本尊は、法主直筆の常住本尊を戴くまでの暫定的な「仮本尊」の扱いなので、本尊として正式に認可する必要もなく、開眼がなかったのは当然であろう。(同続き)――
>>
>>日応は明治41年(1908年)に石山管長職を次代に譲るが、石山在任(明治22・1889年から)の約20年間、興門派管長も任ぜられ(実は輪番制)、この間、彼の富士の立義、正義、つまり石山史観の宣揚に明け暮れていたと考えられる。即ち法体、金口相承の所在だ。
>>
>>そこで、松岡師が仰せの模刻や開眼、果ては常住、形木の別などの本尊の大権について、日応は考えが及ばなかったろう。要するに自山宗義の独自性の主張、他を排除する独善的なセクト主義の権化となり、信仰の細部で重要な核心問題を完全に忘却していた模様だ。
>>
>>――最後になるが、現宗門は、法主が日蓮大聖人の生命を受け継ぐ「法体相承」を受けており、それゆえに本尊書写の資格があるとも主張している。しかし、「法体相承」のない一般僧侶が模写した模刻本尊や形木本尊が全国の寺院に散在し、今日、宗門の本尊として丁重に安置・格護されていることは、本稿で明らかにした通りである。その中には、いまだに法主の開眼すらなされていない本尊もある。/結局、本尊書写が法主一人に限定されるとする大石寺門流の化儀上の建前は、史実に照して明らかに矛盾しているのである。(同続き完)――
>>
>>明治期の他山は、石山を受容しなかった。日応への評価でもあろう。また妙蓮寺は合同したものの、戦後石山復帰までは無関係を装っていた。最近では折角戦後復帰した保田と分裂したのも、また特筆に価する。明治に始まった日応の本尊観は、普及しないままだ。
>>
>>さてこそ本尊書写の大権どころか、皆を納得させる宗義すら確立出来ないのに、権謀術数で他山の取り込みだけに腐心する石山近代史は悲惨だ。一昨年2012年に宗名公称100周年を迎えたが慶祝どころでない。戦前戦後の学会破門も大問題だが、この信徒不在の権力志向、弱小宗派はあと何年もつのだろう。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>
- >>39140
「demolitionで検索した画像集」
https://www.google.co.jp/search?q=demolition&es_sm=93&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mW2DU9CXDczokAX4rIDwBA&ved=0CDcQsAQ&biw=1440&bih=783
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
こっちも確認しましたか?
確かに爆破解体もありますが「別の形」で解体している画像もありますよね
また、このサイトを閲覧すると⇒http://www.websaru.org/demolish.html
用例が書かれているのですが、例えば大きなビルを解体する場合
原子力発電所を解体する場合にも「demolition」を用いている事が解ります。
つまり「大規模な施設を解体する場合に用いる単語」なのではないでしょうか?
それと あなたのログを読んでいて思い出しましたが
日本では爆破解体をした例が琵琶湖の一件だけでしたっけ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E7%A0%B4%E8%A7%A3%E4%BD%93
- >>39136
>>連日、小説、新人間革命で「指導」について語られています。
>>本日つけ(2014/5/26)の聖教新聞の社説にも指摘されていました。
>>※「励まされた人」が、やがて「励ます人」へと成長する。
>> この「一人の人間革命」が社会を変え、世界を変えていく。
>>(社説 訪問激励に勇んで 会ってこそ「心」は結ばれる より抜粋引用)
それで、アベ日さんはどれだけの人を励ます人へと成長させたんですか?
- ↓ ↓ ↓ これって、どこからの「転載の転載」ですか?
>>39128
>>
>>いただき物です。
>>
>>=== 転載の転載 ==============
>>
>>有師化儀抄
>>
>>投稿者:んっ? 投稿日:2014年 5月25日(日)15時36分49秒
>>
>>一、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、
>> 但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。
>>
>>一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、
>> 但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、
>> 希なる義なり云云。
>>
>>=========================
>>
>>今日の研究報告、本当はこれを含めなければいけませんでした。
>>
>>ちゃんと読んで下さる読者、的確に反応下さる読者の皆様に感謝申し上げます。
>>
>>若鷹の皆様は本当にお目が高い!。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>
- >>39136
>>連日、小説、新人間革命で「指導」について語られています。
>>本日つけ(2014/5/26)の聖教新聞の社説にも指摘されていました。
>>
>>※「励まされた人」が、やがて「励ます人」へと成長する。
>> この「一人の人間革命」が社会を変え、世界を変えていく。
とりあえず、アベ日さんとやらが、この「富士宮ボーイ掲示板」を汚している張本人――という認識があちらこちらで聞かれますね。
ネットだけで活躍しているが、世間では創価学会の活動をしていないとか。
ところで、アベ日さん、上記の『新・人間革命』の「指導」とやらで、あなたはどう変わったんですか?
