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2014-05-26(月)

握手について 握手についてを含むブックマーク

AKBの握手会で男がメンバーを斬りつける、という事件とそれにまつわる報道、ネットでの反応を見ていると、喫煙者の悲哀、というような言葉が浮かぶ。まったく種類の違う世界であるが、極々少数の人間が世間から望まれない目立ち方をする事によって、普段は全く目立つことのないその他大勢の人間まで肩身が狭くなってしまう、という意味では今、AKBの(握手会に参加するレベルの)ファンというのは、世間に対して目立たぬようにはしゃがぬように生きている大部分の喫煙者程度には肩身が狭いのではないかと思ったのだ。


ツイッターというのは呼吸するように気軽に発言出来るため、まさに呼吸するレベルの普段着の悪意というものも度々目にする。あるツイッターユーザーAは、中華料理屋でラーメンを頼み、さて食べようと思った思った時に同じカウンターに座る男が煙草に火をつけた。そこでつぶやかれるのは「喫煙者死ねよ」(大意)であり、別のツイッターユーザーBは子供の手を引いて町を歩いていた所うしろから追い越され、その男の手に持たれているのは火のついた煙草であった。そこでつぶやかれるのはやはり「喫煙者死ねよ」(大意)である。場所も時間も離れ、つぶやかれた言葉をモニターのこちら側で眺める事になるツイッターユーザーCは喫煙者。自分の事を言われているわけではないとはわかっているのに、無性に肩身が狭い。


AKBファンがどれだけの割合で握手会というものに参加するのかわからないが、ほとんど全ての握手会参加者というのは誰の迷惑にもなっていない善良な存在だろう。日常の延長線上にある楽しみとして、自分の好きなメンバーと握手をしに行くという行為の何が問題なのかは全くわからない。彼ら彼女らには、単に好きな存在を応援したいという気持ちしかないはずで、握手会というイベントがある以上、そこに参加する事はもっと誇らしげであっていいはずだ。しかし、それ以前にも困った参加者が出てくるたびに、そして今度のような刃傷沙汰などが起こってしまうと、世間(=部外者)の目というのは一瞬にして、部分を見て全体を語るものとなり、握手会=悪、「やっぱりAKBファンはキモかったな」となってしまう。日本に住む人間で、実際にAKBの握手会に行った事がある人間と、行った事がない人間とでは、後者が圧倒的に多数派である。何かコトが起こった時に、大多数の部外者(世間)は、少数者に対して決して優しい目を向けないだろう。世間の目とはそういう雑なものである。


握手といえば、原因がわからないのだが、僕は手の平と足の裏に汗をよくかく体質のため、手を触れ合うという行為がとても苦手だ。末端多汗症とでも言うのだろうか。だからもし自分がAKBファンであったとしても、握手会に参加するという事はまずないだろう。AKBでなくても、僕は親しい人間との間で手をつなぐという事をしない。手の平から汗が出やすいという事を、さすがにこの歳で、一人で生きて行くぶんには気にしないけれど、相手がいると別である。経験上、手を握ろうとする相手がそれを気にするという事はまずないのだが、だからこそ、それゆえに、こちらが自分の手の平の存在を気にしてしまうのだ。「気持ち悪いなあ」と言われても気になるし「気にしないよ」と言われても気になるし、「なんでそんなこと気にしてるの?」と言われても気になるという、まさにどっちに転んでも他人と手と手を触れ合わせる限り自分の神経がすり減って行くだけであって、そんなに気をつかうのならば、「人とは手をつながない」と決めてしまった方がよっぽど気楽だというわけだ。だから友人であれ恋人であれ、抱きしめる事はあってもあまり握手はしない。AKBのメンバーとも握手はしないだろう。生きて行く上で、他人と手をつながない事によるデメリットなど全くないのだ。


汗の話を続けると、手の平と同じくらいに、足の裏にかく汗もなかなか困りものだ。足の裏に関しては、いつからこういう体質になったのかというのをわりとはっきり覚えていて、それは十八歳の時。それまで真冬以外はすべて裸足にビーチサンダルという姿で生活していたのだが、十八歳のある時に、病院で用意されるスリッパが履けなくなった。お見舞いに病院を訪ね、玄関でサンダルを脱ぎ、下駄箱横に用意された院内用スリッパに履き替えてみると突然、足の裏がビニールスリッパに反応して水たまりが出来るほどに汗が出た。ビーチサンダルを履き続けている人間の足裏というのは埃その他で汚れていて、あわててぬいだスリッパのクリーム色に浮かんだ自分の黒い汗が印象に残っている。自分の体ながら驚いて寒気がしたものだ。それ以来、ビニール系のものが全て駄目になってしまい、素足でビーチサンダルも履けなくなった。ビニールだけでなく素足に靴全般が駄目である。だから真面目な話だけど、石田純一という人がとてもうらやましい。


汗に関してはほかにも思い出がある。デコ汗や背中汗というのもひどかった。多汗症というのは、人によって実に様々なレベル、汗のかきかた、分量があって、自分の場合、日常生活どのような次元においてもデコ、背中から汗が出て来るというような症状はなかったが、特定条件によって汗がふき出した。それは服屋に行った時だ。気に入った服があったとしても、店員さんに声をかけられたその瞬間、デコと背中から、ちょっと無いだろうというような汗が出てくる。何度か改善出来ないかと思って練習したのだが、やはり特定条件下(服屋で店員さんに声をかけられる)で汗がふき出すという体質、自分にとっての地雷原のようなものは変化しなかった。近所にユニクロが出来た時、どれほどありがたかったか。


そういえば最初に、呼吸するレベルで悪意を吐き出す事が出来るツイッターというものについて書いたが、汗といえば、体臭とは不可分の存在だ。ツイッターを初めてかれこれ七年ほどたつのだが、これまでに何十回も見た事のあるつぶやきに、(電車等で)周囲の人間の体が臭い、というものがある。つぶやいているのは、友人知人の場合もあれば、まったく知らない人の場合もある。しかしそれぞれに共通するのは、つぶやいている側には何の悪意もない、という事で、「電線にとまっているスズメがかわいいな」と同じくらい牧歌的に「隣のやつ、くせえな」というような事をつぶやけるというのは、少しこわいな、と思っている。同時に、つぶやき主は、体臭で悩んだりするという、人生の「しょうもない地点」で、悲しく、しょうもなくつまづいた事がないんだろうな、とも。


ちなみに握手会といえば、小学生の頃は、手の平多汗症というものもなかったので、誰とでも平気で握手する事が出来た(と言っても小学生が誰かと握手する機会はそんなにない)。24時間テレビをやっていたので貯金箱を持って大阪読売テレビまで行くと、会場には円広志さんが立っていて、たくさんの貯金箱が置かれた長テーブルの向こうで、笑いながら手を差し出していた。そこに自分の貯金箱を置き、大きな手を握り返したのが、自分にとって最後の握手会だ。

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団結しろ万国のまよなかの白痴ども/きみらのことは誰も詩に書かない(岩田宏/のぞみをすてろ)