「自己成長を考えなくなったことが成長」
29歳、グローバル企業社長の責任感と覚悟
靴とバッグの修理店「ミスターミニット」を展開するミニット・アジア・パシフィックの新社長に任命されたのは、28歳(当時)の迫俊亮氏だった。1957年にベルギーで創業を迎え、アジア6ヵ国・600店舗以上を抱える老舗グローバル企業は、なぜ彼に再建を託したのか。第1回では、社長就任を機に芽生えたリーダーとしての覚悟が語られる。全5回。
なぜ、マザーハウスからミスターミニットに転職したのか
――迫さんがミスターミニットで働き始めたきっかけを教えてください。
入社のきっかけは偶然でもありました。私の前職は、マザーハウスというベンチャー企業です。アメリカの大学は卒業が夏だったので、翌年春の就職まで半年ほど時間があり、それまでの期間、マザーハウスの立ち上げに関わっていました。その後、三菱商事に入社したものの半年で退職して、マザーハウスに戻っています。
いま考えても、マザーハウスは、ベンチャー企業として十分なスピードで成長していたと思います。ただ、私たちは、それよりもはるかに速いスピードで、はるかに大きい規模にするつもりでした。けっして、規模そのものにこだわっていたわけではありません。社会に対して「かっこいい、かわいいモノを買うことが社会貢献に繋がる」というオルタナティブ(代案)な消費選択肢を提供したいと思っていたからです。
オルタナティブを提供するためには、どうしても一定の規模が必要になります。日本のバッグ企業では、吉田カバンやサマンサタバサは数百億円の売上があります。バッグ企業として社会にオルタナティブを提供していると言うためには、最低でも100億円の売上が必要だ、5年で100億円の売上をつくりたいと思っていました。
しかし、現実には、その目標は達成できませんでした。「なぜうまくいかないんだろう」と考えたとき、そこには2つ可能性があると思います。1つは、そもそものビジネスモデルが間違っている可能性。もう1つは、ビジネスモデルは正しいけれど、自分たちのやり方が間違っている可能性です。私は後者、自分のやり方が適切ではないことが原因だと思ったんですね。
三菱商事での勤務はたった半年間だったので、私は、ビジネスの経験がほとんどない状態でマザーハウスに飛び込んでいます。働き始めて5年が経ったころは、もっとうまい事業の回し方、もっとプロフェッショナルな経営があるのではないかと悩んでいた時期でした。そんな話を投資ファンドで働く友人にしたところ、「投資ファンドは経営のプロだ。ファンドで働いてみれば?」と誘われて、とりあえず受けてみることにします。それが、ミスターミニットの株主であるユニゾン・キャピタルです。
運良くパートナー面接まで進みましたが、彼らもなんとなく気づいていたのかもしれません。こんなことを聞かれました。「君は投資家になりたいの?それとも、事業家になりたいの?」。そこで正直に「投資にはそれほど興味はありません。私は事業家になりたい」と言ったところ、「うちのポートフォリオ・カンパニーにミスターミニットという会社があるけど、興味はある?アジアでビジネスをやっていて、小売りにも近い。君の強みを活かせると思うけど」と言われて入社を決めました。
――長年働いたマザーハウスを去ることに、迷いはありませんでしたか。
正直に言えば、やっぱり迷いはありました。マザーハウスにはとてもお世話になっていましたし、自分は重要なポジションにいるという意識もありましたから。ただ、ここでチャレンジしないと後悔する、という気持ちが勝りました。三菱商事を辞めるときも不安はありましたよ。「これから大丈夫かな」「給料はこれだけしかもらえないけど、やっていけるかな」と。でも、やらずに後悔するのはイヤだ、やって頑張ればどうにかなるとも思っていました。
退職の決意を固めて、マザーハウスの山口(代表取締役社長・山口絵理子氏)と山崎(副社長・山崎大祐氏)にそれを告げたときは、「残念だ」と言われましたが、同時に、「それが本当にやりたいことであれば応援する。その代わり、頑張れ」と快く送り出してくれました。彼らとはいまも定期的に連絡を取っていますし、今回の社長就任をとても喜んでくれています。
- 第1回 「自己成長を考えなくなったことが成長」 29歳、グローバル企業社長の責任感と覚悟 (2014.05.26)