- ウチダ:
- 今回は創刊21周年記念号という事で、VJと縁の深い堀井さんにいろいろお話を聞きたくてやってきました! よろしくお願いします。
- 堀井:
- こちらこそ。
- 葛西:
- きょうはふだん聞けないような質問をしたいんですが…堀井さんとRPGの出会いって、何がきっかけだったんですか?
- 堀井:
- 『ウィズ』(※1)ですね。AppleII版の。
- ウチダ:
- 『ウィズ』って、30年前くらいにパソコンで出ていたコンピュータRPGですよね。
- 堀井:
- 当時はまだパソコンという言い方はなくて、マイコンと呼ばれていたんだけど。 マイコンにハマったのは、27歳ぐらいのときでしたかね。雑誌の特集で見て「こりゃスゴいや、何でもできる夢の機械だ」と思って買ったら、やっぱりハマっちゃった。 ゲームで遊ぶのも楽しかったけど、自分でプログラムを組むのにも夢中になって。 何が面白かったかと言えば、やっぱりインタラクティブ性なんですよね。プログラムを組むと、それに従って何かが動いたり反応する。そういう条件をいくつか組み合わせると、簡単な仕組みながらもゲームが作れたんです。
- 葛西:
- 当時、プログラムについては、かなり勉強されたんですか?
- 堀井:
- やりたいことを手探りで試していくうちに身についたので、さほど勉強はしませんでした。最初、砲台が左右に動くプログラムを組んだら、次はボタンを押してタマが出るようにして。そうしたら、今度は敵が必要だよね…という感じで、少しずつゲームらしいものが作れるようになり、プログラムの事もわかるようになっていったんです。 その後は占いのプログラムとか、いろんな選択肢をたどって謎を解いていくアドベンチャーゲームのプログラムを作りました。
- ウチダ:
- その経験が『ドラゴンクエスト』につながっていくんですね。
- 堀井:
- はい。当時のぼくはWJで映画の記事とかを書くライターの仕事をしていて。一回、マイコンとゲームの特集記事を担当したら…それが、並みいるマンガを抜いてアンケート上位に躍り出たんです。当時のマイコンはとても高価で、子供が触れるようなものじゃなかったのにですよ。読者にとっても、すごく楽しそうに見えたんだと思います。それからしばらくしてファミコン(※2)が発売されて。
- 葛西:
- 家庭用ゲーム機時代の到来ですね。
- 堀井:
- で、ファミコン向けのRPGが作れないかと考え始めたんです。家庭用のゲーム機であれば、ゲームセンターと違って100円玉を集めなくていいのでゲームオーバーを作らなくていいし、RPGはウチでじっくり遊ぶのにも向いている。家庭用ゲーム機にはぴったりなんじゃないかと思って。そうしてできたのが『ドラゴンクエスト』なんです。
- ウチダ:
- なるほどー! 制作当時はどんな感じだったんですか?
- 堀井:
- 『Ⅰ』はスタッフ4~5人で作ったんですよ。後はWJでいっしょに仕事をしていたトリシマさん(※3)のはからいで、鳥山明先生にキャラクターやモンスターのデザインをお願いして。音楽のすぎやま先生は、旧エニックスが出していた別のマイコンゲームのアンケートハガキにお名前があったのをエニックスの人が発見してゲームの音楽を依頼していたんですが、ドラクエの音楽もお願いしてみたところ引き受けていただいて。
- 葛西:
- いろいろな縁でスタッフが集まったんですねー。
- 堀井:
- はい。さらには、自分で紹介記事も書いて。
- ウチダ:
- ええッ!? ゲームクリエイター自ら、紹介記事を書いてたんですか?
- 堀井:
- 当時ぼくは『ファミコン神拳』というゲーム紹介コーナーをWJで担当していて。そこに『ドラゴンクエスト』の情報をどんどん載せていったんです。「RPGとはこういうものだ!」という説明から始め、制作中の画面や最新情報を次々と読者に見せて。
- 葛西:
- それが現在のVJで行われているような、ゲーム紹介の元祖となったんですね。
- ウチダ:
- それだけ忙しいと、寝る時間なんてなかったんじゃないですか?
- 堀井:
- いや、ぼくは基本ナマケモノなんで(笑)。ある程度仕事をしたら寝る、という繰り返しだったんですけど、仕事が終わったばかりだと頭が冴えてすぐには寝られない。そこで少しファミコンをやってから寝る、というのが日課でした。
- 葛西:
- 本当にゲームがお好きだったんですね。
- 堀井:
- そうですね。ゲームをやるのは、本当に苦じゃなかったです。