小娘のつれづれ

一人で見続けるアイドルや、音楽の話を。



「2014年、女性アイドルブームの現在地」

まず本題に入る前に、アイドルシーンの変化について整理します。


* * *


<「物語の共有」から始まった2010年代の女性アイドルブーム>

2010年からの女性アイドルブームは、
グループを取り巻く『物語』がその人気を牽引してきました。

もともと、少なくとも一世代前のモーニング娘。ブームの時からすでに
ファンコミュニティの中で物語を共有するという文化は存在していましたが、
それをもっと掘り下げ、なおかつ一種のプロモーションとして普遍的に変換する事で
それまでアイドルに関心を持っていなかった多くの人の興味を引いたのが、2010年前後のアイドルシーン。

熱源に設定された<劇場>や<路上ライブ>などのキーワードは
元々ブーム以前はマニアックなものとされていたものでしたが
あえてそれを共有し、語り合う刺激も、ブームの盛り上がりには一役買っていました。

特にAKB48が第二回選抜総選挙を経て『ヘビーローテーション』を発売したあたりからは、
むしろ多少わかりにくいくらいの好奇心、「自分だけの物語」を求めて、
アイドルに注目が集まっていきました。


<2013年に起こった一つの変化>

そうしてAKB48が大ブレイクを遂げた2010年~2011年、
そしてももいろクローバーZという別の物語が一つのゴールに達する2012年と時間が進むにつれ、
アイドルという物語はどんどん多くの人に認識される存在になっていきました。
前田敦子の卒業など、「世代交代」という新たな物語も提供しながら
基本的には以前の流れのまま、ゆるやかに歩みを進めていたアイドルブームでしたが、
2013年初頭、AKB48の峯岸みなみが恋愛スキャンダル発覚に際し、丸刈りで謝罪するという映像が流れます。


前年までブームを牽引していた「物語の共有」は、時間が経つほどに無数のアイドル論も生み
その中には前田敦子はキリストを超えたなど、一部で神格化のような、異様な「わかりにくさ」も生み出し始めていました。
そして、女の子が泣きながら、丸刈りで恋愛した事を謝罪する姿。


あの一件は、議論こそあっても、結局具体的に何かシステムそのものを変えたという事はありませんでした。
しかしあの一件は確実に、見えない所で、アイドルを包むその環境を変えていました。


<「私だけの物語」から「わかりやすさ」へ帰ったアイドルのヒット>

AKB48のCD売上を見ると、投票券がついている初夏のシングル以外は
2011年をピークに少しずつですが、ゆるやかな下降を見せていました。
強固な地盤を築いたAKB48ですら、ブレイクから3年、
2013年2月に発売されたシングル『So long!』では数年ぶりに初動売上が100万枚を割りそうになったりと*1
『わかりにくいくらいの好奇心』を動力に進み続けた2010年代のアイドルブームは、
きっかけのAKB48ブレイクから3年で、ついにその速度を緩め始めていました。
しかし2013年8月、ある曲がブームの王者AKB48を、もう一度大きく変えます。



テレビに出まくる明るく楽しい芸能人、言わば「一番わかりやすいアイドル」指原莉乃をセンターとして
さらに徹底的にわかりやすいダンスで歌い踊った『恋するフォーチュンクッキー』は、
それまでのスキャンダルや総選挙のネガティブなイメージを吹き飛ばし、1年ぶりに初動売上の増加、*2
そして新たな代表曲として、ヒットチャートを軒並み制覇します。


思えばこの2013年は、モーニング娘。が再ブレークと言われるようになったタイミングでもあり
現役アイドルとしてはむしろ一番の物語を誇っている彼女たちが、再度人気を得るようになったきっかけも、
フォーメーションダンスという「わかりやすさ」でした。

さらにポップアイコンとしてのでんぱ組.inc、アイドルとメタルの融合を貫くBABYMETAL
また「1000年に1人の逸材」というフレーズで一気に知名度を上げた橋本環奈(Rev. from DVL)などが
2013年に特に人気を得ている点を踏まえると、
アイドル支持の熱源が「わかりにくい好奇心」から、「わかりやすい存在」へと移動してきている事が窺えます。


