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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:05:38

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12月31日(月)

起床時刻:05時40分

朝はきのうの第6講を書き直そう。「n」と「ng」の部分だったけど、どうもいつも説明がごちゃごちゃする。が、今朝ひらめきました。たぶん上手くいくと思う。

ああ、しんど。第6講は結局、いつも板書していることをまとめた。相原茂さんのテキストの発音部分(ここ数年同じものの使い回し)が、説明くどいと思うんだ。「消えるe」とか「ふぞろいなe系列」とか。この“e”という発音はとっても不安定で、音色もコロコロ変わる。「わたり音」で「現れるe」の方向でまとめてみました。

たとえば、後ろに“n”がくるとき、“ü”みたいな口を小さく丸める音から“n”の音へ移る過程で、“n”は唇を横にびよ~んと引っぱるので、口が若干ですが大きく広がる。ゆるむ、と言ってもいい。この時にはさまってくるのが「わたり音」の“e”です。“u”は前に子音がない時ははっきり“e”の音が入るので“uen(wen)”ですね、前に子音がつく時は“dun”みたいに“e”をとって表記します。

第7講~第10講、作った。発音篇、おしまい~♪

皆さま、よいお年を!

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12月30日

起床時刻:06時10分

雪かきで腕が痛い。筋肉痛だ。

発音篇はどうしたって紙芝居の画を床に全部ばらまいたみたいで、1枚ずつめくりながら練習もたっぷりしていくから身につくのに、これをそそくさとカルタ取りみたいにやってもなー。本当は発音に限らないけど、たっぷりのトレーニングでやっと身につく。

第4講、第5講、第6講を作った。お絵かきソフトで、唇の形の絵などを描きました。温家宝も、プロに「こんな顔が中国語に向いているの~」と言って描いてもらおう。写真じゃビックリするので。

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12月29日

起床時刻:05時42分

長野に置いてあった漢文の本をちらちら読み返してみる。どうもピンとこない。

前に話題になった二畳庵主人の本も学術文庫で出たので買ってみたけど、最初のほうの「訓読について」で「千慮有一失」を例として、「主語は何か、述語は何か、という発想では分からんだろう」とあって、これは現代中国語文法でいえば存現文だから、こういう特殊な文型を出すならね、と思う。欧米語の影響を受けたはずの現代中国語の文例が「我不是這箇意思。」で、これも「僕はウナギだ」みたいな省略された特殊な文例。こういう例を出して、「漢文・現代中国語において主語という意識が未確立」と言ったすぐ後に、「主語-述語の関係で考えるのはアッタリマエのことであり、アッタリマエのことでは方法になるまい。ワカンナイナア、コノ神経」と言われても、何がいいたいのかワカンナイナア。

語順は現代語とあまり違わないけど、代名詞と疑問詞が出てくるとちょっと変わる。代名詞は現代語でもそうだけど、古代漢語は疑問詞も。それから先秦の文は、ちょっと違う。まだ統一感がない。白話(口語の書き言葉)と文言(書面語)は、どちらが優勢かは時代によって違うけど、どちらも並行してある。韻文と散文も。これを一緒くたにするから混乱するかも知れない。

小川環樹・西田太一郎『漢文入門』の第一部「序説」1~30頁(語法については12~30頁)で漢文法の説明は十分なのかも。そして第二部「短文篇」で練習したあと、第三部「各体篇」になっているのは慧眼かも。これ、大字本を出してくれればいいのに。

・・とこんなことも考えつつ、発音篇を作らにゃいと。

ぶっ! 発音篇第1講の「顔の構え」で、どうしたって温家宝だよっ! 理想的な顔なんだ、あれ。とネットで拾って貼り付けてみましたが、あまりに理想的な顔で、笑ってしまう。これ、載せたらまずいかな?

第1講、作った。「出だし高型(たかがた)」の1声と4声、「出だし低型」の3声と2声、盛り込みました。春月せんせいオリジナル。だって~、2声と3声が分からない、って、出だしの一瞬で聞き分けるんだもの。「声調は出だしが大事」 

発音するときは「出し終わりまで力を抜かない」ってのも大事なんだけど、聞くときは、最後までもたもた聞いていると、2声と3声はどっちも「さいご高型」、別名「ご飯ちょうだい=おねだり時のねこのしっぽ型」で、1声も高いからなー。

第2講、第3講も作った。

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12月28日(金)

起床時刻:05時50分

やっぱり四声なのかー。私は声調はわりと簡単にクリアしたので、苦労が分からないんですよ~。前から何度も書いているけど。そして前から何人かそういう人に会ってきたわけですが。

教室ではゼロから学ぶ学生をいま相手にしていて、彼らは2声と3声の聞き分けが自信ない(でも発音させるとできている)、という人はたまにいますが、まったくダメです、という人はほとんどいない。

教室では、「あめ(雨)」と「あめ(飴)」を聞き分けられるか、指で「雨」なら窓のほう、「飴」なら廊下のほう(天井と床でもいいけど)を指してもらうと、全員が聞き分けている。これを確認した上で、

次に、「高くて平ら」と「低くて平ら」の聞き分け。 → できる。

では、「上り調子」と「下り調子」の聞き分け。 → できる。

この4パターンには番号がついていて、
 高くて平ら  1声
 上り調子   2声
 低くて平ら  3声
 下り調子   4声

ではランダムに発音するので、指の本数で1234のどれか示して。
 → 何回かやっていると、できるようになる。

次に、私が指で1234のどれか本数で示すので発音して。
 → 手こずるけど、そのうちできるようになる。

「すごーい。でも家に帰ると忘れるから、とっておきの覚え方を伝授します。1声は“汽笛がボー!”」「・・・」「これを全員で最初から復唱したクラスは伸びたわねえ。“汽笛がボー!”」「“汽笛がボー!”」「汽笛がボー!」「汽笛がボー!」「ボー!」「ボー!」「ボー!」「ボー!」・・(中略)・・「カラスがカー!」「カラスがカー!」「カー!」「カー!」・・

てな調子で段階を追ってやるので、ゲラゲラ笑いながら出来るようになる。私の理想は「チャイ語の発音? できたね。簡単だよ」と学生がなることですので。・・上手いかどうかはまた別なの。トレーニング的な要素があるので、どうしても差は出てくる。

授業で対面でやっていることを紙面でうまく再現できれば、発音篇は成功! どうすっかな? 

こういうのはですね、DVDを顔出して作ったとしても、やっぱり教室で習いたいという人が出てくるような気がする。発音だけはもう一度習いたいと言う学生がいますもん。若い頃からでした。「初めて顔と発音の一致する先生に出会った」とか言われてました。綾小路きみまろの漫談、同じネタなのに何度も聞いて、同じ場所で笑う、みたいな世界になりそう。・・グッズ作ってバスツアーでも企画するかな?

現代中国語から古典を読もうとする場合、語順がいちばん楽にクリアできて(あまり変わっていないから)、語彙は調べないとダメで(時代やジャンルによって違うから)、最後まで残るのは韻律ですね。発音はもともと地方によってだいぶ違っていたけど標準的な発音があって、それが時代によって(というか政治・文化の中心になった地域が動いたからだと思うけど)かなり違うので、唐詩なんか日本漢字音のほうが入声の見当がついて平仄が分かりやすい(※)。現代語では広東語が唐代辺りの発音をいちばん残しているとされますが、これも中国5000年の基準を唐代に置けば、の話です。

それなら発音はやらないで読めば?、となった時に、「読む」には意味と一緒に音がついてきますね、たぶん。だから日本漢字音でお経みたいに直読するか、訓読みたいに和語を交ぜながら語順も日本語風に直してひっくり返りながら読むか、になるんでしょうね。

※訓読だと音が分からないから、『張継「楓橋夜泊」を日本人はいいと言うけど、一句めの「月落烏啼霜滿天」は「去去陰陽陰上陰」でぜんぜん美しくない、これだから訓読はダメなんだー!』という台湾人の意見があるようです。でも「月」「落」は入声ですからっ! 「ゲツ」「ラク」と日本漢字音で読めばすぐ分かる。現代中国語(普通話でも台湾の国語でも)だと、入声が消滅していて分からない。

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12月27日(木)

起床時刻:04時58分

長野へ。1ヶ月前にチケット買っておいたから、今日なら座って行ける! でも熱はすっかり下がり、大丈夫そう。長野でおとなしくしてれば、年明けの授業は万全、のはず。。

魯迅の「故郷」は、いろんな課題が出るみたいですね。中学生がやっほーで質問してました。自分で考えなさい! で、答えている人もいます。こらこら! でも言いたくなっちゃうのかな。

魯迅は翻訳でも読める。老舎は翻訳でも読めるが、原文で読んだほうがだんぜん面白い。朱自清は翻訳じゃムリ。と思っていますが、評論と小説と散文(詩的な)の違いでしょうか。マイテキストは原文が先にあるので、訳例として日本語訳を出してますが、本来翻訳は(黎波せんせのおっしゃる通り)原文なしで文学作品として成立していないとダメですよね。

昨日の「藤野先生」の冒頭、竹内好さんの翻訳は「東京も格別のことはなかつた。」で、正確な上に日本語としてはこれがいいです。「格別の」としたことで、「無非」のがっかり感がちゃんと出ています。中国語はこれから言う話に「こんな」とけっこう使いますが、日本語では違和感あるでしょうし。

