- 第244回 活動報告(ヤサコン4.7 今回も注意。なろうでの活動を休止するかもしれません)
- さて、死にたくなったエッセイを垂れ流したところで、お次は文学について語ろうか。この文学というのは面白くてね。
その前に。
話がそれるけれど、私は精神科に通ってる。
通院していて思うことは、精神科に通っている患者のほとんどは変人ではない。
ふさぎ込んでいる人はいても、私のように狂気じみた思考の持ち主はまず、いないってこと。
正常であるからこそ負荷に耐えられずに精神科に来たのだろう。
そういう意味で、私にはある意味病的な才能というか、恐怖的な力があると思う。
このサイトには、精神科に通ってますって自称してる人は、それこそ腐るほどいる。むしろ、自己中心的な人は少なくて? 病んでる人が多い傾向にあると思う。
ちびひめ さんみたいにいい人もいるわけで。
さてさて、自ら変人であることを称したところで、文学について語ろうかと思う。
文学とは何なのか?
私はそう尋ねられたら、答えに窮することにはなるのだろうけれど、おそらくこのような趣旨の答えをするだろう。
文学とは作者の苦悩であり、人生であると。
また話がそれるけれど、けれど。
同居人がいる前でこう言うと、雪ノ下のパクリかwwwwww
と言われる。
実際のところ、ぱくってなんかいない。
怒った時の口調を同居人が聞くと(じゃんじゃんという。)、今度は、○○のパクリかwwww
と罵られる。
私は『俺がいる』のファンではない。しかしながら、あえて言うなら戸塚君がかわいかった。
私の書く作品は文学ではない。
文学とは対極的にある『偽文学』、そう命名しておこう。
私は偽文学を書くのが好きだ。文学に似ていて、実はまったく文学とは異なる作品。かといって、娯楽とはかけ離れている作品。
それが私の書く作品たちだ。
性倒錯者、市倉悠衣が書く作品は文学などではない。
またまた話がそれるが、私は『~である』という人間の表層面しか読み取らない人間は嫌いだ。
だから、性倒錯者と自称するのは本来であれば、嫌なことである。
さて、また話がそれるが、私はお気に入りユーザは少ない方が良いと思っている。
あまり増えると不安なのだ。
だから、私を気に入らない人はスグサマはずしてくれていいと思っている。
そもそも、そんなユーザが残っていないかもしれないが。
こんなことを言うと、また別の話をしたくなった。
市倉悠衣はわがままな人間である。
極めて自分のこだわりがあって、それを乱されると泣き喚き、ヒステリーを起こすのは、子どものそれよりひどく、ともすれば人間というにふさわしくないものである。
もはや私の説明はしなくてもよいだろう。
話を戻そう。
性倒錯者で、わがままで、変わり者で、虚栄心の塊である私はそれを強く意識しているがゆえに、それを思い出させるようなものを見ると吐き気がし、苦しむことになる。
つまり、私の書く作品は文学として重要なものが大きく欠落しているわけだ。
もっと説明したかったけれど、やめた。
疲れました。
もう、一時過ぎてるし。
要するに、私の書いている作品は文学に近いけれど、まったく方向性が違っているということ。
文学とは苦悩に満ちた人生を体現するものだと思っている。
私に足りないものは多いけれど、一番文学として足りないのは、思いの放出の仕方。これがダメだから私の作品は文学とは認めない。
でも変えるつもりはない。
私の努力の結果? で2chの盗作擦れを閉鎖に追い込んだみたいだし、目標は達成した。
これを言いたかっただけだった。
豊作先生が言ってたな。
文字には宿るらしい。
生きたいね。
死にたくないね。
楽しみたいね。
文学を語るには時間が遅すぎた。
人間について語るなんて、べらべらべらべら書けるって。
また今度書きたいね。
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2014年 05月26日 (月) 01時31分
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それよりも死にたいわ。