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07月31日(水)
起床時刻:06時47分
今日は絵画(国画)、午後は新HSKの説明。
プログラムに参加して4週間も通っていれば痩せるかと期待していたのに、むしろ太った。。 なぜ??? 毎日たっぷり中華を食べているから? 誘われるままに老師たちと食堂でたらふく中華を食べているのだ。午後、眠くなるのは、そのせいかもな。語法の先生は、今回のプログラムいち押しの面白い授業なんだけど。
書道や剪紙や国画の授業は、海外の華僑の子どもたち(親に言われて中国語クラスに通っている)に中国の文化にも興味を持たせつつ中国語を学ばせるのに、とても役に立っているらしいの。
端午の節句にちまきを作って、蒸している間にちまきにまつわる屈原の故事を勉強するとか、たまに体験教室みたいにして中国語を教えている学校もあるようです。先生たちが家から鍋などを持ってきて。楽しそう。
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わははは、他の老師が下手すぎたので、生まれて初めて画をほめられましたわい。作品はねこと社ブログで。
新HSKについても色々わかりました。
まず語彙は、漢字主義で抜いているんですね、そうだろうなとは思っていたけど。例えば、“爱”“喜欢”“喜爱”とあったら、“爱”“喜欢”を採用して“喜爱”を削る。“爱”と“喜欢”に出てくる字で、“喜爱”も分かるでしょ、という理屈です。でも、“爱”“喜欢”“喜爱”はそれぞれ使い方が違うのだから、ちょっと乱暴なんですよ。“山脉”を採用して“山”を削除するようなこともしていて。
今年から、5級と6級の合格点は無くしたそうです。4級あれば中国の大学に留学できるので、4級までは合否を決める。5級と6級は、点数によってレベルを見る。大学や学部がそれぞれ、5級の○○点以上、6級の○○点以上、と求めるようにした。
4級以下は、大綱の語彙を「けっして」はみ出さないように問題を作っている。5級は15%以上ははみ出さないように作っている、とのことです。問題は、同じものは二度と出題しない。膨大なストックを用意している。(問題集とはかぶることがあるようだけど)
文字は書けなくても多少は目をつぶり、文法も多少まちがっていてもよい、でも流暢に、を基準に採点しているので、大綱にも文法ポイントは少ししか出していない。
筆記の受験者はどんどん増えて(とくに日本人と韓国人)、12年度は23万人超。でも口頭は2000人いってなかったみたい、全世界で、ですよ。口頭も、受験しているのは日本人と韓国人ばかりらしい。
旧HSKは中国に留学してきた人を対象にしていたが、新HSKは海外で勉強している人を対象にしている。ここが大きく違うために、問題のレベルがだいぶ変わったようですね。
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「千字文」を聴く。119回め。
07月30日(火)
起床時刻:06時49分
今日は授業観察&討論、午後は語法の教授法の続き。
授業は気合い入ってました(笑)、学生も先生も。PPT(パワポ)をあれだけ用意するのは大変だなー、と思ったら、専門にやってくれる老師もいるそうな。でも自分でもかなり作るんだって。PPTがいいとは一概には言えなくて、板書と両方使うようにしているそうな。
他にもいろいろ討論したけど、ちょっと省略。なんか今日は疲れた。暑気あたり?
今年、日本からの学生が激減したそうな。大気汚染のせいではないか、って。台湾に変更した学生がたくさんいたかも?
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夕飯をたべてシャワーを浴びたら、復活っ!
今日見学した授業は、「聞いて話して」の先生や語法の先生が繰り返していた「精講多練(あまり説明せずにやらせる)」をきちんと実践した授業でした。
学生は、発音を習得した程度の初級、速習6週間コースの3週間め、「聞いて話して」の授業。パワポを多用していたこと、非漢字文化圏の学生が多かったこともあって、テキストはほとんど見ずに、「聞いて話して」のトレーニング。
ただ、みんなで答えている時はいいけど、1人ずつ発話させると、発音も語法も安定していない。速習コースなので1日(午前4コマ)1課のペースでどんどん進むが、午後にきっちり予習復習しないと、6週間後に帰国して大半は忘れると思う。でも予習復習しようにも、あの発音と漢字の知識のなさでは、たぶん難しい。語法の説明もほとんどないので、その場では先生に引っ張られて何となく答えられるが(でも単語をもさもさ言っていることが多く、短句や文にならない)、自力では再現もできないし、身につかないと思う。
この短期留学はきっかけで、帰国してからしっかり勉強するとか、逆に留学はいい思い出とか体験ですませるならいいけど、中国語を6週間でどうにかしようというのが、土台ムリなのかも。
発音の重要性は、また見直されてきているそうな。しばらくコミュニケーション能力に傾いていて、通じればいい、という方向に振れていたけど、将来的にパソコンも音声入力になるかも知れないし、発音が悪くてはどうしようもない、と考える先生が増えてきているという。
発音に関しては、日本でまったくやったことがなく、語言大でゼロから教えても、母語の影響で日本人が間違えやすい、苦手な発音がある、と語法の先生が教えてくれた。
1、母音が十分にのびていない。“桌子”が「ちょっ、ず」のようになる。
2、“u”がゆるい。
3、“zi”“ci”“si”が曰く言いがたいヘンな音だ。
4、“n”と“ng”ができない。どちらも舌をしっかりつけていない。
5、声調はどの国の学生も苦手で、日本人も例外ではない。
先生がどこまで徹底的に直すかで、発音の善し悪しは変わる。2音節の声調パターンを毎回読んでいるクラスがあって、そこは発音もいい。語言大の伝統的な2音節声調パターンは、
多听 多读 多写 多看
还听 还读 还写 还看
也听 也读 也写 也看
再听 再读 再写 再看
听吧 读吧 写吧 看吧
だそうです。軽声が最後にまとめて、ですね。私が陳さんと考えた2音節の声調パターン各種は、けっこうよかったんだけどなー(絶版予定ですわ)。
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「千字文」を聴く。118回め。
07月29日(月)
起床時刻:06時23分
今日は教学資源(何だろ?)と語法の続き。
子ども用にピンインや単語を覚えるカードの類は町の書店でもけっこう扱っているけど、教室で使えるような大きなサイズのがあれば買うんだけどなー。ゲーム用のトランプとかフラッシュカードとかも。
自分で厚紙を買ってきて作ればいいのでしょうが、絵が下手くそなもんで。どこかから抜いてきたのを拡大して貼り付けるか?
「聞いて話して」の先生は、パワポで作ってました。何枚も作らなくてはいけないし、操作がたいへんそうだし、紙のほうがいいけどな。持ち歩きはパワポのほうがいいけどね、USB1個あればいい。もっともうちの大学だと、パソコンも事務から借りてこないといけない。
語言大の教室には、パソコンも組み込んだ教卓があります。先生たちは全員、パワポで資料を作って授業しています。
音節表に旧HSK語彙大綱の甲級乙級の漢字を声調別にして入れた表(データ)を、老師たちに「分享」したら、すごく感謝されましたが、こういうのも大きな表で作ってくれたらなー。ねこと社でやる?
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「教学資源」は教材のことでした。テキストの選び方から、カードや動画など、どう教材を集めるか、作るか、利用するか、という話で面白かったです。
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「千字文」を聴く。117回め。
「知青」を見る。~第26集(全45集)。
07月28日(日)
起床時刻:06時58分
レポートは仕上げてメールで出し、書棚を整理してまた郵便局から日本に2箱送り、スーパーの入口で屋台風に売っている「トルコ式バーガー」を夕飯用に陳さんが買っているのを見ていたら、しみじみ幸福感に包まれた♪
家に帰る道々、「陳さん、あなたと結婚してよかったわ♪」と言ったら、「なに言ってやがんでぃっ!(なま津くん?)」と陳さんが照れていた。
ふわ~~、今日は37℃まで上がる予報ですので、戻り梅雨で涼しいらしい日本の皆さまに北京より熱気をお届けしました♪
さて、今日こそ「知青」をたっぷり見るぞ!
あ、いけね、もう少し書いておくことがあったんだ。。語彙数は外国語として中国語をやるなら1万語を目指すが、ネイティブは何万語くらいなのか、人によってかなり差があるし数えづらい。新語も生まれては消えるし、漢字数で3000字知っていれば、あとは前後の文脈で必要な語彙は覚えていけばいい、とのことです。日本人が知っている漢字もその程度とされています。
それから語言大の出版社に録音のブースはあるだろうけど、録音しているのは固定したスタッフではなく、知り合いを適当に連れてきてやってもらっているそうな。
あと、“yuan”を「ゆあん」と読むのは北京方言で、「ゆえん」が普通話としては正しい。
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「千字文」を聴く。116回め。
「知青」を見る。~第25集(全45集)。
07月27日(土)
起床時刻:07時03分
今日は土曜なので授業はお休みです。老師たちは首都博物館や崑曲を見にいく相談をしていました。誘われたけど、「家で休んでるわー」とパス。まだ咳が出てますのでね。
最後に出すレポートの仕上げをして、ドラマ「知青」を見るかな? ハルピンではネットをやらないかも知れないので、その前に見ておこう。
語法の先生は、「聞いて話して」の先生が500回くらい言葉で説明したことを、模擬授業の形で見せてくれました。教師の動作(演技)や、写真などを使って、ほとんど説明なしに文法を「分からせる」方法。
一方で、海外で第一言語(母語)を使いながら中国語をやるなら、言葉で理屈をきちんと説明することも大事だし、翻訳も閲読にはとてもいい方法だ、という。また、授業数が限られているので、「学び方」を教えることも大切。自力で勉強できるように。
第二言語教育を専門にしている先生のようで、「直説法(ほとんど説明しない)」が生まれた背景(戦争時に必要だった)や、それが口語に偏ることなども、説明してくれた。
現在、漢弁や語言大で主流になっているのは、「聴説法」。口語を中心とし、句型や構造を基本として、会話形式の教材を用いる。日本の初級テキストも、たいていコレですね。「聴説法」の欠点は、動作を伴う文に傾きがち。会話なので、あまり描写や抽象的な内容にはならない。
それから「任務法」。学生に何かの課題を与えて、それを解決させることによって、運用力を高める。例えば、「マルコ・ポーロを探せ!」
いちばん旅行好き、旅行によく行く人を探そう、という「任務」ですが、実は「先生は誰がマルコ・ポーロでもかまいませんよ♪」 その本音は隠しつつ、マルコ・ポーロ探しのために、グループを組んで中国語で会話をさせ、発表させて・・、とやりながらアウトプットさせよう、というもの。
「全身反応法」というのは(笑)、手で上を指しながら「うーえー」「うーえー」・・、下を指しながら「しーたー」「しーたー」・・、とお遊戯のように身体全体を使って覚える。子ども向けだが、実は大人もけっこう喜んでやるよ、とのこと。日本語でやったらアホみたいだけど、“shàngbian shàngbian xiàbian xiàbian・・”だからね♪
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「千字文」を聴く。115回め。
「知青」を見る。~第18集(全45集)。
07月26日(金)
起床時刻:06時00分
今日は「剪紙」の授業と、午後は語法の教授法。
昨日の発音の先生は、湖北出身で、8歳で北京にきたので、後に専門をやるようになって練習したけど、nとlは聞き分けできないそうな。区別がないんだって、湖北だけでなく広東なども。発音はできるし、字書でnとlの字を全部覚えたけど、耳だけは「湖北の耳」で聞き分けられない。私のnとngと同じね♪
北京老師は“因为”を“ーwéi”と2声にし、「u」を「う”」のように発音する。北京語=普通話ではないので、北京老師も普通話を勉強しないといけない。もう1人の北京老師も「国を離れて何年になる?」と聞かれていた。
他にも、中国人の子供に教える時はよくても、英語圏の学生に同じように教えると、英語の影響で「○○」のように発音する、などの例が面白かったです。「第二言語として」発音を教えるにはどうしたらいいか、ということですね。
あまり教授法の話は出なかったけど、そり舌音は、ひとさし指をくわえて発音すればいい、という。舌が強制的に上へそる。・・日本人が苦手な子音ということで、私がやらされたけど、出来なかった。。
お昼の時に、「あなた普段は出来ているのに、なぜ出来なかったの?」と不思議がられたけど、思うに、指をくわえると上の歯と下の歯が開く。でもそり舌音を発音する時に、歯と歯はそんなに開かない。舌の位置は確かに指をくわえると分かりやすいので、「舌をそり上げるのよ」ではなく「くわえたら舌はどこにある?」で位置を確認してもらって、あとは私がふだん教えている方法のほうがいいと思うわ♪
全体的に先生は、書物で読んで学問して音声学や音韻学をやっている感じで、耳はそんなによくない(おいおい!)。私のことを日本人と見破れなかった。でも「中国のどこかの人」なんだよ、私って。
語法の先生は早めにきて私のファイルを見ながら、「日本人?」「やっぱり分かります?」「だってここに日本・春月(本当は本名)と書いてあるじゃない。でも華僑でしょ?」「100%、日本人です」
日本人や華僑をたくさん教えてきた語言大の先生たちから見て、話し方に少しクセがある、でも「発音を矯正したい」というと、「必要ないでしょ」とみんな言う。「普通話」の範囲には収まっている、ということかな? みんな○○のクセを残しつつ、「普通話」を使っている。
私は東京出身なので、日本語について「標準語」ということをあまり意識したことがなかった。北京の人が北京語=普通話と思い込んでいるのと同じようなところがある。だから逆に、「正しい普通話」がどの範囲なのか、測りかねるところがあった。どこまでやったら「正しい普通話」になるのか、加減が分からない感じ。
私が「日本人とは思わなかった」と言われるのは、声調だと思います。句調とか語調の。逆に「どこの出身?」と聞かれているのは、母音だと思います。とくに後ろよりの「e」や「u」やですね。油断すると前よりになる。子音の「h」は意外に大丈夫そう。
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「剪紙」の先生に、手先が器用だと誉められました。ハサミの入れ方がなめらかだってさ。そーでしょう、そーでしょう、でもデザイン力がないからね♪ → ねこと社ブログを見よ!