**
長野に無事着きました。雪だらけ。

「紅楼夢」の訓読は、以前は白話(口語の書き言葉)も訓読してたんですよー、という例で出すだけなのよ? あーら魯迅を訓読しちゃう人もいるらしいわー、どうやって?、と検索しただけなのよ~。

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12月26日(水)

起床時刻:02時27分 06時07分

昨日はいろいろやりましたが体調は悪くて、夜7時に寝ました。それからトイレで何度か目が覚め、いままだ37℃を超えているので、今日はテストの予定でしたが、休講。

念のため今日と年明け最初の授業と、2回テスト日を設定していて、「どっちで受けてもいいけど、せんせい、最近体調悪いので、来られなかったらごめんねー♪」と言っておいた。まさか本当に熱が出るとはね。。

**
今朝は熱は37℃をちょっと切って、昨日の朝と同じ感じ。昨日はクスリで押さえ込んでしまったからなー、ただの頭痛だと思って。今日は熱を出すほうのクスリで、汗かきながら寝てますわ。関節がまだ痛むので、熱でしたね。

**
平熱とちょっと高い辺りを行ったり来たり。よくこんなに眠れるもんだ。

トイレに立つついでご飯を食べ、ついでに「魯迅を訓読」で検索していたら、「藤野先生」の冒頭を「訓読してください」というQがあって、「あれは口語ですからできませんよ」というAと、「敢えてやるなら」というAがあった。

東京也無非是這様。

A1:東京と也(なり)は是(こ)れ這様(このよう)に非(あら)ざる無(な)し。

A2:東京も這(こ)の様(よう)に無非(すぎ)ず。

A1のほうが漢文に詳しそう。「也」は「東京たる“や”」と訓じてもいいんじゃないかな?

私:東京たるや是(こ)れ這(かく)の様(よう)に非(あら)ざるは無(な)し。

昔は句読点を使っていなかったので、「也」って「、」や「。」のように使われていた。「曰」は会話を示すカギカッコのように。現代語の(藤野先生冒頭の)「也」は「…も」の意味があると思いますが。

東京もこんなもんだった。

冒頭でいきなり「こんな」とくるから、「えっ、どんな?」と思っちゃいますが、以下ちゃんと「どんな」か書いてくれてます。それで仙台に行っちゃう。

「無非」は現代語の辞書を引けば「…にほかならない」「どうせ…だ」と出てきますが、二重否定は昔から使っていて、分からなくなったら二つとも取ってしまう。

東京也是這様。

よっぽど分かりやすい~。でも文学作品の冒頭ですので、「無非」があったほうが「がっかり感」もしくは「負け惜しみ感」が出ますね。

それから「無」も「非」も副詞で、だから「也」ともども3つこの位置(主語の後ろ、動詞「是」の前)に並ぶしかないのですが、訓読して「非ざるは無し」じゃ副詞っぽくないですね。「副詞を制する者は中国語を制す」って感じが最近しています。もちろん「動詞が分からなければ“どうし”ようもない」のほうが基本です。あと「正しい発音は正しい箸の持ち方と同じ、一生の宝」も。ステッカーにしてキョンシーのお札のように学生のおでこにペタンと貼り付けてやりたいわ♪

「訓読」とくくりますが、「返り点」は語順を日本語に合わせて示すものなので、現代語の「人民日報」だってやろうと思えばできるでしょう。「訓」のほうは、現代語は二音節語が増えているし、さらに古典にはないアスペクトなんか付くので、「この語はひとかたまりですよ」という印の「-」を3文字4文字にわたって付けることになりそう。「読み」は音読か訓読みか、「文選読み」みたいに両方やっているのもあるわけだから、工夫のしどころよね。

魯迅は幼少期は文言で伝統的な教育を受けていて、大人になってから最初は医学を志し、のちに文学に転向した時に、「西洋語の文法を大胆に取り入れて」口語体で小説や評論を書いた、と言われています。日本に留学していましたが、日本語の言い回しもけっこうある、と言われています。

**
夕方から安定して平熱、たまに35℃台になってます。低体温じゃん!(← ひとり突っ込み)

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12月25日(火)

起床時刻:00時16分 06時30分

あららら~、また今日になってしまったわ。テスト作ってて。

**
起きましたわ。テストをあと3つ作るの。今日やること:

1、テストを作る      → 作った
2、クスリをもらいに行く  → もらった。重い。。
3、王羲之を書き直す    → 書いた
4、年賀状を書く      → 書いて投函した!

優先順位が低いながら、年賀状も入れてみました。

テスト作り終えたところで朝ご飯たべて、ちょっと休憩。弟に教えられたサイトで、日本の日常の一コマが外国の人にどう見えているのか集めているのがありまして、最近よく見ています。パンドラで検索すると出てくると思う。

公共の物が壊されない、汚されない、街がきれい(清潔、人や光であふれていて奇麗、の両方)、ボランティアでゴミを拾い歩いている人までいる、学校生活が楽しそう(とくに部活)、警官が親切、などに感動している人が多いです。ハイテクや、細かい工芸などへの賞賛も。くだらない奇妙なことにものすごく手間と技術とお金をかける(キャラ弁、トイレのTOTOとサッカーのtotoの対決など。笑)に驚きつつも「クールだ」という意見が多く、また何でも「かわいい」という意見も多い。

総合すると、人や物(それを作った人)や仕事(それをやっている人)に敬意をあらわす洗練された文化的な国だ、という意見が多い。日本の物や仕事ぶりにビックリするのだけど、日本でそれが通用しているのは、お互いに敬意を持っているからだ、という意見です。横断歩道で止まって歩行者に道をゆずるドライバー、渡ったあとお辞儀をする子供たち。「お前ら何を期待しているんだ? だって日本だぞ?」という日本に来たことのあるらしい人のコメントがしょっちゅうあり、面はゆい。

昨晩のカンボジアの人が、日本の歌を歌うためにカンボジアの正装で来る、というのも同じ心だと思う。この辺でいいだろ、と手を抜いたらダメなんだなー。ごんじ1号が同じこと前に言ってたけど。「心構え」っていい言葉ですね。「構え」といったらふつうは「身体の」態勢でしょうけど、まず「心から」ってことですね。

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12月24日(月)

起床時刻:06時15分

今日は文章篇(読解)を1篇作って、それで読解篇はお終い。明日はテストを作ったり、王羲之を書き直したり、もしかすると郵便局へ年賀状を買いに行ったり(まだその段階。しかも「もしかすると」な段階よ♪)、クスリをもらいに行ったり、しなくてはいけないので、発音篇は冬休みに長野で。

漢文関係の本を長野に運んでしまったので、「紅楼夢」でいったん終了。古典篇は後回し。古いほうからやっていくと、従来の漢文の本とたぶん同じになってしまうので、新しいほうからさかのぼったほうがよさそう。現代中国語からどこまで行けるか。どうしたって古いほうからの構成になってますけどね、王力さんのも、それ以外のも。

中国では(日本も)注をつけながら古典を継承していくスタイルだったので、古いほうから見たほうがいい理由もありますが、宋代で新しい解釈がわっと出たり、辛亥革命後に口語で訳注つけたり、大きな変化を中国もしてました。

**
1篇つくって、文章篇お終い♪ ・・午後があまった。

長野から頼まれていたカーテンを送りにお昼に出たら、ポストにクリスマス・プレゼントが届いていた。わーい♪ テンションあがって、スーパーで実演販売していたパイナップルを即手に取る。「よく買われるんですか?」「いいえ全然っ!」 お姉さんが一生懸命だったからですよ~。家でパインを食べ、チョコを食べながら,ほんまでっかの植木理恵せんせの「シロクマのことだけは考えるな!」を読んでます-。

シロクマというのは心の傷のことで、忘れなきゃと思うほど忘れないって。いっそとことんシロクマのことだけ考える。裏技は日記にシロクマとその時の気持ちを綴ると、放っておいても3ヶ月後から急速に忘れ始め、半年後にはほとんど忘れるらしいけど、もっと早く忘れる。私がここにたまに(しょっちゅう?)書いているシロクマも、後で削除した部分のを読むと、「なに怒ってたんだっけ?」と思い出せない。爆! このカメはけしからん、ってことだけは覚えてるけどな。いつだってカメはカメだし。← 人をカメ扱いして自分はウサギのつもり。爆爆爆!

・・あっという間に読み終わってしまった、シロクマの本。「人は集団になると無意識に手抜きする」部分を読みたくて買ったんだけど、そのまんま、手抜きを「無意識に」するんだって。そーかあ、無意識かあ。

一緒に買ったビン詰めのいろいろな保存食の本も眺める。こういう本を見るのが大好きなんですねー、滅多に作らないけど。

夜は、外国の人が歌う日本語のどじまん番組を見ながら、涙しております。いいクリスマス・プレゼントだ~♪ みんな歌も上手だけど、日本語がとてもきれい。私も中国語が好きだ~♪

のど自慢はケント・デリカット似のイギリス人が優勝して、カンボジアの人が特別賞をもらいました。イギリス人にはロックの魂があった。カンボジアの人(男性)は美しい民族衣装の正装で登場して、それだけで涙出たもんなー。フィリピンの人もよかったよ-。

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12月23日

起床時刻:00時41分 06時45分

あれ~、12時すぎてる~~♪ 眠い。。

「紅楼夢」で1篇作ったけど、白話を訓読しているものがあって、この原文縦組に訓点をふってみようとトライしていたら、時間ばっかり食って、結局やめた。一生懸命やっても編集者のソフトで反映されないかも知れないし。一太郎は漢文プリントが作りやすくなったという触れ込みだったけど、ええ~っ、まだぜんぜん不便。ルビをつけるともう訓点のパレットが反応しなくて、ルビを解除しないと直せないみたい。もう、いやっ!

