朝日が2005年に受賞した新聞協会賞「紀宮さま、婚約内定」と比べると様変わりだ。「紀宮さま、婚約内定」はエンタープライズスクープと正反対の「エゴスクープ(自己満スクープ)」と定義できるからだ。
エゴスクープはローゼン氏の造語だ。少し長くなるが、同氏はこう定義している。
〈 エゴスクープの特徴は放っておいてもいずれ明らかになる点。何もしなくても発表されるニュースであるにもかかわらず、それを誰よりも早く報じようとしてしのぎを削っている記者がいる。読者の立場からすれば、誰が初報を放ったのかはどうでもいい話であり、こんなスクープの価値はゼロである。
でも、この種のスクープを放った記者に対して「こんなスクープは実質的に無意味だ」と言ったら猛反発されるだろう。(中略)エゴスクープを放って喜んでいる記者は、報道界という狭い内輪の世界で競争しているにすぎない。公益とはまったく関係ない世界に身を置き、自己満足しているだけだ。 〉
確かに「紀宮さま、婚約内定」は国民的なニュースだ。だが、それを朝日が一日早く報じようが、各紙が同着で報じようが、そのこと自体は読者にとってどうでもいいことだ。にもかかわらず「日本版ピュリツァー賞」の新聞協会賞を受賞するほど高く評価される背景には、報道界の自己満足があるというわけだ。
エゴスクープは発表報道の延長線上にある。いずれ発表されるニュースを先取りしているにすぎないからだ。この意味でエゴスクープは「発表報道版スクープ」ともいえよう。過去の新聞協会賞受賞作には、巨大銀行の合併ニュースなどエゴスクープ的な特ダネが多い。
ちなみに、ローゼン氏はスクープには4形態あるとし、エンタープライズスクープは第1形態、エゴスクープは第2形態に分類している(第3形態は一部の業者だけ利する「トレーダーズスクープ」、第4形態は知的な発見である「ソートスクープ」。
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