私から見ると、美しい言葉の垂れ流しにしか見えなくてね。
- 空き時間に少々の楽しみが欲しくて(苦笑)「ふうふうサプリメント」の51として「『正本堂』壊滅――『破壊』か『解体』か?」をアップロードさせて頂きました:
http://who-who.freehostia.com/webnavigation/supplement3/whowho.cgi?mode=res&no=196
ま、コーヒータイムついでの気分転換にはなり、その意味では――あくまで私見ではありますが――「サイクロン的スーパーあほ」な法華講員諸氏にも、ちょっとは感謝かな? (拙作のサイトをご覧くださっているビューワの皆様には申し訳ないのですが。)
(^o^)ゞ
※こちらの掲示板で、この手慰み(申し訳ございません:詫)のご縁を頂戴したので、管理者さまにお礼の意味で投稿させて頂きたかった次第です。無論、問題が感じられましたら、この投稿、ご削除くださいませ(ほんと、まったく構いませんので)。
(^^)
ではでは、また~~♪
ふうふう拝
静岡県のあるお寺に「御肉牙」(おにくげ)という宝物があります。
歴史的には分かりませんが、
鎌倉時代の偉いお坊さま日蓮上人が、ある日歯痛になり、
その歯をお弟子さんに抜かせたところ、それからずっと生きているそうです。
科学的にもどうしてなのかが分かりませんが、
50年に一度の日蓮上人のご命日と、そのお寺の住職さんの交替の時には、
普通の信者さんでも拝観出来るそうです。
そして、今から10年くらい前に拝観した人の話しでは、
――(歯肉が)きれいなピンクで赤ちゃんのくちびるみたいだった。
――(歯肉が)黒ずんで縮小し、もう死んでいるみたいだった。
と、二つの感想に分かれますが、本当はどっちだったんでしょうね。
ものごとにはいい面や悪い面だけでなく、色んな面があります。
一番よくないのは、それらをうのみにして簡単に信じたり、
逆に頭から信じずに否定し、自分の目や耳、頭で確かめようとしないことです。
それと、皆さんも抜いた歯をとっておいてもいいですが、
他の人に見せるものじゃありませんよ。自分だけの記念品、宝物ですから。
よい子の皆さんは覚えておいて下さいね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- >十界を互具しているといっても、
>正真の本尊でなければ仏となれない道理です。
確か「日蓮宗」で奉っているところの紙幅の本尊も、
おそらくは「大聖人御真筆」なのではないかと思う。
ネットに晒されている文字曼荼羅本尊なるもの
(日蓮宗では、他に絵曼荼羅や木像も本尊としている
ようなので)は、弘安三年三月の日付になっている。
私が若かりし頃、何だったかの高級な写真集に、
この「文字曼荼羅本尊」を鮮明な画像で写した
写真が添えてあったのには、驚かされたものである。
(確か、3枚折になって、写真集中央に挟まれていた)
「正真の本尊」であっても、日蓮宗(身延派)の
本山に参詣して、この「文字曼荼羅」にお題目を
唱えたとて、功徳が出るとは、私には思えないが・・・。
日蓮宗では、「日蓮大菩薩」であって、「日蓮聖人」
であるから、大聖人は、信仰の対象たりえないし。
それから、大聖人御在世当時には、確かに
「一機一縁の御本尊」も存在した。
これも若い頃、「家に代々伝わっている」という、
漆黒の紙幅に金文字で「南無妙法蓮華経 日蓮」
とだけ書かれた本尊を見たことがある。
それが、大聖人ご本人の御真筆かどうかは分からない
が、どこかに眠っていてもおかしくはない。
さて、「御真筆」でさえあれば、そういう御本尊でも、
「なんだか、ありがたそうだ」という思いだけで、
自分の家に勝手に掲げて手を合わせれば、功徳は
出るものだろうか?
御本尊の真偽こそが、功徳福運の源泉なのか?
どなたかの答えを問う。
1898年(明治31年)上野公園に建立されたそうです。
銅像作者はあの有名な高村光雲(高村光太郎のお父さん)で、
完成した当時、どうして「浴衣姿」なのかが問題になったとか。
連れだって一緒にいるワンちゃんの名は「ツン」(雌)だそうです。
銅像建立の時にはもう生きておらず、モデルは別の犬だったとも。
はい、で、ここで本題ですが、
この西郷さんがホンモノの西郷さんご本人、
あのワンちゃんのツンがホンモノのツンちゃんご本犬(剥製?)だと
思う人は絶対にいないでしょう。どうかご安心下さい。
ところで、西郷さんの人気はとても高く、
地元鹿児島には「南洲神社」があり、今でも西郷さんを祀っているそうです。
まあそれは西南戦争(1877・明治10年)があったことでですが、
ともかくも最後、西郷さんは神様になりました。
神様となった西郷さん、
上野の銅像にもその御霊(みたま)が飛来しているかもしれません。
いや、南洲神社の創建は1880年(明治13年)ですから、
上野の銅像よりもずっと前のことです。
西郷さんをこよなく愛する氏子さんたちの心境は複雑だったでしょうね。
――自分たちの神様を銅像にするなんて、、、。
――しかも、あんなあらわな浴衣姿で愛犬と散歩中の銅像だなんて、、、。
他人(ひと)のために良かれと思ってしたことでも、
その人では逆に困る、迷惑となることもあるのです。世の中には。
よい子の皆さんは覚えておいて下さいね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 連日、小説、新人間革命で「指導」について語られています。
本日つけ(2014/5/26)の聖教新聞の社説にも指摘されていました。
※「励まされた人」が、やがて「励ます人」へと成長する。
この「一人の人間革命」が社会を変え、世界を変えていく。
(社説 訪問激励に勇んで 会ってこそ「心」は結ばれる より抜粋引用)
またこの社説の冒頭には、“何度も自宅に足をはこんでくださった先輩”
つまり、現場の同志の存在、活動が示唆されています。
ところが、インターネットによる「オトモダチ激励活動」を好まれる方の
その多くが、地道な活動の存在をすっぽらかして、とにかく
「会えば相手のことが解る」といった部分の・みを強調されます。
新人間革命にしても聖教新聞の社説にしても、見知らぬ学会員をネットで
見つけて「励ます」事について書かれているのではありませんが、なぜか
ネットコミュニティ重視の活動家っぽいかたは、とにかく悩んでいる人を
みたならば励ませば良いと短絡的に考えているようです。
中には「指導」というと“上から目線”だと決めつけられる方もおられるよう
ですが、指導が出来ない人は無責任と言えるとおもいます。
※折伏とともに、個人指導に全力を傾けていくことが、
自分の信心を鍛え、境涯を高めていく必須条件 (小説・新人間革命 激闘55)
この指導にもあるように、折伏をする事で終わらせてはいけないのです。
折伏と共に指導が出来ることが境涯を高めるには欠かせない修行ではないでしょうか。
- ※あれ、どなたか、「パッチワーク本尊」とか言ってましたよ
一番多いのはアンチ学会のecoさんとかですね。
釈子氏は学会員ではないみたいですし。
仮に犀角氏の推論を用いても、困るのは日顕宗の方であって、創価学会には
なにも影響ありません。
晴彦さんは丁寧な主張ができずに論詰まりになって、アク禁さんに助けてもらう
しかなくなったのでしょうか。
ちなみに、犀角氏の推論・・つまり曼荼羅の相貌を細分化して比較し真偽を論ずる
という手法は日顕宗が用いた「学会ニセ本尊」論とおなじものですね。
そしてその批判に反論できないがゆえに、御本尊道具説を主張し
創価学会の信心に御本尊様は重要ではないといった暴論を述べ自己保身に
走るひとがいるので困りものです。
創価、日顕宗といえど、こと信仰の根幹にかかわる「本尊」の議論は慎重にすすめ
なければならないでしょう。
御本尊様を悪しく敬い、また無智ゆえに誹謗し、堕してしまった大石寺。
その結果として、何年たっても結果がだせない、小功徳をもって安閑と構え
小我であることを誇り自らを慰めるような、志の低い「信」しかはぐくめないと
いえるのではないでしょうか。
- 再掲です。
>No.39094
>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
これは誰の説ですか ?