お昼はドイツ老師(中国人)におごってもらった。「自費でわざわざ来て(大学から留学資金が出てるけど)中国語を教えてくれていて、偉いっ! おごらせて!」ということで。
老師たちはみんな親切です。この前の長城への小旅行に「あなたが来なくてみんな寂しがっていた」と言うので、「あら私も寂し・・くはなかったわ、このクソ暑いのに長城に登るなんてご苦労なこった、と思ってたわよー」と言うと、「ロープウェイで行ったのよ」だって。夜に雑伎も見ていて、「雑伎は羨ましいでしょう? 輪の中をオートバイが8台も走り回るのよ、見たことないでしょう?」 んー、別に見たくもないが。。
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「千字文」を聴く。114回め。
07月25日(木)
起床時刻:04時19分
花うさぎの事件簿
その1:北京日本学研究センターにて
一通り見学して出ようとした、その時…。「あ、カバンがないっ!(花うさぎ)」「えっ?(春月&マレーシア老師)」「確かに入れたのに(花)」「この前は財布をスリにやられて、今度はカバンごと?(春)」 ・・いや、ちょっと端折ってますので。こんな言い方はしてませんよ。
42番のロッカー。貼ってあった紙の番号もなければ、ドアも開きっぱなしになっていた。。
奥からおじさんがマスターキーを持って出てきて、右隣の44番を開けるが、空っぽ。左隣の40番を開けようとするが、開かない。
「どういうことよ? ちゃちなカギだからちょっと不安だったのよ。監視カメラはないの?(春)」 あった。「名前を書く時に時計みたら1時45分だったわ(春)」 で、録画を巻き戻してしばらく見ていると、「あ、この男子学生の左手っ!(マ)」「これよ、この黄色いカバンよっ!(花)」「このカバンに間違いないわ!(マ)」「この学生ならよく来るけど、これ、スーパーの袋にも見えるけど…(図書館)」「赤い水筒がないっ? 私の赤い水筒がっ!(花)」「学生に電話してみる?(図)」 ・・・「あったよ! あった、あった(図)」「え、どこに?(全員)」
下の段の41番からカバンが出てきました。「・・・どうしてこんなところから?(花)」「マーフーな花うさぎが入れたんでしょ?(春)」 しかしなんで42番のカギで41番のロッカーが閉まったかね?
とにかく騒いで「不好意思・・」と謝ったら、にっこりして「盗難って発生したことないのよ。たいてい違う場所に入れて忘れていたりするのよ」 でもなんでカギが合ってないのに閉まるのー?
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その2:地下鉄にて
「無辜の善良な中国人学生を疑ってさー(春)」「私が入れたのかしら~?(花)」「そうでしょーよ。マレーシア老師も『確かにこれよっ!』って叫んでたわよね?(春)」「その後オフィスも見学したいって言ったら、迷子になると困るからって案内してくれたわね。最初はエレベータで行け、って言ったのに(マ)」「信用されてないわね(春)」
などと話しながら地下鉄の魏公村駅へ向かう間ずっと、花うさぎさんは開いたまま閉じない120元で購入した中国2本目の傘(1本めは30元)と格闘していた。
「もう捨ててもいいわ(花)」「誰かに言われてから捨てればいいわよ、今日は気温36℃よ、下りてからも傘さすでしょう?(春)」と言いつつ地下鉄へ。
荷物検査で、傘を開いたままの花うさぎさんを誰も止めなかった。それがおかしい、とマレーシア老師が笑う。電車が来て乗っても「ほら、誰も気にしてないわよ(春)」 下りてエスカレーターに乗る時に、下に立っていたおじさんに「傘は閉じろ」と言われて、花うさぎさんとマレーシア老師が2人口をそろえて「壊了!」「壊了!(こわれた)」 ・・で、すんなり納得した様子。
2人は開いたままの傘を持って2回乗り換えて、語言大の方向へ。私は1回乗り換えて、そのまま家へ。
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以上、うっかり花うさぎ、しっかり春月の脚色で、お送りしました。
午前は発音の教授法、午後は語法の教授法。
発音の先生はごんじー1号みたいでしたよ、外見とせっかちな感じが(笑)。語法の先生はマツケンサンバの振り付けをした人に雰囲気が似ていました。ちょっと「おねえ」っぽい。どちらもすごく面白い授業だった。
でも「花うさぎの事件簿」で場所をとったので、いずれ。
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「千字文」を聴く。113回め。
「知青」を見る。~第14集(全45集)。
07月24日(水)
起床時刻:06時02分
うなぎ。。
うなぎ、うなぎ、うなぎ、うなぎ、うなぎ。。。。
ozzyさんがうらやましかったので、今日のお昼はうなぎ。。
いや、分からんけど。ふつうに食堂で食べるかも知れない。たいてい書店で先生の紹介した本を1~2冊買ってから、食堂へ。もう1階や2階は服務員さんたちがご飯食べている頃なので、3階へ。3階だけ1時近くでもやっている。
4階や5階はレストラン。日本食もある。うなぎはそこにいる。たぶん会議中心にもいる。田ウナギじゃなく、うなぎ。
朝食は3~5元、昼食は食堂だと10元くらい、会議中心の親子丼は28元?(おごってもらったので忘れた)
例の中国人とケンカした図書館1階のカフェのサンドイッチ+お茶は、15元。
こうして見ると、食堂1階の珈琲ショップのラテ(大)18元は、けっこう高いのね。豆が本物。名前を忘れたが、アメリカかどこかのチェーンの珈琲ショップだと思う。スタバみたいな。
スタバって、世界のどこへ行っても、その国の物価には合わせないんだってね。材料その他を本部から持ち込んで、同じ味の珈琲を提供する、だから同じ価格になるそうな。
中国では、雲南が珈琲豆も作ってますね。雲南珈琲(粉)がカールフールに行けば手に入ります。
おっと、午前は「聞いて話して」の授業、午後は漢弁の教材の授業をさぼって、北京日本学研究センターの図書室へGO!
**
「聞いて話して」の授業は、同じ主張を500回くらい聞いて私は退屈したが、実用的でよかった、という老師もいた。解説は少なくして練習を多く、というだけのことです。それは分かっている。
「解説書を読んでも泳げない。実際に泳いでみればいい」と先生は何度も言うけど、私は走り幅跳びで体育の教科書を読んでからやったら30センチは伸びたし、アメリカで縦列駐車がどうしてもできなかったけど、日本からテキストを送ってもらって読んだらすぐ出来た。理屈を知った上で、たくさん練習すればいいじゃん、と思う。
お昼は出版社の書店で1冊本を買ってから、食堂へ。ラッシュを避けて、でも1階が終わる前に行ったら、マレーシア老師に声をかけられて、同じテーブルへ。日本語も勉強している老師なので、「午後はさぼって北京日本学研究センターへ行くのだ」といったら、一緒に行くことに。
北京外国語大学(第一)って、道路を挟んで正門が2つあるのね。すっかり忘れていた。「ええ~っ、ずいぶん変わったわー」と思いながら入ったのは、違うほうの正門だった。白っぽいほうにあります。
図書室は1階から。パスポートで入れました。登記簿に名前など書いて、ロッカーのカギを受け取り、カバンを預けて、中へ。
街の少し大きめの図書館に研究書も足したような感じ。意外に中国語の本も多かった。「芥川全集でも源氏物語でもいいから、端から端まで読んだら? 花うさぎさん、9月までヒマなんだから」などと言いながら一通り見て、マレーシア老師とは日本語の辞書などを見て、さて他のオフィスも見学しよう(夏休みでどこも閉まっていたので見られなかったけど)、と出る時になって、事件がっ!!!
(長くなるので、続きは明日のところに)
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「千字文」を聴く。112回め。
「知青」を見る。~第12集(全45集)。
07月23日(火)
起床時刻:05時13分
今日は小旅行で、老師たちは長城・明十三陵に行きます。
老師たちはとても活動的で、おととい日曜は博物館に行き、4時間も見て疲れたのに前門に行ってチャイナドレスや耳飾りを買って、昨日は北京ニセ姉妹登場!
私も修了式は台湾ニセ姉妹の衣装で行くつもりなのだ。アレを着て東京から北京に来たんだもんね。
昨日午後の「聞いて話して」の授業は、先生が私たちを立たせて、輪になってゲームをしながら自己紹介と、中国語教育のどういう点に関心があるのか話させるという導入でした。「聞いて話して」の授業の導入としては、まさにいい感じでした。
ただ老師たちですので、話すと長くなり、途中で「これ、立ったまま議論する必要ありますか?」とチャチャを入れたら、「立つのは教師の基本的な“功夫(技量・腕前)”だぞ」と言われて1時間ほど立たされてましたが、前日の日曜に「外に15時間もいた!」状態で疲労している老師が多かったので、「座りたい」の大合唱。勝手に机に座っているしー。おかしかったです。
先生は、「文法をやっても話せるようにはならない。子供は文法なんか知らなくても話せる」を強調しすぎたかも知れません。語彙の先生は「語彙量と知能指数と社会での成功は比例する」と主張する本を紹介していたし、書道の先生が「篆書で漢字に興味を持たせるのもいい」と私たちにも書かせていましたが、それを知ってか文字の先生は「お絵かきをして喜んでもしょうがない。文字を知らないと初級レベルで伸び悩む」と言うし、それぞれが「自分の専門のこれがいちばん!」みたい。
でも本当はどれもこれも必要。漢字を知らない人にはまず興味を持ってもらい、それから少しずつ覚えてもらい(中国語をやりたがる非漢字文化圏の人は「漢字がおもしろい」という人が多そう)、文法を理解して、正しい言い方で話せるよう練習し、語彙も増やし・・。
大量の読書によってしか語感は身につかない。自分の語感を磨き、信じて教えればいい。
中国人老師向けだったかも知れませんが、外国人老師も同じ。
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「千字文」を聴く。111回め。
「知青」を見る。~第10集(全45集)。 ・・大量のドラマ(笑)!
