COLUMN

菅俊一 まなざし

菅俊一 まなざし
第13回「高い文庫本、安い国語辞典」

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第13回 高い文庫本、安い国語辞典

これまで様々な環境を仕事場としてきたが、どんな環境でも必ず手の届く所に置いているものがある。それは、講談社学術文庫から出ている国語辞典だ。
学術文庫から出ているということは、当たり前だが文庫サイズの国語辞典だ。これは15年程前に買ったものなのだが、ずっと大切に使っている。

現在ではインターネット上に無料の辞書サービスがあるので、検索すればあっという間に言葉の意味を調べることができる。しかし、今でも私は、文章を書きながら知らない言葉や正確な意味を知りたくなった時は、まず最初にこの辞典で調べることが多い。
別に「紙こそが最高」ということを言いたい訳ではないし、便利なものはどんどん使っていった方が良いと思うのだが、言葉を探すためにページをめくっている数秒の隙間の時間が、自分にとっては丁度いい「文章を振り返って考えなおす」きっかけになっているので、紙の辞典は適切な言葉のリズムを作るための1つの要素になっているようだ。

この辞典は文庫なので、箱ではなくカバーがかけられていたのだが、カバーは外さずに使っているため、毎回使う度に裏表紙に表示されている価格が目に入る。
私の国語辞典には1648円という価格が表記されている。これを見る度に、書店で最初に価格を見た時、思わず「高い」と言ってしまったことを思い出す。
だがよく考えてみると、普通の国語辞典は安くても3000円くらいはするため、この価格は破格の安さだ。

私は何故、この辞典を見た時に「高い」と思ったのだろうか。 おそらく、「文庫本だから」ということが一番大きな理由なのだろうと思う。

私の中では文庫本というのは、これまで自分が書店で買ったり見かけたりした文庫本の価格帯から「数百円で買える」ものだというイメージを持っていた。だから、4桁を超える価格が、「文庫本」というフォーマットの本に付いているというだけで「高い」というイメージを抱いたのだ。
しかも、私はこの本が国語辞典であるということも理解した上で、「国語辞典」という本の持っている価値よりも、文庫というフォーマットを優先し「国語辞典にしては安い」ではなく、「文庫本としては高い」というイメージで見ていたということになる。

私たちは普段から、同じ価格帯の全く別のものと比較したり、同じ国語辞典同士で価格や内容などを比較したりすることで、そのものの価格が妥当であるかどうかを評価し、購入するかどうかを決断する。
だが、その評価軸は、1つでは無い。例えば先ほどの国語辞典の例では、「文庫本同士での価格」や「国語辞典同士の価格」という軸だけでなく、「国語辞典の項目の多さ」や「国語辞典の重量・大きさ」という軸もあれば「国語辞典の表紙のデザイン」という軸もきっとあるだろう。

評価軸が1つでは無いということは、私は今、どの軸で評価をしているのかということを選ばなければならない。しかし、先ほどの事例では、私は本当は国語辞典が欲しかったはずなのだが、価格の評価は国語辞典同士の比較ではなく、無意識に文庫本同士の比較をしてしまっていたわけだ。
つまり、先入観によって私たちは評価の軸をズラしてしまうことがあり、それによって評価の際に本質を見誤ってしまうこともあるということだ。
評価をする際には、どのような軸で何を根拠に判断したのかを明確にしないと、知らず知らずのうちに、私たちの意識は先入観に支配されてしまう。

先入観による支配は、自己評価をする際にもよく起こる。私たちは、あることが「苦手だ」と思うとすぐ、「あらゆることについて自分は劣っている、ダメな人間だ」と思い込んでしまいがちだ。
しかし、今回書いてきたように、ある物事に対する評価の軸というのはそもそも1つでは無い。だから、ある分野がとても苦手な人でも、全く別の分野では、とんでもない才能を発揮するということもある。
逆に言えば、私たちには、評価の軸を意識的に変えることで、あらゆるものに新しい価値を見出す力が備わっているということでもある。そして、そのような、評価軸を変えて新しい価値を見出す考え方こそが「ポジティブシンキング」の本来の意味なのだ。ひょっとしたら国語辞典には「楽観的な考え方」という意味で載っているかもしれないけれど。

[まなざし:第13回 了]


PROFILE著者紹介

菅俊一(すげ・しゅんいち)

1980年東京都生まれ。研究者/映像作家。人間の知覚能力に基づいた新しい表現の在り方を研究し、映像や展示、文章をはじめとした様々な分野で活動を行なっている。主な仕事に、NHK Eテレ「2355/0655」ID映像、modernfart.jpでの連載「AA’=BB’」、著書に「差分」(共著・美術出版社)など。2014年4月より多摩美術大学美術学部統合デザイン学科の専任講師に就任。 http://syunichisuge.com/


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