Monday, December 17, 2012

BOXER'S GALLARY

愛すべきボクサーたちの写真館

Counter

  

このコーナーは今までに出会ったいろいろなボクサーや

その関係者たちとのメモリーです。

皆さんはこの中の何人のボクサーを知っているかなぁ?


6 1人目は元東洋大平洋ミドル級8位の小松学選手とのツーショット

2012年12月17日 佐倉市鏑木町 麺屋「ぱんどら」にて

東洋太平洋ミドル級8位(ワタナベジム)の小松学選手が
ボクシングを引退してから始めたラーメン屋「ぱんどら」。

なんと地元の佐倉にあることを最近まで知らなかった自分に今更ながら驚いてます。 そして今日その「ぱんどら」にラーメンを食べに行ってきました。 店を入って、あっ、小松選手だとすぐわかりました。

声を掛けて話を始めたらボクシング談義に花が咲き過ぎて、

最後にはお互い立ち上がってシャドーをしながら、 この間やったマニー・パッキャオvsファン・マニュエル・マルケス戦の

KOシーンを再現してました(^^ゞ。 

お近くに来た時にはぜひ寄ってみてください。


60人目は元スーパー・フェザー級の高木貴広選手とのツーショット

2010年11月22日 自宅前にて

高木選手は以前八街にあった「シャイアン長谷川ジム」に所属していて、

元やくざの入墨ボクサーで人気があった大嶋宏成選手などと

一緒に汗を流していたそうです。

そして縁あって現在、

我が家を造ってくれた「ウエルカムホーム」にいるという、

なんとも偶然な関係です。あだ名はタイソン!

ちなみに後ろに写っている方は

元アイスホッケーの名選手?で

「ウエルカムホーム」の重鎮チャーリーです。


59人目は初のキックボクサーとのツーショット

2009年11月13日 自宅にて

元フェザー級プロ・キックボクサーで今はガーデンデザイナーの宍倉新吾選手。

デザイナー名は羽生田新吾。

自宅の玄関回りや外構をデザインして頂きました。

なんとこの世界では日本一のデザイナーだそうです。

歴代私とツーショットした選手は世界チャンピオンになる確率が高い(結構自慢!!)ので、

ぜひ世界一目指して頑張ってもらいたいです。


Baby Maru 産まれて初めてのボクサーとのツーショットは

1992年のバルセロナ・オリンピック・ボクシング日本代表、我らが土橋会長です。

まだ産まれて5ヶ月、Baby Qooに続き なんて幸運な娘たちでしょう。

これからもいろんな素敵なボクサーと写真撮ろうね。

2008年8月23日 土橋ボクシングジムにて


2003年以来のツーショット、湘南RYUJUジムの柳光和博会長。

2008年6月12日 日本武道館にて

元東洋大平洋スーパー・フライ級チャンピオン、柳光和博氏。

今はワタナベジムから独立して湘南でジムの会長をしているそうです。

今日はジムの選手のデビュー戦で来ていました。


58人目はウエルター級の新鋭、八王子中屋ジムのチャールズ・べラミー選手。

2007年8月18日 後楽園ホールにて

この日、日本ウエルター級5位の上石選手に判定勝ちしたべラミー選手。

確実にランキングに入ってくるだろうし、新井くんのライバルになってくるでしょう。


57人目は日本スーパーフライ級チャンピオン、ワタナベジムの河野公平選手。

2007年8月18日 後楽園ホールにて

湯場選手の応援に来ていた河野選手と帰りにエレベーターでいっしょになり、

後楽園ホールの1階で写真を撮ってもらいました。

シャッターを押してくれたのは、同じワタナベジムの加山利治氏。


日本スーパー・ウエルター級6位、エイティーン古河ジムの新井雅人選手、我が家に来る。

うぴぴの手作りのタコライスとピザでおもてなし! 

デザートはチーズケーキ、かぼちゃのタルト、アップルパイと盛り沢山!

そして新井くんと初めて対面したBaby Qoo.....

