5月19日(月)、「鼻血美味しんぼ最終回」が載っているビッグコミックスピリッツ25号が発売され、4月下旬から起こっていた「鼻血騒動」に一応の区切りがつけられました。
作者の雁屋哲氏は、自身のブログで『本格的な反論は、その24が、発行されてからにする。』と述べており、各方面から湧き上がった批判の声に雁屋氏はどう答えるのかずっと待っていましたが、それはあっさりと裏切られる事となりました(→こちら)。
まあ本人がそう言うならそれもいたしかたなしという事で、今回はその時アップされた彼の反論ブログ内容と「鼻血最終話」について考察してみようと思います。
4月28日、スピリッツ22・23合併号に「美味しんぼ 鼻血初回」が掲載され、その表現に多くの批判が湧き起こり、それに対し作者の雁屋哲氏は5月4日の自ブログにて、この様な反論を行いました。
(以下引用 ↓)
実は私はこれまで思い違いをしておりまして、当初「発狂する」というのはその23での井戸川氏発言「被曝したから」と思っていたのですが、ブログをよく見ますとそこには、
「特にその24(最終話)ではもっとはっきりとしたことを言っているので、」
と書かれてありました。
また、この最終話の誌面には、今回の内容について多くの識者のコメントも収録されているという事もあり、はたして「発狂する」というのはどんなものかじっくり見させてもらおうと、今回は不本意ながらとうとう買ってしまいました。
しかしその期待は、見事に裏切られる事となります。
物語の始まりの舞台は前号の続きではなく、飯舘村から北海道に移住して畜産にチャレンジしている若者夫婦の話とか、震災支援を行っているアーティストの個展の見学(東京)、そして最後は会津に戻って「もてなし料理」に舌鼓を打つという慌しい展開の中で、これらのエピソードの合間に山岡と海原雄山の会話がはさまれていくという展開となります。
そしてそこで語られた事は結局、
「福島は危険だから逃げろ!(と言え)」
「出たいという人を支援しろ!(と国に言え)」
という、今までの福島での取材はいったい何だったのかという見事なちゃぶ台返しでした。
しかもこれが、
海原 「井戸川前双葉町長と福島大学の荒木田先生は、福島には住めないとおっしゃる…」
という、たった二人の意見から導き出した結論であったという事で、この海原雄山のあまりの短絡思考ぶりに、確かにこっちまで頭がおかしくなりそうでした。
そしていまさら感いっぱいのこのセリフが彼の口から語られる訳です。、
海原 「医者は低線量の放射能の影響に対する知見はないというが、
知見がない、とはわからないということだ。
私は一人の人間として、福島の人たちに、危ないところから逃げる
勇気を持ってほしいと言いたいのだ。」
いったいいつの、どこの話をしてるのでしょうか。どうやら作者の雁屋氏は、福島をチェルノブイリにしたくてたまらない様です。
こんな「低線量放射線の影響」など、地元に住むこちらの農家の方などは自ブログの中で、「神学論争」とばっさり切り捨てております。
結局、今回の「美味しんぼ 福島の真実篇」というものは、実は結論は初めから決まっていて、後はこれに見合うエピソードを繋ぎ合わせていっただけというものだった様です。
見た目は福島の農家の悲惨な現状を世間に訴える風を装い、実は政府や国に対しての不信感を植え付けているだけなのではと思えてなりません。
彼にとって風評に苦しむ農家の姿などは、悲しみの地「フクシマ」を描くための、単なる素材という扱いでしかなかったのではないでしょうか。
ブログの続きで彼は、こう言い放っています。
(以下引用 ↓)
「誰かさんたち」って、一体誰の事でしょう。
「福島は安全」「福島は大丈夫」「福島の復興は前進している」、そう言われて一番喜ぶのは何と言っても福島の人達でしょうし、支援し続けた人達であるのは間違いない事です。
それを「誰かさんたち」と、まるで揶揄する様な表現を平気で使う。これが彼の、福島の住民に対する認識だったという訳です。
そういう点ではあの井戸川氏などは、不安を振りまくまさに格好の材料であり、それは2話目に登場した松井英介氏・荒木田岳氏なども同様で、福島の危険性を訴えるのには最強の素材であった訳です。
かくして雁屋氏の分身たる海原雄山は、どうどうとかく語る訳です。
「私は一人の人間として、福島の人たちに、
危ないところから逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ。」
さて、その後この発言を受けて山岡達が最後の会話を交わす訳ですが、私にはこれが何とも不自然に思えてなりませんでした。