>十界を互具しているといっても、正真の本尊でなければ仏となれない道理です。
晴彦さんの言う「正真の本尊」の定義を教えてください。
では、よろしく。
ああやっと晴彦さんの登場ですね。。。
さあ、頑張って下さい。いっちょ大きなホーム・ランをお願いしますね。
で、名無しの権平は用なしです。ハイここまで。もう来なくてよろしい。
それと今時何がパッチワークですか?そんなこと、もうとっくの大昔の話しです。
さあ、今回のテーマに沿って、しっかり頼んまっせ!マグマグo(*^▽^*)o~♪
- ああ、イイことおっしゃってる。
結局ですね、私も含めですが
ネットでする行為を、ある程度の限界があることを割りきって、
リアル同等だと勘違いしないことなんです。
そういった警鐘は多くの方も言っているし、
実際の現場にこそ、ほんとうの「汗」があります。
くれぐれも、ネットで「カッコつけて」いらっしゃる方に
「ほんとうの学会」はないんだと、知っておいてください。
- >>39129
>>
>>あれ、どなたか、「パッチワーク本尊」とか言ってましたよ。
>>
>>もう削除されているけど。
No.36852 投稿者:河内平野 佐助さん、お待たせして申し訳ありませんでした。
投稿日:2013-07-06 16:14:44
http://goo.gl/WJxP1z
- >>39127
>>
>>よくある話しで有名人と接触、関係があると言うのがあります。
>>しかし、本当の問題は、自分自身がどうかではないでしょうか。
>>
自身が如何か?⇒だからどうしろ・・と? 答え⇒自分を否定しろとでも?⇒卑下
自身が如何か?⇒だからどうしろ・・と? 答え⇒自分を肯定しろとでも?⇒慢心
結局は、ありきたりの教科書を引用した
無責任な「迷指導」にしか過ぎず 回答にはなっておりません
結局は丸投げをしているだけの無責任な回答になっております。
ところで、あなた自身の命は何処まで見つめましたか?
>>ちょっと例が悪いですが、菊川さんのかつてのブログに
>>私はとても違和感を抱きました。
ええ 私も感じましたよ
池田先生に成りきって境界性パーソナリティーや双極丸出しの文章を
しっかり披露していましたからね
ところで、本人談によれば この人も現場では幹部なわけですよね
こんな人に指導されたら、たまったものではありませんね
間違っても 茨城県内にひっこさなくて良かった・・と思いこんだりもします。
>>普通の学会員が書く内容でなく、何かしら他よりも目立とうとする嫌味を感じました。
>>
>>ゆっくりと読み解けば、やはり普通の人。で、欠けているものも当たり前に多くある。
>>で、それらを補おうと自助努力に熱中するあまり、彼はどんどん脱線を重ねます。
>>
>>最終的に、かつて彼がよすがとしていた人から追い落とされ、孤立状態に陥ります。
>>で、悪いことに、よすがのその人が、元々有名人と接触、関係ある人・ら・し・い。
>>
>>いや、これらはすべてネット上の虚構の世界の話しであり、現実とは違うでしょう。
>>しかし、現実と虚構は、ある程度どこかでリンクしあっているのも事実です。
>>
>>まあ普通の感性を持った人は、直ぐに気づくでしょう。
>>自らが学会の看板を背負って立っているぞを豪語する人の、虚飾と虚勢に。
>>また、どこかの誰かを知っていると言うのも、ネットならではの物言いでしょう。
>>
>>そんなことが現実の何に役立つのでしょう?
それは菊川さんばかりじゃありません。
若鷹やポチョドンや この掲示板にも当て嵌まります。ネットの世界ですから・・・
ところで 冷静に考えてみたら、菊川さんの記事
あれ・・殆どがここで書いてきた内容や創価新報や聖教の受け売りばかり並べた
デッドコピーものが多かった事に気づきませんでしたか?
また注意すればするほど 脱線するのは何故なんでしょう?
まさに還著於本人でブーメランによる結果を受けている
従って あなた自身は如何なのでしょうか?・・とオウム返しをしておきます
あなた方の責任は放棄ですか?
>>
>>いるかいないかすら第三者に証明出来ない人のこと、関係を持ち出すよりも、
>>お宅のお母さんや妹さんに聞けば、直ぐに分かることじゃないですか?
>>
>>もう少し現実的になって下さい。学会で今何を教えているのかを知りたければ、
>>今あなたの周囲にいる学会員さんに聞くことですよ。 マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>
もっともらしい事を述べておりますが よくよく聞いてみると
「責任逃れ」の詭弁にも聞こえます
それならば この掲示板の“存在意義”は、如何なのでしょうか?
ここもネットの一端だと言う事を忘れて物事を語っていませんか?
それならば尚更のこと
あなた自身も 中国政府の監視網を掻い潜ってまでネットなんかやっていないで
現場に専念したら如何ですか?・・と、ここでもオウム返しを入れておきます。
- >>39118
>>>弘安の御本尊はまがいものなんでしょ?