07月22日(月)
起床時刻:04時53分
今日は、語彙の教授法と、午後は「聞いて話す」の授業。
短パンで行こうかな? 蚊に喰われそうだからムヒも持って。・・と、どんどん荷物が増えているのだ。大学の食堂で朝ご飯を食べることにしたので、歯ブラシと歯磨き粉も持っているし。折りたたみ傘も薄手のカーディガンも念のため持っているし。咳が出るのでマスクものど飴もあるし、トイレが常に恐怖の中国なので、トイレットペーパーも持って行っているし。
この辺の物は、日本なら研究室に置いてある。日本の生活って便利ねー。
ま、いちばん重いのは教材のファイルです。先生たちはパワポで授業して、その資料はあとでメールで回ってくるので、ノートだけでもよさそうですが、この前の「読んで書いて」の授業で教科書のコピー部分を使ったからな。みんなで「今日こそ置いてこようと思ってたけど、そういう日に限って使うわね」と笑った。
それからお茶だ! このお茶ボトルで片手がとられるのだ。
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語言大も旧HSKは今年3月で止めたそうです。いろいろ「大人の事情」で。新HSKは「これからまだ発展する」けど、レベルが低すぎて、たとえば留学の基準になっている5級では、本科で中国人学生と一緒に授業を受けられない、そうな。
旧の語彙大綱もいくつか欠点があった(国名はすべて丙級など)が、新の5000は少なすぎる。私が「8000語からあちこち適当に間引いていて、選んだ基準が分からないんですけど?」と言うと、先生は苦笑い。実際のテストで大綱からはみ出している語彙がかなり多く使われているそうな。「だって大綱のは、模範のテストの索引みたいな語彙表ですよね?」とまた私。
休み時間に、「大綱を辞書みたいに信じて、一生懸命覚えて試験を受ける学生もいるのに、ひどいですよね?」「語法はもっとひどくて、いい語法大綱があったのに、新のは3級大綱の後ろに3ページほど簡単なのが付いているだけですよね?」 先生、ただただ苦笑い。
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「千字文」を聴く。110回め。
07月21日(日)
起床時刻:05時01分
漢弁が老師たちに本を数冊プレゼント。私ともう1人のインド老師は「自費生」なのでくれないの・・。えぐっ、えぐっ。でもほとんど持っている本だったから、別にいいけどね。
『現代漢語詞典』第6版もセットに入っていた。『現代漢語詞典』は第5版から品詞を入れるようになって、いま第5版はパソコンで使えるので、テキスト作りに利用しているそうです。
品詞の分け方は、12種類。『漢語国際教育用音節漢字詞彙等級画分』も同じ分け方。ただし、ある語の品詞が何か、その突き合わせは行っていないので、一致しているかどうか分からないそうな。旧HSK大綱と第5版は、そこがしばしば一致していなかったんですよ。
そういえば、ずっと「対外漢語」教育と言ってきたけど、いま「国際漢語」教育に名称を変えた、というようなことも言ってました。
国外にいる華僑の中国語教育も、かなり熱心にやってますね。華僑に対する「普通話教育」のプログラムがいくつかある。アメリカに行った時、中国語のことは「中文」でも「漢語」でも「普通話」でもなく、「国語」とみんな呼んでましたが。
長野の野生の蚕は、1つ繭を見つけたそうです。・・ずっと持っていると蛾になるぞー♪
「キリギリス生活よ~」と母が言ってました。え、うちは全員アリ体質なのに、あんかけ姫の呪い?
毎日、キュウリとレタスばかり食べているそうです。そろそろモロッコインゲンも。トマトはまだ。ナスの出来がよくないって。
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近所の郵便局へ行って、本を少し送ってきました。大きめのスーツケースに入るだけ本をバラバラ入れて、「これを送りたいんだけど?」と言うと、ぴったしのサイズの箱をくれる(買う)。その場で詰めて、梱包してもらい、書類を書いて送ります。20キロをちょっと越えたけど、詰める係のおじさんが「少しだけね」と口添えしてくれました。1箱の重量制限がある。
布団を送ろうとしている人もいました。そういう柔らかくて嵩張るものは、袋に。袋を縫う機械があって、おじさんがその機械でガシャガシャっと縫いつけていたので、写真を撮らせてもらいましたよ♪
20キロ、1箱、船便、保険なしで、400元也。
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「千字文」を聴く。109回め。
07月20日(土)
起床時刻:05時46分
なんだか遠い国のことのようです。プログラムが始まった日に届いた文書。例のぽしゃった改訂版の・・以下、寝言につき削除(笑)。
とにかくなんだな、今日は土曜日でプログラムはお休みなので、王府井の書店にでも行くかな。古典の朗読CDをまた探したい。長野に置いてきたので。ハルピンでも少しやりたいし。
「プログラム、面白いの?(陳さん)」「面白いよ。1時間だけで帰った日もあるけど、毎日出てるじゃん」「ムリムリじゃなくて?」「違うよ。知識としては知っていることが多いけど、各国からきた老師たちの意見も聞いたり、自分も発言したり、いろいろ刺激を受けるから面白いよ」
漢字の授業を受けて、博論で取り上げたテーマを思い浮かべたり、してますんで。
【今日の教訓】
リンゴはいつでも落ちるのだ。見ていることが大事なのだ。
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汚染度がぐんぐん下がり、いまは「優」です。でもなんか蒸し暑いわね。
王府井へ行ってきました。中高生用の古典朗読、教科書学年別があったので2つ買いましたが、お昼を食べながらビリビリやぶいて中を見たら、カセットだった! え、確かに「+2磁帯」と箱に書いてあるわ。まさか今時カセットとは、油断してよく見てませんでした。んー、CDのほうがいい!
他に、長野で聞いていた美文の入っているシリーズから、「荘子」や「笠翁対韻」など。この「笠翁対韻」は、漢詩を作る時の押韻の順に、対句になって字が並んでいるの。ネットで、少女がゆ~~っくり幽霊みたいな声で朗読する音声は拾いましたが、ちょっと怖いので。
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「千字文」を聴く。108回め。
07月19日(金)
起床時刻:04時26分
今日は「閲読&作文」の授業。午後は漢弁の教材なのでパスするかも。
これまでの「発音」「語彙」「語法」「漢字」は言葉の要素でしたが、「閲読」「作文」やこれからやる「聞き取り」などは、言葉の運用です。
「胖大海」って、日本では「膨張した果肉を刺身のつまや懐石料理の酢の物、寒天寄せなどにもちいる」そうな。赤いひらひらしたアレ?
というわけで、昨日の残りを実(茶の材料)ごとカップに入れ、クコの実なども一緒にむしゃむしゃ食べながら飲み、今日の分は作って冷ましています。あっちっちで持てないからね。
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「閲読」と「作文」ではなくて、「読んで書いて」の授業でした。「聞いて話して」の授業もあります。2008年から、この二つ(インプットとアウトプット)をセットにする、体裁だけでなく内容的にも整合性を持たせる、ようにしたそうです。
で、その方針で編纂された『成功之路』というテキストの話ばかりでしたが。。
国語でやるような「作文」だと、テーマを与えられて、60分のうち45分は考える時間、のようなことになるので、課題文を読んでからその内容にそって書かせる、そういう工夫をしているそうな。とにかくたくさん読んで、たくさん書く。そのための装置をあれこれ用意する。
いいテキストだと思いますが、語言大の留学生のクラスが、1週間に20コマ×36週間=720コマ(1コマ50分)で、「このテキストの分量ではとても使い切れないなー」という意見が多かったです。「読んで書いて」は初級(上)を終えて800語&基本文法をマスターした学生用ですが、そのレベルに行くのに1年じゃムリだしー。
以前は「総合」+「ヒヤリング」「閲読」「作文」「文法」「翻訳」…、の方式だったのを、「総合」+「聞いて話して」「読んで書いて」の方式にしたので、「総合」にならないように「読んで書いて」は音読なし、黙読でいい、などの話が出ましたが、授業時間が少ないと「総合」のほうに「読んで書いて」のノウハウを取り入れたほうが、よさそう。
で、研修の最終日までに提出する課題が3つ、出ました。
1、中国語を母語としない学生にどうやって漢字を教えるか
2、有効な教授法をいくつか
3、口語の授業のモデル
授業で聞いたことをまとめろという要求なのか、聞いた上で自分でどう考えたかを書けというのか、はっきりしない。と、みんな言ってましたが、どっちも絡めて、1番をさっそく書くつもり。500~800字だって。おちゃのこさいさいだー♪
あ、午後のさぼろうと思っていた授業は、水曜午後に変更になったのだ。
お、そうだ、これを忘れてはいけない。テキストを編纂するソフトがあるんだと。どっかから拾ってきた文章を入れると、どの単語が旧HSK大綱の何級で、というのも出してくれるし、いろいろ便利な機能がついているらしい。「中文助教」という名前です。これだ!
http://www.svlanguage.com/JiantiHomePage.htm
ま、私は要らんだろうな。
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「千字文」を聴く。107回め。
07月18日(木)
起床時刻:04時21分
昨日は昼間もずっと寝ていたのに、夜もけっこう眠れました。
今日は小旅行です。故宮・天壇・中国カンフー見学なので、私はパス。暑いのに汚染された空気の中をウロウロ歩いていたら病気になる、と思って申し込みしませんでしたが、ウロウロ歩くまでもなくダウンしました。。「喉にいいお茶」をガブガブ飲みながら、療養します。
「胖大海」というのは、喉を使う仕事をする人が愛飲しているもので、梅干しの種のような姿ですが、お湯を入れるとだんだん膨れて、海綿のように大きくなります。玉子くらいにはなるかな? 色はうすいピンクで、味はうっすら杏っぽいかな? ほとんど味も匂いもありません。
「羅漢果」は、丸い薄い皮の中に平たい種がいくつも入っている瓜科の実で、砂糖の400倍の甘さがあるのに、腸から吸収されないという、ダイエットの強い味方です。喉や肺を潤し、鎮咳作用があるとされています。
「菊花」は夏によく飲まれています。私は大丈夫ですが、匂いが嫌いな人もいるかも知れません。緑茶とブレンドして飲むこともあります。身体を冷やす作用があるので、冬は氷砂糖を入れて飲むこともあります。
「枸杞」は、肺を潤すだけでなく、目にもいいとされています。薬膳によく使われますね。
「胖大海」1粒、「羅漢果」は種の固まり(繊維でくるまれている)を割って親指大+皮も適当に、「菊花」と「枸杞」も適量を、大きな水筒(1リットル入り)にいれて、お湯を注ぎ、飲みながら足して、1日じゅう飲みます。
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漢字の授業で、なぜ漢字だけがこんなに長く使われているのか、という質問を先生がしました。古代エジプトのヒエログリフも、メソポタミア文明の楔形文字も、マヤ文明のマヤ文字も、もう使われないのに。
理由はいろいろあって、「始皇帝が文字を統一したから(先生)」「発展途上の文字だから(カザフスタン老師)」「他国に侵略されなかったから(インド老師)」「簡便な記録道具を発明できたから(日本老師=私)」など。
いま思うに、「残そうとしたから」が大きな理由かも知れません。始皇帝が自分の秦国の文字に統一したのは「不便だから」だったかも知れないけど、いま「国家漢弁」やその依頼を受けて語言大がやっている中国語規範化&普及活動を見ていると、「意志的に」中国語として残そうとしているから残るんだな、と思う。文字だけでなく、発音や語彙や語法も、ほっておくといろいろ変化するので、「これが標準ですよ」と規格を定め、テキストを編纂し、普及に努める。
これは、私が博論で取り上げたテーマと重なります。単に理想の音楽を議論しただけでなく、国家的プロジェクトとして、テキストも編纂したし、人材の育成もしたし、役所も建てたし(「漢弁」も建徳門のそばだったかな?に建物があります)、人員を数百名確保して給料も出していたし、実演して人民に見せる場もあったし、外国にも広めようとしたし。
文字に関して言うと、マヤ文字って、絵みたいに見えるけど、ちゃんと理屈があるそうです。日本語の漢字とかなのように構成されているんだって。「あなたたちは漢語教師だから漢字を見ても、書けて当然でしょうが、漢字を知らない学生には漢字がマヤ文字のように見えている」と、先生が言っていました。そういう人たちに、どう教えるか。しかも実用的な、必要な漢字をどう教えるか。
「部首」ではなく「部品(中国語では“部件”)」という概念を唱える人が最近出てきているそうで、たとえば「器」は、「口」4つと「大」1つ、みたいに。
簡体字を使っているので、昔ながらの部首でうまく説明できない字があるんですよね。漢字を知っている私たちは、「簡体字になった部首」のほうが分かりやすいけど。
でも、「从」は「人」2つ、人のあとに人が「したがう」なんて金八先生みたいなこと言われても、いやいや「從」の「从」の部分を取ったはずでは? 簡体字になると部首の「彳」がなくなってしまうので、苦肉の策ですが。・・ごめんごめん、簡体字でなくても「从」の字はあって、「人」が2人で「したがう」でした。部首は「にんべん」です。
とまあ、まだ発展途上なんですが、発展できるのが漢字の力ですね。
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「千字文」を聴く。106回め。
07月17日(水)
起床時刻:06時59分
あわわわ・・、今日は語彙と漢字の教学法の授業です。
青空~♪
飯カードをゲットしたので、早めに家を出て、食堂で朝食にしますよ。お粥なんかもあるの。
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サムの呪いで咳と鼻水がひどいので、1時間だけ受けて帰宅しました。イケメン花うさぎさんとのデートも流れました。
妄想をぶちこわしては可哀想と思って黙っていましたが、花うさぎさんはお茶大の同窓です。黎波先生の話とか、もっと聞きたかった。