記者 「では。われわれにできることは。」
山岡 「福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力することだ。」
「住居、仕事、医療などすべての面で、個人では不可能なことを
補償するように国に働きかけることだ。」
岡星 「そう働きかけることはわれわれの義務だ。」
と、まるで自分らが正義の味方ででもあるかの様な、青春ドラマ風の盛り上がりで物語は幕を閉じるのですが、ここで雁屋氏がマンガの中で訴えている事は、鼻血描写で不安を煽って福島は危険と訴え、福島から逃げろと叫んで本来逃げる必要のなかった新たな避難者を作り出し、国はその面倒を見ろという、よくよく考えてみると誠に身勝手な論理である訳です。
しかしこの主張ですが、元々こういう事を言い続けていたのは、実は前の回に登場した松井英介氏なのです。
彼は〔「脱ひばくを実現する移住法」の制定〕なるものを主張しており、あの被曝鼻血理論もこの中で述べられておりますが、ここに荒木田氏の名も登場します(→こちら)。
ですからあの場面のセリフは、本来ならば松井氏か荒木田氏に語らせるのが自然の成り行きなのですが、なぜか雁屋氏はそうせずに、それを架空の存在である山岡達に語らせる訳です。
この不自然さがずっとひっかかっていたのですが、その後以下の記事が発表され、自分なりに合点がいきました。
〔J-CASTニュースより〕
〔「美味しんぼ」編集部、准教授の「発言載せないで」拒否報道で見解〕(→こちら)
これによりますと荒木田氏は初め、「福島には住めない」発言は使わないでほしいと編集部側に要望していた様です。
しかし雁屋氏にとっては、福島をチェルノブイリにするにはどうしても彼の発言が必要で、これをはずす訳にはいきませんでした。
それは荒木田氏の発言が現地からの生の声であり、福島が危険であるとする絶対無比の「証拠」であったからです。
そこで雁屋氏は、荒木田氏の言説を引き出す代わりに、最後の会話に松井氏及び荒木田氏の唱える「脱ひばく」の主張を載せる事にした、こう考えればあの会話の不自然さが納得出来るのです。
こうして荒木田氏もまた雁屋氏の「フクシマ」を形作る一素材となり、その主張は主人公の山岡達が語る代わりに、自分らは批判の矢面に立って雁屋氏の捨て駒となる、こういう図式が完成する訳です。
原発事故から3年、福島では放射能の不安の中、多くの人達の努力で日常を取り戻す作業が行われてきましたが、その中で住民達が一番心を痛めたものが、多くの人が知る「風評被害」というものでした。
健康や食品の安全性など、風評をなくすための数多くの努力がなされましたが、その一方で外部では「風評を作り出す者」の存在がありました。
一つは「チェルノブイリの亡霊に取り憑かれた者」、もう一つは「福島をチェルノブイリにしたい者」です。
前者は事あるごとにチェルノブイリの事例ばかり取り上げ、被災者にただひたすら被曝の恐怖を与え続ける者達で、その中には一部の専門家らしき人の姿なども見られます。
後者はその前者を利用し、福島の地をまるでチェルノブイリの様な悲劇の地「フクシマ」に作り変え、それを利用して原発の危険性を唱える「反原発」の者達です。
そして雁屋氏はどうやら後者の、「福島をチェルノブイリにしたい者」の様です。
後者の中には、安心出来るデータなどが出されるとそれは「捏造」であるとか、復興に協力する者に対しては「御用」「工作員」などというレッテル貼りなどで、被災者である福島の住民にさえ、激しい誹謗中傷を繰り返す過激な者も存在します。
住民達を苦しめていたのはこの様な「差別」や「偏見」であり、その中で最も被災地住民を精神的に追い詰めたものが、放射能不安を利用した【脅し】です。
「鼻血」というのは住民達にとっては不安の「象徴」であり、「福島をチェルノブイリにしたい者」にとっては最も効果のある「武器」でした。
それは福島のみならず、「鼻血美味しんぼ2話目」でも紹介された様に、岩手や宮城の震災がれきの反対運動でも使用され、被災地住民の心を傷付ける事にもなったのですが、彼らはそんな事など初めから念頭にはありませんでした。
(← クリックで拡大)
雁屋氏も同様に、この「鼻血」というものをただ作品を盛り上げるための小道具という位置付けでしか考えておらず、福島の人がどう思うかなどはまるで解せず、だからこそあれほどの批判に、
「ここまで騒ぎになるとは思わなかった。」
とつい本音をもらす事になったのです。
そしてここで、「鼻血ごときで騒いでいる人たち」という記述となります。