**
起きました~♪ 起きたら再チャレンジする気になって、もうルビやら何やらでやるのはやめて、原文1行、右にふりがな送り仮名1行、左に訓点1行、計3行でフォントや行間を工夫して、まとまって見えるように。時間かかるので見本の一部だけ作ってみた。白話をむりやり訓じているので、すっごく面白い。原文の意味にあわせて大胆に口語訳した感じの訓読なので、送り仮名の部分が長くてはみ出しがちだ。・・やった挙げ句、とりあえず訓点部分は書影でいいんじゃない?、という気もしてきた。(笑)

陳さん(いま北京)に確認したら、帽子は「貂(テン)」と「貉子(タヌキ)」らしいので、以前の記事を修正しました。「貂」の上着もあって、それは内蒙古のノーブランドなので、老舗の帽子と同じくらいの値段だから、「買ってみたよー」 日本円で1万くらいだって。それから『琴学練要』があったって(私は持っている)。私は来年度、『琴書大全』『琴曲集成』を探すのじゃ。

文章篇(読解)2篇つくった。

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12月22日

起床時刻:06時15分

わ~、昨日だったら遅刻だー。ふっ。昨日はちゃんと起きたさ。

4限は2週連続休んでしまったので、教室をドアから顔だけ出して覗いたら、「きゃ~~、せんせ~♪」とむちゃくちゃ歓迎され、中には立ち上がって手を振っている子もいて、「ごめんねー、せんせい、気は強いんだけど身体弱くて~♪」とさすがに嬉しかったけど、今年度はずっと体調が悪かったので、「1月? もういいっしょ?」と春から言っていたのに、「金曜は2回授業がありますよ!?」となじられ、やることになった。。 といっても「中華街いきましょーよー」と新年会に。。。 ん-、こいつらは2年生でセミナーをとっている子たちなので、「神保町の中国書店めぐりにしない?」と提案してみよう。神保町にも中華料理のおいしいお店あるし。

中華街は1年生も「行きタイ、行き鯛!」と何度も言っていて、「行けばいいじゃん、近いんだしっ!」とあしらってきたが、「先生と一緒だと穴場に連れていってもらえる、レストランで裏メニューが出てくる」という幻想があるらしい。中国にはしょっちゅう行っているけど、中華街は滅多に行かないのよー。でも土曜補講日になっている水曜があって、「希望者の課外授業~♪」になりそう。わ~、なんで学生と中華街なんか、っつーのが本音ですが、ま、しょうがない。

結局、1月はふだん以上にあっち行ってこっち行って、疲れそう。。

今日はマイテキスト作りの資料を仕入れに、神保町へ行く予定。・・雨が雪に変わる鴨♪というので、アマゾンに変更!

文章篇(鑑賞)を2篇作って、ここはお終い。あと(読解)をもう少し。それから発音篇。

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12月21日(金)

起床時刻:05時07分

授業。

ずっとトイレに行きたくて(また耳のイソバイドっつー水はけをよくするクスリを飲んでいるせい)、でも布団から出るのがイヤでぐずぐずしていたら、すごく面白い夢を見ていたようだけど、起きたら忘れてしまった。。んー、といち屋(NO!じゅういち屋)さんちで画を見ていたような気がする。

昨日の続きですが、文法がしっかりしていると、「ここはアスペクトがついているから動詞として読まないとダメだよ」なんて話ができる。どうしても漢語として、名詞として読みがちな言葉があって。日本語はつくづく名詞重視の言葉なんですね。中国語が動詞で言っていることを、日本語では名詞で言うことがけっこうある。

そしてアスペクトや補語がついている動詞はたいてい文の述語になっているので、そこを名詞で考えていると文脈を見失うのでごぜーます。

なるほど、いつも論文はダチョウで書いているからな。こんなところにセバスチャンが・・。

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12月20日(木)

起床時刻:06時50分

わ~~、明日だったら遅刻だ~。ふっ。明日はちゃんと目覚ましより前に目が覚めるのさ。

お~o(⌒0⌒)oは~♪\(⌒▽⌒)/

サイトがあるんだね、顔文字。拾ってきました。昨日は久しぶりの授業で、用心してウォーキングもやめて電車にすぐ乗ったにも関わらず足が痛くなり、帰宅した直後は疲れていたけど、お風呂はいったら少しシャキッとして、マイテキストやりながら「相棒」まで時間をつぶし(笑)、見てたら眠気のピーク(最近は9時!)を超えてしまったので、11時すぎに寝たの~。途中で目覚ましがカチッと音がした(切っているから鳴らない)のは聞こえたけど、お布団が暖かいからそのまま寝ていて、起きたら7時近かったわ。

文章篇(読解)第2篇と(鑑賞)2篇できた。

読解篇は、アタマの中がどう働いて「読んで」いるのかな、と思いながら作ってます。学生と授業で読んでいると、ちょっと先までしか見えてないんだなー、と思う。なんだっけ、アナウンサーが原稿を読むと隣の行まで見ながら読んでいたりするけど、素人だと7~8文字先までしか見えてない、みたいな。「Aが出てきたらそのうちBが出てくるからそこまで我慢」みたいなことがありますが、それも慣れていないから分からない。そういう大きなポイントを抑えつつ、でもアスペクトや補語があるとそれで生じる、というか決まってくるニュアンスがあって、そこも抑えないとね、って感じかな。

なんだかんだ言っても、現代中国語はいろんな目印があって、そうそうデタラメには読めない。

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12月19日(水)

起床時刻:05時30分

授業。

今日は寒そう。暖かくして出かけましょう。

**
とりあえず大学にたどりついた。これから教室へ行きますが、耳(の中)が痛いのよね~。家の中でうろうろ(ほとんど机の前に座りっぱなし)と外をうろうろは、やっぱ違う。。

お昼~♪ ここ2日ほど石破さんの話をさんざん聞いていたせいか、補語の説明しながら、「主語と目的語というのは・・、名詞がなるものなんです。・・そりゃ句や文のときもありますがね・・」などと妙な間があいてしまった。

イシハラが出るとチャンネルを変えるので、「だいたいだねー、アスペクトが分からんなんて言うヤツはだなー、ボクに言わせりゃ、バカだね。文明の悪しき弊害・・、あ、これ言うとまたババアに噛みつかれるのかね? おい、君ぃ~! 君はどこの社だあ?」なんて暴言狂言を吐かずに済んだ。

文章篇(読解)の第1篇できた。いい感じ。

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12月18日(火)

起床時刻:05時47分

昨晩もだらだらとニュース番組をはしごして選挙関連のあーだこーだを聞いていたので、今朝もおそおそー♪ 朝ご飯を作りながら第18課の課文を考えてました。今日も降りてくれるかな?

お昼までに3課分作って、テキスト篇終わった~♪ 昨日の夜は疲れすぎて吐きそうになってましたが、今日はもうほどほどにして、明日は何としても授業に行きませんと。・・と言いつつ、午後は単語篇も作り終わった~♪ 吐きそう。。

と言いつつ、夜は文章篇を。今年2年生のクラスでやっていた教材ですが、どうまとめたらいいか、ですね~。

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12月17日(月)

起床時刻:06時40分

11時すぎに「どぜう」の寝言を聞いてからさらに起きていたので、おそよー♪ 今朝はまだ暖かいけど、これから寒くなるのかな? 聖堂の日だけど、クチビルが風邪イボで吹けないので、お休み。

今日は残りの補語を中心に3課分作るぞ-! そして明日、比較・受身・使役などと呼応する表現で3課分作って、全20課でお終い。

前半の10課分は基本の文型や疑問文(この種類が多い)をやりながら、数字がらみの表現(これも多い)や「二と両」「不と没」なんかの違い。中国語の初級テキストって、こういうのを「文法」と一緒に入れるから、何がどうなっているのか、混乱するのよ。「文法」項目は後ろの解説篇を見よ、みたいな構成にしてみた。解説篇は少し難しめな単語も使い、体系的に説明、の二段構え。

げっ、菅直人は比例で生き返ったのか。。ゾンビ。秋葉原では「安倍晋三コール」がおこっていたみたい。ぞぞぞ~。

石破さんは個人的には「かわいい」と思いますが(爆!)、えらく暗い顔して選挙制度のせいで自民が思わぬ大勝したみたいに言っているけど、そうなるようにせっせと選挙制度を変えてきたのは自民党だったはず。前回さすがに自民にNOがつきつけられたけど、ほっときゃ自民が勝つような制度じゃん、いまさら何を言っておるのだ? 

民主党はふざけてる。いくら惨敗でも投票してくれた有権者がいるんだから、辛抱してボードに花をぽつんぽつんと付けるべきなんだ。逃げるな!