実は彼女、ただいま人見知り中で初めは大泣きしていましたが、

だんだん打ち解けて何とかツーショットを撮ることができました。

新井くんはまだこの間の試合の傷が痛々しいよ。

2006年9月21日 自宅にて

我が家で昼ごはんをたらふく食べてから一路土橋ジムへ。

しばし土橋会長と新井くんとボクシング談義に花を咲かせてみんなで撮影!

Baby Qooは10ヶ月にして二人のボクサーをノックアウトしてました。

2006年9月21日 土橋ボクシングジムにて


現在日本スーパー・ウエルター級6位、エイティーン古河ジムの新井雅人選手。

この日の新井くんの相手は日本ウエルター級9位、相模原ヨネクラジムのルイス・オカモト選手。

階級はひとつ下だが初めての日本ランカー対決!

試合はルイス選手が低い体勢から前に出て来たのでバッティングが多く、

新井くんは両目尻を切り8ラウンド途中でドクターストップ。

結果は8ラウンドまでの採点で引き分け。なんとも悔しい終わり方でした。

新井くんは右目の上を6針縫ったそうです。ゆっくり治せよ。

試合後に土橋ジムの早川氏と3人で!

2006年9月9日 後楽園ホールにて


56人目はWBA世界スーパーバンタム級2位、帝拳ジムの西岡利晃選手。

2006年9月9日 後楽園ホールにて

元WBC世界バンタム級チャンピオンのウイラポンと4回も死闘をくり返したスピードスターの西岡選手。

対ウイラポン戦4戦2敗2分けと勝つことはできなかったが、1階級上げて世界を目指している。


55人目は元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン、セレスジムのセレス小林会長。

2006年9月9日 後楽園ホール横の展示場にて

この日は試合前の15:00から後楽園ホール横の展示場で       

元WBA世界スーパー・フライ級チャンピオンのセレス小林氏の講演会があり、

      それに出席しました。題は「何にでも通用するメンタル・タフネス」。          

             講演後にセレス小林会長と三谷大和会長によるミット打ちの実技が行われました。                    


Baby Qoo産まれて初めてのボクサーとのツーショットは

1992年のバルセロナ・オリンピック・ボクシング日本代表、我らが土橋会長です。

まだ産まれて4ヶ月しか経ってないのに、なんて幸運な娘でしょう。

これからもいろんな素敵なボクサーと写真撮ろうね。

2006年3月17日 土橋ボクシングジムにて


御存じエイティーン古河ジムの元東洋大平洋スーパー・フェザー級チャンピオン、長嶋健吾選手。

いつも後輩の新井くんの試合の時はリングサイドからゲキを飛ばして励ましています。

2006年3月11日 後楽園ホールにて


現在日本スーパー・ウエルター級7位、エイティーン古河ジムの新井雅人選手。

この日新井くんは久々の日本人との対戦に気合いが入っていました。

試合は狙いすぎてKOはできなかったがみごと3ー0の判定で勝利。

初めて8ラウンドの長丁場を体験した新井くんは

「もう少しスタミナつけないとなぁ」と言ってました。

今日の試合の時も雅人(みやびんちゅ)Tシャツを着て入場してくれました。

試合後にホール入口前でツーショット!

2006年3月11日 後楽園ホールにて


54人目は元WBA,WBC世界ミニマム級チャンピオン、大橋ジムの大橋秀行会長。

2006年3月11日 後楽園ホールにて

御存じ元WBC世界スーパー・フライ級チャンピオン川嶋勝重選手が所属しているジムの会長です。


この日は試合前の15:00から後楽園ホール横の展示場で       

元WBA世界スーパー・フライ級チャンピオンの飯田覚士氏の講演会があり、

それに出席しました。題は「自分の夢にかける」。          

講演の途中で本日メインの福島学選手のJBスポーツジムの会長で   

元日本バンタム級、スーパー・バンタム級チャンピオンの高橋直人会長や  

まんが「はじめの一歩」の作者でJBスポーツジムのオーナーの森川ジョージ氏も

 あいさつに来てくれました。 そして講演の後は長嶋清会長と長嶋健吾選手による

  ミット打ちの実技が行われました。                    

 

  

帰り際に飯田会長とツーショット!

