いまの貨幣では、いずれ戦争が起きてしまう!?――今回、高校生のための教養入門でお話を伺ったのは、「インターネットと社会」について研究をする斉藤賢爾氏。インターネットは、産業革命以前の世界にひっくり返す力がある。そしてそのファイナルフロンティアは貨幣だ、と語る斉藤氏に、インターネットによるイノベーションの可能性などお話を伺った(聞き手・構成/金子昂)
世界を変えるインダストリアルツール
―― インターネットと社会、とくにインターネットと貨幣の関係について研究されている斉藤先生ですが、ご専門は何になるのでしょうか?
専門ですか……計算機科学、つまり「コンピュータサイエンス」のことをやっているんですけど、簡単に説明することができません(笑)。博士号は慶應義塾大学の大学院政策・メディア研究科で取得しています。だから専門は「政策・メディア」ですね。でも、これじゃなんのことかさっぱりわからないですよね。ちょっとだけ遠回りしてお話します。
バックミンスター・フラーという、数々の偉大な発明をした工学者は「この世界にはインダストリアルツールという道具がある」と言っています。インダストリアルツールとは、「作るために複数の人が必要になる道具」のことです。現代の道具はすべてインダストリアルツールと言っても過言ではないですね。パソコンもカメラも、あらゆるものが、いろいろな人が携わってできている。意外なところでは言葉もそうですよね。相手がいるからこそ道具として意味があります。
複数の人が協働しながら作るということは、必ずガバナンス(秩序の形成とその維持)が必要になります。「政策・メディア」の「政策」の部分はこのことを言っています。それではもう一方の「メディア」はなにかというと、「人間を拡張してくれる道具」のこと。メガネとか、あるいはやはり言葉はそうですね。人間ができることを拡張してくれるものです。
まとめると、私は「メディア」という道具の中でも、必ず「ガバナンス(政策)」とセットで考えなければならない「インダストリアルツール」についての専門家で、特にコンピュータやインターネットについて研究しているんです。
この分野の研究者は世界を変える力をもっています。例えば私が研究しているコンピュータやインターネットは社会と直結していますから、私が新しい技術を世に送り出して多くの人に利用してもらえたら、それだけで世界が少し変わる。社会と関係ないところで研究していてもあまり面白くないような気がする人には、ぴったりだと思います。
ミーハー心で研究者に?
―― 斉藤先生のご年齢だと、おそらくコンピュータが使えるようになったのは大学生になってからだと思います。なぜこの分野を研究したいと思ったのでしょうか?
それには、めちゃくちゃな経緯があるんです。まず、私はとてもミーハーだ、ということを覚えておいてください(笑)。
高校生のときは理系の勉強をしていました。物理学の本を読むのが好きだったんですけど、あるとき仏教やヒンドゥー教の本を読んでいたら「物理学と同じようなことを言っている!」と驚いて、そのまま東洋大学の文学部インド哲学科に入っちゃったんですよ。あとになって勘違いだったと気が付きましたが(笑)。ただ、そこで学んだことはやっぱり糧になってるんです。
大学に入学したころに、少しずつコンピュータが普及し始めます。とはいえ、いま皆さんが使っているようなパソコンとは違うものですね。当時は、ポケットコンピュータというコンピュータをいじっていました。高校生は知らないですよね(笑)。すごく性能の高い電卓だと思ってください。そこでプログラミングを覚えて、音楽を作っていました。
そのあとに入手したMSX2という8ビットのコンピュータでも、やはり音楽を作っていました。MSX2は、主にゲームなどに用いられていた安価な8ビットパソコンで、いろんな家電メーカーが互換性のあるハードウェアを出していたのですが、私はヤマハから出ていたMSX2を買ったんです。音楽が好きだったんですよ。でもおそらく音楽よりは、プログラミングの方に才能があったんだと思います。それがきっかけになって、コンピュータのことを独学で覚えていったんです。
大学卒業後は、日立ソフトウェアエンジニアリング(現・日立ソリューションズ)に就職し、日立製作所に出向して働いていました。なにしろ日立ですから、当時すでにインターネットの環境は整っていたんですね。でも、私がいた「ソフトウェア工場」では、メールを送るために、インターネットに接続できるパソコンが唯一置いてある別の棟までわざわざ渡り廊下を歩いて行っていました(笑)。
―― いまじゃ歩きながらだってメールできるのに(笑)
そう、すごい進歩ですね(笑)。そのあと会社のお金を使ってコーネル大学に留学しました。コーネル大学には、NASAにおける惑星探査の指導者だったカール・セーガンがいたんですよ。行けば会えるかな、と思って(笑)。亡くなる前に、特別講義を一番前の列に座って聴くことができました。むしろあとになって、コーネル大学はインターネットの理論的な背景に当たる「分散システム」に関する最先端の研究をしていると知ったんです。そこでは工学修士号をとりました。
そのあと会社を辞めちゃいました。ミュージシャンになろうと思ったんです。
―― えっ!?
留学を終えて日本に帰ってきた翌々年頃に、坂本龍一さんのラジオ番組にハマっちゃったんですよ。坂本さんから出された音の切れ端を、リスナーがそれぞれ音楽にするというコーナーがあって、熱中して常連になっちゃうんです。たびたび取り上げられるようにもなって、ミュージシャンになろう、って(笑)。それで会社を辞めたんです。
それからも何らかの形でコンピュータ事業には関わっていたのですが、あるとき自分の授業をインターネットに公開していた村井純という先生に出会います。彼は、日本におけるインターネットの父とも呼ばれていて、世界的にも有名な方です。みなさんの使っているメールアドレスには、最後に「.jp」というのが付いているのが多いと思いますが、あんな風に「国を表すコードは2文字にする」と決めたのが村井さんです。その頃は、ちょうど World Wide Web が流行りだした頃で、私もインターネットについては「いいかげん真面目に勉強しないと……」と思って、授業中に出された課題を村井さんに送っていたんです。そしたら私のことを気にいってくれたんですね。
実は当時、坂本龍一さんのコンサートがよくネット中継されていたんですけど、それを担当していたのも村井さんでした。ということは、村井さんの研究室に入れば、坂本さんに会えるかもしれません。村井さんに、博士課程に入るから研究室に入れて欲しいとお願いしました(笑)。
―― やっぱりミーハーなんですね(笑)
どこまでもミーハーなんです(笑)。
村井さんに初めて実際に会う前に、「何を研究するか考えてこい」と言われて、いくつか考えたうちのひとつが「インターネットで貨幣は変わる」だったんですね。ようやく先ほどの質問にお答えできました。
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