>>
>>そこまでは言ってませんよね、学会の誰も。
>>ミスリードしてはいけません。
>>
>>大石寺の本尊は、今なお正しい。
>>おわします場所として、不本意ながら彼ら(坊主)の手にある。
あれ、どなたか、「パッチワーク本尊」とか言ってましたよ。
もう削除されているけど。
いただき物です。
=== 転載の転載 ==============
有師化儀抄
投稿者:んっ? 投稿日:2014年 5月25日(日)15時36分49秒
一、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、
但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。
一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、
但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、
希なる義なり云云。
=========================
今日の研究報告、本当はこれを含めなければいけませんでした。
ちゃんと読んで下さる読者、的確に反応下さる読者の皆様に感謝申し上げます。
若鷹の皆様は本当にお目が高い!。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>39125
>>
>>それは ともかく 話をした事がないんですか?・・の問い
>>子供の頃から 人間革命に登場した人間も含め充分に接していますけれど
>>但し そんな人間ばかり見ているから、いけないんでしょうかね
>>
>>因みに 総意と現場は認識も含めてズレが生じていたり
>>浸透していなかったりと様々ですから なんとも言えませんけれど
よくある話しで有名人と接触、関係があると言うのがあります。
しかし、本当の問題は、自分自身がどうかではないでしょうか。
ちょっと例が悪いですが、菊川さんのかつてのブログに私はとても違和感を抱きました。
普通の学会員が書く内容でなく、何かしら他よりも目立とうとする嫌味を感じました。
ゆっくりと読み解けば、やはり普通の人。で、欠けているものも当たり前に多くある。
で、それらを補おうと自助努力に熱中するあまり、彼はどんどん脱線を重ねます。
最終的に、かつて彼がよすがとしていた人から追い落とされ、孤立状態に陥ります。
で、悪いことに、よすがのその人が、元々有名人と接触、関係ある人・ら・し・い。
いや、これらはすべてネット上の虚構の世界の話しであり、現実とは違うでしょう。
しかし、現実と虚構は、ある程度どこかでリンクしあっているのも事実です。
まあ普通の感性を持った人は、直ぐに気づくでしょう。
自らが学会の看板を背負って立っているぞを豪語する人の、虚飾と虚勢に。
また、どこかの誰かを知っていると言うのも、ネットならではの物言いでしょう。
そんなことが現実の何に役立つのでしょう?
いるかいないかすら第三者に証明出来ない人のこと、関係を持ち出すよりも、
お宅のお母さんや妹さんに聞けば、直ぐに分かることじゃないですか?
もう少し現実的になって下さい。学会で今何を教えているのかを知りたければ、
今あなたの周囲にいる学会員さんに聞くことですよ。 マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 横からばかりですが。
おっしゃるとおり、「カッコつけて」いらっしゃるわけでして、
そうした方が、おおかたの学会員の意見をまとめものではけっしてありません。
現に、私も同意できませんし。
ああした方をサンプルとして挙げるのはいかがなものでしょう?
何ものか?と問われれば、私からすれば「籍があるだけの方」としか申しあげようがありません。
何の立場も代表されたものではありません。
ちなみに、沖〇さんあたりなんかは、
いつも持論を展開する際、あたかも自分流の解釈(にすぎないもの)を、
「ほ・ん・と・う・は・先生もこう思っていらっしゃる」なんて勝手な物言いをしています。
持論で終わればまだしも、越権も甚だしい物言いが、学会員からの反発を読んでおります。
いずれにいたしましても、
貴方さまもよぉく見透かしているとおり、ネットで「カッコつけて」いるような連中に、
我々ごく普通の現場学会員にとりましては、甚だ迷惑な“自己流活動”だということです。
貴方(ecoさん?)さまも、これまでいろいろ環境があったことと思いますが、
それも眷属なのかもしれませんね。
でも、多くの普通の学会員さんは、そうも捨てたもんじゃないですよ。
いろんなこともあるけれど、みな地元の身近な人にしっかり向き合うことを第一に、
地道なことに向き合っていますよ。
だって、それ自体が結構たいへんなのですから(笑
- >>39121
>>
>>あなたが誰だかを私は知っていますが、
>>あなたは現実に周囲にいる学会員と話しをしたことがないんですか?
>>
>>フェイク?ネットを見る人はもちろん知っているでしょう。
>>
>>YouTubeの何名か?
>>
>>そんなもので学会員の信心が左右されると思っている・あ・な・た、
>>現実の学会員に会ったことがないんですか?爆笑。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>
では あの人達 例えば「中野法論」とかカッコをつけて対話?をしていた方は
何の為にYOUTUBE等など全世界にシェア―しているのでしょうか?
「あの人たちは何者なの」でしょうか?
それは ともかく 話をした事がないんですか?・・の問い
子供の頃から 人間革命に登場した人間も含め充分に接していますけれど
但し そんな人間ばかり見ているから、いけないんでしょうかね
因みに 総意と現場は認識も含めてズレが生じていたり
浸透していなかったりと様々ですから なんとも言えませんけれど
- こういった信彰の暴力行為は、明らかに傷害罪として刑事告発の対象と思いますが、このあと如何なされたのでしょう?
男子部員についてはとくに、寺との所属関係もありませんから
「内輪の指導」などと言い逃れはできないと思います。
ボイスレコーダーや、スマホで撮影とか、
複数の人間で行っているのですから、証拠などの保全はなされているべきです。
尋常ではない相手なのは想定内ですから、その備えがなければ危機管理としてお粗末です。
こうした記述だけでは世間へのアピールとしては弱いので、実際のところはどうなのでしょう?