明日は小旅行なのでお休み。明後日はなんとか授業に出られるようにしたいけど・・。
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「国家漢弁」が資金を出しているプログラムが複数あって、各国からきた老師たちは同じホテルに泊まっていることもあり、互いに情報交換し、自分の好きなクラスに出るようになりました。私がいるのは大学生や成人用のプログラムですが、小中学生用のプログラムのほうに出る、とか。
成人用も1班2班3班4班とあり、語言大は3班と4班を受け持っているようです。「去年も来た」という老師がいたので「なんで?」と思ったら、複数年かけてやるプログラムになっているんですね。それなら勝手にクラスを移動してはまずいんじゃないか、とも思いますが。
○○時間の研修修了の証明書が出ますが、それとは別に、漢語教師の資格のテストがあります。
きのう紹介された教材も「漢弁」が編纂したものだし、こうして教材編纂・教師養成・資格試験をして、「お墨付き」の中国語を全世界に広めようという戦略です。教師養成は、国内の中国人のほかに、国外の教師に奨学金を出して、3~4週間のプログラム(学費・宿舎費は免除、小旅行付き)をやっているわけ。
いま私とかぶっているクラスが、3~4クラスはあるようですし、私たちの1つ前のグループもありました。ちょうど前回の小旅行の日が、彼らの修了式の日だった。インドネシアとか、その辺から来ていた。
国外から来ている老師は、私のように外国人が外国人に教えているケースと、中国人が外国人に教えているケースと、中国人が中国人(華僑)の子供に教えているケースがあります。中国人は、自身も華僑の2世3世の場合と、自分は中国出身でどこかの時点(自分の意志だけではなく両親の都合も)で、外国に移住した人がいます。
今日1時間だけ出た語彙の授業では、アナウンサー級の人でも100%普通話を話しているわけではない、という話が印象的でした。普通話の検定もあり、アナウンサー級は最上位なわけですが、それでも(今日は語彙に関してでしたが)100%普通話ということはなく、普通話というのは規範化された、推進しようとしている言葉だ、とのことでした。
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「千字文」を聴く。105回め。
07月16日(火)
起床時刻:07時04分
おっとっとっと、夜中に1度起きて、その時は喉がめっちゃ痛かったので、授業さぼるかー、漢字の教学法だし-、と思っていましたが、「喉にいいお茶」をがぶ飲みして寝たら、だいぶよくなったので、やっぱり行って来ます。
今日は抜けるような青空です♪
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「飯カード」も買わずに、余計なことばかりしてっ! おかしなのを相手にすると襲撃されるぞ! と陳さんに叱られ、脅されたので、やっと「飯カード」を買う。
「喉にいいお茶」の材料だけ入れて、大学でお湯を汲もうとしたが、授業をしている建物の中に給湯器が見当たらない。外の売店で聞くと、近くの平屋の建物が給湯室だというので行くと、カード(飯カードで可)を挿すとお湯が出るしくみだった。その時はカードを持っていなかったので、「少し恵んでください」とお湯を分けてもらい、授業の休憩時間にオフィスに「この建物にお湯ありますか?」と聞くと、「これでいいなら」とポットのお湯をまた恵んでもらい、「また来ていいですか?」「いいわよ」と確保したけど、もう少し大きな水筒を買おう。
食堂と図書館にタダの給湯器がある(食堂のは故障中)。タダだけど、どっちもトイレの横なので、気分的にちょっと。。
漢字の授業は、意外に面白かった。午後は教材の授業。
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「千字文」を聴く。104回め。
07月15日(月)
起床時刻:05時29分
喉が痛い。。やっぱり1週間でダウン?
外は雨が降っています。雨だとタクシーに乗りたいけど、雨だとタクシーはつかまらないんだって。なんだそりゃ?
雪だとタクシーに乗りたいけど、雪だと運転するのが怖いので出勤しない、というタクシー運転手が長野にいたなー。
今日は漢字の授業です。まさか『設文解字』からやったりして? 部首の話とか? ありうる。非漢字文化圏の学習者には、漢字も大きな壁でしょうね。漢字は、左から右へ、上から下へ書きます、なんてことからやらないと、分からないかも知れない。
午後は語彙の教学法。プログラムの前半は「第二言語としての」漢語の知識(発音・語彙・語法・漢字)が主で、後半はそれらの教学法がメイン。
この「発音」「語彙」「語法」「漢字」という授業の順番こそ、「言語の要素は発音・語彙・語法であって、文字は別系統です」という語言大の主張そのものですよ♪
第二言語としての中国語で、しかも「日本人学習者にとっての」となると、「聞いて分かる」「話せる」でも「読めない」「書けない」には普通ならない、まったくのゼロから中国語がスタートするわけではないので、日本人学習者用にカスタマイズしないといけない。
倉石せんせの『ローマ字中国語』は、まず「聞いて」「話せる」ようになってから文字を見て、という方針だったと思うけど、中国語は表意文字ですので、文字を排除する必要はないかな。
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雨の中、地下鉄の駅をめざして水たまりを避けながら歩いていたら、後ろからきた車がバシャッと水たまりの水を跳ね上げて、半身びしょびしょに。なんてこった。
漢字の授業は、文字を発明したとされる倉ケツと、それ以前の「結縄」からでした。。文字の話は嫌いではありませんが、別に目新しいこともなく、喉はヒリヒリ痛み、居眠りしたくてもマイク越しの先生の声が大きすぎて眠れず、午前中は終了。
先生が毎日飲んでいる喉にいいお茶のレシピをゲット。「胖大海」「羅漢果」「菊花」「枸杞」の4種類ブレンドです。
お昼は花うさぎさんとデート。図書館1階のこじんまりして静かなカフェで、クラブサンドイッチと紅茶(大きなマグカップ入り)をいただきながら楽しくおしゃべりしていたら、後ろの席の女子が店員とケンカを始めた。どんどんエスカレートして、店員がちょっとお皿を置く音がしたくらいで、「うるさいっ! 勉強の邪魔する気なの? これがサービス!?」と滅茶苦茶。
花うさぎさんが面白がって、よせばいいのに「あなたが一番うるさい。図書館に行ったらどうですか?」などと口を出し、今度は花うさぎさん相手に口汚く罵りはじめ、花うさぎさんも負けじと「“小日本人”だあ? 上等じゃないかっ!」とどなり返したりして、周囲の中国人になだめられていた(笑)。
おかげで、喉がさらにヒリヒリ、もうカラカラだわ~。・・あれ? わたし?(爆!)
午後はいよいよ「教学法」の授業。今日は語彙だったけど、また語彙についての概論から始まり、もう3回くらい同じ話を聞いたわー。もっとしっかりプログラム組んでくれよ!
帰りはタクシーが拾えた。夕飯に出るときに、喉にいいお茶の材料を薬局で仕入れて、さっそく飲んでいます。
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「千字文」を聴く。103回め。
07月14日(日)
起床時刻:06時22分
あつーい。窓を閉めきっているので。
外は中度にちかい軽度汚染。室内の日本製空気清浄器は、赤ランプ1個と青ランプの間を行ったり来たり。高原の国道沿いに立っているような感じか? そろそろエアコンもかけるかな?
8月2日で終わる「3班」に編入しましたので、2日の晩にはハルピンへ。陳さんが指折り数えて待っています。キップは18日前から売り出すので、昨日は空振り。最近は身分証明書がないと買えなくなっていて、私のはパスポートのコピーでいいそうです。
劉月華『実用現代漢語語法』って、相原さんたちが翻訳したアレじゃないかな? ハルピンに置いてあったか、それをまた持ち帰って研究室に置いてあるか。ハードカバーになって、増訂本は68元也。先生が教室で見せてくれた元のは、3.8元だった。
キャンパスの東のほうに語言大学出版社(4~5階建て)があり、読者服務部(書店)はその前の建物に移転しました。あの「出版社」にすごく興味がある。あの中で録音なんかも、しているんじゃないかな? 録音用のブースもあると見た。教材に関する授業もあるので、聞いてみよう。
教師が教材を編纂するのは当たり前で、呉熊和先生の『唐宋詞通論』も文革後に復活した大学の講義のために執筆したものです。当時、教材もまともになかった時代で、1年で書き上げたもの。
スウェーデン老師が、中級用のいいテキストがない、と言っていた。やっぱり?
2年生と「焦点訪談」を教材に論説的な文(リライトなし)を読んでいて、3年生で専門の文献を中国語で読んでいる学生もいる、と言ったらすごく興味を持たれて、「小春月(パソコン)」を担いでいってどういう風に題材を拾って教材(プリント)にしているか、お披露目することになった。中国語ソフト(チャイニーズ・ライター)のお蔭で、プリントは20~30分で作れるのー♪
NHKの中国語放送を題材にした年もありました。「新聞みたいなカッチリした文章は2年目から読めるよ」と言ったらなかなか信じない、日本語もやっているマレーシア老師は「その通りよ」と言っていたけど。「漢字を大量に知っているので、大人と同じように新聞や論文は読めるけど、簡単な言葉も話せない、聞き取れない人が多いのよ」 だから音声とセットで読む、ことにしていて、題材がニュース番組になるわけ。
「人民日報」はつまらないけど、あの記事がそのまま夜7時のニュースになってアナウンサーが読み上げたりする。そういう音声と文字がセットになっている題材を探して、そのままでは難度が高すぎるので、少し加工して教材にしているのですよ。リライトせず、生の中国語を。
授業時間がたくさんあるなら、語言大で留学生にやっているような授業がのぞましいけど、1年にせいぜい30週しかなくて、学生はほかの授業も受けなくてはいけない。口語はムリだけど、閲読は3年生以降にゼミなどで使えるスキルを、何とか教えられると思う。学生の能力とモチベーションに支えられている部分もありますね。
教材を手直しして、増訂本や改訂版を出すのも当たり前だと思いますが(笑)。
書いていないけど、印税はもらえると信じていた。
出版させないけど、賠償は負担してもらえると信じている。
けっ!(← 花うさぎさんのリクエストに応えてドロドロを少しばかり♪)
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「千字文」を聴く。102回め。
「千字文」を音読する。4回め。
07月13日(土)
起床時刻:05時25分
昨日は各国からきた漢語教師たちと交流できて、よかったです。語法の授業で先生が自己紹介させたので、日本人と分かったら興味を持った老師たちがいて、いろいろ話しかけてくれました。
頤和園は人がわんさかいた。回廊を歩いている時に、後ろで子どもの「外国人がいっぱいいるー」「中国語は分からないんだろー」と話す声が聞こえたので、振り向いて「みんな中国語の老師たちで、全部分かっているぞ!」と言ったら、ちょうどガイドさんが「3班4班の老師たち!」と説明を始めたので「ほらね♪」「わあ~~!」と大はしゃぎ。ウズベキスタンの老師が頼まれて一緒に写真撮ったりしてました。中央アジアから来ている老師がけっこういます。
お昼の時は、班長が「後からきた2人(私とイギリスからきた華僑)」に自己紹介しろ、というので「え-、日本の東京から来て…」「おおー(ひとり)」「本当は古典文学が専門なんだけど…」「おおっー(全員)」「とくに興味があるのは宋詞で…」「おおおおっーー!」「Ph.Dは?(語言大で修士をとったカザフスタンの老師)」「博士号は持っています♪」「おおおおおおおっーーー!!」と大騒ぎになり、「授業してくれ」「私たちは中国のことを表面しか知らない、恥ずかしいのだ」と口々に言うけど、ええーっ、面倒くさっ。
班長が、もう少し気軽にお茶を飲みながら、もっといろいろ聞き込む会を設定することになった。
午後に孔子廟に行って、「あ、あそこに石鼓(複製)があるわよ」と言っているのに、孔子廟のガイド(旅行のガイドさんと別)の「敷居をまたぐ時は、男性は左脚で、女性は右脚で」などという訳分からん説明に夢中で、聞いてないしー。本当に中国文化のことは、深くは知らないのかも知れない。
孔子廟は、お札(ふだ)を買って、「学問成就」「家内安全」「商売繁盛」等を祈願する場所に変貌しつつあります。入口で線香も売っています。庭には、香港や台湾の金持ちが寄贈した像が立てられ、ガイドが熱心に説明しています。国子監の中にあった首都図書館も移転しました。外の「国子監街」も、后海の周辺みたいに小洒落たカフェやバーができて、再開発中。
曲阜の孔子廟のほうが大きいけど、ここは皇帝が来ていた孔子廟だからランクが上、と説明している割に、外の「ここで皇帝も馬から下りました」という石碑は素通り。夜にライトアップできるように、周囲に電灯が埋められていました。夜に来ると、本当に后海の周辺みたいに「お洒落なナイトスポット」になるんだと思う。やれやれ。
何かに似ているな、と思ったら、「清明上河図」の妓楼が宋代の2階建てから、清院本の3階建てになったような感じ。道筋は同じなんだけど、発展しているの。復古調の何とかセンターみたいなものも建築中でした。
今日はまた語法の授業ですね。午前だけ2コマ。
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うわあ~~、昨日の疲れが出て、眠くてたいへんだったよー♪
今日は細かい文法項目の話が多かったので省略しますが、主述述語文の例が出てきたから、“大象鼻子很长。(ゾウは鼻が長い)”の“很”があると、鼻がと~~っても長いのか、質問したら、そんなことはない。入るほうが普通で、“大象鼻子长。”は、「うさぎは耳が長い」など「対比」のとき、との説明でした。
昨日の5冊は、すべて買えました。さらに書店の人が勧めてくれた本。
周健主編『漢語課堂教学技巧325例』、商務印書館。
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「千字文」を聴く。101回め。
「千字文」を音読する。3回め。
07月12日(金)
起床時刻:04時15分
今日は小旅行。「遅刻しないでね!」と班長に5回くらい言われ、ガイドさんからも電話が来たけど、私はいつも先生より早く教室に着いている!
