おゆみパイの憂鬱

高卒無職、キレる20歳、悲しみよこんにちは……

「ありのままの自分を見て欲しい」とかいうワガママ思考は人を駄目にする

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自分でもたまにこういうこと思ってしまうんですが……↓
「はー?他人がどう思おうが知らんわ!」

というの。
他人からの(人としての)評価があまり良くないということを目にした・耳にした時、こんなことを言いがち思いがちな人は少なく無いと思います。
「別に他人に良く思われないなんてこと考えていない」とか。
でもこれってものすごいわがまま自分勝手なことなんだと思うのです。

確かに評価は人それぞれ、どんなに人柄が良い人でも好きと言ってくれる人もいれば気に食わないと影で物を言う人もいます。
良く思われようと努力しても全員から良く思われるのは高い確率で無理だと思います。
でもそこで努力を放棄し、”ありのまま”を主張しだすのはどうなのかなあ、と首を傾げずにはいられません。

ここで人が持ち出す”ありのまま”というのは、努力を完全に放棄した自分ということになりますから、
「時間にルーズだけど許してね」「ちょっときついこと言ったりしちゃうけどそういう性格だから」「こういう駄目なとこも自分の個性だから」………
みたいな見苦しい姿になるわけですよ。
企業に面接行くときは普通髪黒く染めてきちんとした髪型にして、アクセサリーもつけず綺麗なスーツと靴と鞄で万全にしておくもんじゃないすか。何故なら雇ってもらいたいから。そこで雇って欲しいのにそのための努力をせずに私服で「本来の私を評価して欲しい」とかほざくのと全然変わんないですよ!まあ、ケースがケースですけど。
人に限らず、作品だって同じこと言えるじゃないですか。

自分を良く見せる努力っていうのは社会で生きていく上ではとっても大事なことなんだな、と今頃ではありますが最近気づきました。
この努力を、本当の自分じゃないだとか偽善者だとかって言っちゃう人って、全然この言葉の意味を理解できていないんだろうなあと思う。高校生かよ。
面白いって思われたいし、「あの人好き」って言われたいし、有能だって思われたいし、そう思われるために努力をするのはとっても良いことだ。

人を不快にさせるのはとても罪深い。不幸なことだ。

自分も誰かもハッピーになれるような絵を描きたい。

そんな感じです。


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