初めての試みの講演会が成功だったせいもありますが、

満面のこの笑顔。撮ってくれたのは今日の進行役の原功氏

2006年3月11日 後楽園ホール横の展示場にて


この日は関東地方全域で記録的な大雪。にもかかわらず会場は超満員!

そして新井くんが日本ランキングに入って初めての試合。

タイのオンガード・ツインズジムを2ラウンド0:56にTKOで勝利。

得意の右フックが決まり派手なノックアウト!会場がどよめきました。

ちなみに今日の試合の時、俺たちがプレゼントした

雅人(みやびんちゅ)Tシャツを着て入場してくれました。感動です!

試合後に西側の通路でツーショット! 

2006年1月21日 後楽園ホールにて


53人目は日本スーパー・フェザー級チャンピオン、角海老宝石ジムの小堀佑介選手。

2006年1月21日 後楽園ホールにて

右側にいてお菓子食べてるのが

一週間前に石川ジムの真鍋をKOで破りチャンピオンになった小堀選手です。


52人目は元日本スーパー・バンタム級チャンピオン、角海老宝石ジムの中島吉謙選手。

2006年1月21日 後楽園ホールにて

この日は角海老の選手が多数出場。応援に駆け付けてた中島選手が後ろの席に。

思わずサインと写真を撮ってもらいました。

ちなみに右側にいるのは一般の人ではなく、

つい一週間前にチャンピオンになった小堀佑介選手です。


51人目は角海老宝石ジムのトレーナー、フセイン・シャー氏。

2006年1月21日 後楽園ホールにて

パキスタン史上初のオリンピック銅メダリスト。

(1988年ソウルオリンピックボクシングミドル級)

坂本博之選手のトレーニングパートナーを担当。

『ヘイ!ベイビー!』と誰にでもフレンドりー。


50人目は現WBC世界ミニマム級チャンピオン、角海老宝石ジムのイーグル京和選手。

2006年1月21日 後楽園ホールにて

この日会場の入口ではWBC世界ミニマム級チャンピオン、角海老宝石ジムのイーグル京和選手が

STOP AIDSの募金活動をしていたので写真を撮ってもらい、

角海老ジムのTシャツにもサインしてもらいました。

初めて間近でWBCのベルトを見れてメチャクチャ感動しました。

上の写真は「ボクシングマガジン」の2007年6月号に掲載されました。


49人目は俳優の松田優さん。

2005年7月24日 総和町体育館にて

昔、TVドラマ「家なき子」でけいた兄役で人気があり、

今はVシネマ中心に活躍中です。ボクサーじゃないじゃんっと思ったら

なんとミドル級のC級ライセンスを持っているそうです。すごーい!


この日は地元で5ラウンド1分26秒 KOで勝った新井くんと記念撮影。

    対戦相手は現フィリピン国内1位のレックス・マルサン。

2005年7月24日 総和町体育館にて

試合後、先輩の長嶋健吾選手が「今日の勝利は大きいよ。」と言っていた。

そしてその後、長嶋選手の言葉の意味がわかる出来事が........

8月18日付けのJBC発表の日本ランキングで

新井くんは日本スーパー・ウエルター級の9位にランクされたのです。

おめでとう! でもこれからが勝負だぞ、新井くん頑張れ!!


48人目は現東洋大平洋と日本のスーパー・ウエルター級チャンピオン、ヨネクラジムのクレイジー・キム選手。

2005年5月21日 後楽園ホールにて

めちゃくちゃ酔っぱらってたにもかかわらず、サイン書いてもらったんだけど、

(殺)すを(投)げるって書いてました。でもとっても明るくて楽しい人です。

けっして恐くないですよ−!.......

