- [PR]
ライフ
【正論】エリート律した「負い目」の喪失
□社会学者 関西大学東京センター長・竹内 洋
ずいぶん前になるが、イートン校、ウィンチェスター校と並んで英国のパブリック・スクール(私立のエリート中等学校)御三家のハロー校を訪問したことがある。英国の首相ウィンストン・チャーチルの母校である。
≪日本型ノブレスオブリージュ≫
授業や寮を見て回った後でメモリアル・チャペル(戦没者聖堂)の中に入った。これまでの戦争で亡くなった多くの生徒の名前が銘板に年度ごとに刻まれていた。彼らの名前を忘れないでほしいとも書いてあった。案内してくれた先生がハローに限らずパブリック・スクール出身者は、最前線で勇敢に戦い、戦死率は最も高かったのです、と説明してくれた。私がなるほど「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者の義務)ということですね、と言うと、そうそう、それですよ、とわが意を得たという言葉が返ってきた。
日本でもエリート教育やエリートの倫理が話題になると、ノブレス・オブリージュという言葉が持ち出されることが多い。しかし、それぞれの社会には文化や社会構造に対応した独自のノブレス・オブリージュがある。ノブレスは、高貴な生まれという意味であり、階級社会のノブレス・オブリージュは、生まれもってのエリートであることをもとにした矜持(きょうじ)である。英国のパブリック・スクールはいまでも高額の授業料で、大衆の学校ではない。
それに対し近代日本の教育システムは「野に遺賢なからしむる」を理想として、身分ではなく能力によるエリートをつくるべく設計された。しかし学歴エリートだった旧制高校生の大半は中産階層以上の家庭出身者だった。相対的に恵まれた階層に育ち、高等教育を受けた学歴エリートには純粋能力競争で獲得した学歴地位でも職業的地位でもないということから、「負い目」が伴いやすかった。学歴エリートから社会的指導者になった人々の自伝によくみるのは、負い目というエリート・コンプレックス(複合感情)である。
≪戦死者の無念バネに高度成長≫
それは、すでに旧制中学生のあたりに芽生えていた。街で丁稚(でっち)姿の小学校の同級生に出会う。勉強はできたが、貧乏ゆえに進学できなかった同級生である。丁稚となった同級生は、「恥ずかしい」姿を旧制中学生の元同級生にみられたくないと、隠れるようにして走り去る。彼は同級生の丁稚姿と自分から逃げていく様子に、恵まれなさゆえに苦労する多くの大衆の姿を重ねた。そして恵まれたがゆえにインテリやエリートになっていく自分に負い目を感じていく。
こうした「負い目」こそが、日本型ノブレス・オブリージュのもとになったのである。偶然と幸運でエリートになったのだという意識からくる負い目であり、その負い目がエリートとしての自分の襟をただしていく拠(よ)り所(どころ)となった。
高度成長時代の経営エリートには、戦闘で死んだ戦友やビジネスマンとして海外に赴任中、敵艦により撃沈され、海の藻くずと消えた同僚のことがいつも頭をよぎると言っていた人が少なくない。そこから経済復興による日本の再生こそ、戦死した彼らの無念さを安んじさせることになると思った者も多い。ここでも死んだ戦友・同僚への負い目が身をただし、方向性を得る指針になっていた。
≪残った「成り上がり根性」≫
いまでもこのようなエリートをめぐる文化がなくなったわけではない。私が尊敬するある経営者が、亡くなった同期の元同僚の思い出を語りながら、私にぽつりと言った。「彼が生きていれば、自分のようなものが今の地位にあるはずはない」。「負い目」という日本型ノブレス・オブリージュはなお生きていると思ったものである。しかし、エリートを取り巻く環境は大きく変わった。進学競争は完全競争に近くなり、死者との共感も薄くなった。大衆は苦労する無告の民から自己の権利と主張に急なクレーマーと化した。弱者への負い目感情を醸し出した構造が消滅した。
かくて、いまの地位は偶然と幸運に恵まれたことによるかもしれないという自卑と、才能と能力によるものだという自尊の両方がせめぎあう不安感情だけがエリートの胸底に宿りやすくなった。それは、自らをただす負い目とは微妙に異なる感情である。自分はその地位に値しないのかもしれないという不安に由来する自尊感情の揺らぎにしかすぎない。
そのせいだろうか、経営幹部や政治家の中には不安の裏返しともいえる傲慢な振る舞いをする人が少なくない。周囲にイエスマンだけを置きたがる傾向も目立つ。棚からぼた餅式で首相になった民主党の元総理が選挙民やテレビカメラの前では誠実そうに振る舞っていても、衆人の目がないところでは官僚や企業人に当たり散らしていたことはよく知られている。
日本のノブレス・オブリージュをつくった「負い目」という美質が削(そ)ぎ落とされ、陰影と深みがない、成り上がり根性のみが残ってしまいつつある。そういう懸念を拭いきれない。(たけうち よう)
- [PR]
- [PR]