これは通常ならば、「鼻血ぐらいで騒いでいる人たち」と書くものです。「〜ごとき」という書き方には悪意が含まれています。
ブログが書かれた時点ですでに作品は出来上がっており、作者はそれを念頭にあの文言を並べたのです。
「鼻血ごとき」とは、侮蔑の言葉です。
鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。
誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか。
原発事故以降、被災地の福島では多くの支援が行われましたが、他方では悪質なデマや差別的発言などの福島バッシングも行われました。
被災地の不幸をえさにして自分らの主義主張を声高に唱える者が多数現れ、被災者の心をかき乱し、被災地の復興を妨げる大きな一因ともなりました。今回の「鼻血美味しんぼ」騒動は氷山の一角に過ぎません。
今回の騒動は、福島ではこんな連中この様な者達からずっと攻撃され続けてきたという事実と、被災者を不安のどん底に叩き落す彼らのその手法が、ようやく明るみに出て広く注目されたという事で、逆の意味で雁屋氏には感謝すべきものかもしれません。
彼のブログはこう締めくくられますが、自分の発言がそのまま自分にはね返って来る事を、果たして彼は理解しているのでしょうか。
(以下引用 ↓)
「自分たちに不都合な真実を嫌い」
(←クリック)
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130528052346713
「心地の良い嘘を求める」
※ 広域がれき処理に関しまして、一宮城県人として、北九州市の方々のご協力に、心から感謝致します。
作者の雁屋哲氏は、自身のブログで『本格的な反論は、その24が、発行されてからにする。』と述べており、各方面から湧き上がった批判の声に雁屋氏はどう答えるのかずっと待っていましたが、それはあっさりと裏切られる事となりました(→こちら)。
まあ本人がそう言うならそれもいたしかたなしという事で、今回はその時アップされた彼の反論ブログ内容と「鼻血最終話」について考察してみようと思います。
4月28日、スピリッツ22・23合併号に「美味しんぼ 鼻血初回」が掲載され、その表現に多くの批判が湧き起こり、それに対し作者の雁屋哲氏は5月4日の自ブログにて、この様な反論を行いました。
(以下引用 ↓)
反論は、最後の回まで,お待ち下さい(引用終わり ↑)
「美味しんぼ 福島の真実篇」、その22で、鼻血について書いたところ、色々なところで取り上げられてスピリッツ編集部に寄れば、「大騒ぎになっている」そうである。
私は鼻血について書く時に、当然ある程度の反発は折り込み済みだったが、ここまで騒ぎになるとは思わなかった。
で、ここで、私は批判している人たちに反論するべきなのだが、「美味しんぼ」福島篇は、まだ、その23,その24と続く。
その23、特にその24ではもっとはっきりとしたことを言っているので、鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。
今まで私に好意的だった人も、背を向けるかも知れない。
私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。
実は私はこれまで思い違いをしておりまして、当初「発狂する」というのはその23での井戸川氏発言「被曝したから」と思っていたのですが、ブログをよく見ますとそこには、
「特にその24(最終話)ではもっとはっきりとしたことを言っているので、」
と書かれてありました。
また、この最終話の誌面には、今回の内容について多くの識者のコメントも収録されているという事もあり、はたして「発狂する」というのはどんなものかじっくり見させてもらおうと、今回は不本意ながらとうとう買ってしまいました。
しかしその期待は、見事に裏切られる事となります。
物語の始まりの舞台は前号の続きではなく、飯舘村から北海道に移住して畜産にチャレンジしている若者夫婦の話とか、震災支援を行っているアーティストの個展の見学(東京)、そして最後は会津に戻って「もてなし料理」に舌鼓を打つという慌しい展開の中で、これらのエピソードの合間に山岡と海原雄山の会話がはさまれていくという展開となります。
そしてそこで語られた事は結局、
「福島は危険だから逃げろ!(と言え)」
「出たいという人を支援しろ!(と国に言え)」
という、今までの福島での取材はいったい何だったのかという見事なちゃぶ台返しでした。
しかもこれが、