橋下はイシハラと組んだらこうなることはなぜ読めなかったんだ? 父子の情が生じたとか、えらく気持ち悪いことを評論家たちが言ってますねー。不気味。

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なんとか3課分作った~♪ 存現文てんこもり、すごいなー。一つは兼語文にもなっているのだ。今日も宿っているな。

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12月16日

起床時刻:05時50分

憑依しております。なにが?

鼻水が出てきたな、やっと? なんか身体の内側に熱がこもって、出てこない感じがずっとあった。よくないもの、汚いものを溜め込んじゃいかんのよ。知識や経験も溜め込んではダメだぞ。自分一人で溜めたものではないんだから。

ここなんだな、私がアメリカにちっとばかし居たときに、「キリスト教? 理解できないわ、なら信じてみる?」で洗礼を受けてしまったのは。そして洗礼の儀式の前に、「信じてみる?」と口に出した瞬間に、ぱーっと理解できたのは。それは体験していない人には理解できないでしょうから、敢えて「布教」しようとは思いません。日本では「信仰がある」というだけで「いかれた人」扱いする人がいるので、面倒くさいから。その割に、格言や道徳みたいに聖書の中の言葉が無造作に使われてますけどね-。

キリスト教というと「原罪」が分かりにくいでしょうけど、自分で何もかもやった、できる、と考えてしまいがちなのが原罪だな。いろんなことをすでにたくさんもらっているし、もらえるのは分かっているから、安心して人にもあげられる。そういう例が聖書に山ほどでてきて、いちばん最初に、いちばんたくさん、いちばん長く、あれこれバラまいているのが神様。お人好しなの。たまに怒ったり、キレて暴れたりしているけど。いや、けっこう怒りっぽい、旧約時代はとくに。旧約時代はえこひいきもしてた、露骨に。

新約時代もえこひいきはしている。いま神様の天国のお庭で「ハレルヤ!」しているけど、お家に入るにはドアが小さすぎるので、あれこれ捨てないと半分の人は中に入れてもらえないってさ。最後は何もかも捨てて、「神様、あなたのところに戻ってきましたよ。生きていて楽しかったです。私はあなたの栄光を少しでも現せましたか?」という気持ちでいると、神様が「おーよく来たね-、天国のお家はもっと楽しいからねー♪」とドアを開けてくれる、のだろうと思う。ハレルヤ!

街がクリスマスなので、思い出してみました、神様を。(こら!)

さ、今日はテストの採点もしないと。→ 終わった~♪

それからマイテキストだ。ハレルヤ!

**
結果補語で第13課を作ったので、おでん食べたら選挙へ。・・行ってきたが、誰に投票していいか迷って、はじめて白紙で出しちまったよ。政党は選んだけど。私は選挙速報を見るのがけっこう好きなので、今夜は夜更かしするかも。いや-、もう民主党と自民党の選挙CMを見なくてすむかと思うと、晴れ晴れするわー。あの2人が続けて出てきた時は、血圧あがったぜ。とくに民主党だ。ドアップはやめれ! ホントに「どぜう」にしか見えなかった。「どぜう」の顔をまじまじ見たことはないけんど。

さ、これから方向補語で第14課を作る。個人的に、結果補語ほど面白いものはなく、方向補語ほど難しいものはない。 → あ”~難航した。やっぱり難しいわ。ふだん日本語では動作によって生じる方向をいちいち意識していませんので。

わ~、自民の一人勝ちか。。寝る! 橋下はしゃべりすぎだ。。あ、輿石さんはなんか泣きそう。。ええ~っ、田中真紀子敗北!? やっぱり目が離せない。

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12月15日

起床時刻:05時20分

風の花がまだ元気っ! げ~~、ノドから肺にかけてもぐじぐじ、いやな感じが残ってますね~。今日は雨が降って、乾燥カラカラが緩和するらしい。期待しよう!

中国に通い始めたころは、空気に慣れなくて、夏もマスクして夜寝てました。そうしないとすぐ喘息になって。陳さんは北方育ちで暑さに弱いので、窓を開けて寝たがりますが、とんでもないっ! 最近は私も暑さにかなり弱くなり、暑すぎるほうが身体にこたえるので、寝る直前までクーラーかけていたりしますが。

昨晩はバラエティ番組でタレントの子供(すでに大人。みんな俳優とか言ってる~)が浮き世離れした生活ぶりを紹介したあと、しつけがどうなっているかチェックをやらされていた。箸の持ち方、サンマの食べ方、ご祝儀袋の名前の書き方。

箸の持ち方はひどかったです。8人いて3人合格だったけど、3番目も相当ひどかった。2人だけでした、まともなのは。外国人の箸遣いみたいでした。それを見ながら、古琴や簫の構えもそうだし、中国語の発音もだな~、と思った。正しく合理的だと楽だし、見た目も美しいのね。応用もきくし。

学生で、あまり勉強していないのにテストはよくできる子がいますが、たいてい発音がいい。テスト前にCDを聴きながら何回か書いたり読んだりしていると、するするアタマに入ってくるそうな。調子こいて、点数がいまいちな友だちに「発音悪いもんね!」と言い放っているのがいた。最近の平成生まれ平成育ちの学生は、そういうことを友だちに言われてもあまりめげず、「きゃ~、次は見てらっしゃいっ!」という反応だけど。

発音は大事だな~。授業をどうやって紙上で再現するかだな~。なんつって、午前中は9課までの見直しで終わっちゃったじゃないか。。

午後は2課分作った~。6行の中に助動詞を9個ぶちこんで会話にしました。天才かも鴨?

さらに夕方、おでんを仕込んだあと、1課作った。今度はアスペクト5種類とその応用形2種類を、ぜんぶ投入! すっきり~♪

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12月14日(金)

起床時刻:06時15分

授業。→ 休講。

昨日は尺八の件があったので師匠のところに行ったけど、電車に乗ったらゾクゾク、20分くらいですぐ帰った。で、お昼を食べたらお腹を下し、ヨレヨレにて休講通知を出してもらいました。・・ノロ? 

水曜に12限やったあと、あ~帰りた~い、と思ったけど2週連続休講はかわいそうなのでやったのが、結局たたったかな? いや~マイテキスト飛ばしすぎでしょー?

書き終わった文法篇は、サム君は分かる(中国語をやっている)けど、オリーブさんは分からないな、と思って普通のテキストみたいなのも作り始めたのね。使える単語の範囲を決めているから、あまり面白い内容にならないな。。多少のオチはつけているけど。

輿水優さんの『中国語の教え方・学び方』を研究室から持ってきたので、またチラチラ読み直す。単語はHSK以外にもいくつかまとめたのがあって、でも数百語レベルだと結局、「リンゴは拾うけどミカンは捨てる」みたいなことになるようだ。あれこれ拾っていると、「これだけ知っているとかなり足りる」レベルって、3000語とか5000語になってしまうので。

ということで、新HSKの範囲でいいわよっ! と作業を進めており、テキスト篇は9課まで作り終わった。授業時間を考えると、せいぜい20課に抑えておかないと、とても1年で終わりませんので、折り返し地点に来ました。「昨天(きのう)」が脱落していたり、という代物なので、この範囲で例文作るのも、けっこう無茶がある。そこら辺はコラムで追加。

文法は~、外語系は「字と語と句と文」を同じ土俵にしたいんですね~。「文法と呼べるようなものはあまり多くなくて語法なのだ」は正しいとして、だから一緒にしないで「文法」だけ取り出すと、ほーら、こんなにシンプルだわ~♪ そのシンプルな「文法」をまず抑える、というふうにいかないのは、どうしても漢字漢語を知っているし、発音をやりながらつい「語法」や「文字」の話を入れたくなっちゃうから? 

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12月13日(木)

起床時刻:05時50分

ん~、やっぱり風邪? 

師匠がどこかから発掘した練習用の尺八(木製)をくれた。クチビルの風の花が治ったら練習しよう、たまに。簫と吹き方が違うので、今はあまり手を出さないほうがいいらしい。音色は柔らかくて好きですね~、尺八も。孔の数が少ないので、首を振ったり、いろいろたいへんそう。3ヶ月やって音が出なかったらあきらめろ、の世界だそうです。いい尺八はすんごく高いし、おまけに竹製はパキンと割れたりするんだって、ひえ~♪

師匠もノドがガラガラだった。月曜の聖堂が寒かったんだよ~。

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12月12日(水)

起床時刻:04時18分

授業。2限の授業中に2012年12月12日12時12分12秒を迎えた。

むちゃくちゃ乾燥してますわ。古琴のネジ(みたいなもの)がすぐ回って絃が緩むし、唇がっさがさ。身体の内側から熱が出ている感じもするけど。くせ毛の髪はぺしゃんこ。

新HSK大綱についている単語はですね、テストの見本で使っている単語の索引みたいなものです。テストはある範囲のレベル設定をして作っているとは思いますけど。だからバナナ・ブドウ・リンゴは3級までに出てくるけど、トマトは4級、みたいなことになりますし、ネギや生姜やニンニクが出てこない、こっちのほうが毎日のように使ってますけど。

イラストを見て答えさせる問題があるので、バナナやブドウは描きやすいけど生姜やニンニクは分かりづらい、とかおおかたそんな理由。やっぱり「テストの」大綱なんですね。旧HSKは、もとになっている単語の大綱、文法の大綱が、しっかりありました。

