日本演劇界ではもはや伝説的存在の女優、桃井かおり(62歳)。海外においては『SAYURI』やクエンティン・タランティーノと共演した『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』で馴染みがあると思われる。独立心旺盛で、自ら出演作を吟味選択するこの大女優は、過去半世紀にわたり日本の名だたる映画監督のほとんどと仕事をし、まさに威風堂々とした風格を持つ。
今回BLOUIN ARTINFOジャパンでは、日本映画界の現状について桃井かおりにインタビューを行なった。彼女は「BITCH」(あばずれ、嫌な女を意味する)と大文字で大きく書かれたジャケットを羽織り、ホテルのスイートルームに現われた。しかし実際の彼女はとても落ち着いており、快くインタビューに応じてくれた。そしてハリウッドに挑戦するわけでもなく日本で逼塞している日本人俳優への憂慮を露わにし、予定の時間を過ぎるほど熱心に話してくれた。
女優としてのデビューは1970年代前半ですよね。その頃の日本映画はどんな感じだったのでしょうか?
日本で封切になったときのタイトルが『ひとりぼっちの青春(“They Shoot Horses, Don't They?”)』(1969年)という映画を見て、演技って面白いなと思いました。それが俳優になるきっかけになりました。文学座で勉強したことは、あまり役に立たなかったです。単に「学校」ですから。神代辰巳監督(1974年『青春の蹉跌』に出演)、黒澤明、今村昌平、あと若い監督では三池崇史と仕事をすることで、俳優としての精神が作られた感じですね。
ご家族はそのことに反対していたと聞いていますが。
内緒にしていました。うちの父は軍事評論家をやっていてすごく堅物でしたし、母も私が女優をやっていると知ったときには、美容院で週刊誌を見てわかったみたいなのですが、その場で気絶してしまったというくらいですからね。その父も亡くなって、母もずいぶん年を取りましたのでもう大丈夫ですけど。
私も4月で62なのですが、人生の第二回戦に入るようなそういう年頃なので今までの半分を生きるとしても、これから俳優をもっと面白くやっていきたいなと考えています。映画祭の審査員をやるのもその一環ですし、作る方にまわって監督をやってみたりとか、芝居の作り方を違う角度からやり始めています。あとフェスティバルに呼ばれるようになって、そこで賞を取ったような監督と仕事をするようになって、今もイギリスの監督とラトビアの監督と仕事をしています。そういうインディーズの映画に関わると映画祭がいかに大切か、映画祭でノミネートされることでいかに映画の運命が変わっていくか、すごく痛感します。なので、私自身は映画祭の重要性、映画祭で賞をもらうことのメリットをまさによく知っている人間だと思います。
メキシコの映画にも出ると聞きましたが?
はい。劇場長編映画で、私の次の出演作です。全編セリフがスペイン語で大変です。あんまりしゃべっちゃいけないんだけど、言える範囲だと、中国人の纏足しているおばあさんの役です。『ルーム』というタイトルの映画で、いくつかの時代のその部屋の住人たちのお話です。私の役は、メキシコ人とアジア人の結婚が認められていない頃にメキシコ人と結婚した中国人女性で未亡人です。私と私の娘役との二人芝居になります。非常にシリアスで悲劇的な話です。
今年の日本アカデミー賞の映画はどれもあまりぱっとしませんでしたが、日本映画界の現状をどのように思われますか?
日本では今、マンガ文化がすごく強いですよね。マンガくらいしか成長分野がないというくらいに。映画ももう原作は全部マンガです。若い人たちはマンガくらいしか読まないし、文学とか全然読まない訳です。そうやってマンガだけを読んで育った人が見る側もほとんどなので、ものすごく子供っぽくなっている感じはします。一方でとにかく予算が出ないです。日本の映画の悲しいところは、中国にも韓国にもインドにも売れないということです。日本国内だけの販売なので、例えば1億円レベルの映画を作ると元は絶対取れません。もう500万とか2千万くらいで撮るしかないのです。インディーズの若手に奥秀太郎という心ある良い監督がいますが、彼なんかも500万とかで撮っていると言っていました。
また、最近では俳優ではない人、あるいは演技の経験が全くない人を配役する傾向が強いですね。それは問題だと思いますか?