えー、今朝もこんな時間に目が覚めました。
今日の集合もですが、授業は8時から。ラッシュを避けて6時半に家を出て、地下鉄で「牡丹園」まで行き、そこから508番バスで「成府路口西」まで、1時間ほど。7時半には到着するので、食堂でコーヒーを買って一服してから教室へ。まだ「飯カード」を買っていなかったけど、もう一足早く出て、食堂で朝食をとってもいいかな?
授業は1コマ110分で、午前中に2コマ。午後に1コマ。今週はイレギュラーで、午後にない日もあり、代わりに土曜に2コマ入っている。来週からは1日3コマ、月から金まで、土日はお休み。全4週間、4400元也。
さて、またクラスMLで、こんなメールが来ていましたよ♪
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各位老师们,
你好!今天翟艳老师给我们介绍的参考书资料如下;
1)《汉语可以这样教》
i) 汉语教素篇 ISBN 7-100-05154-1
ii) 汉语技能篇 ISBN 978-7-100-05153-8
2)《对外汉语教学核心语法》ISBN 978-7-301-15245-4
3)《汉语作为第二语言技能教学》ISBN 978-7-301-17380-0
4)《实用现代汉语语法》-刘月华、潘文娱; 外语教学与研究出版社
祝好!
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メモったことをここにも書いておこうと思っていたら、ほら、コピペで済みました♪ 語言大の出版社が、以前の南門から東門へ移動したようなので、あとで行ってみる。たぶんそこで売っている。
こういう「情報の共有」を自発的にやっていて、自称「第2班長」とか、親切な人がいます。みんな教師だから?
ハルピンの大学院に留学していた人は、やっと4年間(語学1年+修士3年)のハルピン生活を終えて帰国ですが、最後にきてちょっと後味悪い感じでした。忙しすぎてパニクったようですが、「ハルピン人=ばか」と総括されていて、記事を読むとハルピンに限らないことでイライラしていたようなので、たぶん中国全土で「○○人=ばか」と毒づきながら晴れ晴れと帰国する日本人留学生がいることでしょう。寂しいですね。
んー、だいたい日本人って表情が硬いんだよね。「教務課のババア(本当は教務課の“老師”です)」だって、入れかわり立ちかわり、通知も見ずに自分の都合ばかり言ってくる「大量の」学生を相手にしていたら、「学事の怖いねえちゃん(うちの学生談)」になりがちなのだ。でも「ニコッと笑って」“你好!”とか“谢谢!”とか、それだけで相手の表情も言葉も、だんぜん友好的になるのだ。到るところ、親切が過ぎておせっかいな中国人だらけだよー♪
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おっ? ハルピンの人は、いざ飛行機に乗るとなったら、いろんな思いがこみ上げてきて、泣いてしまったそうです。帰国してしばらくしたら、また違う心境になるのかも知れませんね♪ お疲れさまでした。
私も疲れたぞー、暑くてドロドロになったぞー、中国人の観光客がにぎやかすぎだぞー♪
疲れたので、感想はまたいずれ。
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「千字文」を音読する。2回め。
07月11日(木)
起床時刻:05時34分
クラスのMLができて、先生が授業で使っていたパワポ資料や、受講生が見つけた本の画像データが、メールに添付されて来るようになった。先生が首から下げているUSBメモリから学生がデータをもらう(コピーする)なども、2005年度の留学中によく見かけました。今回は各国からきた教師たちですが、板書をデジカメや須磨子で撮影する、などもごく普通にやってます。いまどきの学生みたい?
今週は先生たちが本科の学期末で忙しく、午前で終わる日が多いけど、来週から夏休みになるので、午後も授業が入る。教室もあちこち移動せず、来週からは同じ教室。担当する先生たちは大変ですね。8月にも短期の語学コースなど、やってますし。前任校がこういう夏休み中の研修をちょこちょこやっていて、入試もあれこれやっていて、忙しかったです。
今日は語法の授業ですよ♪
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いろいろ面白かったです。目新しかったのは、
1、中国語は、リズムの規則によって文法が影響を受ける。「修理」「手表(腕時計)」を「修理手表(2音節+2音節)」「修手表(1音節+2音節)」と言えるが、「修理表(2音節+1音節)」は言えない、など。
2、語素・語・短い句・センテンス、のほかに「段落のある文章」のルールを語法として研究し始めている。
3、語言大では、「説明はポイントを絞り、たくさん練習させる。授業の主役は学生」「難しいことを易しく説明する」「難しいことは分散させる(一気に教えない)」「どのような条件で使える表現か教える」をポリシーにしている。
「分散させる」は、「へえ、わざとなんだ」と思いました。「五月雨式に出てくるなあ」とずっと思ってました。
4、初級は文型、中級は表現の違い、上級は修辞。レベルが上がるにつれて、いかにも「語法を勉強している」という時間は減り、ほかのことをしながら実は語法を勉強している時間が増える。
5、名詞述語文は、数に関する表現のほか、「我北京人。」のように貫籍に関するものもある。
「語法」と呼んでいる範囲が広いですよね。
先生が編纂中のテキストの紹介をしてくれて、これも「USBに入れさせてください」とやってました。渡しちゃうんですね、出版前の原稿なのに。・・そしてMLで送られてきました!
理論はともかく、練習をどうさせるか。そこがすごいです。
1、学生に気づかせる。
2、サポートしつつやらせる。
3、自力でやらせる。
の大きく三つがある。スポーツその他、いろいろなことに通じそうですが。語法のトレーニング法も、このタイプ別にいろいろ方法があるようです。
**
お昼は花うさぎさんと。せっかく空気清浄器を買ったのに、つれあいが窓を開けたがるので困っている、で意見が一致した! 同じ時期につくばに住んでいたらしい。私は並木2丁目ですよ♪ たまにあの辺の夢を見ますねー。高速バスで、東京まで下手すると渋滞に巻き込まれて3時間もかかる、という「陸の孤島」時代のつくばですね。カラオケ「六本木」とか、居酒屋「赤坂」みたいな店が街の中心街にありました。
ったく、書いていたら陳さんが邪魔しに来た!
1、春月は自分と結婚したから中国語が上達した。
2、台湾は大陸より中国語教育が盛んだ。大陸の多くの地域では普通話を教えられる教師がいないので、中国語が下手だ。
3、台湾の国語は、南京の官話をもとにしているのではないか。だから北京の官話をもとにした普通話とは、違う点がいくつもある。
4、今日の語法の先生の声が大きく、よく通っていた。それは喉ではなく、胸や腹などを使って発声しているからで、アナウンサーはまずそこから練習する。
要約すると、以上です。
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「千字文」を音読する。1回め。
07月10日(水)
起床時刻:06時30分
今日は9時から「書道」の授業。ちょくちょく、こういう文化的なものが入る。ほかに「剪紙」と「絵画」も。・・ちゃんと中国語教育と絡めてくれるんだろうな?
また小旅行もある。今週は頤和園・国子監・孔廟へ。「行ったことがあるだろうけど、こういう機会じゃないと他の参加者と交流できないので、行ってみたら?」と勧められて、参加する予定。残り2回は長城とか、遠方なのでたぶんパス!
中国側が学費・宿舎費・小旅行などを出す奨学金もあり、他の参加者はこれで来ている。日本でも関西大(お茶大も?)は毎年交代で人を出しているようだけど、うちはトンと話を聞かない。この時期はまだ学期中なので出づらく、「今年は留学で1年間、時間があるので参加してみたんですよー。(昨年度なら年齢制限50歳に引っかからないから奨学金も申請してみたらよかったけど…)」
語彙の等級表を手に入れてしまったので、マイテキストは初校でかなり手直しする可能性が出てきました。でもとりあえず組んでみてくださいな。論文と違って、横組み原稿(私はこっち派)が縦組みになって出てくるのと違うでしょうから、出たものを見ないと分からない。
「千字文」の1000文字は、この表の一級より難しい字が入り、逆にふつうの字も一部抜けている(これは早くから指摘がある)と思うけど、いちおう突きあわせてみる。あとでね。
**
まるきり普通の書道の授業でした。文字と書体の歴史、代表的な書家や作品などの講義と、楷書の基本「永」の字を実体験。驚いたことに、熱心に質問している人がいた。また驚いたことに、あんなに中国語ぺらぺらなのに、筆を持ったのは初めて、という華僑がたくさんいた。紙はどこで買えるのか、墨汁は多すぎると空港で止められないか、などの質問も。先生も「唐人街(中華街)に売ってないかな?」などと答えていた。
中国語教育に応用できそうなのは、書の練習の段階ですね。
1、対臨 お手本にならって1字ずつ100回~、練習する。
2、通臨 最初から最後まで休まずに100回~、練習する。
3、背臨 お手本を見ないで100回~、練習する。
4、意臨 お手本を真似るけど、やや考えながら個性を出してみる。
5、創作 自分の作品を書く。
1から4までは、努力と天分によるけど3~5年かかる。その上で5は、できる人とできない人がいる!
基本は楷書で、これをやらずに行書でなんとなく上手そうに見えても、楷書を書かせてみるとボロが出る。昨日の発音の話にも通じますね。基礎は、単調で無味乾燥なトレーニングをとことんやるべし。
でもねー、「永」の字ばっかり練習するのも一種の才能。なので外国人、とくに中学生などに中国語を教える時は、いきなり篆書や隷書をお絵かきみたいに書かせて、興味を持たせるのも効果あり、とのことでした。
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「千字文」を聴く。100回め。
07月09日(火)
起床時刻:01時40分 07時09分
東京も北京も雷雨でしたが、かいくぐって無事到着し、ネットも復旧していました。
雷雨のせいでキャンセルになった飛行機がたくさんあり、私たちのも30分ほど遅れて到着。タクシーがぜんぜん並んでいなくて30分待ちというので、最終のエクスプレスに駆け込みました。
「乗るなら急いで、もう発車よっ!」「何人だ?」「ふたりっ!」 陳さんがキップを買っている間に荷物検査をしようとしたら「いいから行け!」「陳さん、荷物こっちー」 改札にキップ(カード式)をかざしてくれる駅員さん。「謝謝!」「キップ持って行かないと出られないぞー」「そうだったー」「謝謝~♪」 ・・で、無事に乗れました。中国人、みな親切ね♪
さて、寝ます~。
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おっはー♪
曇っていて水蒸気が抜けないので、朝から中度に限りなく近い軽度汚染の北京です。くっさー、臭いでわかるもんね、これが夏の北京の臭いだったな、いつもこんな臭いさ。
ネットはつながるけど、遅いです。ねこと社ブログは途中で止まる。ちょっと更新できないかも?