今朝もう一度、3級と4級の単語の突き合わせをして、そう思いました。3級大綱は1~3級の600語、4級大綱は1~4級の1200語、のように載っているので、4級大綱1200語から1~3級まで600語を除くチェックをした。ネットでは4級だけの資料も出てますが、多少違っていました。やっぱりきちんと突き合わせないと使えません。

そして3級と4級だけ見ていると、4級のほうが抽象的な言葉が多くなってレベルが上だと思うけど、これを旧HSKの大綱と比べると、「なんでこれを削ったん?」という語が1~6級までで計3000語もあるわけで。旧は計8000語、新は計5000語ですから。あちこちからまばらに間引いて減らしているんですよ~、白雪姫が7人のこびとのお皿から少しずつパンとスープを失敬したみたいに。

**
クチビルに風の花ができた。やーねー、美人が台無し!

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12月11日(火)

起床時刻:04時56分

だめだ、9時半でねむねむだ~。で、4時台に起きました。これがここ数年の睡眠パターンですね。

今日もマイテキスト。順調にいけば文法篇が終わる。→ 終わった~♪ 

例文で使う単語は新HSKの1~3級の範囲に抑え、ということで作業してますが、こういうのは力仕事なので時間をかければできる。→ 終わった、終わった~♪ 単語はほぼ使えて、若干残った。あとで陳さんに例文チェックしてもらってから、微調整。そのあと練習問題等を作る。とりあえず終わり~~♪

肝心な文法の枠組みは、何年も中国語を勉強したり教えたりしてきて、やっとここ2~3年でまとまり、クラスで教えながら手応えを感じていたもの。ここが大事なのだ。これが世に出ると、中国語教育の歴史が変わる! ぐらいの勢いでやってますんで。(笑)

今日はあすのテストを作って( → 作った)、台所の蛍光灯がきれたので買ってきて( → 買った。蛍光灯が異様に蛍光灯だ。。)、古琴の練習もして(あすはやる時間ないから → ちょっとやった。簫の練習も)、白髪も染めるかな?( → やらなかった)

**
応援メッセージありがとうございます。私がやるとしたら、古典への旅、時間旅行です~。

会話やリスニングのテキストは他にもあるし、新HSKもいまは少ないけどこれから対応したテキストが出るでしょう。何も基準がないと不安だろうから準拠するけど、留学その他しない人には関係ないテストだし、見ればみるほど「新」はなんだか怪しい、ちょっと適当。1~3級で600語、4級で600語、計1200語くらいはとにかく覚えておけ、ってなものですが。

ここや表ブログで書いてきたことをまとめる。まとめるには細かい作業が必要で、ちょっと時間が必要。でも来年度中に出版までいけるように、やってしまえ~♪ トッコウ(提灯アンコウの親分、昨年度は留守)のお蔭で、エンジンに火がついた。もう誰も止められない。

発音をしっかりやって、現代中国語の基本文法をやりつつ基本単語を同時に覚えて、(会話へはいかずに)文章をきっちり読める(想像で適当に読みたいように読むのではなく)ようになったら、現代からさかのぼって清代の「紅楼夢」、明代の「水滸伝」みたいな白話(口語)文を中国語で読んでいく。まー、読みたい人は「金瓶梅」も原文で楽しめるように。「三国演義」は文言に近いのでどーすっかな? 意外に読みやすいので、中国では現代語訳なしで読まれているようだけど。元曲や宋詞も口語っぽいものを少し。この先は文言の世界になるので、原文+現代中国語の訳文。唐詩や六朝時代の小説、漢代の「史記」など。さらに先秦の「老子」「荘子」や「論語」「詩経」へ。

本を右からめくっていくと、あら不思議! 「詩経」や「論語」の原文が縦組で、訓点や書き下し文、日本語の訳文も。古いほうからだんだん現代へ近づいていく。歴史年表がモノサシみたいについていて、いまどの時代の作品を読んでいるか分かるし、ときどき日本文学にも寄り道する。附録のCDをかけると、古琴や簫の伴奏つき。

唐詩を中国語で読んでいる本はたまにあるけど、現代から古典まで、中国語だけでなく訓読も、通しで学べる本はまだ出ていない気がする。

古典を読んでいて、あーこれは現代語なら兼語文だな、存現文だな、とか思うわけです。ただ「詩経」や「論語」だと特殊な文体で、いわゆる漢文法で現代中国語にスムーズにつながるものは漢代以降ですねー。小川環樹さんの漢文法の本を読むと、ああ現代語もよくできる人だー、といまなら分かる。もう一度「現代語から見ると?」の視点で勉強し直すといいかも。ま、王力さんのをやっぱりきちんとやるべきかもな。

ということで、古典はちょっと厄介なので、2冊セットの本でもいいかもね。「ノルウェーの森」みたいで。あの赤と緑はクリスマスカラーでプレゼント用に当時若い人によく売れたそうですな。

区切るとしたら・・「紅楼夢」? 北京語の教科書と言われる。ここまでを1冊にして、先に出しちゃう。魯迅じゃシャクだもんね。

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12月10日(月)

起床時刻:05時10分

2日連続のうっちゃり寝(もどき)はムリだった。昨日は11時でうっちゃり寝。(だから違うって、それ!)

今日は聖堂。

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12月09日

起床時刻:00時17分 06時00分

うひょ~、ミキたんの真似~♪ チャイ語マイテキストをやっていたら乗りすぎて、今日になってしまった。これからしっかりお布団に入って、うっちゃり寝。(ではないわー。でも廊下や玄関で寝たら死んでまう。気は強いけど身体弱いので)

では、おやすみなさい~♪

**
はい、おはおはー♪ 今日もマイテキストかな? ある程度仕上げてから北京へ行きタイ。ちゃんとやれば14年度から使えマス。書きながらどんどんアイデアが浮かびマンボウ。

あーくっそ、手がとまんねーよ? あと5本くらい欲しいの~。そしたら今月中にあがりそうだ。ひゃ~♪ ちと壊れかけてますな。テンションたかたか~。

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12月08日

起床時刻:04時48分

弟が鎌倉へ紅葉見物に来た。私は風邪さんなので用心して、今日の研究会もパス。忘年会だから出たかったけどなー。

陳さん(いまハルピン)に耳当てのある毛の防寒帽が欲しい、と弟がねだる。むかし北京に遊びにきた時に買った帽子は、カビが生えたので「あら捨てちゃった」と愛子。

北京ではいまそんな帽子をかぶっている人はいなくて、でも老舗が2軒ほど残っていて、2000元くらいの「貂(テン)」のがあるそうな。ハルピンでは200元くらいの「貉子(タヌキ)」のがあって、毛がばらつきあり、かぶると農民みたい。「どっちがいい?」と聞かれても、「農民みたい」が想像できない。むしろ「農民みたい」が面白そう(笑)。どっちも買ってくるわ、ということになった。楽しみ~♪ 

弟は解放軍みたいなオーバーも「捨てないでよ」と執着、ちがった、愛着があるようで、たまに出して着ては「重い~♪」と喜んでいる。最初で最後(今のところ)北京旅行がハプニングの連続だったせいか、いまだに強烈な思い出として残っているようで、たまに反芻してます。

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12月07日(金)

起床時刻:04時55分

授業。

のどに痛みがあるなー、腫れている。ここから一気に喘息になったりするんだけど、しょーがない、今日は授業してみます。途中で帰る鴨?

→ のどイタイタ、せなかゾクゾク、12限やって4限は休講に。いま遅めのコロッケパンを食べているので、食べたらカエル♪

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12月06日(木)

起床時刻:06時03分

今日も大事をとってお家でお休み。師匠が尺八を用意してくれていたそうな。わ-、残念っ! でもいまそんなものフーフーしたら確実に喘息になりますからね。

今日は順調に機織りが進みました。すっかりメガネと一緒に。まだまだ長丁場だな、こりゃ。

お梅さんとも仲良くしました。琴面のカーブが如葉ちゃんとだいぶ違う。如葉が平ら。それに慣れているので、どうも左手が浮くな。いま練習しているのは「平沙落雁」です。まだ出だしですが、すんごく美しい旋律です。

「酒狂」も渡されました。これは確か左手の指の表側で絃を抑えたまま滑らせる、拷問のような指遣いがあったはず。ぎゃ~♪

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12月05日(水)

起床時刻:06時06分

授業。→ 休講。

やっぱり風邪? 1限に間に合わないので、火曜午後に通知を出しました。今朝は背中に少しと、ノドにイガイガ、頭にズキズキが少し残ってますね。

昨日病院へ行ったら、ちょっと惚けているらしい老夫婦がいました。爺さんのほうはず~っと不機嫌で、婆さんがトイレ行くのを叱り、順番が来ないと文句いい、声がやたらでかいので、こっちまでハラハラ、ビクビクしました。最後に財布を入れた袋を忘れた、5000円はいっていたんだ、と婆さんのせいにしていましたが、爺さんがかなり惚けているんじゃないかと思いました。たいへんだなあ、ああなると。

「詩経」を読んでいたら、長寿の表現に「眉がそびえる(眉寿)」と「髪が黄ばむ(黄耇)」が出てきて、なるほどねえ、と思いましたが、「怒りっぽくなる」とか「声やクシャミがでかくなる」などもあるしな。年をとるのも修行だ~。

**
午前中は板藍根を飲んで湯たんぽ抱いて、爆睡! 起きたらスッキリしている(今のところ)。

かなり元気になったので夏目漱石「こころ」を読み返してみた。やっぱり分からん。くどい! ホント、どうでもいい、その葛藤! ダメだなこりゃ、近代人の自我の芽生えについていけん。「私」や「先生」や「K」辺りだけが自我を持っていると勘違いしているところがイヤだ。鼻につく。ふんがーっ!