上の写真は「ボクシングマガジン」の2006年11月号に掲載されました。


47人目は東洋大平洋ライト級チャンピオン、帝拳ジムの稲田千賢選手。

2005年4月16日 日本武道館にて

この間のOPBFのタイトルマッチでの額の傷がまだ痛々しかったなぁ。

けっこう照れ屋で人があまりいない所まで連れて行かれて撮りました。


46人目はあのマルコ・アントニオ・バレラのトレーナーであり、帝拳ジムのトレーナーでもある、田中繊大さん。

2005年4月16日 日本武道館にて

田中さんは宮城県出身の元プロ選手で、メキシコに渡り、

フェザー級の実力ナンバーワン、マルコ・アントニオ・バレラのチーム・スタッフに抜擢された。

特にミット打ちの巧みさですっかりバレラの信頼を得ている。

ちなみにシャッターを押してくれたのは、粟生選手です。


45人目は日本フェザー級10位、帝拳ジムの粟生隆寛選手。

2005年4月16日 日本武道館にて

今話題のルーキー、史上初の高校6冠。習志野高校ボクシング部出身。

いっしょに写っているのはWBC世界スーパー・バンタム級7位のホルへ・リナレス選手。

そしてシャッターを押してくれたのは、なんと田中繊大さん。

近くにいた原功氏が一言「ずいぶん豪華だねぇー!」ってさ。すごいね。

右上の写真は「ボクシングマガジン」の2006年7月号に掲載されました。


44人目は日本が誇る世界的なレフェリーで去年いっぱいで勇退した森田健さん。

2005年4月16日 日本武道館にて

 

レフェリー回数約1万試合、ジャッジを含めると3万試合もの試合に関わってきた名レフェリー。

レフェリー前は現役選手として活躍。あのファイティング原田とも対戦。

1964年、東京オリンピックの年にレフェリーへ。

世界戦も約100試合を裁くなど正に日本のみならず世界の名レフェリーだった。

引退の理由は「年」。森田氏はこう話す、

「反省はします。ただ試合には常に集中して自信を持って臨んできた。だから失敗はありません」


エイティーン古河ジムの元東洋大平洋スーパー・フェザー級チャンピオン、長嶋健吾選手。

2005年4月16日 日本武道館にて

御存じ新井くんのジムの先輩です。今日は新井くんを探してもらったり、

いろいろお世話になりました。ありがとう。             

うぴぴは長嶋選手の携帯で新井くんとお話ししてました。       

   あと帰りに、な.な.なんと、またしてもスタッフカードを貰ってしまいました。

しかも2つ。長嶋会長と新井くんのヤツ。 これで4つ目です。  

           


43人目は石丸ジムの去年のバンタム級の全日本新人王 、前之園啓史選手。

2005年3月1日 後楽園ホールにて

 

この日は同じ石丸ジムの選手のデビュー戦で応援に来てました。


42人目は協栄ジムのWBA世界フライ級4位、坂田健史選手。

2005年2月21日 後楽園ホールにて

昨年の6月4日にWBA世界フライ級タイトルマッチでチャンピオンの

    ロレンソ・パーラーにアゴを割られたにもかかわらず、ナイスファイトでした。

あれはどう観ても勝ってました。再戦期待しています。       


リングアナウンサー冨樫光明さん。2回目のツーショット。


41人目は東日本新人王、元日本ウエルター級3位 土橋ジムの須田敏弘トレーナー。

2005年2月16日 土橋ボクシングジムにて

着ているのは須田さんの考案したウワサ?の殴人Tシャツです。


40人目はリングアナウンサー冨樫光明さん。

世界戦など数多くこなしているおなじみのリングアナです。


そしてこの日は地元でまたも1ラウンドKOで勝った新井くんと記念撮影。

2004年11月7日 古河市立体育館にて

    対戦相手は初の外国人ボクサーで元フィリピン国内チャンピオンのタダ・レガツナ。


2004年11月19日 土橋ボクシングジムにて

  本日は我らの新井雅人選手の21歳の誕生日。実は土橋会長も今日が誕生日。

ダブルおめでとうということで、写メールを撮って新井くんに送りました。


39人目はレフェリーの鮫島英一郎氏。

2004年9月20日 横浜文化体育館にて

声を掛けたら驚いていて「写真に杭とか刺さないでくださいよ。」だって。


38人目は花形ジムのWBA世界スーパー・バンタム級8位、木村章司選手。

2004年9月20日 横浜文化体育館にて

 