海原 「井戸川前双葉町長と福島大学の荒木田先生は、福島には住めないとおっしゃる…」
という、たった二人の意見から導き出した結論であったという事で、この海原雄山のあまりの短絡思考ぶりに、確かにこっちまで頭がおかしくなりそうでした。
そしていまさら感いっぱいのこのセリフが彼の口から語られる訳です。、
海原 「医者は低線量の放射能の影響に対する知見はないというが、
知見がない、とはわからないということだ。
私は一人の人間として、福島の人たちに、危ないところから逃げる
勇気を持ってほしいと言いたいのだ。」
いったいいつの、どこの話をしてるのでしょうか。どうやら作者の雁屋氏は、福島をチェルノブイリにしたくてたまらない様です。
こんな「低線量放射線の影響」など、地元に住むこちらの農家の方などは自ブログの中で、「神学論争」とばっさり切り捨てております。
結局、今回の「美味しんぼ 福島の真実篇」というものは、実は結論は初めから決まっていて、後はこれに見合うエピソードを繋ぎ合わせていっただけというものだった様です。
見た目は福島の農家の悲惨な現状を世間に訴える風を装い、実は政府や国に対しての不信感を植え付けているだけなのではと思えてなりません。
彼にとって風評に苦しむ農家の姿などは、悲しみの地「フクシマ」を描くための、単なる素材という扱いでしかなかったのではないでしょうか。
ブログの続きで彼は、こう言い放っています。
(以下引用 ↓)
真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか。(引用終わり ↑)
「福島は安全」「福島は大丈夫」「福島の復興は前進している」
などと書けばみんな喜んだのかも知れない。
今度の「美味しんぼ」の副題は「福島の真実」である。
私は真実しか書けない。
自己欺瞞は私の一番嫌う物である。
「誰かさんたち」って、一体誰の事でしょう。
「福島は安全」「福島は大丈夫」「福島の復興は前進している」、そう言われて一番喜ぶのは何と言っても福島の人達でしょうし、支援し続けた人達であるのは間違いない事です。
それを「誰かさんたち」と、まるで揶揄する様な表現を平気で使う。これが彼の、福島の住民に対する認識だったという訳です。
そういう点ではあの井戸川氏などは、不安を振りまくまさに格好の材料であり、それは2話目に登場した松井英介氏・荒木田岳氏なども同様で、福島の危険性を訴えるのには最強の素材であった訳です。
かくして雁屋氏の分身たる海原雄山は、どうどうとかく語る訳です。
「私は一人の人間として、福島の人たちに、
危ないところから逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ。」
さて、その後この発言を受けて山岡達が最後の会話を交わす訳ですが、私にはこれが何とも不自然に思えてなりませんでした。
記者 「では。われわれにできることは。」
山岡 「福島を出たいという人たちに対して、全力を挙げて協力することだ。」
「住居、仕事、医療などすべての面で、個人では不可能なことを
補償するように国に働きかけることだ。」
岡星 「そう働きかけることはわれわれの義務だ。」
と、まるで自分らが正義の味方ででもあるかの様な、青春ドラマ風の盛り上がりで物語は幕を閉じるのですが、ここで雁屋氏がマンガの中で訴えている事は、鼻血描写で不安を煽って福島は危険と訴え、福島から逃げろと叫んで本来逃げる必要のなかった新たな避難者を作り出し、国はその面倒を見ろという、よくよく考えてみると誠に身勝手な論理である訳です。
しかしこの主張ですが、元々こういう事を言い続けていたのは、実は前の回に登場した松井英介氏なのです。
彼は〔「脱ひばくを実現する移住法」の制定〕なるものを主張しており、あの被曝鼻血理論もこの中で述べられておりますが、ここに荒木田氏の名も登場します(→こちら)。
ですからあの場面のセリフは、本来ならば松井氏か荒木田氏に語らせるのが自然の成り行きなのですが、なぜか雁屋氏はそうせずに、それを架空の存在である山岡達に語らせる訳です。
この不自然さがずっとひっかかっていたのですが、その後以下の記事が発表され、自分なりに合点がいきました。
〔J-CASTニュースより〕
〔「美味しんぼ」編集部、准教授の「発言載せないで」拒否報道で見解〕(→こちら)
これによりますと荒木田氏は初め、「福島には住めない」発言は使わないでほしいと編集部側に要望していた様です。
しかし雁屋氏にとっては、福島をチェルノブイリにするにはどうしても彼の発言が必要で、これをはずす訳にはいきませんでした。