小説としては新しかったんだろうと思う、夏目漱石って。漱石自身は「左伝」や「国語」に出てくるような物語を面白く読んでいて、その後、英語の小説に出会って「文学」の新しい姿を知った、という。人間の複雑な心理を「日本語で」「口語で」書くのは、当時はすごく斬新だったはず。

午後もうつらうつら。耳鳴りがひどいな。関係あるかな?

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12月04日(火)

起床時刻:05時25分

昨日お隣さんがシチューをくれたので、今朝はそれをいただきます。このまえ長野からジャガイモを送ったからだな。素材を送ると、こうして料理になって戻ってくるのだ。やっほー♪

お隣さんがピンポンピンポンしていた時に風呂に入っていて、お隣さんが一旦あきらめた頃に晩ご飯作って、夜8時には爆睡するクスリを飲んで寝たので、昨晩はシチューを食べ損ねたのだ。寒気がして風邪をひきそうだったので。板藍根と生姜コーラで半分ほど撃退! まだ風邪のしっぽが背中に残っているので、今日が勝負ですな。

風邪が風邪で終わらないからねー、喘息のせいで。中島敦も喘息だったんですね。お祖父さんが漢学者で、子供のころから教育され、本人も教員試験の漢文科に合格して教師に。

「山月記」の原話「人虎伝」では悪事をした報いで虎になってますが、「山月記」は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」ゆえに虎になった。「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだったのだ。」 なるほど。「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。」 おいおい! まだ分かってないじゃないかっ!

「天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分って呉れる者はない。丁度、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかったやうに。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。」

久しぶりに読み返したけど、こういう話だっけ? これを中高生に読ませる狙いは何ですか?(← ミキさんへ)

つべこべ言ってないで、やりたいこと、やるべきことを、淡々とした情熱でやっていかないと、虎になっちゃうよ、というメッセージ?

はいはい、私は愚かなカメですが、優秀なウサギさんが泣いているスキに、どんどん前へ行っちゃいますよ~♪

なんだろな。才能が有る(ウサギ)とか無い(カメ)とか、あまり関係ないんだよね。どっちも歩けるわけで。歩けない(臼)と歩ける(サル)の勝負のお話もあったっけ? ややこしくなるのでそっちは置いといて、ウサギとカメの場合、

1、走るウサギと歩くカメ
2、昼寝するウサギと歩くカメ
3、走るウサギと昼寝するカメ
4、昼寝するウサギと昼寝するカメ

の4パターンがあって、昔話は1番と2番の勝負。でもウサギが走っている時に昼寝しているカメもいて、そういうカメがウサギをあーだこーだ言っても、カメの遠吠え(どんな声だ?) カメは、自分が昼寝している時に走っているウサギがいる、と知るべきなんだ。

5、走るウサギの足と耳をよってたかって押さえつけるカメ

これがいちばん卑劣だな。甲羅をひっくり返してやる! 起きてみろ!(笑)

**(これ↓ は一昨日書きました)
さらに書き足りないので、ここも使ってしまおう。

***
黎波『中国文学館 詩経から巴金』
★第43回「魯迅」(現代)より

中国文学は『吶喊』の出現によって、『吶喊』以前のものはすべて旧文学と化し、『吶喊』は新文学の出発点になったということで、魯迅の作品のもつ重みを他の作家に求めることはできない。

凡事総須研究、纔会明白。古来時常喫人。我也還記得、可是不甚清楚。我翻開歴史一査、這歴史没有年代、歪歪斜斜的毎葉上都写着「仁義道理」幾個字。我横竪睡不着、仔細看了半夜、纔従字縫裏看出字来、満本都写着両個字是「喫人」。 --「狂人日記」
【何につけても調べてみなければ、分からないものだ。昔はしょっちゅう人間を食ったということを、おれも忘れていたわけではないが、もう一つはっきりしないのだ。おれは歴史の本をひもといてみた。この歴史には年代というものがなくて、どのページにも「仁義道徳」という文字がくねくねと書かれている。どっちみち眠れないので、じっくり夜中までかけて読んでみたら、やっとのことで字と字のあいだのすき間から字を見つけた。一冊の本全体に「食人」という二字が書かれてあった。】

★第44回「老舎」より

現代中国の代表的な小説を二作あげろといわれたならば、わたしは躊躇することなく、魯迅の「阿Q正伝」と老舎の「駱駝祥子」と答える。そしてこれと同様、現代中国の戯曲を二作あげるならと問われたならば、わたしは曹禺の「雷雨」と老舎の「茶館」を提示するであろう。

心中完全是塊空白、不再想什麽、不再希望什麽、……将就活下去是一切、什麽也無須乎想了。--「駱駝祥子」
【心のなかはすっかり空っぽになってしまい、もう何も考えようとせず、もう何もしたいと思わない。……どうにか生きてゆくだけがすべてなのであるから、何も考えることはないわけである。】

★第45回「趙樹理」より

作家である前に趙樹理は一人前の百姓であった。彼は田を耕し、種をまき、肥を施し、脱穀もし、農閑期にはかご編みもした。

文字が読めない人のために耳で聞いても分かるようにと書かれたそれらの小説は、口調はなめらかで思考しなければ理解できないというところがなく、感覚ですっと入っていけるように仕上げられている。これらのことを成功させたのは、彼の特異な文学修行と特異な創作方法に負うところが大きい。彼は説書(一種の講談)ができるし、快板(押韻の即興のうた)や、地方劇の上党梆子も唱えるばかりでなく、銅鑼や太鼓、鈸などの楽器を扱うこともお手のもので、そのリズム、テンポ、筋の運び方、叙述の仕方を小説の中に持ち込んだのである。

有個農村叫張家荘、張家荘有個張木匠、張木巧有個好老婆、外号叫個小飛蛾。--「登記」
【張家荘という村がありました。張家荘には張という大工がおりました。大工さんには別嬪のかあちゃんがいて、仇名は蛾ちゃんといいました。】

★第46回「巴金」より(~終わり)
巴金の眼は、その文学の出発の当初から、抗しようもない大きなものの中でもがく自分自身の上に注がれていた。以来五十余年のあいだ、彼のどの作品においても、彼の眼は、彼が感じた愛と憎しみからそらされるようなことはなかった。

寂寞啊! 我們的家庭好像是一個砂漠、又像是一個「狭的籠」。我需要的是活動、我需要的是生命。在我們家裏連一個可以談話的人也找不到。--「家」
【さびしい! ぼくたちの家は砂漠のようだ、そしてまた「狭き籠」のようだ。ぼくに必要なのは何かをやることなのだ。ぼくに必要なのは生きることなのだ。ぼくらの家には話しのできる人なんて一人もみあたらない。】

***
「詩経」意味チェックと音読(~第180篇、全305篇)

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12月03日(月)

起床時刻:04時38分

明日の欗に書きそうになった、まだ今日じゃん♪ 

昨日は室内がいつまでも寒かった。1月並みの寒さだったそうだが、1月はこんなに寒くなるのか。授業が終わったらさっさと長野行きだな。

今日は欧陽脩を攻めたい気分。

4、欧陽脩の原稿書き → やった 
5、『教室に通えない人のための 春月せんせいの中国語講座』
6、みんがく
7、機織り(春月せんせい三部作の第2作)
8、簫が吹けるようになる
9、琴士(ごんじー2号)になる
10、自前の出版社で本を作る

今日も寒いわ~。風邪ひきそうだワン♪

**(これ↓ 昨日書きました)
もっと書きたいので、こっちに。やっぱり壊れかけている鴨?

***
黎波『中国文学館 詩経から巴金』
★第39回「聊齋志異」(清代)より

蒲松齢は、家庭教師と売文と幕賓で細々と食いつなぎながら、詩、詞、文、戯曲、長篇小説というように、すべてのジャンルにわたって書きまくった。しかし、このアラビア人の血を引くともいわれている蒲という珍しい姓を持つ男が、人々に知られる理由は『聊齋志異』という怪異譚によるのである。

青年は街で道士に会い、いまに死んじまうぞと言われて、少し娘をうたがったものの、すぐにあんな美人が妖怪であるはずはないと思い返した。ところがである。

無何、至齋門、門内社、不得入。心疑所作。乃逾垝垣、則室門亦閉、躡迹而窓窺之、見一獰鬼、面翠色、歯巉巉如鋸、鋪人皮於榻上、執彩筆而絵之。已而擲筆、挙皮如振衣状、披於身、遂化為女子。
【それほどたたぬうちに、勉強部屋の入口の前にもどって来ると、門は中からかんぬきがかけられていて中に入れず、娘は何をしているのだろうとあやしんだ。そこで塀のこわれたところを乗り越えて中に入ったが、部屋の扉も締まっている。そっと窓からのぞくと、おそろしい幽霊のいるのが目にとびこんだ。顔はみどり色で、歯はのこぎりのように鋭く、人間の皮を寝椅子の上にひろげ、絵筆をとりあげて絵を描いた。やがて筆を抛りだし、人間の皮を衣服を振るようにもちあげて、体に羽織ると、女に化けたのである。】