日本屈指のアウトボクサーでディフェンスの優れた世界を狙える逸材です。

右上の写真は「ボクシングマガジン」の2005年1月号に掲載されました。


37人目は元WBA世界スーパー・ライト級チャンピオン、平仲明信会長。

2004年9月20日 横浜文化体育館にて

あのアンディー・フグは会長のプログラムで強くなりました。


36人目は千里馬神戸ジムの東洋大平洋バンタム級チャンピオン、長谷川穂積選手。

2004年9月20日 横浜文化体育館にて

声をかけたら隣にいたトレーナーさんが「関東の方ですか? 長谷川のこと知ってるんですか?」と。

「もちろんですよ!10月30日頑張ってくださいね。」と答えると喜んでくれて、         

照れながら写真も撮ってくれました。世界に向けて頑張ってください!              

この後うぴぴが長谷川選手にファンレターを送ったのですが、な、な、なんと返事が来たのです。

これからも応援お願いしますとのこと。                            

もうウイラポンとの世界戦が決まったら、大阪でも神戸でも行きますよ。             

左上の写真は「ボクシングマガジン」の2004年12月号に掲載されました。

そして翌2005年4月16日のWBC世界バンタム級タイトルマッチで         

チャンピオンのウイラポン・ナコンルアンプロモーションを3ー0の判定で下し、    

見事世界チャンピオンになりました。感動です!                   

  もちろん会場の日本武道館に駆けつけて応援していたので、              

勝利の瞬間は鳥肌が立ち涙が止まりませんでした。あのウイラポンに勝って       

王者になった、その瞬間に立ち会えて本当に誇りに思います。             

長谷川選手ありがとう! ナイスファイトでした。                  


35人目は有名な元WBA世界スーパー・ウエルター級チャンピオン、輪島功一会長。

2004年9月20日 横浜文化体育館にて

 

恐そうなイメージだったので今まで近づけなかったけど、話しをしてみるととっても気さくでいいおじさんです。

なんかいつも酔っぱらってるみたいだけど、サインを書いてもらったら超達筆!               


34人目はエディー・タウンゼントジムの村田英次郎会長。

2004年9月20日 横浜文化体育館にて

会長は元東洋大平洋バンタム級チャンピオン。故エディー・タウンゼントの教え子でもあります。

「トラッシュの応援に来たんでしょ。小松も応援してやってくださいね!」と言われ思わず    

  「は、はい!」と答えてしまいました。そうだよな、会長からしてみればここは敵地だもんな。    

 それなのに快く写真撮ってくれてありがとう。でも小松も嫌いじゃないですよ。          

世界戦決まってよかったね。                               

         

           


33人目は土橋ジムの土橋茂之会長。

2004年7月20日 土橋ボクシングジムにて

1992年のバルセロナ・オリンピック・ボクシング日本代表で2回戦まで進むが、のちの

WBA世界ライト級チャンピオン、フランスのジュリアン・ロルシーに惜しくもストップ負け。  

         その後全日本選手権1993年、1994年優勝、全日本社会人選手権1993年優勝という           

 輝かしい実績をもっています。                        

                          


32人目は土橋ジムの阿部恒一トレーナー。

2004年7月20日 土橋ボクシングジムにて

タイの超名門ジムでカオサイ・ギャラクシーを排出し 

       ムエタイの9冠王・チョモアペットの所属していたギャラクシー・ジムや

      元WBC世界ストロー級チャンピオン、ラタナポン・ソ−・ウァラピンと

      WBO世界バンタム級チャンピオン、ラタナチャイ・ソ−・ウァラピンの

 兄弟を擁したソーウォラピン・ジムで修行経験あり。    


31人目は協栄ジムの日本バンタム級チャンピオン、サーシャ・バクティン選手。

2004年6月4日 有明コロシアムにて

どう見てもどっかの国の王子さまみたいだよね。                

写真を撮っもらったあと「スパシーバ」と言ったら喜んでくれました。      

 


