スマホは便利で良いのですが、スマホには出来ないこともあります。
たとえば新聞を広げて(あ、今日はこの記事が一面のトップに来ているな)とか(なぜこの新聞だけあの事件の扱いが小さいのだろう)と感じることは、スマホでは出来ません。
スマホは視野狭窄的で、大局観を掴みにくいのです。
新聞の場合、昔はページ・ワン・エディターと呼ばれる人が居て、第一面における記事の配置を、その記事の重要性に応じて、ああでもない、こうでもないと考えたものです。
どの記事をどれだけ大きく扱うか……その判断ひとつに、その新聞社の見識が込められていたわけです。
だからページ・ワン・エディターは、社内でとても権力を持っていたし、個々の記事を書き、それをなるべく目立つ所に配置して欲しいと願う記者にとっては、怖くて、恨めしい存在でもあったわけです。
ところが今はウェブが主流なので、ニュースは右から左にどんどん流されるようになり、翌日の朝刊に間に合う締切の時間という概念の重要性は大幅に低下しました。
ニュースの重要性は、ネット上でそれが繰り返し話題にされているか? つまりpersistenceによって決まります。ツイッターでRTされ、フェイスブックのタイムラインにポストされる回数が多いほど、多くの人の目に触れるし、話題になりやすいというわけです。
スマホの登場が、ページ・ワン・エディターの存在意義を破壊したという風に言い直しても良いと思います。
スマホというデバイスの形状なりナビゲーション(ページの繰り方)が、ニュースの発見のされ方、消費のされ方を、変えてしまったのです。
マーシャル・マクルーハンは、そのように新しい文明の利器の登場が人間の行動や思考パターンを根本から変えてしまうことを「メディアこそがメッセージである」と表現しました。
ニュースの重要性がソーシャルメディアにおけるpersistenceによって決定されるということは、既存の紙の新聞がこれまでやってきたように、その日の事件やニュースをすべて蒐集して、まるごとパッケージ化し、読者に届けるという事が意味をなさなくなり、個々の記事が、紙の新聞紙上に印刷される前に、もうネットで出回り、消費されるということが常態化するわけです。
これは記事のアンバンドリング化(unbundling)に他なりません。
すると例えばニューヨーク・タイムズは、紙面全体の総合力で競争するのではなく、バラバラにされた、個々の記事で競争しなければいけなくなります。
一方、ウェブにはハフィントンポストのように、オリジナル記事だけではなく、ほかのところで掲載された記事を収録・再掲するメディアが登場しているので、ブロガーの記事が、大新聞で訓練された記者の記事と同じ土俵で競争するということも、当たり前になりつつあります。
それまで新聞社のエディターによって行われてきた品質管理された記事が、ブロガーの書いた全く品質管理されてない記事(もちろん僕の記事もそのひとつです)とごっちゃに消費されることで、玉石混交の様相を呈するわけです。
ソーシャルメディアでのpersistenceのみが記事の重要性を決定するというのは、一見、民主的で良いように思うのですが、そこには落とし穴があります。たとえばその記者がどれだけ丹念でフェアな取材をし、記事にしたか? というようなことはネット上では評価されにくく、「○○について知っておくべき5つのポイント」とか、「3分でわかる○○」など、ネットユーザーがなびきやすい記事タイトルの付け方の方が、はるかに重要になるわけです。(そういうMarket Hackも、もちろんこの手の常とう手段を使います。なぜなら、そうしないとpersistenceの閾値に達せず、せっかく読者に知ってもらいたいことを、伝えることができなくなってしまうからです)
このため記事内容はdumbed downされ、安易でお手軽なエンターテイメントとしてニュースが「消費」されることが常態化するわけです。ユーザーはそれにチョッと一言自分のコメントを添えることで「どや、オレはこんな難解なニュースを日頃読んでるんだゾ」みたいな演出に使われるわけで、これはニュースの小道具化、アクセサリー化に他なりません。
たとえば新聞を広げて(あ、今日はこの記事が一面のトップに来ているな)とか(なぜこの新聞だけあの事件の扱いが小さいのだろう)と感じることは、スマホでは出来ません。
スマホは視野狭窄的で、大局観を掴みにくいのです。
新聞の場合、昔はページ・ワン・エディターと呼ばれる人が居て、第一面における記事の配置を、その記事の重要性に応じて、ああでもない、こうでもないと考えたものです。
どの記事をどれだけ大きく扱うか……その判断ひとつに、その新聞社の見識が込められていたわけです。
だからページ・ワン・エディターは、社内でとても権力を持っていたし、個々の記事を書き、それをなるべく目立つ所に配置して欲しいと願う記者にとっては、怖くて、恨めしい存在でもあったわけです。
ところが今はウェブが主流なので、ニュースは右から左にどんどん流されるようになり、翌日の朝刊に間に合う締切の時間という概念の重要性は大幅に低下しました。
ニュースの重要性は、ネット上でそれが繰り返し話題にされているか? つまりpersistenceによって決まります。ツイッターでRTされ、フェイスブックのタイムラインにポストされる回数が多いほど、多くの人の目に触れるし、話題になりやすいというわけです。
スマホの登場が、ページ・ワン・エディターの存在意義を破壊したという風に言い直しても良いと思います。
スマホというデバイスの形状なりナビゲーション(ページの繰り方)が、ニュースの発見のされ方、消費のされ方を、変えてしまったのです。
マーシャル・マクルーハンは、そのように新しい文明の利器の登場が人間の行動や思考パターンを根本から変えてしまうことを「メディアこそがメッセージである」と表現しました。