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「報到」に行ったら、11日からのクラスは今年はなぜか小中学生に教える韓国の教師がほとんどで、それ用のプログラムを組んだので、他のクラスにしたらどうか、と言われて華僑だらけのクラスに参加。昨日から授業が始まっていたので、少しおまけして教材費をタダにしてくれた。済んでしまった授業が発音のだったけど、それは「概論だから要らないでしょう、教学方法は後半だから」と言われ、今日の午後の語彙の授業から。
講義ノートは、おそらく本科の対外漢語教師クラス用ので、とても1コマ2時間で終わる内容ではなく、最初のほうの「語とは何か。語素とは何か」のような話で終わった。先生がしゃべり倒し、一部の受講生が質問攻めにし、ふんふん聞いていたけど、最後に先生が焦って紹介してくれたものが、旧HSKの後に出た語彙のレベル別の資料だった。
これを探していたのよっ! 巷でありがたがられている「新HSK大綱」はテスト用の大綱であって、その元になっているものがあるはず、でも見つからなかった。今日紹介された資料が、その元になる資料で、語言大の先生がテキストを編纂する(ノルマがあるんだと)時に、基づいているのが、これ。
国家漢弁・教育部社科司『漢語国際教育用音節漢字詞彙等級画分』課題組編『漢語国際教育用音節漢字詞彙等級画分(国家標準・応用解読本)』、2010、北京語言大学出版社。
音節数 漢字数 語彙数
一級(普及)入門 272 300 505
336 600 1740
二級(中級) 300 900 3211
三級(高級) 高級 163 900 4175
付録 39 300 1461
総計 1110 3000 11092
音節数は、本当は全部で1206、でも3000字&11092語の中で出てくるのは、1110個だそうです。
これを見ると、一級の入門は新しい字が出るたびに新しい音節で、語彙数も倍まではいかない。レベルが上がるにつれて、語彙は増えるけれども、すでにならった字もかなり含まれ、音節はさらに少ない。語彙が1万を越えても、まだ出てこない音節もある。
今日の講義で、「日」が「rì」、「月」が「yuè」、「目」が「mù」、になかなか結びつかない、という話が出ました。言葉の要素に「音」「意味」「使い方」はあっても、「字」は入らない、別系統である、文字をもたない言語はいくらでもある、という話もでて、とくに中国語は表意文字なので、なぜその字がその音なのか、がそもそも繋がりにくい(形声文字というのもありますが)。
「日」「月」「目」、似ていますのでね、非漢字文化圏の学習者はぱっと見て違いが分かりづらい。私たちは間違えようがないですけど。
だから、音節がいくつで、漢字がいくつで、は非漢字文化圏の学習者にはすごく重要だと思うけど、日本人学習者には「音節の数がどうたら」は意識させなくてもいいのではないか、と思う。ここで何回か書いているように、音節を全部数えたら1200を越えるけど、パーツに分けると母音6(+1)と子音21と声調4(+1)の組み合わせで済むわけだから。
で、あらためて表を見ると、初級テキストで語彙2245(505+1740)はちょっときつい。入門の505はやや少なめだけど、第二外語のテキストだとちょうどこのくらいになりそう。
語言大の本科1年生で3000語(いろいろな場面で使われる単語の86%をカバー)、2年生で5000語(91%)、卒業までに8000語(95%)だけど、理解語彙が1万語を越えても、使用語彙は1000語程度だ、という話も面白かった。その1000語を「ぺらぺら」運用できるのでしょう。入門の1000語は、だからすごく大事だ、という話。
それから、発音の授業はいちばん大変で、無味乾燥な練習をとことんしなくてはならず、体力も気力も必要、楽しく歌を唱ってアハハ、おほほのクラスで、みんなで歌うと上手だけど1人でやらせると出来ない、なんてのは失敗。でも発音は「終生」使うものだから、やらなくてはいけない、という話も出ました。
おおー、その発音の授業が私はいちばん得意なのよ♪ アハハ、おほほで身につく発音♫
あと、「報到」のオフィスであれこれ話していて、学費を納めに行く時に、ちょうど11分40分までで、その時間ジャストだったんだけど、中から出てきた人に「終わりよ! 午後に来なさい」と言われ、「えー、でも午後は授業に出るので…」「じゃ授業のあとっ!」「でもお金を払わないでも資料もらえるかな?」とねばっていたら、「銀行カードはある?」ということで、現金は不都合だったようだけど、カードは機械をまたつないでくれて、ささっと手続きをやってくれました。謝謝!
オフィスは朝から開いているし、お昼はちゃんと休まないと、五月雨式にいつまでも仕事していたら休憩もとれず、そんな仕事ぶりを連日はムリなので、私たちが学生の履修手続きの仕事をする時なども、「明日また来て!」で窓口は閉めます。なのに、どうもありがとう♪
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「千字文」を聴く。99回め。
07月08日(月)
起床時刻:05時18分
やっと北京へ。
ちょっと長すぎと思ったけど、咳がやっと治ったので、よかった。また行ったらすぐなりそう? えー、昨日の軽度は、けさは軽微に下がった模様。重度になるとさすがに日本でもニュースになりますが、連日あのスモッグ、というわけではないようです。
東京に置いてあるパソコンが古くて、ねこと社ブログがなかなか出てこないので、ちょっとお休み。北京も出がけにネットが急につながらなくなったので、どうやるやら?
学会などもそうですが、「報名(申込み)」と「報到(到着の受付)」の2段構えになっています。「報名」したけど来られなくなった、という場合もありますからね。ホテルの宿泊などと同じです。日本の学会と違って、中国で学会をする場合、ホテルの部屋の手配や小旅行の手配、帰りの切符の手配などもするので、実際に人が来てからじゃないと処理できない事柄が多く、主催側はたいへんです。
大学の授業も似たところがあります、日本でも。実際に学生が来てから、教室や教員のアレンジをすることがあります。履修申告から確定までの作業は、とくに大変です。いろいろな事情を抱えた学生もいますので、面談をして教員がハンコを押さないと出来ない、ということもあります。試験の監督のように院生を動員できるものもありますが、それも入試となると学生を絡ませるわけにはいかず、教職員総動員でやっていますね。
ということで、学生にも言い分があるのだろうけど、学校側もなかなか大変で。お金出して教わる方が、だんぜん楽だ~♪
ozzyさんと入れ違いだ。学生もちゃんとやると大変そうだったけど。お疲れさまでした♪ 私もがんばるぞーっ!!
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「千字文」を聴く。98回め。
07月07日(日)
起床時刻:04時58分
やっと東京へ。
熱帯夜らしい。長野でこんだけ寝苦しかったんだから、東京はイカばかり? いや、エビもある。
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東京あつあつ、あつすぎ、いきなり暑すぎっ!
中国へ衣服を持ちこむな、と陳さんに言われているけど、半袖や短パンをスーツケースに放り込む。語言大のプログラムは日本から奨学金もらって来る先生たちも合流するかも知れないので、見栄はり用も追加。だいぶ持っていっているつもりだけど、太って着られなくなっているかも知れないからな。ふふっ。
ルンバが階段のぼりおり出来ないので、掃除機でのぼりおりして汗だくになり、髪をカットしてきた。いま夕立が。。 夜は少し涼しくなるかしら?
語言大のプログラムは、もう「報到(到着の受付)」が始まっているらしい。10日までに「報到」で、11日から授業。概論的な講義と授業参観と討論があるみたい。修了式の記念撮影にそなえて、ダイエットしなくちゃ♪
「報到」しないと宿舎ももらえませんが、あちこちブログを読んでいたら、会議中心というホテルも、夜は騒がしいみたい。若い留学生が泊まっているからね、想像つくわ。ということで、基本的に通いにします。陳さんも「暑くても我慢する」と言ってるし。
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「千字文」を聴く。97回め。
07月06日(土)
起床時刻:05時50分
庭先に野生の蚕がいました。今朝のねこと社ブログの写真は「天蚕」ですので、そっち系が苦手な人は用心してください。明るい黄緑のきれいな身体ですけどね。
「野生の蚕ってどんな?」とあれこれ検索して、毛虫画像をたっくさん見てしまいました。。 育てるのは難しいらしい。全国にいるけど、育てているのは長野の穂高の辺りだけ、とか。
許地山が蚕の散文を書いていたような気がするけど、忘れちゃった♪
院生の頃に現代の小説や詩の翻訳を、友だちと面白がってやってました。ワープロで入力&プリントアウトして、コピーしてホチキスで綴じて、周りの人たちに配っていた。「意識流」とか「朦朧詩」が流行っていた頃ですね。
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「千字文」を聴く。96回め。
「蘭亭集序」「五柳先生傳」「春夜宴桃李園序」「陋室銘」「愛蓮説」「記承天夜遊」を聴く。118回め。
「桃花源記」を聴く。5回×1回(累計40回)。
07月05日(金)
起床時刻:05時07分
北京は珍しく雨が続いていて、汚染度が下がっている模様。そのうちまた上がるだろうけど。雨が降ったら降ったで、排水が悪いので道路は水浸しになり、渋滞度が上がるのだ。これでいいのか? よくないのだ!
さて、語言大に日中同時通訳コース(修士)がありますね。
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学歴:大卒以上。
言語:日本語レベルは日本語能力試験1級以上、中国語レベルは新HSK5級以上。
修業年限:3年。卒業成績の合格者は北京語言大学修士号を取得できる。
学費:25700元/年
授業開始:毎年9月
申請時期:毎年12月と4月の2回、具体的内容については新入生募集要項参照。http://www.studyinblcu.cn/
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新HSK5級でいいのかあ。新HSKなのかあ。ま、入ってからガンガン鍛えられるんだろう。これでいいのだ!
北京第二外語に通訳コースがあったようだけど、語言大も乗り出したのね。杏林大学(日中通訳の博士課程がある)と国際交流していて、同学の塚本慶一教授が客員教授だそうです。
日中同時通訳コースは日本言語文学学科の中に置かれていて、語言大の日本語専攻は1979年に成立、2003年に日本語言語文学修士課程を開設し、2013年からは博士を募集する、とのこと。
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「若者よ、本を読もう!」キャンペーン、ただいま展開ちう♪
かつての教養主義時代の学生たちが読んでいたような本を、面白いと思うかどうかは別として「読んでおきたい」と次々読んでいる学生もいますけどねえ。一般的には本を読まなくなったのかな?
「あまちゃん」も、ネタだろうけど、高校3年生が「ユイちゃんと二人三脚でやっていく!」を「二束三文で…」と言い間違えて、大人が笑って許してやるようでは、先が思いやられる。台本の漢字も読めず、意味も分からないで、女優ができるかな?
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北京大学の出した標点本「十三経注疏」が、けっこう間違っているという話で、大学院生を動員してやらせたのか、OCRで読み込ませたのか。台湾藝文印書館の影印本を私たちは使っていますが、再版を重ねて、2001年に「初版」を出し直した、その「初版」(これも影印)が、一部もとの影印本と違っているそうな。うわ~っ、影印なのに?
http://xuetui.wordpress.com/2012/10/30
そこから校正で食っていた顧千里という学者のことをちょっと調べていて、段玉裁(顧千里と喧嘩になった)の『汲古閣説文訂』に関する論文(高橋由利子氏)を読みました。
汲古閣というのは、明末から清初にかけて、せっせと本を買い集めては校訂して出版していた蔵書家、毛晋の蔵書楼です。『説文解字』の汲古閣本は、毛晋の子の毛扆が「様本(見本)」を4回出し、5回めに大きく修正して刊行した(通行本)。ところが段玉裁は、むしろ修正しないほうがよかったと思い、弟4次様本を「初印本」と名付けて、現行の汲古閣本と区別した。
だが段玉裁は「初印本」をしっかり利用していたのか怪しい、遺漏があるのではないか、と顧千里たちが指摘している。ではどうしてそんな遺漏が生じることに? ・・という話で、ややこしいので略しますが、見本を「初印本」と名付けた、などちょっとビックリ!