30人目はエイティーン古河ジムの長嶋会長。

2004年5月2日 総和町体育館にて

長嶋健吾選手のとうちゃんです。


29人目はレフェリーのビニ−・マーチン氏。

2004年5月2日 総和町体育館にて

ガーナ出身でむかし角海老宝石ジムでプロとして活躍。       

なんと元日本スーパー・ウエルター級、ミドル級チャンピオンなのです。

とっても気さくな人でした。                    

            


    

2004年5月2日 総和町体育館にて

この日、新井雅人選手は地元の茨城県でメインエベンタ−を勤め、みごと1ラウンドKOで勝利しました。

試合後、新井くんとツーショット! 試合で使ったバンテージを記念に貰っちゃいました。


28人目はエイティーン古河ジムの酒巻良功選手。

2004年3月6日 埼玉スーパーアリーナにて

この日の予備カードで新井くんのジムの酒巻良功選手が出場してみごと判定勝ち。

新井くんがセコンドをつとめ、うぴぴのプレゼントした手編みの帽子をカブってくれてました。

そして新井君からはまた今日のスタッフホルダー(セコンド)をもらってしまいました。   

    なんと酒巻くんは控え室でウイラポンにスタッフカードの裏にサインしてもらったそうです。いいなぁ!

そして新井くんは携帯のカメラでウイラポンとツーショット!羨ましい!


27人目は大橋ジムの川嶋勝重選手。

2004年3月6日 埼玉スーパーアリーナにて

このあと6月28日にWBC世界スーパー・フライ級チャンピオン徳山昌守に

1ラウンド1:47TKOで勝ち、みごと世界チャンピオンになりました。    

   

この写真は「ボクシングマガジン」の2004年7月号に掲載されました。


26人目はエイティーン古河ジムの根岸大介選手。

2004年2月7日 後楽園ホールにて

新井くんの先輩でルームメイト。この日は惜しくもKO負けしてしまいました。残念!


この日、新井雅人選手ははじめての判定勝ち。試合後、後楽園ホールの出口で撮影。

2004年2月7日 後楽園ホールにて


この日、新井雅人選手はみごと2ラウンドKOで初代東日本スーパー・ウエルター級新人王に輝きました。

2003年11月2日 後楽園ホールにて


25人目は緑ジムの東洋大平洋ヘビー級チャンピオン、オケロ・ピーター選手。

2003年10月4日 両国国技館にて

めちゃくちゃデカかった! 初のヘビー級ボクサーとのショット!


24人目はエイティーン古河ジムの元東洋大平洋スーパー・フェザー級チャンピオン、長嶋健吾選手。

2003年10月4日 両国国技館にて

    シャッターを押してくれたのは後輩の新井くんで、しかも今日の試合で長嶋選手のセコンドをやっていたのですが、

私たちに今日の記念にスタッフカードをプレゼントしてくれて、                   

さらに長嶋選手にはスタッフカードの裏にサインもしてもらっちゃいました。ありがとう。       

       


今日の長嶋との試合がラストファイトになってしまいました。リック長い間お疲れ様でした。

2003年10月4日 両国国技館にて

この日は新井くんに両国国技館の枡席を取ってもらったんだけど、

お隣さんはシャイアン長谷川ジム御一行さまで、

入墨ボクサー大嶋宏成選手がいたので写真を撮ってもらいました。

2003年10月4日 両国国技館にて


23人目はエイティーン古河ジムの初代東日本スーパー・ウエルター級新人王、我らが新井雅人選手。

2003年9月26日 後楽園ホールにて

この日は準決勝戦でみごと1ラウンドKOで決勝進出。


22人目は元WBA世界スーパー・フライ級チャンピオン、飯田覚士会長。

2003年4月26日 両国国技館にて

カッコよすぎます! オーラありすぎ!