- (発行=14.05.23)
信彰が「暴力でも何でもいいんだ」
朝日の報道「仏教界の暴力事件」に思う ⑦
改革僧と学会男子部に暴行、講員ら呆然
改革同盟の松岡幹夫(雄茂)氏が一昨年十二月十九日の日顕の九十歳の誕生日に
送りつけた「阿部日顕の二度目の敗北を通告し、未回答の二五四問を含む二八二問
を示す」の一部を本紙前号で紹介した際、「松岡氏も暴行の被害者の一人」と
書いたところ、その詳細を知りたいとの要望が寄せられた。過去にも述べたことが
あるが、凶暴な日顕の息子・阿部信彰の正体を物語る暴行事件として、ここに改めて
紹介する。
それは平成十一年十月三日、松岡氏と学会男子部員四人が、当時、信彰が住職を
務めていた東京・府中市の大修寺を訪問した時に起きた事件である。
訪問の目的は都内などでバラ撒かれた「大白法」号外(平成十一年八月十日付)
の「シアトル裁判」に関するデマ記事について、日顕の息子として事件の真相を
よく知る信彰の真意を質すためであった。
当初、同寺の受付で面会を求めた松岡氏らに対し、御講を終わって二階の本堂から
降りてきた信彰は「おう、松岡、何だ?」と声をかけきた。
松岡氏が「大白法」号外を見せて「このようなウソのビラを撒いているので質し
に来た」と言うと、信彰は「あんた達は騙されているんだよ」と最初は穏やかに
話していた。
ところが、突然、信彰の態度が急変し、男子部員に近づくや否や手にした中啓で
何度も男子部員の手や頭を殴打。これが異常な暴行劇の始まりだった。
御講の直後でもあり、数十人の法華講員がみていたが信彰は荒れ狂い、暴力を
振るい続けた。講員が「先生、止めて下さい」と言いながら止めに入ったが、
信彰は「暴力でも何でもいいんだ」と狂ったように叫び、松岡氏や男子部四人
に何発も素手で殴り続けた。
特に、一人の男子部員に対しては髪の毛をつかんで引きずり回し、何発も拳骨で
殴りつけた。「暴力を振るっていいのか?」との声に対しても、信彰は
「うるさい、バカ者、いいんだ、暴力でも何でもいいんだ」と叫んで暴行を続けた。
松岡氏にも「この松岡、雄茂、雄茂、 お前は誰の弟子だったんだ」と喚いていた。
そこで松岡氏が「信彰、お前こそ誰の弟子だ。大御本尊を否定した大謗法の日顕の
弟子、ニセ法主の息子だろう」と一喝すると、信彰は驚き、仰天した表情を見せた
後、白目を剥き、松岡氏に顔をこすりつけてきた。ヤクザ映画の悪役を思わせる
仕草だったという。
法華講員は信彰の暴力を止めようと「先生、やめてください」と必死になっていた。
信彰の妻・信子も、引きつった顔で傍観し、呆然と立ち竦むばかりだった。
信彰は後に「あれは松岡を折伏したんだ」とうそぶいたそうだが、松岡氏から改めて
「中啓で頭を叩いたり、拳で小突いたりすることが折伏なのか。常不軽菩薩の折伏行
と正反対のことをして、それが『法華経』を信ずる者のやることか」と鋭く追及され
、何も回答できなかった。
- >You yubeにいる何名かは しっかり否定しております
>フェイクを書いている方でも真偽主義に陥っている人もいます
>単に、あなたが見て見ぬふりをしているか、存じていないだけです。
存じません。
ネットには沖〇さんをはじめ、坊主破折をただただ本尊否定でしか示せない方もいます。
現場や学会指導に異を唱え、独自解釈で学会員を惑わす獅子身中の虫の意見は、
学会員総意のなんの根拠にもなりません。
最も大事なのは、ほんとうの現場学会員の認識です。
その誰も「ご本尊なんかなくていい」だとか、「迹」だとか踏み込んで言い出す人なんかいません。
そういうウケ狙いで悦に浸っている人は、たいてい決まってのちに退転します。
それが心配で沖〇さんにだって皆がしつこく諫言するのですが、ご本人はいつも上から目線(笑
学会同志のほんとうの優しさに気づかずにあの歳までこられたのはお気の毒ですが…。
閑話休題。
先ほどの拙稿後段、意見の一致をみたようで。
すくなくとも、
僭越ながら、これが現場学会員の認識です。
くれぐれも、よろしく。
たぶん、ecoさま(へ)
◇ ◇ ◇
マグマグさま、
異国情緒あふれる綴り、いつも楽しく拝見させていただいております。
なにかと心痛める両国関係ですが、
粘り強く、向き合ってまいりたいですね。
>>39119
>>You yubeにいる何名かは しっかり否定しております
>>フェイクを書いている方でも真偽主義に陥っている人もいます
>>単に、あなたが見て見ぬふりをしているか、存じていないだけです。
あなたが誰だかを私は知っていますが、
あなたは現実に周囲にいる学会員と話しをしたことがないんですか?
フェイク?ネットを見る人はもちろん知っているでしょう。
YouTubeの何名か?
そんなもので学会員の信心が左右されると思っている・あ・な・た、
現実の学会員に会ったことがないんですか?爆笑。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
追、「存ずる」は謙譲語です。相手の行為に使うのは可笑しいですよ。
そして「存じる」は口語的用法で、元来のサ変を上一段化したものです。
私は存じません、私が存じていないだけです、は、正解。
あ・な・た・が存じていないだけ、な~んて、社会常識のある日本人は言いません。
>>39118
>>
>>噛み合わないのは、本尊の真偽ではなく、
>>「信仰」そのものへの事。
>>
>>印籠(いんろう)よろしく、
>>坊主とモノ本尊観(ここらあたり、むしろ身延と大石寺坊主とは同根)で、
>>信徒へ権威をちらつかせる前時代的な「一大パフォーマンス」でしかありません。
>>
どちら様か存じ上げませんが(笑)、その通りですね。
信者不在が、信仰そのものの不在だと私は思います。
日蓮本仏にせよ、出世本懐にせよ、令法久住、立正安国、広宣流布等々、
それらに大確信を持った無名無冠の信仰者がいてこそ意味があるのでは。
例えば(ちょっと突飛ですが、笑)戸田先生がいらして、
登山する学会員がいて「御肉牙」の輝きが初めて増すようなもの、笑。
戸田先生は、普通では信じられない伝説的、神話的なそれらの存在を、
信心の大確信で昇華し、世間に、世界に宣揚なさろうとした。。。
また信仰は、その持ち主の境涯としても現れるでしょう。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- >>39118
>>さて、誰でしょう?(笑)
MAXたにがわ2号さんか、ヤヒロリ―チさんか、現金ミヤジさんか
・・とボケておきます
>>
>>そこまでは言ってませんよね、学会の誰も。
>>ミスリードしてはいけません。
>>
You yubeにいる何名かは しっかり否定しております
フェイクを書いている方でも真偽主義に陥っている人もいます
単に、あなたが見て見ぬふりをしているか、存じていないだけです。
>>大石寺の本尊は、今なお正しい。
>>おわします場所として、不本意ながら彼ら(坊主)の手にある。
>>
>>しかし、学会は日寛書写本尊を日常の本尊とした。
>>これも正しい。
>>
その通りです。 それが無かったら日蓮直結は成立しませんし
日蓮教義も成り立ちません。 禅や天台だけで問題は解決してしまいます。
先方さんも基本は法華経ですから・・・
- >弘安の御本尊はまがいものなんでしょ?
そこまでは言ってませんよね、学会の誰も。
ミスリードしてはいけません。
大石寺の本尊は、今なお正しい。
おわします場所として、不本意ながら彼ら(坊主)の手にある。
しかし、学会は日寛書写本尊を日常の本尊とした。
これも正しい。
何故か?