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「千字文」を聴く。95回め。
「蘭亭集序」「五柳先生傳」「春夜宴桃李園序」「陋室銘」「愛蓮説」「記承天夜遊」を聴く。117回め。
「桃花源記」を聴く。5回×3回(累計35回)。
07月04日(木)
起床時刻:05時02分
木版印刷は1回の印刷が100部程度、中国の版木は柔らかいので何回も同じ版で印刷していると摩滅する、という。鉛活字も熱に弱いので7000部程度が限界(原版印刷の場合)、なので紙型をとって使う、という。
100部程度なら、手書きのほうがコストは安いのではないか、とふと思った。なんで印刷するのか?
理由の1つは「複製」かもね。同じものができる、それが印刷。
漢代に石経というのを何回か作りましたが、儒教の経典を石碑に刻して大学の前に立てた。まだ簡策&書写時代でしたが、宮中の書庫に忍び込んで、自分が記憶しているように書庫の経典を書き替えた(簡策の表面を削って墨で書き直した)アホがいて。儒教を国教として学ばせるのに、テキストがバラバラでは困るので、「これが正しいテキストぞよ♪」というのをみんなが見られるように、石碑に刻して大学の前に立てたわけ。
最初は石碑のサイズに合わせて、上から下へ刻した。当時、文字の統一と変化も進んでいて、先秦の古文や秦が使っていた篆書の書物を、隷書にせっせと書き改めていた。そうこうしているうちに後漢に紙も発明されて、三国魏の時代には古文・篆書・隷書の3つの書体を並記した三体石経が立てられた。この三体石経は、「どうせ自分で筆写しないで、拓本をとるんでしょ? 業者がとって売っているのを買って行くんでしょ?」と巻物と同じくらいの幅で行換えして刻した。
というので、この辺が印刷の萌芽だと言われています。唐末五代の木版印刷の初期、民間で印刷されていたのは暦でした。これも「同じもの」じゃないと困りますね。あとは辞書。
印刷術にまず飛びついたのは民間で、暦や辞書を印刷して売っていたようですが、大量に売れそうなもの、需要がありそうなものは、書坊(書店)がやっていた。これを坊刻本という。
大量に売れるとは限らないけど、印刷しなくちゃ、という本は、公的機関が資金を出して作った。これを官刻本という。中央政府や、地方の自治体(学校含む)に相当する機関。
まったく売れる見込みはないけど、印刷したい、という本は、個人が資金を出して作った。これを家刻本という。現代の私家版とか自費出版ですね。
現代の著作権法で保護されている著作者人格権の一つ「同一性保持」は、著作物を複製するに当たってオリジナルのままでなくてはいけない、複製する者が著作者の意図に反して勝手に改変してはいけない、というものですが、「同じもの」だということが大事なんですね。
オリジナル、オリジナリティって何なのかな、とまた思う。書画の場合は、「本物そっくりに真似する」模写が当たり前。模写しながら「ここはちょっと変えて」というのも、どうもそれほど悪いことではなかったよう。「清明上河図」だって、各時代のいろいろな画家の「清明上河図」があって、妓楼が宋代のオリジナルと見られている画では2階建てだけど、清代のは3階建てだし。ほかにも色々違う。
「テーマや構図が同じなだけで、この時代の“上河図”ですよ」ということかも知れないけど、現代風の感覚だと、「テーマや構図が同じなら盗作でしょ」ということになりかねない。少なくとも「真似た」ことにあまり価値を見いださないのが、現代。「本物そっくり」なら複製を作れるからかな?
おっと、ここでねこちんのコメントが付きましたが、いくらでも「同じもの」が作れそうで、「同じじゃないもの」も簡単に作れるのが、デジタルなんですね。オリジナルとその複製の堺をぶっこわしているのが、デジタルかな? ・・とコメント欄からコピペして「ね」1文字だけ加えたり、できちゃうわけで♪
あの「修復したつもりがまったく別物のとぼけたキリスト像になってしまったが、かえって話題になって、オリジナルグッズなんか作ってみたらバカ売れし、修復した婆さんが『私の著作物よ、ロイヤリティよこしなさい♪』と騒いだ(その後どうなったか知らんけど)」事件なんかも、オリジナルと複製に関する面白い事例だと思います。
あ”ー、このまえ読んだの、何だっけかな? ○○は誰々の作とされているが仮託(名前を使われた)だと分かっている、って。誰の何だっけ? ・・アタマ悪すぎ。。
朝ドラ「あまちゃん」はパロディがたくさんあって、オリジナルを知っていると笑えますが、パロディとかオマージュ(!)と「ぱくり」の堺もけっこう危うい。
「文体を真似る」というもあって、これは○○風、というのがはっきり分かり、盗作ではないよ、とはっきり分かるためには、○○の文体が他に類のない個性的なものである前提が必要だな。
豆本作家の雉虎堂さんは、いろんな本や雑誌(岩波文庫とか文芸春秋とか)を豆本に仕立てていて、サイズを小さくしただけでオリジナリティが出ている例ですが、文体をいじって遊ぶのも好きだそうです。
http://kijitoramamehonn.blog.so-net.ne.jp/2010-09-12
詳しくは記事に飛んでもらうとして、1例だけ引用。童謡「森のクマさん」新聞報道バージョン。
>今日午後3時ごろ、東京都八王子市で、通学途中の女児が不審な男に追い回されるという事件が起こりました。男は地域住民の通報を受けてかけつけた警察官によりその場で取り押さえられました。女子児童に怪我はありませんでした。警察の調べに対し、男は「熊さん」と名乗り、「貝殻のイヤリングを返したお礼に歌を歌ってほしかった」などと、わけのわからない供述を繰り返しているとのことです。
わはは、大笑い♪
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「千字文」を聴く。94回め。
「蘭亭集序」「五柳先生傳」「春夜宴桃李園序」「陋室銘」「愛蓮説」「記承天夜遊」を聴く。116回め。
「桃花源記」を聴く。5回×1回(累計20回)。
07月03日(水)
起床時刻:04時06分
出版の形をあれこれ考えていたら、翻訳家のこんなページを見つけました。
http://e-honyakusquare.sunflare.com/shuppan.sunflare.com/iwasaka/index.htm
第13回「著作権と印税」で、ああなるほどね、と思ったのは、著作権という概念はグーテンベルク以降に生まれたものである、と。グーテンベルグ以前は貴族や大富豪がパトロンとなり、「著作や筆写の費用を出しただけでなく、作家、芸術家の生活の面倒をまるごと見たりもしていた」。
米グーグルが本の中身を「タダ同然で」見られるようにしようとしていて、従来の形態で本を作ってきた人たちと著作権侵害訴訟になり、和解した頃の記事です。著者は編集者から翻訳家に転じて、学術書を主に翻訳し、翻訳業以外の仕事もしている。
著者によると、現代の翻訳に対する報酬は、
1、原稿料。著作権を出版社に譲渡する。
2、印税。複製権(copyのright)をライセンスする。
3、作業代。ニュース記事のように著作物でないもの。
中国は現在でも1番が多い。基本的に原稿買い取りだと思う、著作でも翻訳でも。著作をする人=官僚の時代が長かったし、封建時代でなくなったら社会主義になったので、やはり国家がパトロン。
白居易は、詩が1枚ものの印刷物にされて売り買いされていた、それほど人気だった、というんですが、自分の詩文を整理編纂して全集を7セット作った(手書きだが人をやとって書かせたのだろう、チェックはしただろうけど)のは、自分の作品ではないのに名前を載せられて流布するのを嫌がったから。
有名な人の名前をかたって文章を発表することは、印刷術発明以前にもよくあった。「孔子が六経を編纂した」というのも、孔子の名前を載せているわけで。大規模なプロジェクトの場合に、指揮をした人を代表者として挙げるケースもあるわね。命じたのが皇帝なら、「勅撰」となるし。
いずれにしても、著作をした者と表示される著作者名が一致していれば問題ない。今日の「著作者人格権」が守られていれば、よろしい。これがなかなか守られずに「ぱくり」天国なわけですが。
>著作権法上、翻訳は二次的著作物にあたり、翻訳者も著作者として著作者人格権(同一性保持など)と、いわゆる著作権(複製権など利用に関する権利)を持ちます。著作者人格権は著作者に固有のもので譲渡する性質のものではありませんが、利用に関する著作権のほうは一種の財産権として譲渡が可能で、この意味の著作権を有する人を、「著作者」と区別して「著作権者」と呼びます。
アメリカでは原稿買い取りが多いそうで、1番の「著作権を出版社に譲渡する」、すなわち原稿料を払って買いとった出版社が「著作権者」になるわけです。中国もそう。でも日本では2番のほうが多くて、出版権を設定します。その後、印刷部数に応じて印税が著作権使用料として支払われる。
著作物を公表するかどうかは、著作者人格権の一つなので、米グーグルが勝手に公表したら「著作者人格権の侵害」にもなるはずだが、「著作者」にいちいち同意をとりつけるのは面倒だから、出版社が原稿買い取りにして「著作権者になれ」ってことだったようです。
この辺のことは、著作物が複製されて売り物になる、ことから発生しています。(著作者人格権ではなく)「著作権」が印刷時代以降に現れたというのは、複製を「読者の代わりに」制作して販売する出版社が現れてから発生した「権利」だということですね。「利権」と言ってもいい。
複製にもいろいろな方法があるわけですが、印刷して「本」にするには、材料(紙)・印刷・製本、「本」になってからも運搬・保管などにいちいち代金がかかる。こういう「物」の部分に代金が発生するのは当然と思うのに、「書いたり」「編集したり」の部分は「タダでもいい」と思うのは、ちょっと不思議。
だから広告で費用を回収するとか、デジカメで懲りたキャノンが「プリンターは安く売ってインクで儲ける」みたいな仕組みにしないと、「書いたり」「編纂したり」の部分をやっている人は、どんどんいなくなってしまう。
>市場のコスト計算だけで済ませようとすると、現状は打破できません。それどころか、本当に、「情報はタダなんだからモノを書くのもタダ」ということになりかねません。これでは、永遠にプロは育ちません。大切なのは、文章というもの、情報というものを、消費される商品という側面と、経済価値を離れた側面の両方から同時に見ていなければならないということです。私を含めて、著作物や情報の流通に関わる者は、そのことを忘れてはならないのです。
それでもね、生きている間は貧乏のどん底で、それでも何かを「書きたい」(画や音楽なども含めて「表現したい」)人がいて、多くは無名のまま埋もれて、幸運な天才が死後数十年、数百年たって「発見されて」、ということがある。というか、そういう時代に戻る、のかも知れません。
生前すごく人気があったらしいのに、今ではさっぱり作品が伝わっていない、という人もいるので、何がどうなるか、分かりませんけどねー。
第6回「翻訳環境の話」もすごく面白いですねえ。人の仕事場、デスク周りって興味深い。この中で紹介されているもう一人の翻訳家もそうだけど、仕上がりが縦組みの時には、パソコン画面上も縦書きにするんだって。へえ-。
また他の回の記事で、「産業翻訳(学術書含む)」だと、複数でチームで翻訳したり(監修や監訳はつくことがある)、一次翻訳から完成まで複数の人が関係し、編集者もバンバン手を入れたり、するんだって。で、訳者名は出ないことも多いらしい。へえー。
翻訳は翻訳で難しさがあるけど、とりあえずチャイ語教師としては、自分で井戸を掘って水を売るんではなくて、井戸の掘り方を教えることに重点を置きたい。自分で掘れれば、いくらでもおいしい水が飲めるわけで。
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「千字文」を聴く。93回め。
「五柳先生傳」「春夜宴桃李園序」「陋室銘」「愛蓮説」「記承天夜遊」を聴く。115回め。
「蘭亭集序」を聴く。5回×4回(累計115回)。
「桃花源記」を聴く。5回×1回(累計15回)。
07月02日(火)
起床時刻:05時12分
どさくさに紛れてシャーっ!! 今日は朗読の聴きすぎでアタマがぱあー♫
これ(↓)、昨日書いた分ね。
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またスペースがなくなったのでこっちに書きますが(笑)、折本(ロール状につなぐ)や初期の各種冊子体(束ねて綴じる)が登場した時期って、手書きから木版印刷に変わる時代。だからいろいろな形態の図書が出て、名称も出て、混乱しているのかも?