21人目は帝拳ジムのトレーナーで元東洋大平洋スーパー・バンタム級チャンピオン、葛西裕一氏。

2003年4月5日 後楽園ホールにて

帝拳の上位ランカーのボクサーのセコンドには必ずついている信頼度NO.1のトレーナーです。しかもカッコイイ!


20人目はボクシング解説者で活躍中の元WBC世界スーパー・ライト級チャンピオン、浜田剛史氏。

2003年4月5日 後楽園ホールにて

うぴぴが描いて「ワールドボクシング」に載った似顔絵を見せたらとても喜んでくれました。

けっこう似てる!


19人目は帝拳ジム期待のホープ、ゴールデンボーイ、ホルへ・リナレス選手。

2003年4月5日 後楽園ホールにて

彼はベネゼエラ出身の輸入ボクサーで、世界を狙える逸材です。

この写真は「ボクシングマガジン」の2003年6月号に掲載されました。


18人目は石川ジムの元日本ライト級チャンピオン、リック吉村選手。

2003年4月5日 後楽園ホールにて

リックは日本タイトルの22回連続防衛の最多記録を持っています。

念願のリック吉村選手とツーショット! とっても優しいボクサーでした。

うぴぴが描いて「ワールドボクシング」に載ったリックの似顔絵を見せたらとても喜んでくれました。


17人目はチャイナクイック渡辺ジムの元東洋大平洋スーパー・フライ級チャンピオン、柳光和博選手。

2003年2月15日 後楽園ホールにて

席が隣だったのですが、いろいろ解説までしてもらい、質問にも答えてくれたり、

最後は写真まで撮ってくれました。なんていい人なんだぁ! 

         


16人目は野口ジムの元東洋大平洋ウエルター級チャンピオン、

   元日本ウエルター、スーパー・ウエルター級チャンピオン、吉野弘幸選手。

2003年2月15日 後楽園ホールにて

顔に似合わず?ていねいに対応してくれました。めちゃくちゃ優しいナイスガイ!


15人目はチャイナクイック渡辺ジムの元日本ウエルター級チャンピオン、加山利治選手。

2003年2月15日 後楽園ホールにて

赤コーナー下の席で俺たちといっしょに湯場選手の応援をしてくれました。


14人目は都城レオジムの元日本ライト級チャンピオン、湯場忠志選手。

2003年2月15日 水道橋の「ミスタードーナッツ」前にて

 この日湯場選手が試合前に後楽園ホールの近くのミスドに来るという情報があったので、

待っていたら本当に現れて、びっくり! そして快く写真を撮ってくれました。    

  でもこの日の試合で佐々木基樹選手に敗れタイトルを失ってしまいました。復活を祈る!  


13人目は角海老宝石ジムの日本スーパー・フェザー級チャンピオン、本望信人選手。

2002年8月25日 両国国技館にて

実はこの日にタイトルを奪取してチャンピオンになった本望選手を帰りに両国駅で発見!

後ろから「チャンピオン!」と声をかけたら、恥ずかしそうに振り向いてくれました。 

       傷が痛々しいけど、うれしそうでした。ありがとう!                      


12人目はJBスポーツジムの高橋直人会長。

2002年8月25日 両国国技館にて

会長は元日本バンタム級、スーパー・バンタム級チャンピオンです。

マーク堀越戦は今でも伝説になっている名勝負です。      

     カウンターの名手でマンガ「はじめの一歩」の宮田くんのモデルだそうです。


11人目は角海老宝石ジムの元東洋大平洋ライト級チャンピオン、坂本博之選手。

2002年3月9日 日本武道館にて

メインのあとの予備カードに角海老ジムの選手が出ていて、会場に残っていてくれてたので

奇跡的に会うことができました。そして急いでいたようでしたが快く撮ってくれました。


10人目は尼崎ジムの第49代日本フェザー級チャンピオン、洲鎌栄一選手。

2002年3月9日 日本武道館にて

この日は初防衛戦で判定で勝利。試合後、武道館の階段でバッタリ!    