“入り口”としては、それら「モノ」の形をした本尊を通じているものの、
当体としては、大聖人とつながっている。
当たり前ながら、
イワシのアタマや、キツネを本尊としているわけではなく、
あくまで大聖人の“あらわしたる”本尊に他ならない。
噛み合わないのは、本尊の真偽ではなく、
「信仰」そのものへの事。
印籠(いんろう)よろしく、
坊主とモノ本尊観(ここらあたり、むしろ身延と大石寺坊主とは同根)で、
信徒へ権威をちらつかせる前時代的な「一大パフォーマンス」でしかありません。
主従を重んじ、権力者主権のそれが当たり前だった何百年も前の社会情勢と、
民主主義、国民主権の今とは、
御書の読み方も違うのは当たり前です。
ご奉公=みやづかい が各々の仕事と解された御書も、
今では「職場」であり、ビジネスであったりします。
このご時世、旧態依然とした「出家」などにどっぷり浸かった世間知らずの坊主の出番などありません。
葬式で飯を食うしかないのでしょう。
もはや、それさえ世間の視線は変化しつつあります。
消えゆくはどちらか?
無駄な抵抗でいまだに威張りちらすしか能もない断末魔の様相、
これが今の宗門でしょう。
お気の毒です。
東洋哲学研究所1997年紀要13号に「大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察」がある。松岡幹夫師の論文で、2006年12月に世に問われた名著「日蓮正宗の神話」でも採録されている。同研究所HPに公開されているので、ご興味おありの向きはご高覧頂きたい。
――(おわりに)本稿を結するに、唯授一人の本尊書写は、教団を統率し、分裂を防ぐための方策であった。それゆえ、事情によっては一般僧侶の本尊書写・授与が公認ないし黙認されてきた。本尊模刻についても同様である。宗門史料に基づいて考察すると、結局、唯授一人の本尊書写の形態は、教団として定めた可変的な「形式」であることがわかる。(同論文)――
黙認はそうだが、公認は師の言い過ぎだろう、笑。実際に石山門流と言っても、本末関係や人的関係が複雑で、分裂、合同を繰り返している。石山本家より由緒がはっきりしている妙蓮寺などは、戦後の合同以前、同類視されるのを嫌っていたようにも考えられる。
もしも石山史観と言ったものがあって、少なくとも興門流で通用するならば、明治の合同の破綻や、それから「日蓮正宗」なる単立宗派の創出は元来不要。石山は大手を振って統率が出来たはず。が、現実は皮肉にも、そんな史観は今でも通用しない。
師が仰せの「形式」は、言葉の柔らかさに反して意味深長だ。先ず興目両師の本尊書写事例から出発し、有師の法度制定を経て、中世以降の内実の矛盾点を多く挙げられている。標題が示す通り、史料に基づく考察が展開されているのに、我々末学は大いに学ぶべきだ。
―― 一応、本尊書写は唯授一人の「金口相承」、とくに「本尊書写法」の相承を受けた法主でなければ不可能というのが宗門の通説である。しかしながら、実際には先師の見本を横に置いて本尊模写した平僧が多数いる。近くは昭和三十年代まで、宗内の末寺住職はこの方法で棟札本尊を書写していた。とすれば、唯授一人の相承は、必ずしも本尊書写の絶対条件ではない。(同続き)――
読者諸賢は、棟札だけでなく未来本尊もご存じだろう。石碑本尊もある、笑。ご注意頂きたいのは金口相承で、文献的には石山56代日応で、それまでの唯授一人を法体と金口に分けて、前者が戒壇大本尊、後者はそれにまつわる口伝の相承を指すことになった模様。
これは弁惑観心抄に述べられ、明治27年(1894年)に公刊後、石山公式見解となった。日応は、明治24年(1891年)4月から一年、日蓮宗興門派管長をつとめたが、明治33年(1899年)興門派は本門宗に再編される。この間、日応は石山史観の宣揚に腐心する。
興門八本山は現在日蓮宗の北山、小泉、伊豆実成寺の三箇寺、京都要法寺(現日蓮本宗)、西山(単立)、保田妙本寺(単立)と大石寺、妙蓮寺の現石山系二箇寺。明治34年(1900年)に石山だけが分派し、日蓮宗富士派を自称。明治45年(1912年)日蓮正宗公称に至る。
――また大石寺法主は、本尊を宗門として正式に認可する役割を担っていた。本尊の開眼は、そのために行われた嫌いがあった。すなわち、末寺僧侶が勝手に模刻した板本尊を法主が後追いで認可する場合、開眼が行われた。ただし形木本尊の開眼に関しては、一の例を除き、記録に残っていない。元来、宗門の形木本尊は、法主直筆の常住本尊を戴くまでの暫定的な「仮本尊」の扱いなので、本尊として正式に認可する必要もなく、開眼がなかったのは当然であろう。(同続き)――
日応は明治41年(1908年)に石山管長職を次代に譲るが、石山在任(明治22・1889年から)の約20年間、興門派管長も任ぜられ(実は輪番制)、この間、彼の富士の立義、正義、つまり石山史観の宣揚に明け暮れていたと考えられる。即ち法体、金口相承の所在だ。
そこで、松岡師が仰せの模刻や開眼、果ては常住、形木の別などの本尊の大権について、日応は考えが及ばなかったろう。要するに自山宗義の独自性の主張、他を排除する独善的なセクト主義の権化となり、信仰の細部で重要な核心問題を完全に忘却していた模様だ。
――最後になるが、現宗門は、法主が日蓮大聖人の生命を受け継ぐ「法体相承」を受けており、それゆえに本尊書写の資格があるとも主張している。しかし、「法体相承」のない一般僧侶が模写した模刻本尊や形木本尊が全国の寺院に散在し、今日、宗門の本尊として丁重に安置・格護されていることは、本稿で明らかにした通りである。その中には、いまだに法主の開眼すらなされていない本尊もある。/結局、本尊書写が法主一人に限定されるとする大石寺門流の化儀上の建前は、史実に照して明らかに矛盾しているのである。(同続き完)――
明治期の他山は、石山を受容しなかった。日応への評価でもあろう。また妙蓮寺は合同したものの、戦後石山復帰までは無関係を装っていた。最近では折角戦後復帰した保田と分裂したのも、また特筆に価する。明治に始まった日応の本尊観は、普及しないままだ。