★第40回「儒林外史」より

安徽に生まれ、南京に流れ、揚州に客死した呉敬梓の作品は、安徽、南京、揚州のことばがページをにぎわせており、後の『紅楼夢』や『児女英雄伝』の北京語系統のことばとともに白話文学をゆたかなものにしている。

・・近所の者は范進に、この合格の旨を知らせるべく市に走ったが、彼はこれを聞いてもかつがれていると思いこみ、それには取り合わずに、めんどりを売るのに血眼になっている。埒があかないので隣人は范進からめんどりをもぎとり、無理矢理家に連れ帰り、合格通知の報帖を見せると、彼はやっと納得した。

范進不信使罷、看了一遍、又念一遍、自己把両手拍了一下、笑了一下道、「噫! 好了! 我中了!」 説着、往后一交跌倒、牙関咬緊、不醒人事。
【范進はそれを見なければそれまでだったが、一度目で読み、またもう一度声に出して読むと、両手をぱんと打ち合わせ、声を立てて笑いながらこう言った。「ああ、よかった! 合格したぞ!」 そう言うと、あお向けにぱったり倒れてしまい、歯をぎゅっとくいしばって、失神してしまったのである。】

★第41回「紅楼夢」より

『紅楼夢』が歩んだ道は『金瓶梅』が拓いたものであるという見方は的を得ている。誇張された状況ではなく、ありふれた日常生活のなかの、英雄豪傑ではなく、普通の人間のよろこびとかなしみを、出遇いと別れを描き、それも才子佳人の類型ではなく、善玉悪玉のパターンではなく、複雑さ奇怪さを内に抱えこんだ人間のトータリティを描き出したものだからである。この長編は、人間こそ文学の核であることをいまいちど想起させてくれる。

天地間霊淑之気、只鍾於女子、男子們不過是些渣滓濁沫而已。
【あめつちの霊気は、女の子にしか集まらないもの、男たちは所詮かすにすぎません。】

女児是水做的骨肉、男子是泥做的骨肉、我見了女児便清爽、見了男子便覚濁臭逼人。
【女の子のからだは水で出来ていて、男のからだは泥で出来ているので、女の子を見るとさわやかな気分になるが、男を見ると途端にもうむかむかしてくるのです。】

男尊女卑の封建時代におけるこの女性賛美がこの小説の本質を象徴している。

★第42回「清代の小説群」より

満州族出身の文康は、旗人特有の話術達者で、その饒舌体の文章はどこか老舎とも通ずるものがある。評書の影響が色濃く出ているこの才女剣豪の物語には、旗人の生活形態や儀式などが書きこまれている点でも珍重される。

且説那女子把石頭撂倒平地上、用右手推着一転、找着那個関眼児、伸進両個指頭去勾住了、往上只一悠、就把那二百多斤的石頭碌碡、単撤手児提了起来。--『児女英雄伝』第四回
【さて例の娘さんは石を地べたに横倒しにしまして、右手で押して転がして、穴を見付けると、指を二本さしこんでひっかけて、上に向けてひょいとはずみをつけると、その二百斤以上もある石ローラーを片手で持ち上げたのでした。】

**
「このヒロインの娘さん像は『紅楼夢』の林黛玉を意識しているでしょう」とのことですが、それは『紅楼夢』が冒頭、「石頭記」という物語を下敷きにしているからです。『紅楼夢』と『児女英雄伝』を「北京語の教科書」とする人もあり、黎波せんせいは俗語も取り入れた分、『児女英雄伝』のほうがさらに一歩前進している、と言っています。

***
「詩経」意味チェックと音読(~第175篇、全305篇)
体操セット40分。

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12月02日

起床時刻:05時06分

長野は雪が10センチも積もって、除雪車も出動したそうな。

視力が落ちたよな-。C判定。「でもメガネかけてないんでしょ?」「2つも作ったんだけどね」 右目は近視や老眼よりも、乱視のために記号が見えてない。メガネというのは、レンズに合わせて顔を動かさないと、見えなくなる面倒なものだと知ったけど、おかげで顔ごと動かすので肩こりにならない、とねこちんが言っていたので、最近たまにかけてます。

目玉を、右から中央へ、中央から左へ、を繰り返して運動させると、筋力がついて視力回復だっけ。メガネをかけて首運動をしていると、目の周りの筋力がさらに低下しそうだから、目玉体操もしなくちゃ。

***
黎波『中国文学館 詩経から巴金』
★第35回「水滸伝」より

『水滸伝』は、農民革命の叙事詩であるとか、投降主義の宣伝物とかという大上段の議論とは別に、花和尚が柳の木を抜くあの豪快さ、生辰綱の奇襲作戦のユーモアとスリル、武松の蔣門神に殴り込みをかけるあの痛快さ、はらはらさせる事件、いきいきと活躍する人物が読者を魅了し、ついつりこまれて読み進むことになるのである。これは文語ではなく、北中国の話し言葉を練り上げた魅力ある文体で書かれていることにもよるだろう。

話説当時薛覇双手挙起棍来、望林冲脳袋上便劈下来。説時遅、那時快。薛覇的棍恰挙起来、只見松樹背后、雷鳴也似一声、那条鉄禅杖飛将来、把這水火棍一隔、丟去九霄雲外。続出一個胖胖大和尚来、喝道、「洒家在林子裡聴你多時!」……
【さて薛覇は棍棒を両手で持ってふりあげると、林冲の脳天めがけてふりおろしてくる。口で言うとまどろっこしいが、その速いこと。ところで薛覇が棒をふりあげると、よりによってそのとき、松の木のかげから雷のような大音声と共に、例の禅杖が飛んで来て、水火棍に当たり、天まで高くふっ飛ばされた。でぶの大入道がとび出して来て、怒鳴って言うには、「あっしゃ林の中でずうっと話を聞いていたぜ」……】

★第36回「西遊記」より

時間を軸としてたらたらと伸び放題に書きつなぎ、やたらと登場人物が多いことを誇示し、似たりよったりのパターンを飽くことなく繰り返し、なくてもよさそうな大量の詩や詞を挿入することによって印象をうすくしてしまい、あまつさえ退屈させる結果をもたらすというような章回小説の通癖に、この本の中のいろんな箇所でも逢着するが、『西遊記』がいまでも老人から子供に至るまでの幅広い年齢層のこころをつかんで放さないのは、天宮で大暴れの孫悟空説話という見事な数章があるところに負う。

那大聖趁着機会、滾下山崖、伏在那里又変、変一座土地廟児、大張着口、似個廟門、牙歯変做門扇、舌頭変做菩薩、眼睛変做窗櫺。只有尾巴不好収拾、竪在后面、変做一根旗竿。真君趕趕到崖下、不見打倒的鴇鳥、只有一間小廟、急睜鳳眼、仔細看之、見旗竿立在后面、笑道、「是這猢猻了! 他今又在那里哄我。我也曽見廟宇、更不曽見一個旗竿在后面的。断是這畜生弄喧! 他若哄我進去。他便一口咬住。」  --第六回
【孫悟空はその隙を見て、崖から転がり下り、そこに伏せながらもう一度姿を変え、土地廟に化けました。大きく開けたその口は、廟の入り口にそっくり、歯を門の扉に化けさせ、舌を菩薩に化けさせ、目を格子窓に化けさせました。ただしっぽは隠しにくいので、うしろに立て、一本の旗ざおに化けさせました。真君は崖まで追って来ましたが、やっつけたあの鴇(ほう)が見当たらず、小さな廟が一つあるだけでした。急いで目を大きく見ひらき、ていねいに見ると、旗ざおがうしろに立っているのを見付けて笑って言いました。「こいつがえて公だな! 奴はまたわたしをたぶらかそうとしていやがる。わたしだって廟というものを見たことがあるが、旗ざおをうしろに立てたのは一つも見たことがないな。あいつめが小細工しているに違いない。わたしを欺して中に入らせ、がぶりとかみつく魂胆なんだろう。」】

★第37回「金瓶梅」より

婦人……脱的上下没条糸、仰臥於袵蓆之上。脚下穿着大紅鞋児、手弄白紗扇児揺涼。西門慶走来、看見怎不動淫心。於是乗着酒興、亦脱去上下衣、坐在一涼墩上、先将脚指挑弄其花心、挑的淫津流出、如蝸之吐涎。一面又将婦人紅綉花鞋児、摘取下来戯、把他両条脚帯解下来、拴其双足、吊在両辺葡萄架児上。 --第二十七回
【女は……上も下も脱ぎ捨てて一糸纏わぬ裸になり、しとねの上に仰向けに寝ていた。足にはまっ赤は靴を履き、手には白紗のうちわをもてあそびながら涼を入れている。西門慶が近づいて来て、この有様を見ていろごころをかきたてられないはずはない。ほろ酔い気分に乗じて、これまた着ているものを脱ぎ捨てて、せとものの腰かけに腰をおろし、てはじめに足の指で女の秘所をいじりまわすと、体液が溢れ出し濡れてきて、かたつむりが糸をひくようであった。今度は女の刺繍入りの赤い靴を脱がせてたわむれる。かの女の二本の脚帯をほどき、それで両の脚を縛り、両側の葡萄棚につるした。】