「あっ、スガマ!」っと呼び捨てして止めてしまった。彼も思わず苦笑い! 

 でも快く写真を撮ってくれました。ありがとう!              


9人目は協栄ジムの元WBC世界フライ級チャンピオン、勇利アルバチャコフ選手。

2002年2月5日 有明コロシアムにて

声をかけるのにめちゃくちゃ緊張するぐらい、オーラを感じました。

そしてかすかに微笑んでいるのがわかりますか?         

彼の精一杯の笑顔だと思います。スパシーバ!        


8人目は沖縄ワールドスポーツジムの仲里繁選手。

2002年2月5日 有明コロシアムにて

試合が終ってすぐで痛々しかったけど、快く写真を撮ってくれました。

とてもシャイなハードパンチャーです。              


7人目は東洋大平洋スーパー・バンタム級チャンピオン、協栄ジムの佐藤修選手。

2001年9月1日 横浜アリーナにて

翌年2002年5月18日のWBA世界スーパー・バンタム級タイトルマッチで 

チャンピオンのヨーダムロン・シンワンチャ−を8ラウンド1:58、    

左ボディーの連打で沈め見事世界チャンピオンになりました。すごい!    

   

この写真は「ボクシングマガジン」の2002年1月号に掲載されました。 

 


6人目は草加有澤ジムの日本スーパー・フェザー級チャンピオン、コウジ有澤選手。

2000年11月5日 後楽園ホールにて

兄貴のカズ有澤の応援でリングサイドにいたコウジ有澤選手を発見。

  うぴぴはそんなコウジ有澤選手に近づきメモ帳にサインをしてもらった。 

      そしてファンレターを送ったことを伝えたら、読んでくれたみたいでもう大喜び。 

握手もしてもらい、いっしょに写真も撮ってもらって、もうメロメロ。


5人目はこの当時、角海老宝石ジムで坂本博之選手のトレーナーをしていたイスマエル・サラス氏。

2000年11月5日 後楽園ホールにて

サラス氏は母国キューバで3人の金メダリストを輩出し、                   

プロでもヨックタイを含めタイで世界王者を5人も誕生させた名トレーナー。          

   坂本にも科学的な指導法で改造に成功し、王者セラノを追い詰めたことで日本でも高く評価されている。

右上の写真は「ボクシングマガジン」の2001年6月号に掲載されました。          

          

 


4人目は元やくざの入墨ボクサーで人気の大嶋宏成選手。

2000年10月11日 横浜アリーナにて

独特のオーラがある大嶋選手とのツーショットにうぴぴは心ここにあらず。

 この写真は「ボクシングマガジン」の2001年1月号に掲載されました。


3人目は草加有澤ジムの日本フェザー級1位、カズ有澤選手

2000年10月11日 横浜アリーナにて

現在は草加有澤ジムでトレーナーをやっています。    

  隣の写真で右端で携帯電話してるのが、双子の弟のコウジ有澤。

             この当時は日本スーパー・フェザー級チャンピオンで今も現役で頑張っています。  

  


2人目は畑山隆則のトレーナーの柳和龍先生。

2000年10月11日 横浜アリーナにて

世紀の対決、畑山vs坂本戦の行われた横浜アリーナのグッズ売場で偶然会ったので、 

声をかけたら快く写真を撮ってくれました。ちょっと香港マフィアみたいだけどね。 

                 

              


記念すべき1人目はな、な、なぁんとマンガ『はじめの一歩』の作者森川ジョージ先生です。

1999年8月28日 後楽園ホールにて

いきなりボクサーじゃないじゃないか、っと思うでしょ。           

 ところが森川先生はJBスポーツジムというボクシングジムのオーナーなんです。  

  すごいでしょ!                                

         この日先生はジムの福島学選手のセコンドで来ていて、試合が終った後写真を撮ってもらいました。

       握手もしてもらいましたが、福島選手の血が手についていて試合の凄まじさを物語っていました。

  セコンドお疲れ様!                              

                               


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