それは荒木田氏の発言が現地からの生の声であり、福島が危険であるとする絶対無比の「証拠」であったからです。
そこで雁屋氏は、荒木田氏の言説を引き出す代わりに、最後の会話に松井氏及び荒木田氏の唱える「脱ひばく」の主張を載せる事にした、こう考えればあの会話の不自然さが納得出来るのです。
こうして荒木田氏もまた雁屋氏の「フクシマ」を形作る一素材となり、その主張は主人公の山岡達が語る代わりに、自分らは批判の矢面に立って雁屋氏の捨て駒となる、こういう図式が完成する訳です。
原発事故から3年、福島では放射能の不安の中、多くの人達の努力で日常を取り戻す作業が行われてきましたが、その中で住民達が一番心を痛めたものが、多くの人が知る「風評被害」というものでした。
健康や食品の安全性など、風評をなくすための数多くの努力がなされましたが、その一方で外部では「風評を作り出す者」の存在がありました。
一つは「チェルノブイリの亡霊に取り憑かれた者」、もう一つは「福島をチェルノブイリにしたい者」です。
前者は事あるごとにチェルノブイリの事例ばかり取り上げ、被災者にただひたすら被曝の恐怖を与え続ける者達で、その中には一部の専門家らしき人の姿なども見られます。
後者はその前者を利用し、福島の地をまるでチェルノブイリの様な悲劇の地「フクシマ」に作り変え、それを利用して原発の危険性を唱える「反原発」の者達です。
そして雁屋氏はどうやら後者の、「福島をチェルノブイリにしたい者」の様です。
後者の中には、安心出来るデータなどが出されるとそれは「捏造」であるとか、復興に協力する者に対しては「御用」「工作員」などというレッテル貼りなどで、被災者である福島の住民にさえ、激しい誹謗中傷を繰り返す過激な者も存在します。
住民達を苦しめていたのはこの様な「差別」や「偏見」であり、その中で最も被災地住民を精神的に追い詰めたものが、放射能不安を利用した【脅し】です。
「鼻血」というのは住民達にとっては不安の「象徴」であり、「福島をチェルノブイリにしたい者」にとっては最も効果のある「武器」でした。
それは福島のみならず、「鼻血美味しんぼ2話目」でも紹介された様に、岩手や宮城の震災がれきの反対運動でも使用され、被災地住民の心を傷付ける事にもなったのですが、彼らはそんな事など初めから念頭にはありませんでした。
(← クリックで拡大)
雁屋氏も同様に、この「鼻血」というものをただ作品を盛り上げるための小道具という位置付けでしか考えておらず、福島の人がどう思うかなどはまるで解せず、だからこそあれほどの批判に、
「ここまで騒ぎになるとは思わなかった。」
とつい本音をもらす事になったのです。
そしてここで、「鼻血ごときで騒いでいる人たち」という記述となります。
これは通常ならば、「鼻血ぐらいで騒いでいる人たち」と書くものです。「〜ごとき」という書き方には悪意が含まれています。
ブログが書かれた時点ですでに作品は出来上がっており、作者はそれを念頭にあの文言を並べたのです。
「鼻血ごとき」とは、侮蔑の言葉です。
鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。
誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか。
原発事故以降、被災地の福島では多くの支援が行われましたが、他方では悪質なデマや差別的発言などの福島バッシングも行われました。
被災地の不幸をえさにして自分らの主義主張を声高に唱える者が多数現れ、被災者の心をかき乱し、被災地の復興を妨げる大きな一因ともなりました。今回の「鼻血美味しんぼ」騒動は氷山の一角に過ぎません。
今回の騒動は、福島では
彼のブログはこう締めくくられますが、自分の発言がそのまま自分にはね返って来る事を、果たして彼は理解しているのでしょうか。
(以下引用 ↓)
きれい事、耳にあたりの良い言葉を読み、聞きたければ、他のメディアでいくらでも流されている。(引用終わり ↑)
今の日本の社会は「自分たちに不都合な真実を嫌い」「心地の良い嘘を求める」空気に包まれている。
「美味しんぼ」が気にいらなければ、そのような「心地の良い」話を読むことをおすすめする。
本格的な反論は、その24が、発行されてからにする。
「自分たちに不都合な真実を嫌い」
(←クリック)
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130528052346713
「心地の良い嘘を求める」
※ 広域がれき処理に関しまして、一宮城県人として、北九州市の方々のご協力に、心から感謝致します。