そして2014年、ブームの始まりから少しずつ形を変えながら、アイドル人気がここまで継続してきた中で、
今回の事件が起きました。


AKB握手会で刃物男暴れ川栄李奈と入山杏奈が負傷


* * *


<アイドルが背負った物語と『罪の意識』>

2011年のAKB48・第3回選抜総選挙における
「私のことは嫌いでも、AKBを嫌いにはならないでください」という言葉は有名ですが、
弱冠19歳でその言葉を絞り出すように話した前田敦子の姿は、今見てもなお、心が痛くなる思いがあります。

アイドルの『物語』は、人気に火をつけた一方でアイドル自身に過度の負担も背負わせ、
時おりその姿をメディアを通じて目にする事で、多くの人が一種の「罪の意識」も感じていきました。


神格化や行き過ぎたアイドル像の投影など、続いていく熱狂の中で、次第に人々が望んだものが、
彼女たちを苦しめたアイドルという物語、意味からの解放
その一つの形が、「恋するフォーチュンクッキー」であったり、
昨今のわかりやすさに帰結したアイドルたちのヒットなのだと考えています。


<アイドルブームで生まれた贖罪意識の行き先>

その上で2014年5月、現代のアイドルブームをずっと支えてきた握手会という場所で、
事件は発生しました。

アイドルを襲った犯人が、どのような動機で犯行に至ったのか、現時点ではわかりません。
ただ現実として、悪意を持った人間が握手会で女性アイドルを襲い、実際に怪我を負わせました。


この事件はこれから、現在のアイドルという存在そのものを揺るがしかねない、大きな衝撃を伝えていくものと思われます。


その時、2013年の時点ですでにカウンターとして成立するほど充分に存在していたアイドルブームへの贖罪意識は、
一体どこへ向かうのか。


* * * * * *


<2014年のアイドルが立たされた場所>

先に結論から言ってしまうと、これをきっかけにネガティブイメージが広がっても、
前時代ほどの急激な文化衰退はないとも考えています。
SNSの普及により価値観の多様化というセーフティーネットが確立されている今、
一旦広い共感を得た文化は、ある程度はそのまま維持していける力が充分にあるからです。


ただ、例えたった1人の人間が起こした事だったとしても、
アイドル文化は一つの「信頼」を失ってしまいました。
そこに繋がっているものは、文化の自尊心でも、ファンの体裁でもなく、
アイドルがアイドルに夢を見られなくなってしまうかもしれない、そんな未来



私たちは今、2009~2011年ごろにAKBやももクロが見せてくれた、あの頃の高鳴りの先までやって来ました。


握手会のようなシステムが今後どうなっていくのかは、一ファンの私には全くわかりません。
ですがもっとも恐れていた事が起きた以上、
その握手によって長く続いていたこの数年の環境も、今後どんな規模であれ、変わっていく事は避けられないと思います。


そしてこれからきっと、アイドル文化やヲタク文化そのものへの否定、批判も少なからず起き、
その事で苦しかったり、辛い思いをする人も出てくるかと思います。


決して忘れないでほしいのは、アイドルには人が生きるというもっとも孤独な部分で、
支える力を確かに持っているという事です。
東日本大震災の被災地訪問で、AKB48を見て笑顔になった子供たちがいるように、
アイドルに見いだされる希望という力は、誰の価値観をもってしても否定できるものではありません。


そして2010年代のアイドルブームは沢山の人たちに、その選択肢がある事を教えてくれた時代だと思っています。


ファンの私たちに今求められている事は、自分にとって「アイドル」の存在とは何か、
改めて、落ち着いて見つめなおす事。


そうする事は、今アイドルをやっている人たち、アイドルを応援している人たちの夢を支えるだけではなく、
これからアイドルを目指す女の子たち、アイドルに救われるかもしれない人たちの未来にも、繋がっているのだと思います。


* * *


私は、アイドルの力を信じています。

だから、彼女たちが安全で健やかに夢を追いかけられる環境を、なおさら心から願っています。


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*1:1,035,986枚

*2:投票券付のシングルを除くと、2011年の『Everyday、カチューシャ』や『フライングゲット』と同水準の売上、初動1,330,432枚