『金瓶梅』という小説が、全篇ことごとくこういう調子で綴られているのでは無論ないが、この長篇の作者はストーリーの許す限り、性行為の描写を厭きず書きこんだことは事実である。その描写の濃厚さと多様性と、多量である点で古今東西を通じて希有である。……このスキャンダラスな本の作者は笑笑生といい、序文を書いたのは欣欣子ということになっているが、笑笑生とはさしずめニコニコ居士、欣欣子はウキウキ山人とでもいうところで、おそらく一人の作者が二人に化けていて、両方ともペンネームであろう。

多くの春本小説が現れては泡沫のように消えてゆく中に、『金瓶梅』が生き延びているのは何故だろうか。それはこの小説が、単にベッドの上、臍の下の物語だけにとどまらないものをもつからであろう。小説の時代背景は宋という設定であるが、作者が生きた明代の暗さが手に取るように伝わって来るのである。

★第38回「明代の白話短編小説--三言二拍」より

三言の作品を収集し、整理し、潤色し、改作し、編集し、出版した馮夢龍(ふうむりょう)は蘇州人であり、また二拍を創作(書き直したもの、素材を借用したもの、剽窃まがいなものも含めて)した凌濛初(りょうもうしょ)は浙江人で、ともに呉語圏に属する人であるところから、これらの作品が呉語で味付けされている点が共通している。呉語とつきあうことが三言二拍を読む場合の一つのたのしみなのである。

……「下官何罪?」 開眼看時、昼燭輝煌、照見上辺端端正正坐着個新人、不是別人、正是故妻金玉奴。莫稽此時魂不附体、乱嚷道、「有鬼! 有鬼!」 衆人都笑起来。只見許公自外而入、叫道、「賢壻休疑、此乃吾采石江頭所認之義女、非鬼也。」 許公道、「此事与下官無干、只吾女没説話就罷了。」 玉奴唾其面、罵道、「……。」 --『警世通言』第二十七巻
【……「わたしが何かわるいことをしたというのですか?」 目をあけて見ると、ろうそくの光は煌々として、上の方に端座している花嫁を照らし出していた。それはほかの人ではなく、まさしく死んだ妻の金玉奴ではないか。莫稽はこのとき肝を潰し、わめきたてた。「幽霊が出た! 幽霊が!」居合わせた人はみんな吹き出した。すると許公が外からやって来て部屋に入りながら大声で言った。「疑ぐることはありません。これは拙者が采石江のほとりでもらった娘じゃ、幽霊などじゃありません」 莫稽はこれでやっと動悸がおさまり、あわててひざまづいて、おじぎをしながら言った。「莫稽め恐れ入りました。なにとぞご勘弁をねがいます」 許公は「この件は拙者とはかかわりのないことじゃ、娘さえ文句がなければそれでいいのだが」と言った。すると玉奴は莫稽の顔につばをはきつけ、悪態をついた。「……」】

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体操セット40分。

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12月01日

起床時刻:04時20分

朝おきたら12月になっていたので、びっくりした! カレンダーが2ヶ月ごとのなので、ここのグラフで教えられました。

健康診断の結果がきた。ずっとクスリ漬けだったので心配だったけど、ほとんどA判定(腹囲はB、視力はC)だった。と、道端であった先生たちに話したら、「いいなあ」とけっこう皆さん呼び出されているらしい。

骨密度は測定法が変わって、みんなアップした。食事に気をつけ、エレベータは使わず、ジョギングもしている先生が、「ずっと悪かったけど一気に上がった」と言っていた。私も「対若年平均」が98%、同じ年齢の平均と比べると114%だってさ。わーい♪

アディポネクチンは謎だ。「4」以下は低アディポネクチンらしいけど、私は「2」ちょっとしかない。基準値が「2」だったり「1」だったり、保健管理センターもふらついている。今年は「1.3~」ならA判定。なんかさー、働かせようと思って基準を甘くしているのかな? 定年まで働ければあとは知らないので、この辺でいいよ、とかさ。

アディポネクチンは脂肪細胞からでるホルモンで、数値が高いほど長生きする。脂肪細胞が適度な大きさの時にたくさん出る。大きすぎるとこのホルモンは減り、少なすぎても出なくなる(脂肪細胞の数は子供の頃に決まり、サイズが変わる)。つまり「小太りは長生き」の証人みたいなホルモンですが、私はきっと「小太り」の範囲を超えているんだな。腹囲がBだけど、「皮下脂肪だからいいの♪」と思ってきたが、間違いだった。

これからの目標は、アディポネクチンを増やす!

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黎波『中国文学館 詩経から巴金』
★第32回「話本の話」より

宋代にこれほど話本が盛んになったのは、農業手工業の発展に従って都市が繁栄し、人口が増加し、娯楽の要求が拡大されたことと無関係ではなかろう。しかし、もう一つ無視できない触媒がある。太宗以来の諸帝がみんな文学の愛好者で、なかんずく仁宗は白話小説のファンであった。

……崔寧到宅裏、相見官人、承攬了玉作生活。回路帰家、正行間、只見一個漢子、……正面来、把崔寧看了一看、崔寧郤不見這漢面貌、這個人郤見崔寧、従後大踏歩尾着崔寧来。正是:誰家稚子鳴榔板、驚起鴛鴦両処飛。--「碾玉観音」
【崔寧は邸に行き、役人にお目通りを願って玉器彫刻の仕事を引受けました。家への帰り道、歩いていると、一人の男がいて……真向いからやって来、崔寧をちらっと見たのです。崔寧にはその男の顔は見えなかったが、その男には崔寧の顔が見えたのです。うしろから大股で崔寧をつけてきました。まさにこれ:どこの子らか舟の板を踏みならし、おしどりははなればなれに飛びたてり。】

★第33回「元人雑劇の演劇空間」(元代)より

元王朝は中国の伝統文化に対して冷淡であり、文学に対しても冷淡であった。しかしかえってこの冷淡さが文学に対する規制を弱め、創作活動を容易にし、演劇の発達にも役立ったという一面もあった。

「竇娥冤」は、正旦〔女の主役--引用者注。以下同じ〕の竇娥が全劇四折〔四幕〕の曲を一人でうたう典型的な楔子〔せっし。物語を展開する語り〕つき四折一本の元人雑劇である。婆さん役の卜児が蔡婆に扮して登場し、楔子のきまりとして先ず開場の詩を念じて次の白〔セリフ〕を語る。これは京劇の中に生きている。

--老身蔡婆婆是也、楚州人氏、嫡親三口児家属、不幸夫主亡逝已過、止有一個孩児、年長八歳、俺娘児両個、過其日月。家中頗有些銭財、這裏一個竇秀才、従去年間問我借了二十両銀子、如今本利該四十両。我数次索取、那竇秀才只説貧難、没得還我、他有一個女児、今年七歳……
【わたくしは蔡婆でございます。楚州の者で、家族は三人でござりました。不仕合せなことに亭主はとっくに亡くなりまして、男の子が一人だけおります。年は八つ、母子二人で暮らしております。家にはちょっとばかり小金がござりますが、この辺の竇秀才という人が、去年わたくしに銀子二十両を借りにきて、いまじゃ元利合わせて四十両になるはず。何度取りに行きましても、竇秀才は金がないと言うばかりで、返してもらえませぬ。この男に娘が一人いて、今年七つ……】

★第34回「三国演義」(明代)より

これは人間であることの悲しさ、人間であることの恥ずかしさをしみじみと感じさせる本である。そこいらの大衆娯楽の書とは違い、文学と呼べる所以はここにある。

……「縛而殺之、何如?」 操曰、「是矣! 今若不先下手、必遭擒獲」 遂与宮抜剣直入、不問男女、皆殺之、一連殺死八口。捜至厨下、却見縛一猪欲殺。宮曰、「孟徳心多、誤殺好人矣!」 急出荘上馬而行。行不到二里、只見伯奢驢鞍前轎懸二瓶……
【……「ふん縛ってから殺してはどうだね。」 曹操は「やっぱりだ、いま先手を打たないと、ひっ捕らえられるぞ」と言い、陳宮と共に剣を抜いてまっしぐらにとびこんでゆき、男女の見さかいなく皆殺しにし、つづけざまに八人も殺してしまったのである。調べていくうちに台所部屋にくると、なんと豚一頭が縛られていて、殺すばかりになっているではないか。陳宮は「孟徳(曹操の字)は疑いすぎて、罪もない人を誤って手にかけてしまったな」となじった。急いで屋敷を飛び出し、馬で逃げ、二里も行かないうちに、ろばの鞍に酒の瓶を二本ぶらさげた伯奢が目に入った……】

こうして真相がすべて明白になったのに、一旦立ち去るふりをして、曹操は伯奢を斬ってしまった。さっきのは誤解からであったが、今のこれはと陳宮は仰天して曹操を責めると、

寧教我負天下人、休教天下人負我。
【私は人を裏切ってもよいが、人がわたしを裏切るような真似はさせん。】

と曹操は言い放った。

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59.9㎏、35.4%

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