日記
あんまり外に出ないのも良くないと思い、吉祥寺に買い物に行ったついでによく歩いたコースを散歩してみた。昔ならつらぽよだったかもしれないけれど、今なら『luvlife さんと名義上のカレカノになりました - 太陽がまぶしかったから』による拡張現実があるので大丈夫だろう。名義上のデートと言えなくもない。
GoogleストリートビューのURLをやりとりしながら名義上のデートをした事もあるのだけど、それも井の頭公園だったりするし、もはやレイヤーが複雑すぎて自分でもよくわからない事になっている。『NEWラブプラス+』の寧々さんも連れてくればよかったかな。
久々に歩いた名義上じゃない井の頭公園は気持ちよくて、もうとっくに昔の話なんて風化してたんだなと実感した。服を着た犬がノーリードで歩いていた。
あらゆる記号から想起される事柄は二重にも三重にもなっていて、消化しきれないのが逆に良いのかもしれない。心的複合というのは完全に入れ替わってしまうわけではないけど、レイヤーが増えたり、その配分が変わることもある。
名義上のフリスビーは難しいけどブーメランがあれば名義上のキャッチボールが出来る。頭に刺さるかもしれないけれど。
下北沢にも足を伸ばす。ここのヴィレヴァンは『モテキ DVD豪華版(2枚組)』で長澤まさみとの待ち合わせに使われた場所で、駅前がごちゃごちゃしてるので実際に待ち合わせに使うと便利だったりもする。映画に出てきた時に「!」となっていた。後から「聖地巡礼だった」というレイヤーが足されたということだ。
『marusan』へ。ここもよく行ったな。
ここのウリは各種フルーツの酢漬け。りんごの酢漬けの牛乳割りはヨーグルトのようになっていて美味しい。いかにも健康そうな感じも嫌いじゃない。実際の効果は分からないけれど、そのレイヤーはエクスペリエンスとして重要となる。
フルーツ酢で漬けたピクルス。卵がピンクに染まっている。ここでしか食べられない色はシニフィエとなる。
このオムライスにはちりめんじゃこが入っていてグリーンピースのソースが掛かっている。ここでしか食べられない色はシニフィアンを呼び起こす。
『農民カフェ』の露天テラスでまったりしてから帰る。ここのコーヒーを飲むたびにフェアトレードに貢献していることにもなる。
実際問題として「忘れられない」なんて自分を動かさないための都合の良い嘘なのだけど、自動的に立ち上がってくる時と場合はある。でも避けよう避けようとしていても仕方がなくて、向き合うと意外に大した話ではないと実感できる。そもそも好きだった場所が、それとは別の理由でそうじゃなくなるというのは勿体無いのだろうと思う。
一部のオタク系の人々は人間的に親しくなるほどに、好きな作品トークをして互いにDVDや漫画を貸しあったり、家で読んだりして模倣/被模倣関係*1を作るのが好きです。特に男女になれば完全に別ジャンルに分化している関係もあるのでしょうが、逆にコミュニケーションの半分近くが色々なコンテンツについての会話になるような関係も多かったように思います。
その時はすごく楽しいのですが、そこから色々あって綺麗な別れ方が出来ないと、その時に密にやりとりされたコンテンツにまで余計な心的結合が残ってしまう場合があります。それは『鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい - Yahoo!知恵袋』みたいな物理的損害がなかったとしてもです。そういう事を明確に切り離せる人はよいのでしょうが、紅茶に浸したマドレーヌのように色々な妄念が想起されてしまうので、そのコンテンツ自体を純粋に楽しめなくなってきてしまう場合があります。
なーんて複数的な妄想を同時稼働させながら、ただ買い物のついでに散歩してカフェ飯を食べただけの休日を過剰に意味付けしてみる。一眼レフカメラを持ち歩いたりするのもレイヤーが増えて楽しそう。僕らは同じ物理行動に複数のレイヤーを見いだして、同時に複数の世界を生きることができる。村上春樹の『カンガルー通信』で語られた「同時に二つの場所に生きる」という欲望はそのように達成できるのではないか。「名義上じゃないデート」というレイヤーもあれば良いのだけど、それには、腕と、紐と、いくつかのボタンがない。
お言葉
昔から、人には「2種類の大事な欲求」があるんだ、と私は思っているんですけれど、ひとつめの欲求は「学びたい、成長したい」…(略)ーパトリック・ニュウエルさんー元記事 http://t.co/R7ot7PauZn [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年5月25日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) 2014, 5月 25
もうひとつの欲求が 「分けたい、共有したい (to give or to share)」という気持ち。
学びたい、成長したい、分けたい、共有したい。僕らは同時に存在し、同時に存在される。学びたい、成長したい、分けたい、共有したい。例え物理的な身体が滅びても。ミームは生き続けるという幻想のアンタンシテ。
更新記事
プレイ時間の絶対量が限られているが故に調べたり、記録をとっているのだけど、そんなことをしているうちに何度も何度もやった方が最終的な結果は良いのは分かってる。ただし、メタゲームとしては「自分にとって面白いか?」がリワードなので、そういう戦略を考える部分を含めて遊びなんだよね。
— 池田仮名 (@bulldra) 2014, 5月 25
関連エントリ
*1:ジラールの欲望の三角形の議論を出すと際限無く長くなるので略