ニュースの重要性がソーシャルメディアにおけるpersistenceによって決定されるということは、既存の紙の新聞がこれまでやってきたように、その日の事件やニュースをすべて蒐集して、まるごとパッケージ化し、読者に届けるという事が意味をなさなくなり、個々の記事が、紙の新聞紙上に印刷される前に、もうネットで出回り、消費されるということが常態化するわけです。
これは記事のアンバンドリング化(unbundling)に他なりません。
すると例えばニューヨーク・タイムズは、紙面全体の総合力で競争するのではなく、バラバラにされた、個々の記事で競争しなければいけなくなります。
一方、ウェブにはハフィントンポストのように、オリジナル記事だけではなく、ほかのところで掲載された記事を収録・再掲するメディアが登場しているので、ブロガーの記事が、大新聞で訓練された記者の記事と同じ土俵で競争するということも、当たり前になりつつあります。
それまで新聞社のエディターによって行われてきた品質管理された記事が、ブロガーの書いた全く品質管理されてない記事(もちろん僕の記事もそのひとつです)とごっちゃに消費されることで、玉石混交の様相を呈するわけです。
ソーシャルメディアでのpersistenceのみが記事の重要性を決定するというのは、一見、民主的で良いように思うのですが、そこには落とし穴があります。たとえばその記者がどれだけ丹念でフェアな取材をし、記事にしたか? というようなことはネット上では評価されにくく、「○○について知っておくべき5つのポイント」とか、「3分でわかる○○」など、ネットユーザーがなびきやすい記事タイトルの付け方の方が、はるかに重要になるわけです。(そういうMarket Hackも、もちろんこの手の常とう手段を使います。なぜなら、そうしないとpersistenceの閾値に達せず、せっかく読者に知ってもらいたいことを、伝えることができなくなってしまうからです)
このため記事内容はdumbed downされ、安易でお手軽なエンターテイメントとしてニュースが「消費」されることが常態化するわけです。ユーザーはそれにチョッと一言自分のコメントを添えることで「どや、オレはこんな難解なニュースを日頃読んでるんだゾ」みたいな演出に使われるわけで、これはニュースの小道具化、アクセサリー化に他なりません。
自分の知りたいニュースだけを選んでくれるニュース・アプリは、確かに便利なのですが、これはユーザーの視野狭窄をワープスピードに加速化させる、恐ろしいツールでもあります。なぜなら、ニュース・アプリを使うことでユーザーは自分の趣味に合ったニュースだけを赤ん坊がおかあさんから離乳食をスプーンで与えられるようにspoon fedされるからです。
これは自分のあたまで考えることの放棄に他なりません。
世の中には自分の考えとは違う人もたくさん存在するし、自分の読みたくないニュースも次々にもたらされます。相場で言えば、見込み違いのようなことは、しょっちゅう起こって当たり前なのです。
ニュースでも証券会社のリサーチレポートでも同じですけれど、そこに書かれていることも大事かも知れませんが、何がオミットされたか? ということも、おなじくらい重要なのです。
記事としてアウトプットされる情報は氷山の一角に過ぎず、残りの90%は無駄骨です。その表に出ない努力をするかどうかが、あたなが発信者になれるか、それとも永遠にニュースを受ける側で、そのニュースにチョッとツッコミを入れるだけで、あたかも自分が偉くなったような、安っぽい自己満足の立場に甘んじるかを決めるのだと思います。
(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack)
【お知らせ】
Market HackのFacebookページに「いいね」することで最新記事をサブスクライブすることができます。
これとは別にMarket Hack編集長、広瀬隆雄の個人のFacebookページもあります。こちらはお友達申請を出して頂ければすぐ承認します。(但し本名を使っている人のみ)
相場のこまごまとした材料のアップデートはMarket HackのFacebookページの方で行って行きたいと考えています。
これは自分のあたまで考えることの放棄に他なりません。
世の中には自分の考えとは違う人もたくさん存在するし、自分の読みたくないニュースも次々にもたらされます。相場で言えば、見込み違いのようなことは、しょっちゅう起こって当たり前なのです。
ニュースでも証券会社のリサーチレポートでも同じですけれど、そこに書かれていることも大事かも知れませんが、何がオミットされたか? ということも、おなじくらい重要なのです。
記事としてアウトプットされる情報は氷山の一角に過ぎず、残りの90%は無駄骨です。その表に出ない努力をするかどうかが、あたなが発信者になれるか、それとも永遠にニュースを受ける側で、そのニュースにチョッとツッコミを入れるだけで、あたかも自分が偉くなったような、安っぽい自己満足の立場に甘んじるかを決めるのだと思います。
(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack)
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これとは別にMarket Hack編集長、広瀬隆雄の個人のFacebookページもあります。こちらはお友達申請を出して頂ければすぐ承認します。(但し本名を使っている人のみ)
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