確かにそうですが、演技を教える方法がここは余所と比べて全然違います。日本では、演技の勉強をすれば結局一様に同じ芝居をするようになってしまいます。 泣くといえば皆同じように泣くし、怒るというと同じにようしか怒りません。欧米の俳優たちは何度でもやるたびに違うように演じることができますし、やるたびに面白みが出せます。演劇の勉強の仕方が、とにかく全然違っているのです。彼らは戯曲を書くことも学ぶし、演出サイドから自分を見ることも勉強してい ます。役作りでも上辺だけではなくて、なぜそういうことを言うような人間になったのかということを掘り下げる訓練を非常によくやっています。日本ではそうじゃないので、日本の演劇の勉強ならしない方がいいと思います。
それと結局素人がやってもいいような、そういう映画を撮っているんですね。ですから日本の場合勉強していることがいいように出てこなくて、逆に変な風になってしまいます。素材としては全く演技の勉強をしていない、あるいは経験のない人のほうが使いやすく、逆に自然に撮れたり印象を残せたりするので可能性が大きいですね。俳優にそれまで習った退屈な芝居をやめさせて、 新しいことをさせるのは本当に大変なことだから、この状況はしょうがないと思います。で、人気がなくなったら、どんどん取り替えるという感じですね。それが日本の現状で、まあしょうがないんじゃないでしょうか。残る人は残っていくだろうし。
もうどんどん映画館そのものがなくなっていっていますし、フィルムそのものもほとんど存在してないですよね。どんどん時代が変わってデジタルで撮るので、映画を撮るカメラといっても小さいものになっています。カメラ自体も安いですし。そうなってくるともう俳優というのも必要なくなって、誰でも映画監督になって皆が一人で映画撮るような時代になっていくんじゃないでしょうか。そうなったらそうなったで、またとんがったいい作品が出てくるんじゃないかと期待はしています。
そのことで、つまりより多くの人が監督することが可能になったことで、国際的に見て日本は実際には一歩抜きんでていると思いますか?
日本の場合、本当に海外での販売を視野に入れるような、そういう会社がないですからそれが根本的な問題です。旧態然とした状況がずっと続いていますので。でも音楽業界が変わってきたように、映画も新しい方法を見つけられるかもしれません。そうなると大きく化ける可能性はあると思います。
女優としてのキャリアを拝見すると、非常に独立心旺盛なところが見受けられます。しかし、日本では所属事務所が全てを取り仕切るので、俳優が自ら出演作を選ぶことはほとんどないですよね。そのことが役者の成長にどういう影響を与えているでしょうか?
私にはマネージャーはいません。でも普通日本ではマネージャーが仕事を決めます。プロダクションがその所属の俳優を育てていくという、そういう芸者システム が根強いからでしょうね。何もかもお膳立てされていて何も考える必要はないですし、さらにいうなら臨機応変に対応することなど不可能です。アメリカなんかとは全然違いますね。アメリカでは特にテレビの場合、脚本が毎日変わります。日本だと渡された脚本がなんとすでに綴じられていてどこかが変わることがほとんどないですけど、アメリカだと色違いになった新しい脚本ページがどんどん来ます。
『ヘルタースケルター』では、今芸能界でお騒がせ女優として有名な沢尻エリカと共演なさっています。彼女は事務所に反抗的なことで知られており、出演作を自分で決めるそうですが、彼女のそういうやり方には賛成ですか?
彼女がそういう存在であることはとても面白いし、いいことだと思います。でも結局のところ、一番大事なのは芝居の内容です。その内容がよくないと、そういう存在であるということは単なるキワモノになります。もっと芝居がよければもしかしたら革命的なことを起こせるかもしれないですけど、あの程度じゃ革命にはならないです、はっきり言って。真の役者だったら、私は何も気になりません。彼女が何をしようとどうでもいいです。何か新しいこと、人が考え付かなかったことをやるのであれば芝居がものすごく優れていないと受け付けられません。そうじゃないと例えばめちゃくちゃクレイジーなことをやれば、いい俳優だということになってしまいます。芝居がよければそれでいいのですが。ま、彼女はまともに挨拶もしないし、面倒くさかったですね。なんか「bitch」(嫌な女)でした(笑)。
この数年というものロサンゼルスにお住まいですが、日本の俳優がハリウッドで成功するためにはどうすればいいと思いますか?
役の作り方ですかね、やっぱり。キャスティング担当の人たちが口を揃えて言うのは、日本人俳優はみんな同じ芝居をする。どの女優さんもみんな、泣くというと同じ泣き方。このセリフを言ってくださいと言われると、みんな同じ言い方。そういう演劇法しか知らないからなんですね。だから演劇法というか芝居を完全に変えなきゃなだめなんじゃないでしょうか。それと自分の意見を言わないで笑っているだけでしょ。日本はいい子が好きだけど、言い返したりしないで控えめな女の子が好まれるけど、それって普通におかしいでしょ。それも変えないとだめですね。
黒木メイサは 舞台での芝居経験が豊富なので、根性入れてやればアメリカでもいけるかもしれないです。私、以前に上海で一本映画撮って2、3ヶ月彼女と一緒だったときに、すごい根性あるなと思って、アメリカでやるのを私からも勧めたりはしましたね。日本人の女優でそういう根性がある人はほとんどいないですし。そこそこでも日本国内でやっていけるので必要ないんですね。
ただ彼女の場合、日本人的なルックスではないのでアジア人としてのキャスティングが難しいです。同じくらいのセクシーな目つきでダークな肌の綺麗な女優なら、それこそ掃いて捨てるほどいます。
日本の女優はなかなか思い切ったことができないです。チャン・ツィイーとかすごいですからね。がんがんきますし。『SAYURI』(2005年)では、すごく可憐で純真そうな役を演じていて、なかなかよかったですが、実際の彼女はすごいガッツあふれる根性の持ち主です。
真田広之はどんどん飛び込んで行って本当にがんばっています。彼くらいでしょうか。英語もかなり流暢だし、ちゃんと監督たちとも付き合って俳優の仕事をこなしています。