さてこそ本尊書写の大権どころか、皆を納得させる宗義すら確立出来ないのに、権謀術数で他山の取り込みだけに腐心する石山近代史は悲惨だ。一昨年2012年に宗名公称100周年を迎えたが慶祝どころでない。戦前戦後の学会破門も大問題だが、この信徒不在の権力志向、弱小宗派はあと何年もつのだろう。マグマグo(*^▽^*)o~♪
しばらくの間、つながりませんでしたね、笑。
5月最後の一週間です。しっかり戦いましょう!マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 日蓮正宗自体がだらしなさすぎる。
中興の祖の御苦労は、並大抵ではなさそうですね。
中興の祖の文献は、当時の背景も視野に入れないことには、
その文章の本当の意が見えてこないかとも考えます。
- >>39105
>>申し訳ないですが、私がそんなことを知っているわけがありません。
了解しました。
ここから先は、河内平野さんのお書き込みを楽しみにすることします。
http://goo.gl/9O7ctj
追記
唯授一人の血脈相承というのは学会の概念にはありません。↓
「日顕宗では、法主から次の法主へと伝わる『唯授一人』の『血脈相承』が、根本、と主張
する。しかし、これは、仏法とは無縁のまったくの邪義。御書を読めば、血脈とは万人に
開かれたものであり、法主が独占するものではないことは明白だ。日顕は、信心の血脈を
ないがしろにし、浅ましい名誉欲、権力欲に狂い、相承を詐称した。」
このような理由から、日蓮正宗のいう唯授一人血脈相承を、文献学的に「斬る」ではな
く、「精査」することは大事なことと思います。
マグマグさんは混戦しているように感じられているかもしれませんが、私は、混戦とは決して思っておりません。
出だしは、晴彦さんの書き込みの論点の置き所が違えば、精査の方向性も違うものにはな
りましたが。
ともあれ、河内平野さんの書き込みを拝見させて頂きます。
- (発行=14.05.21)
日顕は御開扉の直前にも暴行
朝日の報道「仏教界の暴力事件」に思う ⑥
「慧妙」の難癖は既に改革僧が一刀両断
改革同盟の松岡幹夫氏は、日顕の九十歳の誕生日であった一昨年の十二月十九日、
百八十一ページにものぼる糾弾文書「阿部日顕の二度目の敗北を通告し、未回答
の二五四問を含む二八二問を示す」を日顕自身に送り届けた。
その中には既に、この度の「慧妙」の池田名誉会長の指導に関する難癖を破折した
箇所がある。それは日顕宗の僧俗共が不正に入手した録音テープの中のジョークの
箇所を抜き出して鬼の首でも取ったかのように言い掛かりをつけてくるのを一掃
したものである。
松岡氏は「頭トンカチでぶっ叩いてね」とはジョークだとした上で、日顕側の難癖
を切れ味鋭く切り捨てている。少し長くなるが、該当箇所を紹介する。
「これが名誉会長の真剣な〝指導〟なら、巨大組織ゆえ、誰かが君(日顕を指す)
の頭をはたこうとするぐらいの事件は起きただろう。だが、実際には、日顕よ、
被害妄想気味の君が防弾チョッキまで着て大騒ぎしたわりには、結局、何の事件も
起きなかった。
このこと自体、名誉会長が何一つ物理的暴力の指示を出さなかった証拠と言える。
君は今も安閑と都心の豪邸で暮らし、いまだに最高級の温泉旅館に出かけ、時には
美食に飽きて街の店に行くなど、自由気ままに生活していると聞く。深刻な信仰上
の対立の中、長期にわたって数百万の学会員を非暴力闘争に導いた名誉会長の
指導力は驚嘆に値しよう。世界的に知られた平和主義者だからこそ、なせる業と
言わねばならない。
以上のことから、かりに先の『トンカチ』発言が事実だったと仮定しても、
それは悪と戦う気概を教えたジョークと捉えるのが本筋だろう。私の経験に照らせば
、ざっくばらんな池田名誉会長のジョークは、我々の強烈な敵愾心をほぐし、
かえって柔和な気持ちにさせることが多かった」
続けて、松岡氏は次のように日顕の暴力体質を糾弾している。
「君(日顕を指す)には病的な暴力体質がある。幼少期の人格形成がゆがんでいた
のか、被害者意識が異常に強い。何かあると、自分がバカにされたと勘違いして
怒鳴り、すぐに暴力を振るう。宗内で君のことを『瞬間湯沸かし器』と呼んでいた
のは有名な話だ。
些細なことで激高し、法要の席であろうが、大御本尊御開扉の前であろうが、
お構いなく、所化の頭を叩いたり、蹴ったりする。それが日常茶飯事だった。
ところが、当の君は己の暴力体質を反省するどころか、むしろ自慢していた。
自分が海軍にいた頃は三百人の部下を殴ったものだとか、一升ビンを振り上げて
所化を暴行した佐藤慈暢(現・大石寺主任理事)に対して〝殴り方が下手だ、
もっとうまく殴れ〟とか、本当に暴力を奨励する発言が多かった。
〝うまく殴る〟とはどういうことか。今、ここで説明してみよ」
この松岡氏も暴行の被害者の一人だ。松岡氏は、この他にも「阿部日顕の教学に
対する十の学術的批判」「阿部日顕著『百六箇種脱対見拝述記』の考察」などを
著して日顕を糾弾し続け、日顕やその配下の邪義班は回答不能に陥っている。
- >>39111
現在の創価学会の主張は当時の身延と一緒。
恥ずかしくないの~~
- >>39110
>>****創価学会vs日蓮正宗****法論対話編
>>
>>★創価学会弁士
>>
>>主将 マグマグ
>>
>>会員 河内平野
>>
>>
>>★法華講弁士
>>
>>主将 池田晴彦
>>
>>会員 ????
>>
>>**************************
>>
>>こんな感じっすかぁ。。笑
その前にあなたは身延に謝らなきゃ・・・
弘安の御本尊はまがいものなんでしょ? それは身延側の御意見でしたよね
- ****創価学会vs日蓮正宗****法論対話編
★創価学会弁士
主将 マグマグ
会員 河内平野
★法華講弁士
主将 池田晴彦
会員 ????