紙は、現代なら機械で巨大なロール状にしたものを作って、それを用途にあわせて裁断するでしょうが、昔は木枠に紙の繊維を流し込んで固めるわけです。人間が両手を広げて届く程度の幅の木枠に。書画に使う紙はもう少し大きいかも知れないけど。で、読むときも両手を広げて、巻物なら巻きながら読むわけですね。
手書き時代、巻物に文字を書く。手書きだから、必要なだけ紙をつないで、書いていく。
これが木版印刷になると、印刷用の版木がまたサイズがせいぜい両手を広げた程度。そうして印刷したもの(1枚の版木で100枚程度印刷するとして)を、お経はやっぱり端と端をつないで細長くした。そういう印刷&巻子の本が伝わっている、確か。
でも、ふと思うわね。100枚ずつ同じ内容の紙の束が、ページ数分並んでいるのを見て、「これ、束でまとめてもいいのでは?」と。想像ですけど。
そこから、さまざまな冊子の歴史が始まった♪ いや、想像ですけどね。
北宋末の都市を描いた「清明上河図」には書店も描かれていて、もう冊子体です。このまえ台北故宮博物院で買った「文人雅事 明人十八学士図」に描かれてる冊子は、完全に線装ですね。(以上、昨日!)
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おはよー♪
けさの北京は突然の「良」→「優」、何だろね? ずっとおどろおどろしい色合いの中度や重度が続いていましたが、風でも吹いているかな?
やっと咳が治まってきたので、古典の朗読を聴きながら自分でも音読したりしています。
集中的にまず100回聴いて、その間に暗記します。暗記は、ただ聴いていてもできません。アタマ悪くて、覚えようとしないと、覚えられない。でもまあ100回聴くまでには、やろうと思えば暗記できる。そのあとすぐ忘れそうなので、1日1回ずつ聴いています。こうして残り200回、計300回も聴けば、たぶん一生忘れない暗記になるでせう。
「千字文」は、4字1句×250句=1000字(文字が重複しない)韻文で、内容はゆるやかに繋がっていますが、長いのと、物語性が稀薄というか、淡々と進んでいくので、なかなか覚えにくい。子どもはこういう暗記が得意なので、子どもの頃にやればいいんでしょうけど。
でもその単調さが、発音練習にはかえって向いていると思うので、テキストにしたい。テキストは、ねこと社から発行。初版は、オフセット印刷で500部程度かな? 授業で使うので、数年ではけるでしょう。
古典は独特の読み方をする場合があるけど、多くは現代語と同じで、1つの文字はたいてい発音が1つ。発音練習しながら1000文字も覚えられたら、いいんじゃない? 発音が分かっているというだけで、以後の学習の負荷がだいぶ下がると思う。
授業で少しずつ読んでいくと、いくら私でも暗記できるんじゃないかなー? と期待している。覚えるのは学生のほうが早そうだけど。
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陶淵明「桃花源記」
朗読:2分53秒
晉太元中、武陵人捕魚爲業。縁溪行、忘路之遠近。忽逢桃花林、夾岸數百歩、中無雑樹、芳草鮮美、落英繽紛。漁人甚異之、復前行、欲窮其林。
林尽水源、便得一山。山有小口、髣髴若有光。便捨船、從口入。初極狹、纔通人。復行數十歩、豁然開朗。土地平曠、屋舍儼然、有良田・美池・桑竹之屬。阡陌交通、鷄犬相聞。其中往來種作、男女衣著、悉如外人。黄髮垂髫,並怡然自樂。
見漁人、乃大驚、問所従来、具答之。便要還家、設酒殺鷄作食。村中聞有此人、咸来問訊。自云先世避秦時乱、率妻子邑人来此絶境、不復出焉、遂与外人間隔。問今是何世、乃不知有漢、無論魏晉。此人一一為具言所聞、皆嘆惋。余人各復延至其家、皆出酒食。停数日、辞去。此中人語云、不足為外人道也。
既出、得其船、便扶向路、処処誌之。及郡下、詣太守、説如此。太守即遣人隨其往、尋向所誌、遂迷、不復得路。
南陽劉子驥、高尚士也、聞之、欣然規往。未果、尋病終。後遂無問津者。
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「千字文」を聴く。92回め。
「春夜宴桃李園序」「五柳先生傳」を聴く。114回め。
「記承天夜遊」を聴く。10回×2回+4回(累計114回)。
「愛蓮説」を聴く。10回×4回+4回(累計114回)。
「陋室銘」を聴く。10回×8回+4回(累計114回)。
「蘭亭集序」を聴く。5回×3回(累計95回)。
「桃花源記」を聴く。5回×2回(計10回)。
07月01日(月)
起床時刻:05時32分
なるほどねー(と書く場所がなくなったのでここに書いてますが)、原稿の記録媒体もフロッピィディスクからUSBメモリ、さらにドロップボックス(ネット上)の併用と、変わってきてますもんね。
ワープロ時代の文書をパソコンに移行する時に、全部はきちんとやっていない。自分で作った文字などが「〓(げた)」になるので、それを埋めるのが面倒とか、そんな理由で。
そもそも、基本的に完成原稿を出すほうだけど、校正中に多少はいじくるわね。それをきちんと文書データに反映していないので、最終的に印刷されたものとオリジナル原稿が、多少ずれている。どうしたもんかな、と思っていたけど、必要になったらスキャナーで読み込んでもいいわけだ。きっとスキャナーの精度も上がっているのだろう。昔のどうしようもないOCR(文字読み取り)しか使ったことがないけど。
台湾で、原稿を手書きする人とパソコンを使う人とでは、書き方が違う、ような話をねこちんとして、こんなことをまたぐだぐだ考えているわけですが。
と、折よく「折本」について書かれた冊子が届いた♪
折本というのはお経によく使われる装丁ですが、インドではヤシの葉を加工して裏表に文字を書き、葉の真ん中2~3箇所に穴を開けて、紐で「綴じた」。これを「貝葉写本」という。ヤシの葉を貝多羅葉、略して貝葉と言うことから。
チベットでは、ヤシの葉の代わりに、中国から伝わった紙を使った。でも綴じ方を貝葉装に倣った。わざわざ紙を短冊状に切断して、文字(チベット語)を書いてから紐で綴じた。これを「貝葉装」と論文の筆者は名づける。(以下、従う)。
敦煌文書のチベット語経典は、折本も多い。漢語経典は巻子本が多く、折本はごく僅か。漢語折本は横書きではなく縦書きになるが、チベット語・漢語とも、貝葉装との違いは、つないだ紙の片面(表)に連続して書いて、もう片面(裏)に連続して書く。折本は紙の端と端をつないでいくので必要ないのだが、漢語の折本の中に、貝葉装のように紙面に穴があいているものがある。
また中央アジアでは、仏教以外の経典で獣皮や樹皮などを使って短冊状の長方形をアコーディオン式に折りたたむものがあり、チベット仏典はそれらの影響も受けいていた。
以上のことから折本は、インドの貝葉の仏教写本が、チベットでヤシの葉の代わりに紙を使い、また各地の折形写本を吸収して折本となり、中国に伝わって成立したのではないか?、というのがその論文の主旨。
で、私が思うに、チベットは中国の紙を使っただけでなく、紙の巻子本の影響も受けてますよね。紙の端と端をつないでいく点、片面にずらずら~っと書いていく点。巻子本のこの方法は、簡策をつないでいく方法を蹈襲している。
そこで思い出すのが、前任校で話題になったこと。巻子本(巻物)は、紙に書いてから糊でつないでいくのか、それともつないだものに書いたのか? 前者なら「本」だが、後者は「ノート」ではないのか?
貝葉装は明らかに、書いてから綴じています。紐で綴じてから(束ねてから、と言ったほうがピッタリ)では、書けません。でも巻子や折本って微妙~。
インドから仏典が入ってきた時は、貝葉(ヤシの葉)にサンスクリットだったはずだよね? チベット語仏典経由かしら? ・・そこが疑問だな。
と、ここまで書いて、寝る!(以上、6月30日記)
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おはよー♪
お経になんで折本が多いのか? お経なんてものはアタマからず~っと読んでこそ有難いものなのに、はしょって途中だけ読む、なんて時に巻物は不便、折本は便利。・・と前任校の教授が言ってました。
折本が貝葉の影響を受けているのではないか、というのは前から言われていたことですが、今回の論文では「それにしては折るのが遅すぎ、冊子の後に出た形態じゃないの?」という説に対して、一部反論したものです。
定説は、巻物 → 折本や旋風装 → 冊子。旋風装というのは、「折本の表紙の上下を1枚の紙でつなげた」装丁。ここにイラストもあって詳しい。
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/kokeitai.html
木や竹を細長いヘラ状にして、互いに紐でつなぎ、くるくるっと巻く(簡策)。紙が発明され、ヘラ状の木や竹より横幅がかなり伸びたが、やはり紙と紙を糊でつないで、くるくるっと巻く(巻子・巻物)。この流れは何となく納得がいき、しかも簡策と巻子本は、それなりの分量が現代まで伝わっている。
それに対して、紙と紙をつなげて長くしないで、紙の中央で折って(山折り/谷折り)、綴じる(折目/端、糊/糸)。これが冊子本ですが、よく残っているのは「山折り」にして「端」を「糸」で綴じた、袋綴じのもの(線装)。
ところが、「谷折り(数枚ずつ)・折目・糸」の綴葉装とか、「谷折り(1枚ずつ)・折目(の裏側)・糊」の蝴蝶装とか、いろいろな冊子がある。でもそれを、後の時代に線装に「改装」したりするので、元の装丁のまま残っているものが少ない。そして、中国で綴葉装と呼んでいたものを、日本では大和綴じと呼んだとか、いや呼んでないとか、この辺が装丁の歴史を研究している人の間で、諸説紛々なんだわ。
「それにしては折るのが遅すぎ」は、確かに延々と数百年も古い形態を残しつつ、新しい形態に移行するんだわ。紙を「折ったらどうなの?」と気づいてからも、折ったあとは巻物がそうだったように「糊でつなぐ」ことを延々とやり、「糊、はがれやすくね? 糸で縫ったらよくね?」と気づいて線装が登場したのは明代になってから、と言うんですから。
簡策はもともと紐でつないでいたので、「糸を使ったら?」は発想としては繋がっており、折目を縫う綴葉装は、端を縫う線装よりだいぶ早く登場します。綴葉装は、見た目は簡策にどことなく似ている。ただ綴葉装のような綴じ方だと、糸があちこち出ていて切れやすい。紙を1枚ずつではなく数枚重ねて束ねてから綴じる、というのは新しい発想です。現代の機械による糸かがりは、この綴葉装のかがり方(あとで背を糊で固める)。
日本ではこの綴葉装がけっこう使われたようですが、綴葉装というのは先に数枚を重ねて折ってから綴じるので、ふつうは綴じてから書く。台割りすれば別ですが、手書きでは普通しませんね。ということで、綴葉装(大和綴じ?)は「本」ではなく「ノート」なんじゃないの?問題に、また戻る。
蝴蝶装は紙の片面にしか字を書かない(だから後に線装に改装できる)ので、書いてから綴じたのだと思う。
ねー、実物(またはレプリカ)を見ながらじゃないと、混乱するっしょ? だからー、実際にいろんな形態の本を作りながら、その形態の本にはどういう内容のことが多く書かれていたのか、整理してみると面白いと思うの。
綴葉装(てつようそう)が、どうも混乱の種なのね。糊でとめている粘葉装(でっちょうそう)と発音が紛らわしいとか、いろんな理由で。「大和綴じ」ってのは背に近い部分に2箇所くらい穴をあけて綴じる方法だ、という人もいる。現代のアルバムの綴じ方で、そうなっているのがある。あとは大福帳ね。
まだ行けるのか、4000字?
何かを「有る」と証明するには、1つでも証拠が見つかればいい、ということでわざわざ敦煌まで資料を探しに行ったことがあり、色々あってやっと入手した写真を前任校で教授からもらって論文書いた非常勤がいたわよー、という話をしながら、1日製本教室で綴葉装の題簽を、中央に貼らずに線装と同じく端っこに貼り、最後の最後で「ぎゃ~~っ!」と叫んでいたのは、私です。
あの時、思い出したけどしなかった話を最後に書きました。研究って、敦煌まで出かけて実物を見たり、見せてくれねえと言うので「そこをなんとか写真だけでも」と交渉したり、ってのも込みです。また楽しからずや?
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「千字文」を聴く。91回め。
「春夜宴桃李園序」「五柳先生傳」を聴く。113回め。
「愛蓮説」を聴く。10回×1回(累計70回)。
「記承天夜遊」を聴く。10回×1回(累計90回)。
「陋室銘」を聴く。10回×1回(累計30回)。
「蘭亭集序」を聴く。5回×1回(累計80回)。