**************************
こんな感じっすかぁ。。笑
- >>39105
血脈相称と師弟不二 どこが違うのでしょう
- ※もしかしたら、彼は中杉弘の正理会かもしれませんね
それは面白い推理ですが、晴彦さんは富士宮ボーイ掲示板に
◎いやいや、無限に続く無意味な論争に力を入れておますな。
それより、大石寺に帰伏して日蓮大聖人の御当体に正信の唱題を
することが成仏への直道ですぞ。
「No.38996 ふふふ 投稿者:池田晴彦 投稿日:2014-05-11 13:18:10」
と直球勝負をかけ、日顕宗門徒として語られたのが最初なので(笑い)
- ※
一昨日ニュースで
公明党の支持母体である創価学会広報室が
安倍首相の集団的自衛権行使(憲法改正ではなく解釈を変える)について
コメント(政治に口を挟む、物申す)を出していて、流石にびっくりでした
(略)
「(違反なのに)本音を出したぁ」
「コラコラ、政教分離違反でしょ」と苦笑しました
分別つかない瞬間を初めて観ちゃいましたよ
(公明党・創価学会[政教分離違反]のニュース)
http://ruby8nichirenshoshu.blog.fc2.com/blog-entry-111.html
//////////////
宗教団体として政治的なコメント発表する=政教分離違反 だと信じ切っているひとは
ネトウヨやカルト日顕宗の中にいまでもいるようですね。
これでは、いつまでたっても広宣流布なんて進まないはずです。
かつて国民が国家に翻弄されたのは、人を救う立場の集団であるはずの宗教が
政治に関して、ノータッチだったからじゃなかったでしょうか。
江戸期においても、宗教は統治システムに組みこまれ、寺領と門徒支配を保障される
かわりに布教に制限をされていました。
もちろん寺の坊さんが幕府の“まつりごと”に口をだすのは御法度。
しかたがないので、有力な大名や大奥とつながりをもつことで、資金を調達し
パトロンゆかりの末寺を増やすしかなかった。
現在でも、願い寺に縛られる寺壇制度(檀家制度)の弊害が残っているのが日本です。
近代に於いて、国から信教の自由を保障(保護)や、税制面で優遇されている代わりに、
表現の自由が制限されているなんてバカな発想は、日顕宗門徒が未だに封建主義から
脱却していない証拠だとおもいますね。
だからこそ、大月天管理人も事実上国家(政治)が関与している靖国神社に対して
一目おく存在だと考えているし、学会から退転した元議員が出馬前に天皇陵という
名の神域で坊主を引き連れて法要を行っている事が宗門でも門徒でも問題にならない。
「強い」国家権力に支配されたがっているのでしょうね。
- ありがとうございます。 お二人の見解はわかりました。
では、当人(晴彦さん)の見解を待ちたいと思います。笑
*************************
271 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 12:11:57 ID:otJaDOb60
河内さん。
断言できませんが・・・言ってる内容からの推測にすぎませんが、
もしかしたら、彼は中杉弘の正理会かもしれませんね。
272 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 12:49:03 ID:otJaDOb60
河内さん
というのは、正宗的には、
「十界互具の蓮祖大聖人とは、唱えられ給う処の七字の仏界(師)と唱え奉る我等衆生の九界(弟子)」
と言うのはなじめないような気がするんだけど。
*************************
>>39099
>>
>>御本尊の書写の資格の有する者は誰なのか、御存知であれば、ご教授して頂ければ幸いです。
>>ここでの論点は、本尊が偽か否かです。
>>宜しくお願い申し上げます。
>>
>>
申し訳ないですが、私がそんなことを知っているわけがありません。
で、日顕宗がいつも出して来る本尊七箇相承に、
――日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、
師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり――
とあるので、ここにある「代々の聖人」のことじゃないでしょうか?
それと逆にご教授頂きたいのは、あなたが仰せの、
唯授一人相承、と、血脈相承、に、いか程の違いがあるのでしょう?
おヒマな時で結構です。お教え下さい。マグマグo(*^▽^*)o~♪
>>39103
>>じゃ~、大勝利さんでもいいよ。ちょっと教えて !
>>
>>************************
>>262 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 00:14:58 ID:lyJ1Gl8Q0
>>※日蓮大聖人は「真実の十界互具は云何。 師の曰わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱へ奉る我等衆生は九界なり」と御指南せられている。
>>>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
>>>>
>>
>>そうです!おっしゃる通りです。
>>************************
>>
>>>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
>>
>>これは誰の説ですか ?
河内様 いつも的確なご教示を有難うございます。
御本尊七箇之相承で、誰の説か不明なほど有名なものでしょう。
平野様が以前お相手下さった「佐助君」がしきりとひけらかしていましたよね。
で、今回の引用箇所は以前と違う部分であるのも一つの特徴でしょう。
あれ以降、彼が何かないかと探して行きあたったのがこれだと、私は推測します。
以上、ご参考まで。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- じゃ~、大勝利さんでもいいよ。ちょっと教えて !
************************
262 名前:大勝利 投稿日: 2014/05/22(木) 00:14:58 ID:lyJ1Gl8Q0
※日蓮大聖人は「真実の十界互具は云何。 師の曰わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱へ奉る我等衆生は九界なり」と御指南せられている。
>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
>>
そうです!おっしゃる通りです。
************************
>>ここに仰せの「唱えられ給う処の七字」とは戒壇の大御本尊のことであられる。
これは誰の説ですか ?
- 「等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず、『了義経に依つて不了義経に依らざれ』と定めて経の中にも了義不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ」(開目抄219頁)
「成仏する位の坊主および幹部であっても、法門を説く時は経典を用いよ。
それ以外は信じるな !」 との日蓮大聖人の厳命です。
この御文にある通り、河内の質問した二つの事柄について、文証を出して説明してください。
宗教の根幹に関わる「本尊論」についての事なのでなおさらです。
では、よろしく・・・。
- 「日顕宗では、法主から次の法主へと伝わる『唯授一人』の『血脈相承』が、根本、と主張
する。しかし、これは、仏法とは無縁のまったくの邪義。御書を読めば、血脈とは万人に
開かれたものであり、法主が独占するものではないことは明白だ。日顕は、信心の血脈を
ないがしろにし、浅ましい名誉欲、権力欲に狂い、相承を詐称した。」
日顕さんには、相承がありません。とは創価学会で教えて頂きました。
私は、相承とは書込みましたが、血脈相承とは書いてはおりません。
何卒、宜しくお願い致します。